丹後の地名 若狭版

若狭

杉山(すぎやま)
福井県三方上中郡若狭町杉山


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福井県三方上中郡若狭町杉山

福井県遠敷郡上中町杉山

杉山の概要




《杉山の概要》

JR「上中駅」の北側、杉山谷の奥にある集落。現在は大別して口杉山・中杉山・奥杉山からなる。地名の由来は往昔その谷間に大杉が密生していたことにちなむといわれる。農家の種籾を浸したといわれる種ケ池が字内に6か所ある。
近世の杉山村は、江戸期~明治22年の村。「若狭郡県志」に「有脇谷・小野寺等之号」とある。小浜藩領。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。同22年野木村の大字となる。
近代の杉山は、明治22年~現在の大字名。はじめ野木村、昭和29年からは上中町、平成17年からは若狭町の大字。明治24年の幅員は東西4町・南北13町、戸数59、人口は男161 ・ 女137。


《杉山の人口・世帯数》 150・41


《杉山の主な社寺など》

山ノ井椙杜神社

集落の一番奥に鎮座。境内の樹齢数百年の「ハリギリ」の木は町文化財。
『上中町郷土誌』
山井椙杜神社 杉山宇宮ノ下鎮座
若狭郡県誌ノ下
若狭国神階
大日本地誌証大系 一〇五頁
一、上津々彦明神  遠敷郡正五位 上津々彦明神未知其処
一、上津々姫明神  遠敷郡正五位 上津々姫明神未知其処
一、正五位山井椙杜明神 今社詳ならず
  ある説に杉山村なる蔵王権現これなりと云へり上ノ上津々彦下の下津々姫明神の下に云へるを合わせ考ふべし。  以上
伴信友全集神社仏考に
一、正五位 上津々彦明神、
一、正五位 上津々姫明神、
右二座今詳ならず委道云杉山村なる蔵王権現社 この記の下に載せたる山井杉森明神にて地主と呼び上津々彦明神を後相殿に祭りまた蔵王権現に合祭れりときけりといへり。いかならむ猶よく正すべし。
若狭郡県誌に
一、上下大明神社
在二上中郡杉山村一勧二請遠敷上下之神一者也
 二月月日 九月十日有レ祭   以上
社寺由緒記  杉山村
一、蔵王権現 吉野より垂迹の神と申伝候 然は神谷山に鬼神住為二退治一源頼光御下り被レ成彼鬼神の躰を御覧被レ成夫より杉山□□□谷に引籠り給ひで権現に祈誓し給へば頼光御夢□を受給ひて無レ難鬼神を退治被レ成依レ之社建立之由申伝候 則神田も二町一反八畝候へ共大閤様御代に落申候故只今は大破におよび候
   弥宜 佐兵衛 以上
野木村誌に
一、由緒 神社明細帳に「祭神弉冊導、由緒応永元年勧請及創立正五位許可
一、伝説 祭神上津々彦命 下津々姫命の御事蹟は分らないがおほかた杉山を拓かれた神であろう。
なお山井椙杜明神は大飯郡青郷村六路から勧請したと云うのは誤りで六路本宮の森に在る熊野三権現は紀伊国より勧請したものでもとは熊野神社といい今は杉森神社といって一時は山頂の金比羅神社に合祠したこともあった。杉山の山井椙杜神社の奥の院の祭神は蔵王権現で吉野から勧請したのである。
一、祭神 山井椙杜神社の祭神は伊弉冊命を主とし椙杜明神 上津々彦命 下津々姫命、蔵王権現 若狭彦神 若狭姫神 天満天神を合祀し 往昔八月二日に例祭あり 申楽を催した。
一、境内神社
一、山神 社は大山津見神を祀る 諾冊二神の御子で山を司り給ふ 素盞鳴尊の妻神 大市比売 瓊々杵尊の後木花咲爺姫の御父である。
一、八幡神社には応神天皇を祀る
 舞台 天保十四年六月従来の建物通りに改築した大工は市場村孫太夫 杉山村小太夫で木挽は杉山村の孫左ヱ門 伊左衛門 利太夫であった。
一、境内 一千二百二十六坪 境外所有地七反七畝二十六歩。
               以上
稚狭考に
散楽祭礼 八月二日 蔵王権現 杉山
               以上



曹洞宗嶺松山清月寺

集落の入口にある。本尊釈迦如来、内藤佐渡守第2世の創立とされ、十村常在院の末寺。同寺には幕末頃寺子屋があったという。墓地内の宝篋印塔は南北朝期のものと推定され町文化財。
『遠敷郡誌』
清月寺 曹洞宗常在院末にして本尊は釋迦如来なり、同村杉山字門前に在り、天文三年正圭の開基にして大永七年武田信栄の臣内藤佐渡守行勝を葬るために建立したるものなりと傳ふ。

『上中町郷土誌』
杉山村 清月禅寺
社寺由緒記に
嶺松山清月禅寺は洞水の流れみ、道元禅師の末裔なり。自余嫡々相承して今に至る。中ごろ前住白内藤天応、清月宗廉居士のために再興建立することこれあり。寺領三反十歩もってこれに寄進しぬ。然りといえども太閤御検地の砌、寺領落てこれ無し、天応建立の月より当年まで百四十九年、その間歴世の折、宗門の途轍に違わず、晨香夕灯、孜々然として怠らず、誠なる哉や弁道の浄地たるや、然りといえども年代はなはだ遠くして今や破壊せんと欲す、すなわち本尊は観世音菩薩にして弘法の御作なり。霊仏たるによって行者の得益書きつくすべがらざるものなり。釈秀峰これを識す。
 延宝三乙卯年九月十八日
  清月寺 庄屋 二郎太夫
若狭郡県誌に
清月寺在二同郡杉山村一伝言堤村城主内藤氏第二世佐渡守建二立之一佐渡守法号謂二清月宗廉一斯寺曹洞禅宗而三方郡常在院之末寺也堤村桂雲寺斯寺之末派也
社寺由緒記に
本尊は観世音菩薩と記されてあるが今は釈迦如来を本尊としている
遠敷郡誌に
清月寺曹洞宗の元は常在院末にして本尊は釈迦如来なり、同村杉山字門前に在り天文三年正圭の開基にして大永七年武田信栄の臣内藤佐渡守行勝を葬るために建立したるものなりと伝う。因みに行勝の法号嶺松院殿清月宗廉大居士大永丁亥七年五月十三日百五才で歿した。夫人の法号園香院殿花屋春慶大姉弘治二年八月十五日卒す
若狭国志に
清月寺在二杉山村一大永元年武田家麾下佐渡守内藤某創立寺置二内藤三世木主一記曰前渡州大守清月宗廉大永七年丁亥五月十三日前渡州大守天翁宗褝永禄九年丙寅二月十三日前左金吾奇峯秀童ハ永禄九年丙寅三月十三日
野木村誌に
(本尊)釈迦如来
(梵鐘)秀栄寺主祖鎮禅人新鋳報鐘一口懸嶺松山清月禅寺考撃資禅誦以此追薦通菴宗円信士花林早春信女也銘曰
報鐘新成 音韻?轟 錐是小器 広利群生
破長夜夢 警昏散情 円通証人 只由聞声
耳根得悟 速登覚城 勝徳毎尽 豈能細評
  元禄五年壬申五月十八日    清月見住劉  孝山
                         謹誌
   冶工 近藤丹波
(寺地)滋賀県管下当時の寺院明細帳に畑地九畝二十九歩の記載あり

杉山村 薬師堂
社寺由緒記に
 昌永山小野寺薬師如来は大同元年の建立也堂宇漸備七堂雖レ有レ之何人の建立と云事不知云云従二大同元年一七百六十歳過而永禄九丙寅年当境の郡主内藤佐渡守再興在レ之則寺領二町八反雖レ在レ之依レ乱無二寺領一共に落坊六坊も致二大破一後寛文二壬寅年清月寺先祖万人講を催一間四面の本尊を立本尊薬師如来同十二神令二安置一者也 附り上下堂は同大同元歳の所造也 則薬師の鎮守に而同内藤佐渡守御再興建立有レ之其時の社于今雖レ有レ之年代依二久敷一只今為二小破一者也
庄屋   一郎太夫
  延宝三乙卯年九月十八日
福井県教育委員会文化財調査報告第二集に 遠敷郡野木村杉山小野寺 薬師如来
法量  全高二尺五寸五分(七六・五糎)
    膝張 六五・〇糎
形式手法 印相は慈悲 姿勢は結跏趺坐 着衣は偏祖右肩 螺髪は切付粒状 白毫は木質植付衣皺衣紋線は浅く形式化したもの素材構造刀法は木造寄木内刳をなす胴背部膝の三部からなる寄木である塗り彩色は仏身漆箔胸部に唐草肩部に亀甲袖に卍くずしの文様を画く。表現の概要は形式的推定造顕年代は鎌倉初期で右手は後代において修理補足したものである。
野木村誌に
由緒 上古昌栄山小野寺といい隆盛を極め嵯峨天竜寺夢窓国師の行化されたこともあったが、時勢の変遷に随い次第に衰えいまは山号寺号なくただ清月寺の末庵となっていて部落の人々の信仰も篤く毎年八月十二日供養会を修している棟札大意 昌栄山小野寺はもと巨刹であったが乱世に際し寺山を失ひ殿堂も荒廃した明暦三年漸く一間四面の堂宇を造立し医王尊像を安置し後寛文三年沙門寿察が二間四方の堂宇を造立したが歳を経て腐朽した因て予は之を再建しようとしたが未だ果さない。寛保三年の初春法弟喚乎が予に白銀拾枚を贈りもって志願を遂げさせようとした。茲において浄財の寄付や労力の寄付を得て殿堂を再建し同年四月十八日尊像を安置し供養を営んで予が本師光山柔山和尚を開山とし予を二世とす、昌栄山小野寺現住万泰建苗謹んで記す。
伝説によれば薬師堂はもと小野寺といって殿堂が備っていた。所在地は小野寺の金堂の跡でニョウドゥという所に金剛力士があった。ニヨウドウは仁王堂という語から転じたもので小浜の長源寺の仁王は小野寺から遷したものである。この薬師如来の尊像は虫の蝕はぬタチガヤという木で刻んだ古い作だと仏師はいう。



《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


杉山の主な歴史記録


『上中町郷土誌』
杉山
杉山の起原 京極氏若狭所領の時は家臣に禄を頒つのに土地を以てした。其の当時糟谷勘右衛門か杉山玉置の一部を支配した事は次の古文書で知られる。
為三給地二遠敷郡玉木村之内高拾石同郡杉山村之内高五拾石高合百石一令二扶助一候全可レ有二知行一候也
      元和九年癸十月十九日忠高(花押)
              糟谷勘右衛門殿
杉山区を徳川時代には脇谷と小野寺とに分けて唱えた。今脇谷の字のあるのは其名残りであろう。昌栄山小野寺の盛んな頃、附近に数戸あった。これは杉山の起原でのち脇谷に戸数が殖え合せて杉山と云うようになった。
奥の部落が口よりも早く拓けたもので旧い家は奥杉山に多い。
脇谷とは幕谷という語から変じたもので清月寺の辺に腕利の士が幕を周囲に張り廻して棲んでいた。之れが幕谷の名の起りである。
鳥羽村大字大鳥羽に通ずる坂路の傍、山井椙杜(スギモリ)神社から五町の地点に一の石がある。昔一人の尼が大鳥羽から杉山に行く時火の雨にあい石を被って来て此処でおろした。(鎗が降ったとも云う)此石と尼とは何か関係が八百比丘尼の冠石と云っている。
桑原さんと云う所の近くの田圃の中に一小丘がある。ここには昔アカラガシ大明神の社が在った。因みに杉山地区は住昔その谷問に大杉が密生していたので地形上この大字名となった。土地改良工事中杉や檜の根が無数に掘出された事実によっても、口杉山あたりは杉や檜の大森林地帯で到底住居を構えるには余地がなかった。然るに奥杉山方面には田畑地帯が更に奥山間部に広がっているので奥杉山から開けたのは当然である。
京極時代までは裟婆賀(さはか)村と云う一部落が今の堤分教場附近に在ったが、その内中村と云う一小部落は分離して杉山村へ移った。
尚杉山を大別して口杉山、中杉山、奥杉山となっている。

種(た)ヶ池(六ヵ処残存している)
農家の種籾を浸す池で種籾を浸ける時は、早中、晩穂等の種類によって所謂五人組の者が相互話合の上で種蒔の際この籾を上げるのに便利な様に順番は決っていた。昔は此池は防火用としても大切であった。

霊木 大将軍
高木元右衛門、北浦六郎太夫、北浦源七、田中庄司太夫、藤井庄右衛門には各々たもの霊木あり内藤時治郎には梨の霊木ありて其の根元にはいづれも祠が在る。尚杉山には田の神を祀ると云う大将軍が数筒処ある。「桑原さん」とは雷の神様で桑原家の先祖を祀った地でタモの霊木がある。
杉山では清月寺の隹職橋本玄了氏が寺小屋を開き子弟を教育していた。


杉山の伝説

山ノ井椙杜神社にこんな案内板がある。

伝説 八百比丘尼の泉
 昔むかし、若狭の国の小浜に八百比丘尼と呼ばれる長生きの尼僧が住んでおられた。
 この尼僧が諸国行脚の旅に出て北国を巡り帰る途中に、鳥羽谷から杉山坂を越えようとした時に、天から火の雨が降り出した。
 そこで、道端の大きな岩を頭の上に冠の様に被って、火の雨の中を杉山村側へ越え、鳥羽坂道の中腹に岩を下ろした。
その時に、大岩の地響きによって突然に地中より水が湧き出したと伝えられる。
 この大きな岩を「八百比丘尼の冠岩」と呼び、湧き出した神聖な泉を「比丘尼の泉」と呼んでいる。
 その由緒ある水を氏神の山ノ井椙杜神社の泉水として鳥羽坂の現地より取水している。  平成二十二年 十月吉日     山ノ井椙杜神社 氏子総代


八百比丘尼の冠岩は神社より10分くらいの所にあるという。


『越前若狭の伝説』
蔵王権現    (杉山)
吉野から現われて来られた神である。むかし神谷山に鬼神が住んでいた。それを退治するために源頼光が下って来た。鬼神の姿を見てから、杉山の谷にこもって権現に祈誓したところ、夢想を受けて、難なく鬼神を退治した。よってこの社を建てた。      (社寺由緒記)


今は山井椙杜神社と称している。(遠敷郡誌)
参照 高懸山(上中町神谷)

大江山     (杉山)
杉山に脇(わき)谷というあざがある。これは幕谷という語から転じたものである。清月寺のあたりに腕ききの武士が幕屋をつくって住んでいたからこの名が生じた。
そのころ大江山の鬼が乱暴をきわめていたので、腕に覚えのある武士が集って退治しようということになった。旧三宅村神谷の甲懸山の岩穴が大江山に通じていると考え、岩穴の付近で多くの武士が歌い舞い笑いどよめいた。これは、にぎやかな音を聞いて鬼か出て来るだろうという計画であった。そのとき美しい女がひとり、どこからともなく現われた。みなが驚いて見つめているうちに、女はあわてて岩穴に逃げこんだのを、幕谷の武士か射殺した。                   (野木村誌)

桑原さん   (杉山)
杉山と堤の中間に桑原さんという古墳がある。杉山の桑原家の先祖を祭る。雷の神さんであるという。    (野木村誌)

尼の石    (杉山)
大鳥羽へ通じる坂道のかたわらに一つの石がある。むかしひとりの尼が大鳥羽から杉山へ来る途中火の雨にあい、石をかぶって来てここにおろした。やりが降って来たという人もある。  (野木村誌)



杉山の小字一覧


『上中町郷土誌』
杉山の小字名(土地台帳による)
猪藪 奥山 焼山 施餓餽田 柿木谷 北谷 多浮谷 宮谷 樋ノ口 畑ヶ谷 明神前 宮ノ下 高畑 南高畑 紋谷 小谷 井根口山 鳥谷 高峯 梨谷 山ノ神 柏尾 大谷 伊屋谷 山田 本県 甲ヶ谷 石野 北無田 丙 西川 加々田 新道 脇谷 門前 段 南脇谷 今坂 細田 国重 府中 垂ケ水 小府中 上府中 藤谷 西新道 新道谷 加久太以 新道下 小畦 畔田 貝堂 師の花 泉谷 奥泉谷 薬師 寺海道 加々ノ田 北有田坂 南谷 有田坂 奥神子谷 神子谷 仁也 隅田 横枕 大門 中村 新館 鋤田 江尻 塚町 狐塚 須上 大野

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『遠敷郡誌』
『上中町郷土誌』
その他たくさん



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