丹後の地名

幸谷神社
(こうだにじんじゃ)
舞鶴市京田


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京都府舞鶴市京田

京都府加佐郡中筋村京田


幸谷神社の概要

《幸谷神社の概要》


西舞鶴の市街地からだと、南へ国道二十七号を進み、城南中学校の先の右手、山の麓になる。京田集落の西端にある。現在は幸谷神社となっているが、古くは手力雄(たぢからお)大明神と呼ばれ、加佐郡内では正一位という高い神階を持った神社であった。
幸谷神社(舞鶴市京田)

室町時代の寛正6年に領主長尾重速の嫡子、小法師丸を願主として再建された記録や、その後の数枚の棟札が残っているが、いつの再建か、またなぜ手力雄神を祭っているのかは不明である。社殿の中には大正13年、海軍からもらった砲弾が飾られているという。砲弾は舞鶴周辺の神社には今も時折見受けられる。
戦争中には、武運長久を祈る人達のお参りが多かったが、今は五穀豊穣の神としている。
境内の山すそをシロサカといい、サカキ、サカモモ、サカモギの木の下に千両箱が埋っているという伝承がある。手力雄神はたぶん鉱山の神であり、黄金の千両箱伝説のある地はたいてい金属産地である。


幸谷神社の主な歴史記録

《丹後風土記残欠》
手力雄社
《室尾山観音寺神名帳》
正一位 田力男明神


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
京田村
白雲山善福寺、本寺丹波安国寺。太刀柄尾明神九社の内

《丹後国加佐郡旧語集》
多力雄明神 京田村。九社明神

手力雄明神 九社之内

《丹哥府志》
手力雄大明神】

《加佐郡誌》
祭神  手力雄神
由緒  創立年代不詳であるが寛正六乙酉年の再建であって願主は領主長重蓮嫡子同苗    小法師丸である。明治六年村社に列せられた。
境内神社 稲荷神社(祭神 保食神 五元神 素盞鳴神)
     八柱神社(祭神 五男三女神)
     金刀比羅神社(祭神 大物主神 迦具土神)
     山神社(祭神 大山祗神



『舞鶴市内神社資料集』所収「神社旧辞録」
幸谷神社 祭神 手力雄命 同市字京田
創建年代不詳 寛正六年再建棟札願主は領主長重連嫡子仝苗小法師丸とある。
昔大刀柄尾明神と称した。この祭天照岩戸隠の時の怪力発揮の名を負ふものとされる。土記は手力雄、寺記には田力尾載。
なお当字には土記謂ふ五十里姫祠も在る。


『中筋のむかしと今』
幸谷神社の祭り(京田)
 京田では幸谷神社の秋祭である。戦前、戦中と青年団活動が活発な頃は青年団が祭を仕切っていた。早朝、真谷から山に登り松の枝と竹を切ってきて太鼓櫓を飾り、町内を練り歩くのである。松を切りに行った際、青年に限って松茸を採ることが許され、大きな楽しみであった。豊作の年などはかなりの収入になり、二日連続の宴会になったりもした。
 この頃は「中筋村社」であって十月十七日の祭礼には中筋校の児童も参加した。神主の祝詞の間、立っているのが辛かったが、帰りに紅白のまんじゅうをもらって喜んだものである。
 この日、字内の家庭にはオワン二杯分くらいの大きなニギリメシ(上に黒豆がのせてあった)をこどもの数に応じ一〜三個、こどものいない家庭には一個もらった。
 時には大神楽がきて半日を楽しんだことや、夜、太鼓櫓が村中を回り、七日市・公文名まで引き回したこともあった。
 明治二十四年頃には、氏子による手踊りがあったようで、手踊り連一○名・こども連一一名の氏名を記した木札がある。
 戦後、村社の格付けもなくなり村社としての祭礼はすべて消滅した。
 町内会組織が出来るまでは六組までの旧村中だけで交代で世話をしていたが、昭和五十九年から各隣組から二名と町内会役員で世話をするようになった。
 現在の祭礼準備も昔と同じく、早朝切りだした松の枝と竹を櫓に取り付け提灯などを飾る、同年から加わったこどもみこしとともに神社に集まり、朝代神社の神主により祭礼がとり行われる。午後は太鼓をたたきながら、こどもみこしともども町内を練り歩き、最後は公民館前にて遅くまでたたき続ける。この日のために子供たちは一週間くらい太鼓の練習をしている。
 夏祭りは七月中旬の日曜日の午後、全員が神社の掃除をして、夜に有志が公民館に集まり心経をあげて、あと会食をする。 [藤本 保・上羽米吉]


祭神:手力雄神

祭神が注目である。天の岩戸神話の神様である。
手力男神は佐那那縣に坐す。と古事記に記されるが、佐那の県の意味で、延喜式神名帳に伊勢国多気郡、佐那神社とある所である。
ここから西へ5キロばかりに丹生大師がある。「丹生大師」
ここは古来有名な水銀産地である。だから手力雄神は伊勢水銀の鉱山神ではなかろうか。
伊加里姫神社(舞鶴市京田)
京田の場合は、幸谷神社の前の道を東へ集落を抜けて国道27号線も抜けた所に伊加里姫神社が祀られている。上の写真だとその祠の右手の路地をまっすぐに200mも行ったところが幸谷神社になる。彼女は大和吉野の水銀女神である。京田は隣同士に鎮座地は異なるが水銀の神様が並んで祀られるのである。水銀とは切れない土地柄と思われる。西は女布の集落で丹生と思われ、これも水銀を意味する土地である。深く舞鶴や加佐郡、いやもっと丹後文化の発祥とかかわる地と思われる。
なお、大江町の内宮さん(元伊勢・皇大神社)にも手力雄神が祀られている。






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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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