丹後の地名

畑(はた)
宮津市


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京都府宮津市畑

京都府与謝郡世屋村

畑の概要




《畑の概要》

畑の集落

市の北部。日置の金剛心院の手前から畑川を3キロばかり遡る最上流域。西南に鼓ケ岳(569m。写真の正面の山)がある、標高200mの山間農業地域。以前は和紙の里といわれたが絶えている。
畑村は、江戸期〜明治22年の村名。はじめ宮津藩領、寛文6年幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。
明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同21年の戸数37。同22年世屋村の大字どなる。
畑は、明治22年〜現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。


《畑の人口・世帯数》30・17

《主な社寺など》
有坂神社
小学校と向かい合うような位置にある。江戸期は成姫神社と呼んだようだが、今は有坂神社という。有坂はここから大宮町へ通じる峠名で、この神社から登ることができるという。成相寺の寺号と何か関係があるのではなかろうか。ハタにしてもアリにしても、ナルもセヤも古墳時代以前の古代語で、未だ解明されないずいぶん意外な古い歴史があるのではなかろうか。
有坂神社(宮津市畑)

奉納品


《交通》

《産業》

畑の主な歴史記録

『丹哥府志』
◎畑村(下世屋村より左へ入る、此奥に東谷村あり成相寺条下に出す)
【成姫大明神】
【猪隼人城墟】
 【付録】(三宝荒神、八大荒神)

『宮津府志』
畑村
此所に郷士猪隼人正といふもの住して近村に跋扈すと言傳ふ、其子孫たるにや村長今に猪隼氏と称す。

『与謝郡誌』
有阪神社
 世屋村字畑小字杉山、村社、祭神大物主命、五十猛命大宮売命、由緒不詳、丹哥府志成姫大明神とあり明治六年村社に列せらる、氏子三十戸、例祭四月十八日境外地主荒神社あり。

『宮津市史』
畑は、大宮町との境をなす鼓ヶ岳の東麓にある山間の集落で、かつては和紙の里として知られていた。

畑の紙漉き
畑和紙の沿革
畑の和紙作りが、いつごろから始められたか明らかではない。伝承によると四、五百年前に四国より遍路さんが来て、紙の漉き方を教えたのが、始まりと伝えられている。
 冬の副業として、畑の近隣の東谷(廃村)、西谷(廃村)、日ケ谷、筒川、野間、上世屋、日置などでも紙漉きが行われた。しかし時代の流れのなかで、昭和初期には行われなくなり、今日では畑地区だけが、わずかにその技術を伝えているにすぎない。
 『貿易備考』〔大蔵省記録局・明治十八年(一八八五)〕によれば、与謝郡畑谷村として、立原紙、小奉書、廷奉書、佐次杉原紙などの種類名がみえる。
 大正十一年(一九二二)には「畑製紙組合」が結成され、丹後一円に拡大された。昭和三年(一九二八)「手漉製紙ニ関スル調査」によれば与謝郡世屋村、戸数二八、従業人員六四で、種類には半紙・障子紙・縮緬帯紙とあり、産額六九一四円となっている。販路は与謝郡橋北方面、加佐・与謝・中・竹野各郡産業組合、与謝郡宮津町宮城商店、峰山町丹後縮緬同業組合、丹後一円機業家とあり、丹後縮緬機業と結び付いていたことがわかる。
 昭和十二年(一九三七)、日中戦争によって海軍省から軍需産業の指定を受け、舞鶴工廠内爆薬部に火薬を包む細川紙を納入するようになった。戦争による強制増産が命じられた。終戦後は、原料の不足、生産品の統制などが痛手となった。
 その後、経済の復興と共に和紙の利用も多くなり、講習会や現地視察などが行われた。しかし、安価な洋紙の出現により、労働力にみあった製品価格がくずれていき、昭和四十四年(一九六九)に「畑製紙農業協同組合」は解散した。そして、昭和五十二年の「全国手漉和紙生産者名簿」によれば、宮津市畑として総数二戸(漉槽二)となっている。
技術と特色
畑紙の主要な製造工程を、昭和五十五年ころにさかのぼって述べてみよう。…




畑の小地名



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関連情報

畑における「婆爺ニア演芸会」(090701)




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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん




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