丹後の地名

岩窪稲荷神社
(いわくぼいなりじんじゃ)
舞鶴市吉坂


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京都府舞鶴市吉坂

京都府加佐郡志楽村吉坂



吉坂岩窪稲荷神社の概要

《吉坂岩窪稲荷神社の概要》



吉坂には古い大きな稲荷さんがある。「松尾寺駅」の前にあるコンビニの脇の細い路を入って、線路を潜った所にある。
 吉坂(きっさか)稲荷神社とか岩窪(いわくぼ)稲荷神社とか岩室(いわむろ)稲荷神社とか呼ばれている。境内というのか参道というのか、資料類がたくさん展示されている。
 舞鶴市内の稲荷神社のなかでは最も歴史が古いとされ様々な伝説が伝わる。
かつては東舞鶴の商業者は必ずお参りしたといわれる。裏山の400段ほどの石段には赤い鳥居が立ち並んでいて、登ると岩室があり、岩屋大明神がまつられている。
田辺藩主・牧野家の信仰が薫く、参勤交代の際に守護したといわれる。丹後若狭の漁業関係者の信仰が篤い。海軍の信仰も厚かった。
岩窪稲荷神社(吉坂)

『舞鶴市史』は次のように書いている。
 〈 吉坂の稲荷神社は、創祀以来、代々両森本家が神主職を世襲して、太良(郎)太夫・伊(位)太夫を名乗った。同社は「山ノ尾中段二高サ壱丈斗切立夕ル如ク見事成ル岩有リ 其内ニ霊狐住リ岩字呂三太夫ト云是ヲ祝フ(旧語集)とあり、「田辺府志」にも同じ類の伝承を採録している。
 伝承にば、元禄年間(一六八八〜一七○三)に藩主の参勤交代に同道してこれを守護したという。狐は八幡神の鳩、日吉の猿などと同様で稲荷神の眷族神使の類であるが、特に稲荷神の狐については、一般に神そのものと考える習俗がある。従って、この伝承も霊狐という表現をとり、神格化して祀っている。
 元文元年(一七三六)に、京都伏見稲荷の本願所愛染寺より神璽を勧請している。ただし神事作法などについては吉田家から伝授されている(両森本家文書)。
 一般の神社が地縁的結合の関係から崇敬される場合が多いなかで、同社は森本家の勧請と唱導によった点が特徴的である。江戸期(一六○四〜一八六七)には信者名簿によると藩領内と若狭国(福井県)西部に限られていた。信仰のつながりは個人の現世利益のための加持祈涛が中心をなし、一時期には疱瘡に効験があるとされた。また稲荷神は農耕に深い関係を持つ神であるが、明治以降、若狭湾の漁業振興に伴い関係業者への信仰の浸透があった。
 同社が岩窪・岩室を社名に冠するのは、先に引用の伝承によるものであり、吉坂を冠するのは地名である。
今日この地方では教派神道的な色彩を帯びている神社の一つである。  〉 

岩窪稲荷神社鳥居などの寄進者の名を見れば、その通りなのだろうと思われる。
そして次のような伝説がある。(同書)
 〈 岩窪稲荷  (吉坂)
 吉坂の岩窪稲荷大明神は白狐で、俗名を岩窪三太夫という。ここの山林に高さ三メートル余りの岩崖があって、ところどころに穴があり、そこに昔から白狐が住んでいた。吉坂のある農夫がいつもこの白狐に食事を与えていたので、大へん農夫になれ、遂に毎月朔日になると白髪の老翁に化けてその家に来ては、くわしく吉凶を知らせるようになった。このことが自然と世間に知れわたり、ここに岩窪大明神として祭ることになったという。
 田辺藩主の参勤には年々護道したともいわれ、またかつて江戸屋敷で岩窪三太夫と称して、人と相撲を取ったのはこの狐であるともいわれている。  〉 
他に蛇足を加えても仕方がないが、当社発行の由緒によれば、

 〈 岩室稲荷神社由緒
   *    *
鎮座地 京都府舞鶴市字吉坂
御祭神 宇迦之御魂神 猿田彦之神 大宮之女神 豊宇気大神 大己貴之神
別称別社名  (元 伍蔵社) 正一位岩窪稲荷大明神 吉坂稲荷大明神
社地  元は腰根林一円、現在は山上と山麓の一部
例祭  三月最初の午日(従来は陰暦二月の午日) 七月六日(従来は陰暦六月六日)

由緒略記
 当社縁起に依ると山を明室山、社を元伍蔵社と称し、往古、天火明命は大国主命の命を奉じて当国を平定し、地を当田国と丹波国堺(丹後の国が置かれたのは和銅六年四月で当時は丹波国と言った)の此の明室山に卜へて、天津磐境に神籬(ひるろぎ)を樹て神宝を奉安し、此の地鎮護の祈願所として祭らせられたのが創祀と伝う。
 即ち美保伎玉、御祈鈴、久斯器、御神幣、療病金囲の五種の神宝(当社家に蔵す)を安置し、病を療し諸災を除き、永く国を治め護る神璽とされ、此の故に伍蔵社と称したと言う。(永仁二甲午年三月再写の縁起に記す)
 丹後風土記逸文に言う伍蔵社は当社のことである。
 降って承応年間、衰微廃たいした社地を開き、社殿を興し享保二十一年丙辰年二月二十二日京の伏見稲荷社より神璽を勧請遷座、正一位岩窪稲荷大明神と尊称す。其後、安永十辛丑年二月、天保十己亥年十月、明治二十六癸巳年四月社殿を改築造営した。
 其の間吉坂稲荷の聞えもめでたく、歴代の田辺藩牧野城主の御社参や御代参が続き、石燈籠・白狐・御神鏡・鳥居・絵馬等を御奉納になった。
 また、昭和四十四年七月二十七日には雷火にて山上御本殿を焼失する奇禍に遭い崇敬者の浄財が寄せられ再建が成った。
 御祭神の広大深遠な御神徳に依り、且っては庖そう・疫魔や災厄除け、五穀・養蚕成就、大漁祈願、道中守護などの祈願や御祈祷、近年に至っては家内安全、病気平癒、諸業の繁栄、交通安全、縁談成就などに特に厚祈願が寄せられている。
  *   *
  御奉納(田辺藩 牧野城主)
一、石燈龍 一対 元文三戊午年十一月(吉祥日と在之)
一、白狐 一対 白木箱入り 元文六辛酉年二月十日
一、神酒錫 一対 三方 寛保三癸亥年二月七日
一、掛鈴紅白鈴緒 壱 寛保四甲子年二月十日
一、御神鏡 柄に牧野河内守と在之 年号不明
  御代参 岩崎半兵衛様より奉納
一、御鳥居 壱基 宝暦二壬申年六月十七日
一、御絵馬 壱 宝暦四甲戌年正月十一日
一、御絵馬 壱 宝暦五乙亥年五月九日
一、御鳥居 壱基 年号不明 御作事奉行 三宅理左衛門様
  大工棟梁善兵衛
  *   *
  御社参
一、寛政十一己未年四月朔日六つ半時 牧野佐渡守様御供揃いにて御社参
前例の如く太郎太夫御前駆仕へ相勤む、とあり。
一、文化四丁卯年四月二十七日 牧野豊前守様御社参 例の通り太郎太夫
御前駆仕へ相勤む、とある。
  *   *
    京都府舞鶴市字吉坂一三八番地
      岩室稲荷神社社務所
      電話(○七七三)六二−三二五三番



岩室稲荷神社由緒
 社伝に依れば、山を明室山と云ひ、社を元五藏社と称す、(丹後風土記)往昔天火明命、大国主命の命を奉じて、当国を平定し、地を此明室山に卜して、神籬を樹て、岩藏を造りて、神宝を奉安し、国家鎮護の祈願所として、田労王をして之を守らしめ給ふ。旧記に「岩藏、安神器壹藏安美保伎玉、貳藏安御神幣、参藏安久斯器、肆藏安御斯鈴、伍藏安療病全囲、故謂伍藏、今社名為五藏社之縁也」云々と見ゆ。降て享保年間、田労王の後裔、太郎太夫社地を奉献して、正一位岩窪稲荷五社大朋神と尊称す云々。又加佐郡旧語集に曰く「当社の岩窪に夫婦の白狐年を経て住みけるを、太郎太夫深く之を憐み、食物を與へしに、白狐朝旦家に来りて吉凶を告ぐ、夫より代々同家に馴れ愈々奇特を著はせし中にも.領主牧野侯が江戸へ参勤の砌りには、道中を守護せしとて、侯の信仰浅からず。又曾て江戸の牧野邸に於て、枚野侍従が時の将軍を招待して、庭相撲を御上覧に供した時、志楽五兵衛と名乗りて怪力を現はせしは、此白狐なりしと云々。之に依りて時人の崇敬頗る厚く、毎歳陰歴二月初午、同六月六日の例祭には、遠近より賽者雲集し、人を以て埋り頗る雑沓を呈す。  〉 


《交通》
国道27号線
JR小浜線「松尾寺」駅

吉坂岩窪稲荷神社の主な歴史記録


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 稲荷大明神  称宜 太郎太夫
  当時山ノ尾中段ニ高サ壱丈斗切立タル如ク見 事成ル岩有リ 其内ニ霊狐住リ岩宇呂三太夫 ト云是ヲ祝フ  〉 

《丹哥府志》
 〈 【岩窪稲荷大明神】
岩窪稲荷大明神は白狐なり、俗名を岩窪三太夫といふ。元吉阪の農夫其山林に岩窪あり高サ一丈余、故大湖石の如く處々に穴あり、其穴に古より白狐栖めり、農夫毎に之が為に食事を与ふ、於是白狐遂に農夫と馴れ、白髪の老翁に化して毎月朔日其家に来り審に吉凶を告ぐ、斯の次第自然に世間に流布するに及びぬ遂に岩窪稲荷大明神と勧請す。田辺侯の参勤に年々護道すといふ、嘗て江戸の邸舎に於て岩窪三太夫と称し人と相撲を取る蓋此狐なり。先是牧野侍従鶴を愛す、其鶴狐の為に捕はる、於是侍従大に怒を発し使者を岩窪稲荷に遣し、昨夜狐鶴を取る今其狐を捕へ官に訴へずんば稲荷の社悉く之を毀たんといふ、是夜虎落(獣を捕ふる器名)の内に其狐入りて死す。此外奇瑞の毎度あるなり、今も白髪の老翁に化したるは往々の人の見る所なりといふ。  〉 

『舞鶴の民話1』
 〈 岩室三太夫   (吉坂)
平から府道を通って南へ帰える。日本板ガラスの工場を左右に見ながら歩く。このあたりは昔、石油が貯蔵されていたところで、直径五○メートルほどのタンクが三つほど並んでいた。その奥には火薬廠があり、自転車で東の街まで帰える人々の列が続いた。今は、板ガラスの人たちは自動車で帰える。
「先生乗らんか」というので「おおきに」といって乗ったのはいいが、朝来を通って志楽の吉坂の方向へ行ってしまった。
「まあ、あがんなよ。先生一杯やろうや」
あつかましく、おじゃまする。やがて、山菜の料理が並ぶ。
「あゝ教頭先生やないか」と、おじいさんが出てくる。「そうです。ごちそうになってます」
「なにもないが、ゆっくりしていきな」
 「おじいさん、この前に街で会ったとき、吉坂にお稲荷さんの伝説があるといってましたね。今夜、
それを開かせて下さいよ」
「そうだったね」といいながら話しだした。二人の孫もやってきた。
 この吉坂のお稲荷さんは、赤い鳥居か何十となく坂道に並んでおり、岩窪稲荷大明神という。社の裏には、奥深い洞穴があり、ここに白キツネが住んでいた。
 いつごろからか吉坂のある農夫が、この白キツネに食事を与えるようになった。 そして白キツネは毎月一日になると白髪の翁に化けて農夫を訪れ、くわしく吉凶を和らせるようになった。
 稲の田植え、刈取り、米の売りどきなどを農夫に救え、農夫がその通りすると、農夫の家はお金がいっぱい入りだした。
 それを聞いた近燐の村人たちは、お正月にはかならずお参りするようになり、その年の豊作を祈った。
それは現在も続き、ここにお参りする人は多い。
 この白キツネの俗名を「岩窪三太夫」といい、田辺藩主の参勤交代で江戸に行くときは、常に見え隠れしてついていった。
 江戸屋敷ではそのころ、よく藩対抗のすもう大会が開かれたが、いつも田辺の三太夫か相手を次々と倒した。この三太夫が実はこの白キツネだといわれている。
 「おじいさん、キツネはほんとに人をばかすの?」 「そうかな?」「でも、この教頭先生が自習の監督にきた時にしてくれた話では人をばかすそうや。先生、そういったなあ」
「うん、いった。怖い怖い、だまされると思うからだまされるのや。要は、自分の心が大切だ、ともいった」  〉 

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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