丹後の地名

北吸
(きたすい)
舞鶴市北吸


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京都府舞鶴市北吸

京都府加佐郡新舞鶴町北吸



北吸の地誌




北吸谷の一番しも・国道との交差点付近
北吸(きたすい)の概要》
北吸は舞鶴市役所のある一帯をいう舞鶴市の行政や経済さらに軍事の中心地である。旧海軍が残した施設を転用再利用した海上自衛隊の施設や市の施設が集中する。
古くは北汐(きたしお)北宿(きたしゅく)と称したという。「和名抄」の余戸(あまるべ)郷の地と推測され、中世には余部里庄に含まれていたといわれる。北吸村は江戸期から明治22年の村名で、位置は現在の北吸ではなく、その一つ西側の現在は三宅(みやけ)谷と呼ばれている地にあった。この旧地は海軍軍用地として収公された。「明治22年海軍予定地として45戸全戸が買上げとなり、浜の一部、寺川以西の現糸谷の地に同23〜24年にかけて移転した。明治31年追加用地として北宿地区が射的場および官舎用地として買い上げられた。」(『角川日本地名大辞典』)
現在の北吸は海自総監部を東へ過ぎたあたりから現在の北吸谷あたりまてである。
市役所横の海軍兵器倉庫
(これはもしやナチの強制収容所か、と勘違いしそうである。星のマークはナチがユダヤ人を示すため着けさせたマークでなかったか。あれは6角のダビデの星だが、それにしても無神経と呼ぶが不勉強と呼ぶか、市当局の脳天気神経にはいつもながらに呆れ震えてきそうだが、ともかくそれは置いて、北吸に多い海軍遺産はこんなようにも再利用されている。)

《人口》 1634《世帯数》704
(旧村の範囲と現在の町内の範囲が異なるためだいたいの数字)


《主な社寺など》
三宝寺山門
氏神は江戸時代までは高倉神社(長浜)。
現在は三宅神社。
真言宗醍醐派鎮守山大聖寺
在家日蓮宗浄風会舞鶴支部
浄土真宗高田派大谷山三宝寺
出雲神社

《交通》
国道27号線


市道(道芝トンネル〜市役所)



北吸の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免七ツ五分
北吸村 高二百五拾八石三斗八升
    内弐石八升弐合五勺 万定引
    二拾三石御用捨高
 阿弥陀堂  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎北吸村  〉 

《加佐郡誌》
 〈 北吸は余戸里に属したもので時には北汐(キタシホ)とも書く。  〉 


北吸の小字


北吸 北宿 大杉 糸 明神 庵ノ谷 ウルシサコ 倉梯 糸谷 石田 アオダ 家ノ下 トノサコ 大谷 赤迫

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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