コラム(1)

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サシスセソの大昔
舞鶴出身のオリンピック選手
大江季雄選手と友情のメタル
松澤初穂選手


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サシスセソの大昔

日本語のサシスセソは、大昔から今のように発音したのか。こんな事が私には気になっていた。
ローマ字(ヘボン式)で綴ると、sa-shi-su-se-so となる。siではなくshiである。小学校の一・二年生でも、これがわかる子がいるそうで、サシスセソと教えていくと、妻の話によれば、「先生、シがヘンや」と言うそうである。
 私はシがヘンなのではなくて、シはまあ正しくて、シ以外がみんなヘンなのではないかと考えている。
 左官をサカンとかシャカンという。鮭はサケとかシャケという。
与謝郡は現在もこう書くが、雄略紀などには余社郡(丹波国余社郡管川人水江浦嶋子)と書かれる。ヨサではなく、ヨシャではないか。
加佐郡はこんな例はないが、亀岡市の南に加舎という地名がある、康治二年(1143)の文書に賀舎とある。今はカサと呼んでいるが、カシャではないか。
熊野郡久美浜町の須田、式内社の衆良神社がある。シュウラ→スダだろう。
中郡大宮町周枳(主基)は漢字はシュキ、シュウキだが、スキと呼んでいる。
国道9号線と27号線の出会う京都府船井郡丹波町須知、スチではなくシュウチと呼んでいる。(和名抄の船井郡須知郷。式内社の酒治志神社は京都府船井郡瑞穂町三ノ宮に鎮座している)
こんな例は、古い地名など取り上げていると、よく出会うのである。
 大野晋氏が、確か、サシスセソは元はシャシィシュシェショでなかったかと、書いておられたのを記憶はしているのだが、今ちょっとその文献が見あたらない。最近の書であった。大野氏ほどの大学者をもってしても、まだ「か」なのかと、感想をもったのを覚えている。日本語というのは、現代人が単純に信じているほどには、まだわかってはいない、意外と知られない過去を持つ言語のようである。亀岡市本梅町西加舎の加舎神社
 たぶんサシスセソの大昔は、shya-shyi-shyu-shye-shyoではなかったか。
シはshiではなく、本当はshyiで、現在はすでにy(子音のイ・私のロシア語の大先生は短いイと呼ばれた)が脱落している、あと何百年かすれば、hも落ちてsiとなるであろう。その頃の小学生はもう先生を困らせないだろう。

亀岡市の加舎であるが、どこかでカサとルビがふってある書を見たのだが、改めて調べてみるとこれはカヤと書いてある書ばかりである。どうもおかしいと思って現地で聞いてきたのだが、カヤと読むという。舎という漢字はヤとは読めないが、屋と同じ意味で使われてヤと読まれるのだろうか。コラムの先頭へ古くは賀舎荘と書かれる。



 大江季雄選手と友情のメタル

福知山二十聯隊の最後@ラモン湾上陸戦と大江季雄選手(そら知らなんだ ふるさと丹後 -39-)へ移動しました。

 松澤初穂選手 (菅谷初穂選手)

 誠にうかつながら、田主誠氏に教わるまで、私も忘れていた。『新舞鶴校百年誌』に、何かそんなような写真があったなとは覚えていたが、大江選手の陰になったのか、名も経歴なども頭になかった。もう一度『百年誌』を引っ張り出してきて、読み返してみた。
松澤初穂選手
←やはりあった。(『新舞鶴校百年誌』平成14年発行。「本校出身のオリンピック選手」として、大江選手とともに載せられている。胸の国旗を見れば、ロス・オリンピックの日本選手団の制服だろうか。)

新舞鶴校の校長室に掲げられているそうで、
「もったいない、なんであんな所においておくんですかね、何で児童に見せないんですか、子供にはきっと大きな誇り、励みになると思うんです。もっと市民にも見てもらうべきでしょう」、
せっかくの人材があったのにこれでは、と母校と郷土を愛してやまない氏はぼやくのであった。
まぁ舞鶴は自分が世界で一番エライと思い込んだ人ばかりで、他人の立派な写真を見せたりはしないのかもうぅ…、自分だけを表に出したいようなことですぅ…

子弟の教育は周囲の大人の皆で担うべきもので、教育委員会だけでできたりはしない、こうした大先輩も子供たちをそれとなく教育してくくれるものですけどぉ、複製でいいから、大江選手と並べて体育館にでも掲げておくのがよいかもぅ、市政記念館ならなおいいでしょうねぇ…、ゴニョゴニョ。同胞を悪く言いたくないが、実際の所つらい、ほめようがない…
母校ですらそうしたことのようだから、「郷土史家」のつもりの私をはじめ、舞鶴の一般市民もまるっきり知らないのでは、と思われる。
当面ゴニョゴニョしかないようで、私も半分以上は初耳、これまでは何も聞いたことがなく、手元にあるわずかな資料だけを紹介しておこうかと思う。

彼女はベルリン・オリンピックの一つ前のロサンゼルス・オリンピック(1932)の水泳100メートル自由形選手、女子チーム主将。新舞鶴校の出身。同書には、

 〈 本校出身のオリンピック選手
 本校出身の初めてのオリンピック選手は、昭和七年に行なわれた第十回ロサンゼルス大会で水泳女子百メートル自由形に出場された、菅谷初穂さん(旧姓松沢)である。このロサンゼルス大会で日本は、金メダル七個を獲得し、跳躍と水泳がお家芸となった。
 また、昭和十一年八月一日、ベルリンで開催された第十一回ベルリンオリンピックは、世紀の祭典と言われ、ヒトラーの開会宣言で幕を開けた。ナチズムの宣伝色濃厚な大会と評されたが、演出は抜群で聖火リレーもこの大会から始まった。
 このベルリン大会には、本校を昭和二年に卒業された大江季雄氏が棒高跳びに出場された。
 また、この大会は日本選手の活躍がめざましく話題の多い大会となった。  〉 

『広報紙』(平20.6016)
 〈  城南中出身の齋藤里香さん(金沢学院東高教諭、25歳)が、8月に中国で開催される北京五輪のウエイトリフティング(女子69`級)に出場することが決まりました。
 舞鶴からの五輪出場は、ロサンゼルス五輪(昭和7年、米国) 水泳女子100b自由形の松澤初穂選手、ベルリン五輪(同11年、ドイツ)棒高跳びの大江季雄選手、アテネ五輪(平成16年、ギリシャ)陸上男子400b・1、600bリレーの山口有希選手に続き4人目。  〉 

ベルリン・オリンピックでは前畑選手のコーチ役であり、それ以後も日本女子水泳界のパイオニアであり続けたという。
くわしくは、松澤初穂」など参照

海軍将校の娘さんで、大正3年の舞鶴生まれ。大江選手とは同年、マンモス校だから同じクラスで机を並べて学んだ仲なのかはわからない。前畑選手は1歳年下になる。
この小学校に待望のプールができたのは昭和40年、校区からの多くの寄付でできた立派なものという、彼女は子供の頃は小学校の前を流れる与保呂川で泳いだり、少し大きくなると月ヶ浦あたりまで泳いで、オリンピック選手となられたのかも。海軍さんの娘さんなら、防諜きびしいなかスパイと疑われることなく、海でも泳げたかも−
2004年には、「オリンピック・オーク」(ドイツ柏)の高さ1.5メートルのオーク1本を植樹した、また「夢と継続」と書かれた銘板を除幕したという。新舞鶴校は大江選手と松澤選手と思われるが市内のオリンピック出場選手の母校に寄贈されたものだったという。
彼女が少女時代を住んでいた所は不明で、誰にも聞いたこともないが、海軍将校なら北吸官舎の地ではなかったろうかと推測する、もしそうなら三笠小学校の校区である。私は三笠小学校が母校だが、三笠校は昭和15年に当時の超マンモス校・新舞鶴校(およそ児童数3000人、50クラスもあった)から分離したものであり、彼女は三笠校の先輩にもなるのかも知れない、しかしオークはもらえなかったよう。
その後もふるさと舞鶴へも足を運ばれているようだが、市などはたいした対応をしていなかったようで、彼女の来鶴はわれら後輩はじめ一般市民は知らないでいる。氏がおっしゃる通りで、せめて今からでもぜひ市政記念館の一角にコーナーを設けられることがよいと思う。市政とは関係のないものが多く展示されているようにも見受けられる現状である。赤煉瓦倉庫は40数億円とかかかったそうである、無用なハコにバカほども高い高いゼニはたいている市民から見れば、何か勘違いしてないか、市政記念館はおまえらの私物ではないぞ、と言いたくなることである、赤れんが赤れんがといってきたクソ連中のそのチョウ低いココロザシまる出し。しっかり中身を作ってみせろ!

市政記念館内
現在は市政記念館の大江選手の隣に資料が展示されている。
関係ない「私物」も整理されたようである。バカほども税金を使っているのだしっかりやれ!
初穂さんには5名のお子様がおられた。今度足跡をまとめられた書を出版されたという。(『舞鶴市民新聞』14.4.15より)
どこへ行けば入手できるのかわからないが、そのうちに読ませてもらい、もう少しここに記事を追加したいと思います。



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