丹後の地名 若狭版

若狭

小原(おはら)
福井県三方上中郡若狭町小原


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福井県三方上中郡若狭町小原

福井県遠敷郡上中町小原

小原の概要




《小原の概要》
鳥羽川の東岸に位置する。地名の由来は、山城国愛宕郡小原の住人が当地へ来住したことによるともいう。
中世の小原は、室町期から見える地名。永享4年(1432)12月13日、同7年11月1日付の明通寺寄進札に「鳥羽庄小原」「鳥羽小原」と見え、山門領鳥羽荘に属していた。天文4年(1535)2月5日の藤城小次郎田地寄進状に「若狭之国鳥羽之庄小原」と見える。弘治2年(1556)6月22日の明通寺鐘鋳勧進算用状には「二百七文 おはら村両所」とある、「両所」とは現在の小原と南を指すものと考えられている。
近世の小原村は、江戸期~明治22年の村。小浜藩領。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年鳥羽村の大字となる。
近代の小原は、明治22年~現在の大字名。はじめ鳥羽村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西1町余・南北3町余、戸数32、人口は男90・女83。


《小原の人口・世帯数》 127・30


《小原の主な社寺など》

石桉(いわくら)比古比売神社(式内社)

延喜式神名帳の石桉比古神社、石桉比売神社のいずれかであろうか。

岩倉明神社・石桉比古比売神社などと称し、大同元年(906)に山城国愛宕郡から勧進し、正保2年酒井忠勝が修補したという。毎年3月16日王ノ舞・獅子舞が舞われ、7年に一度能が奉納されたという。近代に入り村社となり、明治42年字堀の相尾神社を合併した。
石桉比古比売神社には大蛇退治の伝説が残り、4月3日の例祭には、この伝説による大蛇退治の行事が行われる。4月3日に催される王の舞は町民俗文化財。

『遠敷郡誌』
石按比古比賣神社 村社にして同村小原字宮腰にあり、元岩倉明神社、又岩倉大明神等と稱し、郡縣誌に大同元年勧請とあり、現存の正保三年の棟礼に酒井忠勝公再造にして岩倉大明神と稱し、南北之小原山内両村神廟なる旨記され、奉行鹿野三太夫嶺尾平左衛門神主久兵衛とあり、舊藩時代の社寺記に山内村の部に岩倉大明神氏子山内黒田三田大鳥羽小原持田祭禮三月十六日、毎歳六ヶ村廻りに能樂ありとあるは此社なるべし、國帳に石椋彦明神等ある事前項の如く又神名帳考證の文も同じと雖も何れの神社に該當するか確證なし、境内神託に天満宮あり、明治四十二年字堀より相尾神社祭神素盞鳴尊合併さる、神名帳考證に今云實篋山下岩神歟云云とあり。

『上中町郷土誌』
式内石按比古比売神社 小原
祭神 岩倉大明神
由緒 在二上中郡小原村一大同元年自二山城国岩倉一勧二請一之而同二年九月十六日 建レ社祭レ之為二産神一也正保二年酒井忠勝公有二所領事一而修二補社宇一三月十六日祭日而有二神事能一又有二獅子舞王舞等一矣(以上若狭郡県誌)
按石按石鞍也参河国石座神社(三実)四十四作二石按神一今日宝筐山下岩神
(古事記)石衝毘売命亦名布多遅能伊理毘売命。(以上 伴信友全策第二巻)
神社私考曰按の字式の印本手に从えて按と作るは正しからず、古本ともに从えて作るに拠れり。京極印木には鞍と作り古書に按鞍通用(カヨ)わして書り何れにても久良とよむべし。神名帳考に曰石按比売神社 古事記に石衝毘売命亦名布多遅能伊理毘売命考証 神名帳考曰参河国石座神社 三代実録四十四作石按神今云宝筺山下岩神天徳寺村在大和国高市郡巨勢山二座ス石按孫神社 能登国鳳至郡石倉比古神社伊豆国石倉命神社越前国磐座神社伊部盤座神社大槻盤座神社高磐座神社 明治八年十二月国内神社書上アリ、小原村ヨリ石按比売神社卜書上
追考  大鳥羽村なる石按彦神祠は式内石按比古神社にて当村なるは式内石按比売神社なりと言えり神社私考の説に拠るなり。
稚狭考云 石按比古神は大鳥羽村より移し祭る故に式外とし石按比売神社は式内なり若し二座ともに式内なれば社二社あるべし彦神を式内とし大鳥羽に鎮座なり。寛文書上にても両社に一社づつ式内あるように書上あり、社記によれば大同元年創建とある確ならず正保二年酒井少将忠勝公修補棟札の写左の如し。
  (表)
  武運永昌為国民守護励再造若狭国司従四位上左近鵆少将兼讃岐守源姓酒井氏忠勝
  上棟岩倉大明神、南北之小原山内両村神廟
  正保三丙戍五月ニ十七日    奉行
  (裏)
檜皮段 久左衞尉 藤原吉次 市兵衛尉 藤原吉家 筆者 足立七左衛門尉
神主  岩木久兵衛
奉行  鹿野三太夫 小原村庄屋 佐十郎
同   嶺尾平佐ヱ門 山内村庄屋 弥左ヱ門
境内神社 天満宮
祭神 菅原道真公
由緒 不詳
     相尾神社
祭神 素盞嗚命
由緒 不詳(元字堀にありしを明治四十二年四月石按比古比売神社へ合併す)
社寺由緒記 小原村氏神岩倉大明神由来曰山城国愛宕郡小原住人尺太郎尺次郎と云兄弟当國へ下此所を見立鳥羽谷の杉榑木伐深山開闢当小原山内に居住の処折々山悄噪して膿二虚空一不思議に思如レ是震動は当所に無二神社一可レ成レ故と及二評議一則奏二聞禁中一左様事は依二神力ー可二静治一岩倉大明神を可二奉遷一と有て奉二請一物也社廟者三軒社以二杉檜一造立時代不レ知慶長年中の比炎焼仕其時七尺四面に再興其時吉家と申檜皮(神宮寺居住)古へ開闢の社葺以四由来三大同二年丁亥致二上葺一吉家清水葺分皈当社上葺以二其伝一炎焼再興上葺鳥羽谷中の大社也敷地は山内小原両村の堺有之 正保三丙戌大猷院様御不例之時為二御祷一讃岐様より上葺被レ遊被レ為下候社領古えは七十町有之大閤時代落残七町有レ之浅野弾正検地の時又落田二ケ所打レ之山二ヶ所内舞堂長床修理一ケ所燈明領一ケ所    延宝三年   小原村庄屋    甚太夫
岩倉明神社在二上中郡小原村一大同元年自二山城国岩倉一勤二請之一而同二年九月十六日建レ之とあり。此神の祭は三月十六日に行なう例なり此は石按比売神社なるべし、但し当郡山ノ内村にも岩倉明神社あり、此村は南小原とも云いて小原の部内なりしとぞ、しかるにその山内村なる社も小原村なると同神なりと云い伝うといえば、これも比売の方なるべし、さはいえど其中いづれ式社ならむ。詳ならざれど小原なるは社号も重く社伝もきこゆればこれなむ式社にて国帳に正五位石按姫明神と載なる社なるべきと。             以上
石按比古比売神社、小原村宮腰にあり、元岩倉明神社又岩倉大明神等と称し郡県誌に大同元年勤請とあり、現存の正保三年の楝札に酒井忠勝公再造にして岩倉大明神と称し南北の小原山内両村神廟なる旨記され奉行鹿野三太夫嶺尾平左衛門神主久兵衛とあり、旧藩時代の社寺記に山内村の部に岩倉大明神氏子山内、黒田、三田大鳥羽、小原持田祭礼三月十六日毎年六ヶ村廻りに能楽ありとあるは此社なるべし。国帳に石按彦明神等とある事項の如くまた神名帳考証の文も同じと雖、何ずれの神社に該るか確証なし。(遠敷郡誌)



浄土真宗本願寺派奥谷山徳成寺

『遠敷郡誌』
徳成寺 眞宗本願寺派にして本尊は阿彌陀如来なり、同村小原字上山に在り、往古天臺宗醍醐庵眞言宗常慈庵の二字あり、常慈庵は鳥羽谷七箇村氏神石按神社の別當職なりしが、住僧空前蓮如小濱着岸の時歸依して弟子となり、文明十一年眞宗に改む。

『上中町郷土誌』
徳成寺 浄土真宗 小原
創建 年月日不詳 開基空善
由緒 当寺開基空善は天台宗常慈庵の住僧なりしが文明年間本願寺第八世蓮如上人此地に巡錫のとき同時に帰依し弟子となり浄土真宗に改宗し徳成寺と改正
(社寺由緒記)
西本願寺宗徳成寺此寺古へは天台宗後禅宗に成り又百二十年前に本願寺宗に相成候由申伝其外由緒無二御座一侯。
 延宝三年
   小原村庄屋  甚太夫
(遠敷郡志)
真宗本願寺派にして本尊は阿弥陀如来也。同村小原字上山に在り往古天台宗醍醐庵真宗常慈庵の二字あり
常慈庵は鳥羽谷七ヵ村氏神石按神社の別当職なりしが住僧空善蓮如小浜着岸の時帰依して弟子となり文明十一年真宗に改む。
木尊阿弥陀如来立像  三尺二寸室町時代作の御願天台宗六代の末流良寛僧都(山階皇子御息弟也)当時住職となりき文明七年本願寺第八代蓮如上人此地に巡錫の時慈寛法師同師に帰依し改宗して真宗となる。
 上人土足弟子慶聞坊龍玄明応寺と号して住職となる。これ本寺の開基なり。
当寺現存の宝物
 本尊阿弥陀如来木像 親鶯聖人絵像 聖徳太子絵像 本願寺第八世蓮如上人絵像
 本願寺第十三世良如上人絵像 本願寺第十七世法如上人絵像 本願寺第十八世文如上人絵像 本願寺第二十世広如上人絵像 本願寺第二十一世明如上人絵像 六字名号 蓮如上人 十字名号 蓮如上人 親鷲聖人木像 御自作 蓮如上人木像 御自作 不動明王木像 行基菩薩作 仏舎利 二個 親鷽聖人真骨 大般若経 伝教大師筆 紺紙金泥秘密般若経 光明皇后筆 親鴬聖人和 実如上人筆 蓮如上人御消息  実如上人筆 良寛僧都絵像 当寺開基 寂如上人の筆軸 三方正面阿弥陀如来絵像 唐天台恵門筆 親鷙聖人左向絵像 真仏上人筆 阿弥陀如来絵像 恵心僧都筆 慶聞坊能玄像
(社寺出緒記)
朝日山明応寺古天台流敷地者当レ良有二旧地北方大滝一備□守某古居従レ其越二小山一名二乱塔一乾方春日日鎮守後守□□肩流岩水南方有レ池名二御手洗池一本八九而瓦葺正面向三鬥今名二大鬥一自レ門乾方上一重塔自然以來云二塔山一往昔繁昌雖二霊地一何之従レ比及二大破一于レ時明応年中河内国慶鬥坊武卿米レ此念レ仏従レ其巳來皈二本願寺一為レ差由緒不二相知一略レ之、同村妙覚寺往昔天台宗也、然処本願寺蓮如上人当国へ御來錫の砌より皈依にて改派也外に由緒無レ之略レ之
本尊阿弥陀如来
   山内村庄屋 弥右術門
蓮如上人旧跡
 山内明応寺にあり蓮如上人御木像略記によれば文明七年八月下旬の頃蓮如上人越前古崎の一乱にて小舟に召し若狭の西津に着き給う時に山内の里に大武備前守飛永権之守という者あり日頃上人の高徳を慕い居られけるに八月二十四日の夜夢ともなく気高き老人枕元に立ち給い両人に告げ宣うよう「汝日頃心に慕うところの上人此の度吉崎一乱に付当国西津の浜に漂流し給う急ぎ御召請申すべし吾はこれ此の地の山神なり」と両人大いに喜び打より夢物語りせしに少しも違うことなし御示現にまかせ翌日急ぎ御迎に出でしに夢にたがわず蓮如上人小舟に召して来られ給う両人初めて御拝顔申し喜ぶこと限りなく御示現の赴申し上げ奉れば上人御喜びあらせられ「いざ汝が方へ参るべし」と仰せられ夫れより当寺へ入らせられ御教化ありしという明応寺には上人に因める宝物数多現存す。(村誌)


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


小原の主な歴史記録


『上中町郷土誌』
小原
三田区を南下し須崎を廻れば小原区で、大谷の畑地を過ぎて部落となる。左手山手によって医学者窪谷謙了の碑あり。この奥に鳥越坂と名づくる小坂ありて昔元旦に、この坂を越えて来て大谷の大盤石の上に金の鶏銀の鶏が現われたという伝説あり、人家は道路の左右に散在し三十二戸、真宗徳成寺は東方山麓にありて本尊は室町時代の作という、ここから岩屋坂を越え十村方面へも出られる。式内石按神社は区の南端にありて、当地区内で最も古き社にして古来崇敬最も篤く社殿内に古い棟札存す。字堀なる所に一の鳥居あり、これから旅所の大道が通っていたといい、往昔は規模ももっと広大であったことを物語っている。
 伝兵衛古文書によれば、嘉永年代御領分高は小原村四百石二斗八升とあり。
    ○
天神講 小原部落には古くから天神講の行事が厳粛に残っている。奥の谷字大丸に天神馬場と呼ぶ段地があり、天神様が鎮座しあったという。

小原の伝説

『越前若狭の伝説』
岩倉明神  (小原)
山城国(京都府)愛宕郡小原の住人で尺太郎・尺次郎という兄弟が当国へ下り、ここを見立てて、鳥羽谷の杉を切り、深山を開き、この小原山内に居住した。しかるにおりおり山が鳴りひびいた。このような震動は、この地に神社がないからであろうと考え、相談して朝廷に奏上した。岩倉大明神を移せとの仰せがあり、ここに勧請した。  (社寺由緒記)

鳥羽谷がまだ閧けないころ、長江のふちがら大蛇(じゃ)が出て、毎年子どもをひとりずつ取って食べた。子どもを出さないと村じゅうを荒らすので困った。そのとき岩倉という人がその大蛇を退治してくれたので、小原に岩倉神社をこしらえてお祭りした。故に今でもこの神社のお祭りには蛇(じゃ)を作り、能舞をする。  (福井県の伝説)

鳥羽の小原は、むかし京都の方から尺太郎・尺次郎という兄弟がきてここに住み、この村を開いたのか始まりである。そのころ、鳥羽(とば)谷(旧鳥羽村)の中央一帯は大きな沼であった。この沼を隔てて小原の向かい側にある長江の赤淵という所に大じゃが住んでいた。夜になると農作物が荒され、人畜にも危害が加えられるようになった。そこで朝廷に奏上すると「それは神なきゆえのさたであろう。」とのことであった。
尺太郎・尺次郎の兄弟は自分の出生地から岩倉大明神の分霊を勧請して、この小原におまつりした。これが小原の氏神の石按(いわくら)神社である。この神様のお力によって赤淵の大じゃは退治され、村々は平和となった。今も石按神社の春のお祭には王(おう)の舞と獅子舞か奉納されるが、この王の舞は石按(岩倉)大明神を表わし、獅子舞は大じゃを表わすものという。この獅子は普通の獅子頭(がしら)にくらべて平たく長い形をしており色も黒っぽいのは、大じゃをかたどったもので、天狗(てんぐ)の面をかぶりやりを持って舞う王の舞は、大じゃを退治する所作を表わすものであるともいう。
なお小原に近い山内の明応寺に退治された大じゃの骨というものが、寺宝の一つとして保存されており、毎年のお盆には箱を開いて虫干しをするならわしとされてきた。山内部落も以前は石按神社の氏子であった。
また小原の石按神社は鳥羽谷一帯で最古のお宮であるといわれ、式内社であると信じられている。正保三年(一六四六年)に若狭の大名酒井忠勝がこの神社の修補をしたという棟札(むなふだ)もある。また、この近くには尺屋敷という地所かあり、尺太郎・尺次郎の住んだ屋敷跡であるといわれている。  (永江秀雄)

めおと岩    (小原)
小原の岩屋坂のふもとに二つの岩がある。これはめおと(夫婦)である。あるとき小原の寺の庭先ヘーつ持ってきたところ、夜になると、「めおとへ帰ろ、めおとへ帰ろ。」と泣き出すので、村じゅう総出でもとの所へ返しに行った。庭石によい石であるが、それからはだれもいらう者がない。      (福井県の伝説)



小原の小字一覧


『上中町郷土誌』
小原区小字名
須崎 馬越 内須崎 鳥越 北大谷 大谷 深田 寺田 荒脇 水雲田 正安 上小畑 下小田 小溝 丸山 北谷 道ノ上 茶ノ木原 北角 堀り 宮ノ前 馬場 宮ノ腰 村中 新奥谷 奥谷 上山 醍醐菴 大丸

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『上中町郷土誌』
その他たくさん



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