市場(いちば)
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福井県三方上中郡若狭町市場 福井県遠敷郡上中町市場 福井県遠敷郡三宅村市場 |
市場の概要《市場の概要》 役場、JA、診療所などが集中する上中の中心地。伝説によれば、往昔当地に市を開き諸物を売買したことによるという地名という。 近代の市場村は、明治7~22年の村。「若狭郡県志」によれば、「合市場、小谷、沢田、仮屋、殿村、宮崎、山村等而為三宅村称三宅庄」とあり、江戸期には三宅村に含まれていた。敦賀県、滋賀県を経て、明治14年からは福井県に所属。同22年三宅村の大字となる。 近代の市場は、明治22年~現在の大字名。はじめ三宅村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西4町・南北2町、戸数24、人口は男55・女72、学校1。 役場とJA 《市場の人口・世帯数》 225・70 《市場の主な社寺など》 市姫神社 『遠敷郡誌』 市杵社 祭神不詳、同村市場字市姫にあり。 『上中町郷土誌』 市姫神社 市場 市場字市姫に在り祭神由緒共に詳ならざれども市姫神社とは昔の市場に附随する祭神にして往古のいわゆる市場には市姫を祭りその神前にて必ず虚偽の行為をなさざる旨誓い市を開きたるに因るものなりと。 『上中町郷土誌』 阿弥陀堂(市場) 市場にあり三宅区久永寺第十世の大継和尚の創建せられたるものなりと称す。今を去る百余年前炎上の厄に遭いたるを以て記録一切を失い今詳細な由緒を尋ぬるに途なし、現今の堂宇は罹災後再び原敷地に建てられたるものにして阿弥陀仏の像を安置し本尊となす。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 市場の主な歴史記録『上中町郷土誌』 市場 市場は井ノ口の東隣し国道に沿う。この区昔より隣三宅と水利、地形等同一なるを以て地勢上の区別し難く三宅の庄の中であった。 藩政時代草石高二百二十石五斗一升八合貢米九十三石一斗六合、この区も井ノ口と同じく商家次第に増し純農家は少い。 街道付近籔肉桂の古木繁茂する所あり、往昔市場を開いた所で、今石地蔵数個が残っている。近くにこの市場の守護神市姫明神が祀られ、また東谷山腹の椎樹の森には金毘羅神社も祀られている。文化時代には戸数十九。 なお同区南山腹よりはマンガンを産出し、大戦前後に採掘せられていたが今は無い。 市場の伝説市場の小字一覧『上中町郷土誌』 市場の小字名 大井根口 西向河原 出口 横枕 東中河原 百苅 狐塚 随音 東谷 南谷 西谷 市場 鳥ノ觜 鳥ケ鼻 六地蔵 市姫 東号 東荒堀 中荒堀 荒堀 岸ノ下 柳ケ坪 西中河原 広田 西平岩 窪田 小屋藪 小田 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『遠敷郡誌』 『上中町郷土誌』 その他たくさん |
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