丹後の地名

野室(のむろ)
京都府与謝郡伊根町野室


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京都府与謝郡伊根町野室

京都府与謝郡本庄村野室

野室概要




《野室の概要》

野室(伊根町)
若狭湾に突き出し野室崎の山手の集落で、本庄浜、南は津母に接する。本庄浜から南へ山道を行く。
野室村は、江戸期〜明治22年の村名。慶長6年から宮津藩領、のち寛文6〜9年・延宝8年〜天和元年と享保2年以降は幕府領。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年本庄村の大字となる。
野室は、明治22年〜現在の大字名。はじめ本庄村、昭和29年からは伊根町の大字。

《野室の人口・世帯数》 39・13


《主な社寺など》
八柱神社
八大荒神と称し、五男三女両部習合上の荒神を祀っていたが、廃仏毀釈により現社名に改めたという。
八柱神社 野室(旧村社)
祭神 八柱神(元八大荒神。明治二年(一八六九)八柱神社と改名)
例祭 八月四日
沿革 享禄二年(一五二九)十一月創建とされている。
文化十年(一八一三)再建
明治六年(一八七三)二月村社
(『伊根町誌』)


名所に朝間の滝・暮間の滝・船繋石・鶏鵡の鼻


《交通》

《産業》


野室の主な歴史記録

『丹哥府志』
◎野室村
津母村より西十八町、其間に大坂あり一に風早嶺といふ。
【八大荒神】(祭十一月丑の日)
【暮間の滝】(出図)
断岸より直に流れて海磯に落つ凡廿丈余、滝の正面洪蕩たる大洋聊か礙ぐる所なく朝日に映じて光を生じ五色の珠玉を雨ふらす、其西に暮間の滝あり。
【船繋石】野室本庄の間にあり海を隔つ八、九町、島子の船をつなぎし處なりといふ。
【鸚鵡の鼻】(一にいはら崎といふ、津母村より舟にのりて黒島鍾乳石の處を経て野室村の下を通り本庄村へ至る間にあり)


野室の小地名


野室
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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『伊根町誌』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん



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