井ノ口(いのくち)
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福井県三方上中郡若狭町井ノ口 福井県遠敷郡上中町井ノ口 福井県遠敷郡三宅村井ノ口 |
井ノ口の概要《井ノ口の概要》 JR「上中駅」や上中中学校、三宅小学校があるあたり。上中の中心である。 井口は、大永2年(1522)8月8日付の次郎大夫如法経米寄進札に「井口・施主次郎大夫」とあるのが初見。弘治2年(1556)6月22日付の明通寺鐘鋳勧進算用状には「百文 井ノ口平衛門尉」「弐百文 井ノ口村中」と見える。弘治~元亀年間にかけて武田氏家臣松宮玄蕃の弟松宮右近の所領であったらしい。建久7年(1196)6月日付の若狭国源平両家祗候輩交名案に名が見える御家人「井口太郎家清」は、当地を本貫としていたものかという。 近世の井ノ口村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。玉置庄に属す。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年三宅村の大字となる。 近代の井ノ口は、明治22年~現在の大字名。はじめ三宅村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西6町余・南北2町余、戸数54、人口は男125 ・女106。 《井ノ口の人口・世帯数》 496・172 《井ノ口の主な社寺など》 堂角古墳 熊野神社 旧・熊川街道に鳥居があり、長い参道がある。熊野権現は熊野からの勧請といい、かつては9か村の大社で毎年6月12日に獅子頭が9か村を回ったという。 案内板がある。 熊野神社 祭神 櫛御気野命 伊邪那美命(伊奘冉尊) 神紋 丸に剣片喰 社格 指定村社 例祭 四月二十日 境内神社 天照皇太神宮 若宮八幡宮 由緒沿革 当神社は、霊亀元年(七一五年)に、紀ノ国より勧請される。 長い歴史の中で、殊に正保三年(一六四六年)には、旧小浜藩主酒井忠勝公より徳川三代将軍家光公の厄除祈願を執り行う社と指定され、社殿の寄進造営がなされたとある。 御祭神の櫛御気野命は、古文書よよれば須佐之男命と同一視され、その御神徳に「水の神」「田の神」として農耕守護の信仰がある。また、妻となった櫛名田比売を殊更大切にしたことから、夫婦円満家内安泰の守護とされる。 当神社では母神にあたる伊邪那美命とともに奉祀されている。平成二十六年(二〇一四年)には、御鎮座一三〇〇年式年大祭を区民総意のもと、盛大に斎行した。 『遠敷郡誌』 熊野神社 指定村社にしで祭神櫛御氣野命伊弉册命にして同村井ノ口字宮脇にあり、元十二所權現と稱し靈龜年中紀伊國より勧請すと傳へ正保三年藩主酒井忠勝将軍御厄年祓の爲め神殿御造立ありしと云ふ、境内に天照皇太神宮あり、又瓜生村天満神社境内にあうし若宮八幡宮を明治四十四年當社に合併す。 『上中町郷土誌』 熊野神社 井ノ口 井ノ口宮ノ腰にあり。 祭神 櫛御気野命 伊弉冊尊 由緒 霊亀年中紀伊国熊野神社より勧請村社として崇め奉りしが本社の創なり。然るに正保三丙戍旧小浜藩若狭少将酒井讃岐守忠勝公正二位内大臣征夷大将軍源家光公御年四十二齢御厄抜の為現在の社殿を再建し奉り給ひ以て今日に及べり。 毘沙門 井ノ口字散薄に在り 祭神 毘沙門天 由緒 不明 境内森林中本堂より約十間を隔てて泉あり水清冽にして最も飲料に適す。 井ノ口弁才天の由来 上中駅の西方に常盤古樹の社がある、弁才天を祠る祠で井ノ口姓の本家であるという井ノ口清太夫所有の鎮守である。宝暦八年常源寺住職弄山記によれば、井ノ口氏は清和源氏の系統で明応年問に帯刀と弁天像とを下賜され京都よりこの地に伝来土着せしものという。 礼寺由緒記 熊野十二所大権現 此所ニ霊山寺と申真言宗六坊御座候、然るに霊験あらたかにして威光国にかがやき諸願成就仕候故参詣之輩群集仕依レ之九ケ村之大社として六月十二日ニ九ケ村へ獅子頭御廻り候。 古い神田二町余候へ共三百年以前雷火にて破壊仕神主家も焼失仕来歴知れ不申候。然る処正保三年為御上御祈祷御国中之大社御修覆遊ばされ候節当社も上葺修補被遊被下候。 禰宜 孫太夫 毘沙門堂 是は往古より御座候へ共由緒相知れ不レ申候。 若宮殿 是は昔公方家方御流人にて当村に御座候て御死去被レ遊依之若宮殿といはひ籠め候由申伝候。 山の神 由緒不二相知一 弁才天往古より有来り候へ共由緒相知不レ申候 延宝三乙卯九月十七日 井ノ口庄屋 清太夫 曹洞宗小谷山常源寺 熊野神社の隣。常源寺は古くは天瑞院といった。一時廃寺となったあと常在院白陰和尚が再興、本尊は聖観音。 『遠敷郡誌』 常源寺 曹洞宗常在院末にして本尊は釋迦佛なり、同村井ノ口字小谷に在り、慶長七年常在院の代宣龍創建す。 『上中町郷土誌』 常源寺 曹洞宗 井ノ口 井ノ口にあり。慶長七年四月三方郡田上常在院第八世宣龍和尚の創建にかかるもの曹洞宗に属す。本尊釈迦仏を安置す当時の旧記は中世大火の為の灰燼に帰したるを以て詳細なる来歴を知るに由なきも往古より伝説或は旧家に保存せる古文書に依るに当寺は今より二百四十余年前安永年間に再建ありしものなりと又住職第十世に朗山大和尚あり博学にして古書の蒐集に努められ共蔵書も甚だ多かりしが幾多の星霜を経る間に多く散乱し了れりその鐘楼は明治の代無涯和尚の代に地蔵堂も明治二十年頃新築にかかるものなり当院開山は内陰宜龍和尚にして、爾後曹洞宗として宗統連綿今日迄三十余代にいたる。 社寺由緒記 小谷山常源寺は古天瑞院と申寺に御座候え共百七十年計以前□□絶仕候処百年次前に常在院白陰和尚当所へ隠居□□召に付御取立にて其より小谷山常源寺と申候。本尊は正観音にて御座候作者知れ不レ申候。 延宝三乙卯九月十七日 井ノロ庄屋 清太夫 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 井ノ口の主な歴史記録『上中町郷土誌』 井ノ口 井ノ口区は天徳寺の東若狭街道に沿い、背後は井ノ口山を負い、北部は一帯の平原を控えて箱ケ嶽の連峯を見る。 藩政時代草石高四百八十四石五斗六升八合で、現今は鉄道開通に伴い上中駅は設置され、東熊川へ、北鳥羽、田烏方面への交通の基点となり、諸官公の機関尽く整備され、名実共に上申町中枢を形造り、随って商工業者年々増加し交通の便を利用する職員の住宅地を形成、次第に町家らしくなりつつあり。人口も昔時の二倍以上に膨張し、純農を以て立つものは数軒を殘すのみとなっている。参考までに、文化年代には戸数四十八戸だった。 杉名山と毘沙門堂森林中には四時清冽なる水湧き実に天恵の飲用に用いらる。 また当区野山中腹に一大平地ありて往昔真言宗寺院あったという、今なおその境内らしき石垣楚石を殘存す、恐らくは山嶽仏教の隆盛なりし時代の遺物ならんと推測せらる。 この区に井ノ口姓の多いのは、清和大皇末裔の系統の繁殖せしものという。駅よりは国道二十七号線も通じ野木地区へも通じ交通の要衝である。 近世沿革史云「この区は古来洪水の難に遭うこと数度最も慘たんたる被害を蒙りしは、文化四年九月大水発し流水天に漲り山岳倶に流るるかと思わるる程の激水各堤塘もことごとく水底に沈め遙か三宅森下、向う吉田村および堤村まで一様の江河に委し衆人胆を冷さざるはなし。是がため掘れ所、土磧人、泥被り、中晩稲は悉く埋没し字野中辺に磧の丘崖をなしたるはこの時の水なり。折しも国主酒井忠進公か右左の臣に命じて水害の実地を探索せしめ、その実状を知り給い、水除仮堰等に尽力せられ、かつ特別の恩恵により薄沙入土被はりしを分甲乙一段歩に現米五俵以下三俵までの扶持米を賜わり、深磧入川欠等は多年期を免されその他引石を多分にして本村に禀賜する所の扶持米実に二百四十俵の多きに及び、本年の貢米村内に平均を以て少しく過に及べり。」と。爾来明治十六年に至るまでにも幾度も水難に遇い、近く大正六年十月一日同七年九月廿四日にも又々郡中にも冠たる被害を受けたが、県費支弁により直ちに復旧を見たのであった。 井ノ口の伝説『越前若狭の伝説』熊野神社 (井の口) 熊野神社の境内に若宮殿と御神宮がある。若宮殿は、むかし公方(くぼう、貴族)が流人としてこの地にいたが、死去したので祭った。御神宮は、むかし熊野権現の境内に白羽の矢がどこからともなく来たので、社を建てて祭った。 (社寺由緒記) 井ノ口の小字一覧『上中町郷土誌』 井ノ口小字名 上窪田 窪田 出口 吉河原 久伝 上向ヒ 向川原 孫城 長塚 流田 町田 文前 小田 柿市 野中 山ケ鼻 上山戸 中山戸 下山戸 音尾 大河原 折途 五反田 田中 五豆田 塔ノ脇 堂角 西浦 清水尻 友鹿 池ノ尻 下ヶ市 中ヶ市 角畠ヶ 上ヶ市 加福六 玉ノ井 散薄 鳥ノ鼻 宮ヶ下 宮ノ腰 小谷 陳ヶ市 馬場脇 辻堂廻 大豆山 業畠ケ 一里塚 高野 新田 上高野 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『上中町郷土誌』 その他たくさん |
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