丹後の地名

遠下(おんげ)
京丹後市丹後町遠下


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京都府京丹後市丹後町遠下

京都府竹野郡丹後町遠下

京都府竹野郡
上宇川村遠下

遠下の概要




《遠下の概要》
河口の平から2㎞ばかりさかのぼった依遅ヶ尾山(540m)の東麓に位置する。東を宇川が大きく湾曲して北流する。依遅ヶ尾を東へ越す峠道がある。集落は依遅ケ尾谷の上遠下と、川沿いの下遠下に分かれる。
遠下村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ宮津藩領、享保2年より幕府領。当初宇川村の枝郷、のち分村独立。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上宇川村の大字となる。
遠下は、明治22年~現在の大字名。はじめ上宇川村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。


《遠下の人口・世帯数》 84・27


《主な社寺など》

依遅神社
依遅神社(遠下)
集落から少し峠道を登った小字風穴(ふうけつ)に鎮座する。祭神・豊受比売命。「延喜式」の竹野郡「依遅神社」に比定される。
もとは依遅ヶ尾山上に鎮座していたと伝え、中世、氏子の転居に伴い現在地に移ったと伝える、左右に植えてある杉の木はそのとき(1672年)に植樹されたという。秋祭には三番叟、葵太刀とともにチイライ踊が奉納される。

『丹後旧事記』
 〈 依遅神社。宇川庄依遅尾。祭神=伊勢両宮。
 延喜式の竝小社にして尾下村の氏神なり此所むかし霊蛇有て竹野の宮に通ひ神女を取る久敷金丸といふ人退治すと伝ふ。風土記に曰く当社は神代の鎮座に而神記不詳竹野宮斎女交接情発時此山頭黒雲起三頭五尾大蛇出現而斎女向瞋本土。   〉 

『丹哥府志』
 〈 ◎吉永村
【徳叢山円福寺】(曹洞宗)
徳叢山円福寺開基年暦詳ならず、蓋延喜式に所謂依遅神社の別当なりといふ。

『丹哥府志』
 〈 ◎矢畑村(吉永村の東)
【牛頭天王】(祭九月八日)
【依遅神社】(延喜式)
依遅神社は今市が尾権現、市が尾の左にあり、祭六月廿四日。

「丹後国式内神社取調書」
 〈 依遅神社
 ○【姓録】越智直
【覈】宇川村尾下村ニマス【明細】遠下村【道】不分明遠下村又市ケ尾ト云モ信シガタシ市ケ尾ハ高山ナリ式社アルベク地ニアラズ案ニ宇川谷ニ神主村又三山村鞍内村ナド云處アリ考フベシ又平村ノ八幡アリ数ケ村ノ氏神ナリトゾ平ハ戸(ヘ)ナルベシ【豊】遠下村字風穴伊香色男命六月十四日

『丹後国竹野郡誌』
 〈 依遅神社 村社 字遠下小字風穴鎮座
(延喜式) 丹後国竹野郡依遅(エチノ)神社
(風土記) 當社者 神代之鎮座而 神記不詳、竹野宮斎女交情 発情時 此山頭黒雲起 三頭 五尾大蛇出現而齋女向瞋帰本土云々
(丹後舊事記) 依遅神社   宇川庄依遅尾(イチガヲ)
   祭神 伊勢両宮
 延喜式並小社にして尾下村の氏神なり此所昔霊蛇ありて竹野の宮に通ひ、神女を取事久敷、金丸と云人退治すと伝ふ
(丹後一覧集) 依遅神社   宇川庄依遅尾
 延喜式並小社にして尾下村氏神なり、此所異蛇ありて竹野宮に通ひ神女を取ること久し、金丸と云ふ人退治すと伝ふ
(上宇川村誌稿) 祭神 豊受比売命
 創立不詳、現今の社殿は寛文十二年壬子三月再建、本社は元、市ヶ尾山上に鎮座ありしが中世氏子の転居に伴ひ、現今の處に移せしものゝ如し、明治三十九年仝字鎮座の無格社八柱神社(山根)仝三柱神社(一ノ瀬)を合祀したり、財産田二反四畝十二歩、雑地一反十五歩、
 氏子四十四戸なり
 社 殿 梁行 二間一尺
     桁行 三間二尺
 境内坪数 六百八坪

『丹後町史』
 〈 依遅神社 遠下小字風穴
豊受比売命を祭る。
現在の社殿は寛文十二壬子年三月再建された旧村社であるが、本社は元、依遅ヶ尾山上にあって延喜式内社であったのを現在の處に移したもので、明治三十九年同字の八柱神社(山根)、三柱神社(一ノ瀨)を合祀。財産田二反四畝十二歩、雑地一反十五歩氏子四十四戸あったという記録が上宇川村誌に出ている。

八幡神社


曹洞宗大陽山常福寺
元禄12年に平の常徳寺から離檀して一寺を創建したという、しかし天和2年(1682)の丹後国寺社帳に「曹洞宗 遠下村常福寺」とすでにみえ、草創はそれ以前にさかのぼる。

『丹後国竹野郡誌』
 〈 常福寺 曹洞宗にして字遠下にあり
 (丹哥府志) 大陽山常福寺 曹洞宗
 (同寺調文書) 元禄十二年、字の人民常徳寺を離檀してより建設せしものにして即ち曹洞宗なり、境内百五十餘坪、背後は数丈の断崖苔を生じ自然の園をなす、堂宇やゝ見るべし、

『丹後町史』
 〈 大陽山 常福寺 遠下 曹洞宗
木尊、観世音菩薩
元禄十二年(一六九九)、常徳寺から離檀して一寺を創建した。檀家約六〇戸。


《交通》


《産業》



遠下の主な歴史記録


『丹哥府志』
 〈 ◎遠下村(中野村の次)
【八幡宮】(祭八月十五日)
【大陽山常福寺】(曹洞宗)
 【付録】(午頭天王、愛宕)


遠下の小字一覧


遠下(おんげ)
フケ サフ山(さふやま) 井ノ内(いのうち) 子ブラ タキシリ 中ノ瀬(なかのせ) ヌクメ 一本木(いっぽんぎ) ヲチヨモ 新宮下(しんぐうした) 縄手(なわて) 家ノ前(いえのまえ) 五領(ごりょう) ナカヲサ 中坪(なかつぼ) 長楽(ちょうらく) 四ツ町(よつまち) サコ 差尾(さしお) 天神原(てんじんばら) 屋ナセ(やなせ) 山禰(やまね) 小谷(こたに) ウバゴ クモケ アリシガ谷(ありしがだに) 中ノ谷(なかのだに) 牛ケ尾(うしがお) カラスゲ 峠ノ谷(とうげのたに) 峠ノ向(とうげのむかい) カンバ 山ノ神(やまのかみ) 市ノ瀬(いちのせ) 谷ゴヲ(たにごを( ヲイ谷(をいだに) チヨシ口(ちよしぐち) 細畑ケ(ほそばたけ) 平石(ひらいし) 風穴(かぜあな) イラカ平(いらかひら) カラトブチ 入地(いりぢ) 草カリ尾(くさかりお) 舟谷(ふなたに) 舟谷尻(ふなたにじり) 下岩尾(しもいわお) 上岩尾(かみいわお) 岡田(おかだ) タニノクゴ □ンバ ナヘサカ ヱノ木(えのき) ジヤヌケ 中道(なかみち) コブン 中畑尻(なかばけじり) 中畑(なかばけ) 舟クゴ(ふなくご) シイノ木(しいのき) ミゾデ タキ谷口(たきだにぐち) タキ谷(たきだに) 松ノ木(まつのき) 滝谷下(たきたにした) 宮ノ谷(みやのたに) 地蔵バナ(じぞうばな) 宮ノ向(みやのむかい) 盗人谷(ぬすびとだに) チゼン ヘキ 平ノ下(へいのした) 田内(たうち) 桑原(くわばら) 小カラスケ(こからすけ) ナバラ ヲバラ 西山(にしやま) 滝谷奥山(たきだにおくやま) 下宿尾(しもすきお) 宮ノ上(みやのうえ) 谷ゴシ(たにごし) アンカ谷(あんかだに) ヲイリ


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『丹後町史』
その他たくさん



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