下世屋(しもせや)
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京都府宮津市下世屋 京都府与謝郡世屋村下世屋 |
下世屋の概要《下世屋の概要》 市の北部で、日置から世屋川に沿って3qばかりさかのぼった標高100m余りの山間地。世屋高原のとっつき、世屋川に並行して府道浜丹後線が走る、改修されてよい道路になっている。。 下世野とも書いて世屋川の中流域に位置する。下世屋村は、江戸期〜明治22年の村名。はじめ宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属、同21年の戸数51。同22年世屋村の大字となる。 下世屋は、明治22年〜現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。 《下世屋の人口・世帯数》54・25 《主な社寺など》 山口神社 『与謝郡誌』
臨済宗妙心寺派世谷山松源寺
前野半助城跡
竜ケ壷・魚留 『丹哥府志』によれば、竜ケ壷は往古、竜が昇天した地と伝え、その上に位置する魚留は、岩間の谷水が滝のように流れて魚ものぼれないという。 古い方の府道に「龍溪橋」が架かっている。
龍が天に昇るという橋の欄干から下の世屋川を覗いた。川まで降りる道はまったくないと思われる。龍が棲むことは間違いなさそうな所である。「マヌケヅラめが覗いてくさる」とでも思ったのか龍は姿を見せてはくれなかった。アタマの良い人には見えるかも− 《交通》 《産業》 下世屋の主な歴史記録『丹哥府志』
下世屋の小地名下世屋 トチクラ 滝ノ谷 ヤスケ ハギ谷 仏ケ原 鳥ケ尾 ホソ谷 平坂 溝田 溝田河原 溝田谷 一杯水 コツトイガナル ロヲニン畑 セト川 植杉向 亀ケ淵 地蔵鼻 丸山 地蔵成 植杉 植杉ノ下 滝前 トチ列 下ハシ谷 小ヤケ谷 下橋谷 シイノキ カジヤシキ 橋谷 中橋谷 アマガ谷 ヱン女谷 タキノ口 ハゲ谷 ハタザカヱ 上橋谷 山ノ尾 長者ノヲキ 長者屋敷 長者坂 舟ケ成 イバラ谷 下ノ尾手 ヱノ尾手河原 岡田 引谷 引谷口 コモケ谷 ジヤバミ キヲヰガナル 三ツ町 カヤ町口 カヤ町 ミナシロ 元苗代 地蔵出口 石原谷 石原ナル 石原 北谷 北谷口 アラタヲカ アラタ ヱバタケ ヨシ谷 ミノ谷 弐ノ谷 地蔵出 ノタ コタカリ 向尾坂 ゴンボ谷 長治谷 下田 仏ケ谷 地ケ成 北ケ鼻 トビノス 大畑ケ 十郎 札場 森ノ下 森ノ上 森 木屋ノ上 宮ノ下 谷 寺ノ上 尻ノ坂 ハギガハタ ヤナキノ川原 柿木谷 坊ノ奥 タイラ山 トチワラ ネジリ松 大松成 ハキ谷 休場 成林 溝田川原 ロンニン畑 亀ケフチ 下地ケ鼻 丸山河原 滝ノ前 長者ノヲテ 下ノ尾手川原 ヱノヲテ川原 キヲキカナル 三ノ谷 下地 リラ地 地ノ成 キタケトナ 大ノ尾手 仲地ケ鼻 中地ケハナ ヤブタ 中野 中ノ 上ノ山 仲ノ 仲野 岡田 谷川 岡ノ下 上地 ハバナ 寺ノ上 ナマンダ ハキガタバ シロヱノキ谷 タテバタケ チワラ 中野河原 中オトシ トヲ川原 桃ノ木 キタガキ 滝ケ坪 セヤ谷 チハラ 下北ケ鼻 中北ケ鼻 ?《私注・木偏に屋》ノ上 尻坂 ヲカノタ タニ 岡ノ田 トチ別 シイノ木 橋谷 アン女谷 ハダサカヱ ハケ谷 山ノ尾 長高谷ノヲテ 長高ヤシキ 岡田ノ向イ 下ノ戈手 ヱノオテ川原 列谷 小谷 ソラ地坂 地ノ□ 下尾手 大畑 ナコシダ 石百谷 大谷 中オトシ 下タ川 竜ケ坪 ヱノ山 クラカケ ミトノ向 ミゾノ向 タイラ 長高 キスケ 植松 山ノ尾道ヨリ東 ハシ谷 三十代 成林 トバナ 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『宮津市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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