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物部郷(ものべごう)
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物部郷の概要《旧物部郷の概要》 ![]() 古代の物部郷は、平安期に見える郷名で、「和名抄」丹後国与謝郡七郷の1つ。石川村小字物部谷には蘇我石川宿禰命あるいは宇麻志麻治命とされる祭神の式内社・物部神社が鎮座し、ここが中心か。 物部神社を祀る物部氏がいたから物部と呼ばれたものと思われる。 中世の物部郷は、室町期に見える郷名。「丹後国田数帳」に「一 物部郷少神田 四段七十八歩 御免」と見える。 『和名抄』に訓注がないが、全国各地にも同名の郷があり「もののべ」あるいは「ものべ」と称していた。当郷式内社物部神社を「もののべ」と称し、丹後国御檀家帳にも「いし川のもののゑ」とあるから郷名も「毛乃々倍」としている。 田数帳に「物部葛保」とあるのは野間村(現京丹後市)の内である。郷域についてはつまびらかでないが、おおよそ石川村を中心に若干周辺に広げて考える。「日本地理志科」は「石川・須津・香河・明石」とし、「大日本地名辞書」は「今石川村蓋是なり」としている。 旧物部郷の主な歴史記録![]() (『注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録』)
『大日本地名辞書』
『与謝郡誌』
関連情報![]() ![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『野田川町誌』 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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