丹後の地名

高橋(たかはし)
京丹後市網野町高橋


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京都府京丹後市網野町高橋

京都府竹野郡網野町高橋

京都府竹野郡郷村高橋



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高橋の概要


《高橋の概要》



福田川中流域で、北は郷に隣接。南北に網野街道が走り、集落が立地する。
高橋村は、江戸期~明治22年の村名。はじめ宮津藩領、享保2年幕府領、宝暦13年但馬出石藩領、天保6年からは幕府領。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年郷村の大字となる。
高橋は、明治22年~現在の大字名。はじめ郷村、昭和25年から網野町の大字。平成16年から京丹後市の大字。


《高橋の人口・世帯数》 208・72


《主な社寺など》

浅後谷南墳墓
浅後谷南遺跡の南にある墳丘墓で、その有力者を葬ったものとされる。赤坂今井墳丘墓の時代、卑弥呼の時代のものである。

二宮神社

『丹後国竹野郡誌』
 〈 二宮神社 村社 字高橋小字寺谷鎮座
 (神社明細帳) 祭神 大宮売神 若宮売神
  由緒 創立年月日不詳、文政八乙酉九月吉日再建明治六年二月村社に列す
 一社  駁  梁行三尺五寸  桁行三尺五寸
 一上  屋  仝 二間半   仝 二間半
 一籠  屋  仝 二間四尺  仝 四 間
 一境内坪数  千六百四十四坪
 一氏  戸 五十四戸
(郷村誌稿)字高橋の氏神にして全区背面山腹にあり 大宮売命 若宮売命を祭る、祭日は舊九月十五日なり、明治六年二月村社に列せらる創設不詳古き棟札に寛文十二壬願主池辺仁左衛門 大檀那池辺六右衛門 大工下岡村池辺吉左衛門とあり、此時に建立せし社は再建の節売却して今は網野町の小社となりて現存せりといふ  〉 

『網野町誌』
 〈 二宮神社 高橋小字寺谷鎮座
 祭神 大宮売神・若宮売神(「神社明細帳」)
 注 両祭神は中郡大宮町周枳の「丹後二の宮」大宮売神社と同神である。
 由緒 創建年月日不詳。文政八乙酉(一八二五)九月吉日再建明治六年二月村社に列す。
 「郷村誌稿」…前略…古き棟札に寛文十二壬子(一六七二)願主池辺仁左衛門大檀□池辺六右衛門大工下岡村池辺吉左衛門とあり、此時に建立せし社は再建の節売却して今は網野町の小社となりて現存せりといふ。(『竹野郡誌』)
 ○境内神社
  稲荷神社(伏見稲荷分霊の説あり)
  ※二宮神社付近は中世の山城、高橋城址か。  〉 


曹洞宗龍洞山周泉寺

『丹後国竹野郡誌』
 〈 周泉寺  曹洞宗にして字高橋にあり
(同寺調文書) 龍献寺末本尊釈迦牟尼仏如来後奈良帝の御宇天文十七年頃より龍献寺の隠居所なり其當時安置せる十三仏石像に天文十七年建立とあり、此石像境内に現存せり、後数世を経て寛延二巳巳年村中め有志者相談して龍献寺世代萬保和尚を請し山麓の荒地を開拓し一堂宇を建設し法地寺となすとあり、現在の状態 本堂竪六間横五間 庫裡竪四間横五間 土蔵一 境内坪数二百五十二坪 境外所有地田一反三畝十七歩 檀徒字高橋全部  〉 

『網野町誌』
 〈 龍洞山周泉寺 曹洞宗 高橋
 本尊 釈迦牟尼如来
<由緒・伝承>
(同寺調文書)当山は龍献寺未で、天文一七年(一五四八)ころから龍献寺の隠居所となった。その当時安置した十三仏石像には〝天文十七年建立″と刻まれており、この石像は現在も境内にある。その後約二〇〇年を経て、寛延二年(一七四九)に村中の有志が相談して龍献寺九世萬保密使大和尚を勧請し、山麓の荒れ地を開拓して一堂宇を建立し、法地寺とした。
注 『丹哥府志』には、山号が〝高橋山″と記されている。
 大正初期の状態は、本堂竪六間横五間・庫裡竪四間横五間・土蔵一・境内坪数二五二坪・境外所有地・田一反三畝一七歩で、高橋村民全員が檀徒であった。
 旧『網野町史草稿』には次のような伝説が紹介されている。
(前略)年代は不明であるが、檀徒を代表して檀家某が江戸へ参上し、京極侯の無体(無理・無法)を幕府に訴え出た。その結果、訴状は採り上げられて龍献寺の勝ちとなり、某はよろこんで帰途についた。しかし、某は江戸から帰る途中に宮津藩により暗殺されてしまった。したがって、訴えに勝ちはしたが、判決の結果は実効を得ないままに終わった。土地の人びとは某の志を憐れみ厚く菩提をとむらい慰めたという。現在一基の石碑が周泉寺の前にあり男女二名の戒名が刻まれているが、それが当人のものといわれている。(中略)このことは京極侯に知られることを恐れ極秘にしておかれた。したがって年号などもはっきりしていないし、誰のものかもわからない。
(湖秀山龍献寺・城嶽山松泉寺の項参照)
 昭和二年(一九二七)三月七日、奥丹後震災により当寺は全焼し仮本堂が建てられたが、同四七年(一九七二)ころに本堂が完成した。平成六年(一九九四)現在、檀徒は四五軒である。なお、昭和五二年(一九七七)六月二五日から総本山宗務所の辞令により、青原寺(新庄)住職が兼務住職を拝命した。  〉 

高橋城趾
集落背後の山頂に天正頃の一色氏家臣今井能世次郎の居城という高橋城(高橋平岡跡がある。下岡城主高屋駿河守の部将であったという。

 郷村断層(樋口断層)
樋口断層(高橋)
右の建屋の中に保存されている。
郷村断層

《交通》


《産業》


高橋の主な歴史記録


『丹哥府志』
 〈 ◎高橋村(下岡村の次)
【二宮大明神】
【若宮大明神】
【高橋山周泉寺】(曹洞宗)  〉 

『京丹後市の考古資料』
 〈 浅後谷南墳墓(あさごだにみなみふんぼ)
所在地:網野町高橋小字矢立
立地:福田川中流域右岸丘陵先端部
時代:弥生時代後期(墳墓)、室町時代(城跡)
調査年次:1997~98年(府センター)
現状:消滅(国営農地)
遺物保管:府センター
文献:C121.C122
遺構
浅後谷南墳墓は、戦国時代の城跡調査に伴って見つかつたものであり、標高28m付近の丘陵先端部に立地する。墳墓より上位の尾根には、調査地とほぼ同じ規模の平坦面が階段状に存在し、最高所には浅後谷南古墳が存在する。この丘陵部には、弥生時代の墳墓、古墳、中世山城が複合しながら存在する。
墳墓は、尾根筋の上部側を大幅に削り、一辺約20m、高さ約1.5mの方形の平坦な墓域をつくる。同丘陵上には、さらに上に平坦面があり、4基程度の弥生墳墓群を構成している可能性が高い。
墳丘の中央には、中心埋葬である大型墓壙の第1主体があり、その周りを取り巻くように第2~9主体部まで8基の埋葬施設が見つかった。このうち、第1~8主体部は木棺直葬墓であり、第7主体部を除きすべて主軸は東西である。なお第9主体部は、棺のない小規模な土壙墓である。
第1主体部の墓壙は、全長6.5m、幅4.3m、深さ1.7mを測る大型の二段墓壙であり、その中に長さ4.0m、幅1.55m、深さ0.7mの舟底状木棺が納められていた。棺内の頭部付近には、多量のガラス玉類とヤリガンナ2が副葬されていた。また棺外からは鉄剣2と甕の破片が出土し、墓壙内破砕土器供献が行われていた。また棺内の底面は、鮮やかに発色した朱が全長2.2m.幅40~60cmの範囲に散布され、特に被葬者の頭部付近は発色が鮮やかで厚みもあった。ほかの埋蔵施設の様子は一覧表に示すとおりであるが、第1主体部の次に大きな第2主体部の棺内からは、鉄剣2と朱の散布が見られた。
遺物
第1主体部から出土したガラス製の玉類は、風化が著しく原型を保って取り上げられない状況であったが、勾玉5点と小玉280点以上が確認された。ガラス以外に、碧玉製を含む小玉があり、粉体化し、計測不能分も含めると400点前後あったものと推定されている。これらの玉類は鉛ガラス製であり、A、Bの2群に分かれる。A群は小玉200点、B群は勾玉3点と小玉150点で構成されており、群ごとに束ねられた状態で木箱に入れられ、被葬者の頭部付近に置かれていた。また、勾玉のうち2点は被葬者の胸元付近から出土している。鉄製品では、2点のヤリガンナ付着した状態で頭部右側付近から出土し、剣2点は木棺の外側に置かれていた。剣は、このほかに、第2主体部から2振りと第5主体部から1振りが出土している。また、土器類も多く出土しており、墓上祭祀やら墓壙内破砕土器供献が行われていたことが判明した。
意義
浅後谷南墳墓は、その立地から、南へ100~20Omに位置する浅後谷南遺跡において集落を営んだ有力者の墓地といえる。各埋葬施設の時期は、いずれも弥生時代後期後葉に位置づけられている。墳丘規模は、一辺20mを測り、丹後地域の弥生台状墓としては大型である。墳丘裾に1.5mの平坦面をめぐらすことは、赤坂今井墳墓との共通性が高い。ガラスの玉類については、その後の資料増加で頭飾りの可能性が高く、三坂神社3号墓第10主体部、赤坂今井墳墓第の事例などから、首長墓と評価できる。
この墳墓は鉄剣などの豊富な副損品を持つとともに、その立地が古代丹波の中心地から赤坂今井墳墓を経て日本海へ通じる古代の重要な道沿いにあることから、被葬者は福田川流域を統轄した首長一族と理解できよう。  〉 


高橋の小字一覧


高橋(たかはし)
大菜(おおな) 五反田(ごたんだ) 石郡(いしこおり) 内ケ森(うちがもり) 地蔵上(じぞううえ) 大満(だいまん) 屋九郎田(やくろうだ) 明光寺(みょうこうじ) タモノ木(たものき) 流田(ながれだ) カワラケ田(かわらけだ) 宮ケ谷(みやがたに) 隠谷(かくれたに) 五郎(ごろう) 四郎(しろう) 穴ケ谷(あながだに) 通リ谷(とおりだに) 九ツ丁(ここのつちょう) 石ブロ(いしぶろ)  カツ山(かつやま) 森間口(もりまぐち) カブロ カブロ谷(かぶろだに) 越前(こしまえ) 地蔵下(じぞうした) 堂ノ上(どうのうえ) イガミ谷口(いがみたにぐち) 家ノ前(いえのまえ) セイバ  シンド 寺谷(てらたに) イガミ谷(いがみたに) コワ田(こうだ) 丁谷(ちょうだに) 立長(たておさ) 四反長(したおさ) 仲田(なかた) 深田(ふかた) 法田鼻(ほうでんはな) 浅ケ谷(あさがたに) 堂ノ上(どうのうえ) 上地(うえじ) 麻町(あさまち) 小岩(こいわ) ヒヨドリ フカイ ウラノ門(うらのもん) 周泉寺(しゅうせんじ) 下地(したじ) 平岡(ひらおか) コヤ シヨガ谷(しよがたに) 中地(なかじ) カミ地(かみじ) 池谷(いけたに) カブロ奥(かぶろおく) 地蔵向(じぞうむかい) 矢立口(やだちぐち) 一ノ谷(いちのたに) 二ノ谷(にのたに) シヨカ谷(しよかだに)


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『丹後国竹野郡誌』
『網野町史』
その他たくさん



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