丹後の地名

木ノ下
(きのした)
舞鶴市木ノ下


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京都府舞鶴市木ノ下

京都府加佐郡与保呂村木ノ下



木ノ下の地誌


《木ノ下の概要》


木ノ下は舞鶴市の南東部。与保呂川流域の川上。川上は与保呂、川下は常。
慶長年間に与保呂村が上村と下村に分村し、さらに元禄9年(田辺藩士目録によると元禄7年)に下村が木ノ下村と常村に分村したという。幕末から明治初期にかけて常村が独立した。

《人口》174《世帯数》64

《主な社寺など》
氏神は与保呂の日尾池姫神社。
薬師堂。八幡神社。

《交通》

《産業》


木ノ下の主な歴史記録

《丹後風土記残欠》
 〈 与保呂里 本字仕丁

与保呂と号くる所以は、古老伝えて曰く、往昔、豊宇気大神之神勅によりて、此地に神人仕丁等を置かせらる。故に与保呂と云う。  〉 


《注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録》
 〈 一 □□郷 百六拾七町七段内   *これは倉橋郷といわれる
  □□□一段七十五歩     領家 延永左京亮
  廿七町九段八十三歩      与保呂 小倉筑後守
  卅一町六段百二歩       地頭 小野寺  〉 


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 与保呂村は
三ケ村に分れり上与保呂村、常村、木下村と云う。池姫大明神は三ケ村の氏神、鍵取し上与保呂、木の下村両村にあり。報恩庵余部雲門寺末寺禅宗なり。福聚庵行永竜勝寺(一色氏の菩提寺)末寺禅宗なり、三ケ村の寺なり。  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免七ツ九分
木之下村 高二百六拾四石九斗二合六勺
     内拾六石壱斗三升七合 万定引
     二拾八石御用捨高
 薬師堂  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎与保呂下村(与保呂上村の次、是より丹波へ出る)
【青林山福寿庵】(臨済宗)  〉 

《加佐郡誌》
 〈 常は後陽成天皇の慶長年間に下与保呂村と云ひ、字木ノ下をも含んでいた。東山天皇の元禄九年(将軍徳川綱吉)木ノ下は分離し、自らは単に常村と称する事となった。  〉 


木ノ下の小字


木ノ下 木ノ下 川原田 青路 和田前 菅坂 寺上 小村谷 中谷 桜谷 肘 笹尾 岩窪 八坂 生水 竹尻 亀岩 常 京月 椿谷 鳥ノ道 ブロカイ 岸ノ下 鳥ノ堂

関連項目

「与保呂の里」





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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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