丹後の地名 若狭版

若狭

下タ中(したなか)
福井県三方上中郡若狭町下タ中


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福井県三方上中郡若狭町下タ中

福井県遠敷郡上中町下タ中

下タ中の概要




《下タ中の概要》
安賀里の北側、西は有田。西部一帯に水田が開かれる。南部を国道27号が東西に走る。
近代の下タ中村は、明治17~22年の村。遠敷郡のうち。近世には有田村に属し、通称有田村を西有田村、下タ中村を東有田村と呼んでいた。文化2年(1805)小浜藩から村分けを命ぜられ、宗門人別帳・租税上納方など2か村として扱われたが、免状のみは有田村のままであったという。同22年瓜生村の大字となる。
近代の下タ中は、明治22年~現在の大字名。はじめ瓜生村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西3町余・南北10町、戸数52、人口は男137 ・ 女143、学校1。

《下タ中の人口・世帯数》 243・85


《下タ中の主な社寺など》

大谷古墳群

下タ中と山内の境になる尾根が川側へ突き出ているが、この山の中腹にあるという。どこから登るものか見当もかない。
6世紀中頃の円墳12基。第1号墳は昭和31年調査が行われた。「若狭町歴史文化館・展示図録」より→
直径27.5mの円墳で、大型横穴式石室をもつ。尾根斜面と墳丘とを区画する溝をもつ。片袖式の横穴式石室は南南西に開口する。全長10.3mで、長い羨道と長方形のプランを有する若狭地方でも大型の石室の例の一つ。玄室の床には20セ㎝内外の角礫を敷詰めてあった。玄室長5.1m、玄室幅2.3m、羨道長565m、羨道幅1.5m。昭和31年、石室床面の清掃が行われ、馬具(双葉剣菱形杏葉)、武器、武具、ガラス製丸玉、金銅製空玉、須恵器などが出土した。築造年代は丸山塚古墳(天徳寺)とほぼ同じ6世紀中頃とされる。


下タ中遺跡
下タ中集落の北方、水田中に広がる古墳時代~奈良・平安時代にわたる遺跡。昭和44年の圃場整備事業の際、須恵器・土師器・布目瓦、さらに皇朝十二銭のうち神功開宝などが出土。一帯は破壊され、判然としないが、集落跡・廃寺跡などが存在したようであるという。

広嶺神社

タンボの中にポツンとある。
『遠敷郡誌』
廣嶺神社 村社にして瓜生村下夕中字天王にあり、祭神不詳なり、明治四十四年八幡宮を字八幡より合併す、祭神不詳なり。

『上中町郷土誌』
広峯神社 下タ中
祭神 素盞嗚尊 高雷龍神
伝説には往古より雨乞神と称し、旱魃の際には御能を献し祈願した。なお社殿は文政年間に再建し明治十年更に改築した。雨乞は安政元年明治六年明治九年と明治二十六、七年、大正十三年には大旱で能楽を奉献していづれも霊験ありしと伝ふ、別名天皇社とも呼ぶ。
社寺由緒記  天王 小社由緒不二相知一略之
   有田村庄屋  弥助
          三郎助


『丹生の研究』
私は永江秀雄氏の協力をえて,昭和37年11月7日に上中町一帯を隈なく調査することができたが,とくに下中地区では,広嶺神社附近の赤坂で水銀0 . 0072%を含有していた試料を採ることができた。こうして私はこの地区をもって「倭名抄」の丹布でありそこに仁布神社が鎮座し,現在の広嶺神社がその後身であると確信したのである。ただしこの朱産地には,朱砂の女神としてニウヅヒメの祭祀は見られたが,おそらく丹生氏の関与がなかったために,丹生の文字を地名にも社名にも留めなかったのであろう。

やはりそうか、北川の東側、熊川断層の付近はどうも広くそうした気配を受けるところが多い。水銀がありそうなのだが、証拠らしいものがなかった、物的証拠をもって松田博士がおっしゃるのなら、間違いなさそうである。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


下タ中の主な歴史記録


『上中町郷土誌』
下タ中
下タ中は近世まで有田の地籍として称せられた。有田村は中世にては安賀里村の内であり。安賀里から離れて有田村となり、有田村から分れて下タ中となった訳で、是は後世人口繁栄したる結果かとも思われる。
郡県誌阿賀郷なる記事中「安賀高賢宅地在有田村一之伝元久建久之時代住居今為レ田苅田称二高賀陸田二又高賢城跡在二安賀村山王山一云々」又或は有田村は安賀里村に隣り、其処に字を小安賀里とも安賀里山とも云う。小里なるを思えば有田村は旧安賀の村なり」とあり。右の安賀里山は今の下タ中区の小字の名となっている。
下タ中は北山内西有田に隣し、東は末野南は安賀里に接す、山脈は福乗寺山を起点として東西に連互する田地は平坦にして、米の産額多い。
文化年代上中郡の石高によれば、有田の石高に総合せられたるもののようである。
字天王に鎮座まします広峯神社は、素盞嗚命を祭り、尚八幡宮も傍にあり。字堀に安賀高賢の邸趾あり、福乗寺谷には寺跡がある、又米長堂に堂宇の跡ありて、深耕すれば仏器数多出づるという、岩風呂は昔湯の湧出したといい伝えられている。
高賢屋敷「有田村に安賀高賢の宅地あり伝え云う元久建久の頃此所に住居せりと、今は田畠となる。夜討曽我舞本に若狭国に安賀の高慊伏国政か末子青の太郎鳥羽右兵衛と云う者あり、高賢は誤りか高慊伏を云うかと」若狭郡県志に見えたり、これ下タ中の高賢邸跡のことならん。
附記 下タ中の重な遺蹟は左の通り
斉の神 此の小字は往古斉の神の鎮座在った処で、一見境内らしくタモの古樹が茂っている。
福城寺 真言宗で近郷での大寺であったが兵火に遇い、永正二年瓜生村関へ移転す。
寺繩手 福乗寺への通行道と袮す。
岩風呂 温泉が湧出したと云伝う年代は不詳。
湯の尻 岩風呂温泉の地続きである。
本八幡 八幡神社が元在った処、明治四十四年広嶺神社に合祠する。
堀   安賀高賢屋敷八百八十坪で東西二ヵ所に塚あり、元基礎を存在したが今は散佚した。尚此地の農耕を嫌うと云う。
釈迦ヶ谷 往古釈迦堂があったと云伝う。此外に字本八幡、字大谷に古墳あり。
仙崖荘 安賀里山に在り、乾長沼棲居趾。有志の者此所に時折会合し遺徳を偲んでいる。

下タ中の伝説





下タ中の小字一覧


『上中町郷土誌』
下タ中の小字名
上流田 高田 広田 角田 窪田 藪田 堂衝道 沢頭 這上り 赤崎 赤穂野 仏谷 東奥 芝原 見畑刈 天王 鶉田 小溝 堰ノ下 友金 大溝 米長堂 八反田 臑括 三反田 松本 小垣 今尻 今川 中筋 二反田 斉ノ上 門ノ前 中村 椿原 川原 杉本 石橋 瓦塚 天王前 山腰 寺繩手 福成寺 椎谷 広畑 岩風呂 湯之尻 堀 陰田 本八幡 一ノ井根 坂ノ下 寒風 松風

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『上中町郷土誌』
その他たくさん



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