丹後の地名 若狭版

若狭

麻生野(あその)
福井県三方上中郡若狭町麻生野


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福井県三方上中郡若狭町麻生野

福井県遠敷郡上中町麻生野

麻生野の概要




《麻生野の概要》
鳥羽谷の鳥羽川の上流域、西岸。海士坂との境に鳶ヶ岳がそびえる。
近世の麻生野村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年鳥羽村の大字となる。
近代の麻生野は、明治22年~現在の大字名。はじめ鳥羽村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西2町余・南北2町余、戸数51、人口は男105 ・女117、学校1。


《麻生野の人口・世帯数》 132・36


《麻生野の主な社寺など》

日枝神社

4月3日の祭礼に神輿が出御し、獅子舞が奉納され、4年に1度能が奉納されたという。近代に入り、村社日枝神社は祭神を大山咋命とし、明治42年秋葉神社・貴船神社を合祀した。毎年4月2日の春祭には王の舞が日枝神社に奉納される。
『遠敷郡誌』
日技神社 村社にして祭神大山咋命。鳥羽村麻生野字金山にあり、境内に神明宮八幡宮合祀祭神豊受姫命應神天皇の一社と山神社祭神大山祗神の一社とあり、明治四十二年合併されたる秋葉神社は元字庵の谷にあり、貴船神社は字下貴船にありたるものなり。

『上中町郷土誌』
日枝神社 麻生野
祭神 大山咋命
由緒 不詳
   若狭国神社校訂記曰
   天満宮、日吉神
    祠右二座在麻生野祭日四月三日
境内神社 神明宮 八幡宮 合祀
祭神 豊受姫命 応神天皇
由緒 不詳
   山神社
祭神 大山祗神
由緒 不詳
   秋葉神社
祭神 不詳
由緒 不詳(元字庵の谷にありしを明治四十二年四月日枝神社に合併す)
   貴船神社
祭神 不詳
由緒 不詳(元字下貴船にありしを明治四十二年四月日枝神社へ合併す)(以上鳥羽村誌)
社寺由緒記 天神是は海士坂当村の氏神に而御座侯
      由緒 不二相知一候
      山王一尺四方の小社両社御座候海士坂村より禰宜相勤申候由緒不二相知一
      延宝三年九月二十八日
           麻生野庄屋  惣右衛門
古文書 麻生野村海士坂村 鎮守山王大権現天満宮棟札扣
     北陸道若狭国遠敷郡麻生野村山王大権現之草創者不知昉於何年伝説往昔此落三生野村海士坂村純致敬心倶為鎮守故神明在感門戸亦栄然而昔年当郡県分界今猶在麻生野阡陌之間也爾来亦麻生野海士坂両村民倍崇奉而守護神霊応殊著也先是延徳四年加藤飛弾守修葺詹隙以蔽風日又慶長二年海士坂落長権守者奨両村巨併力修之葺之庶工竣功於是手招諦応五世長翁鎮和尚奉遷神霊設如在礼奠焉雖然星移霜積今也向敗朽今茲元録己己穐両村民棟宇見難久仍各馨赤情鳩工?材革故鼎新尽藻於梁上彫山於柱頭当旧時之高躅也不曰而落後于茲両村之民使弔而遷新廟因乞悚札有故不耐堅讓略矣伏上梁後神感増輝居民安寧
    至祝至祷
       元禄三庚午卯月三日
         城谷山諦応寺十世  海東叟誌之
         海士坂庄屋     内藤茂右衛門景親
         麻生野庄屋     三宅和右衛門信久
                北方倉見村大工  勘左衛門
                当禰宣      平野林藏
裏書左之通上屋損ニ付修覆シタテマツル古棟札文字滅シ不分ニ付相改書写後代之亀鑑者也
 嘉永六丑年五月廿八日
    鍵改領冥城谷山主仏山叟
       雲岳看住  美濃産 泰順代
       筆  者  濃陽産大定沙門
       当所庄屋  武田小兵衛
                従吉



曹洞宗雲岳寺


香川氏住居があり、同氏滅亡後民家となったものが現在も伝わるといわれ、その庭園は町文化財に指定されている。香川氏の菩提寺であった雲岳寺の木造聖観音菩薩立像と木造薬師如来立像は平安後期の作とされ、県文化財。
『遠敷郡誌』
雲岳寺 曹洞宗諦應寺来にして本尊は薬師如来なり、同村麻生野字裏門に在り、永祿年中武田家臣香川某父菩提の爲めに建立す。

『上中町郷土誌』
雲岳寺 曹洞宗 麻生野
創建 大永五年日峯祐慧和尚開山
由緒 創建以来平僧地也弘治三年香川大和守(法名、板谷院殿雲岳慈香大居士)当山の寺領を寄捨し香川家の菩提寺なり。
社寺山諸記に薬師観音二躰一所に御座候。恵心の御作と申伝候由。由緒不二相知一
延吟寺、是は永正年中此香川大和守内三宅弥兵衛と申人の菩提所の由、本尊の阿弥陀如来于レ今御座候板谷山雲岳寺、禅宗諦応寺本尊弥陀、恵心の作脇立は地蔵雲慶の作也、文亀年中香川大和守殿開基則寺内古へより赦免地に御座候。雲岳寺開山号日峯和尚大和守殿の法名は則雲岳慈香居士絵像御座候。同令室法名梅亨円心大姉御子息衛門太夫は濃州へ御越と承候当国御家中香川六右衛門殿先祖と及承候
      麻生野庄屋  惣右衛門


『若狭町の文化財』
【木造 薬師如来立像】【県指定】
本像は、両袖から足枘まで一材より木取りする檜材の一木造り、彫眼手法で、内刳りは施されていない。構造的に、極めて古様の手法がとられている。しかし、全体的な像容は平安後期の特色を示し、一一世紀後半頃の造像と推定されている。

【木造 聖観世音菩薩立像】[県指定]
檜材の一木造り、彫眼、背刳りの手法がとられている。素朴で静寂な印象を受け、薬師如来像同様一一世紀後半頃の造像と推定され、地方仏師による力強い個性的な作例として貴重である。



麻生野城跡
武田氏家臣香川右衛門大夫の拠ったという麻生野堡城跡が海士坂との境の愛宕山にある。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


麻生野の主な歴史記録


『上中町郷土誌』
麻生野
麻生野は戸数四十五戸、西南に山地多く麓は広大なる畑地開け茶園あり、北方海士坂に隣りする愛宕山に香川右衛門大夫の城址あり。部落の入口にたもの巨木ありて元時雍小学校と称せしものありし処で今は鳥羽小学校麻生野分校がある、その西に当りて曹洞宗雲岳寺あり、同寺境内に薬師如来、聖観音を安置する御堂あり。いづれも藤原時代の木像で優れた作である。旧村社日枝神社は西北の山麓に鎮座す。更に渓流に沿える山路を右折し上れば小径となる、これ宮川村大谷に越ゆる坂路なれど、行人極めてまれでこの峠より北方山脊を登れば鳶ヶ岳に達す、山巓は展巫広濶眼下に田烏湾の碧波は絵よりも濃やかに、遮くは越前、丹後の諸岬湾をも望むべく景観佳絶雄大である。
嘉永年代御領分高  五百七十三石弐升
字経ヶ鼻および池ノ谷山麓は往古寺院跡で宝篋印塔を残す。
香川大和守屋敷および庭園、現在はその一部で園内には月見、雪見、春日燈籠あり。香川氏は天保飢饉に救恤を施行し、天保二年の大飢饉に貧民に杓を以って粥を施こしたという杓が今に保存されている。
文政年問の大火には部落の大半焼失し、円命堂も火難に遭い堂守の女人が御名号の掛軸を抱き、裏山に逃れたが女は遂に死したるも件の名号の軸は松の枝に懸りて残り、今に保存されているという。
この区の産業としては養蚕盛んで木炭も産出する。
   ○
鳥羽焼、享保元文の初め鳥羽谷麻生野村にて陶器を焼きたれども、今は行なわれずと古書に見ゆ。

麻生野の伝説





麻生野の小字一覧


『上中町郷土誌』
麻生野区小字名
淡ヶ谷 兵ケ谷 大箆 小藩シ 猿谷 奥庵 井ノ奥 井ノ上 漆ケ窪 上貴舟 広ノ上 下貴舟 広畠 左り山 宮川坂 八ケ谷 南奥 動々 石ケ谷 西川 板ヶ谷 経ヶ鼻 池谷 五反畠 欠上り 石仏 蛇穴 北屋敷 上道 裏ノ門 光照寺畑 金山 中ノ谷 宮ノ下 番場 下沢 後菴 海道 相ノ森 上佐古田 下天ケ谷 上天ヶ谷 脇 十王堂 下佐古田 塚本 溝尻 馬橋 町田 吉光 鳥居崎 河原田 甲ノ谷 甲ノ浦 中高 六反田 荒堀 杉ノ町 八反田 菴ノ谷 鷹ノ尾 割谷 桂谷

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『上中町郷土誌』
その他たくさん



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