成出(なるで)
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福井県三方上中郡若狭町成出 福井県三方郡三方町成出 若狭国三方郡西田村成出 |
成出の概要《成出の概要》 県道162号の縄文博物館や道の駅「三方五湖」がある少し先。三方湖西南岸に位置し、西は田井に接する。江戸期の新田開発によってできた地域。道沿いはウメ栽培の美林が続く。集落は田井寄りにある。 寛文年間(1661~73)の浦見川開削によってできた新田村で、地名は新田開発によりこれからは米が「イクラモ成出テン」の意味から名付けられたという(三方郡誌)。 成出村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。郷帳類では田井村枝郷とある。文化4年(1807)の家数11 ・人数49。村民は近隣の三方・鳥浜・気山・佐古の各村から入ったという。「西田村誌」には明治7年まで田井村に属していたとある。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年田井村の大字となる。 近代の成出は、明治22年~現在の大字名。はじめ田井村、明治40年西田村、昭和28年からは三方町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西6町・南北15間、戸数15、人口は男59・女49、小船13。昭和43年一部が島の内となる。 《成出の人口・世帯数》 44・12 《成出の主な社寺など》 愛宕神社 『三方町史』 愛宕神社 田井字成出に鎮座。祭神迦具土神。初めは成出村地籍の東の方の小高い山の上に、防火の神としてまつられていたが、杵築神社が明治四十一年八月に多由比神社に合祀されたので、その跡(現在地)に移された。 《交通》 《産業》 《姓氏・人物》 成出の主な歴史記録成出の伝説成出の小字一覧『三方町史』 庄境(しょうざかえ) 山脇(やまわき) 山下(やましも) 吉ヤ谷(よしやだに) 勝負分(しょうぶわけ) 関ヶ谷(せきがだに) 山神谷(やまのかみだに) 総畑ヶ原(そうばたけがばら) 地蔵脇(じぞりわき) 村蔵山(じぞうやま) 白良喜鼻(びゃくらきはな) 大谷べら(おうたにべら) 屯林谷(どんばだに) 古居山(ふるいやま) 白子山(しらこやま) 細見谷(ほそみだに) 梅の木谷(うめのきだに) 梅の木原(うめのきばら) 大岩(おういわ) 古城山(こじろやま) 堂谷鼻(どんばたにばな) 堀切(ほりきり) 塩越原(しゃくしはら) 菅の浦(すがのうら) 井礁(いくり) 鼻四方崎(はなよもざき) 東四方崎(ひがしよもざき) 魚梁谷(うおはりだに) 干潟山(ひかたやま) 応水谷(おうみずだに) 切迫上(きりようえ) 甲輪島(こわじま) 磯辺(いそべ) 仙田(せんだ) 奥の谷(おくのたに) 西の谷(にしのたに) 東越(ひがしごえ) 日向越(ひるがみち) 西稲谷(にしいらだに) 西号浦(さいごうら) 坂城ヶ岳(さかしろがだけ) 是浦(これうら) 石打山(いしうちやま) 太鼓石(たいこいし) 六蔵下(ろくぞうした) 宮の下(みやのした) 北庄下(きたじょうした) 蛭子端(えびすばた) 柿木原(かきのきはら) 柿河原(かきがわら) 西瀨戸(にしせど) 大脇(おおわき) 白石(しらいし) 東瀬戸(ひがしせど) 瀬戸内(せどうち) 泉河原(いずみかわら) 向(むかい) 巴(ともえ) 池の浦(いけのうら) 池の崎(いけのさき) 岩崎(いわさき) 艮張(こんばり) 大端(おおはた) 堀切(ほりきり) 島(しま) 五十八下(いかばちした) 福浦(ふくら) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『福井県の地名』(平凡社) 『三方郡誌』 『三方町史』 その他たくさん |
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