碇(いかり)
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京都府京丹後市丹後町碇 京都府竹野郡丹後町碇 京都府竹野郡 下宇川村三山・小脇・竹久僧 |
碇の概要《碇の概要》 伊根町側からだと碇峠を越えたところ。 牧場の真ん中に碇山がある。山そのものは名に反して別にフツーの山のようだが…、登ると展望台がある。 日本海に面した久僧が見える。 宇川地域の裏山の中腹にかなり広い高原が広がっている。以前は丹後町三山・小脇・竹久僧の地であったが、過疎による廃村が進む中で観光開発業者、不動産業者などが当地を収得しようと暗躍し始めた。危機を感じた府が取得し丹後開発の拠点の願いをこめて府碇高原総合牧場とした地である。 丹後町三山・小脇・竹久僧の各一部であったが、府碇高原総合牧場の建設により新たに成立した行政区。昭和51年から丹後町の大字、平成16年から京丹後市の大字となっている。 まだ寒いためか牛などは外へ出ていなかった。 (坂根正喜氏『心のふるさと丹後Ⅱより→ 手前が高島。中央を流れるのが吉野川。右手は上野集落。左手は久僧になる。奥の山の上の広い所が碇高原になる。) 38豪雪あたりを契機に周辺一帯は広範囲に廃村化が急速に進んだ。碇高原周辺には明治頃には13集落あったが、今は上山とかわずかに残るのみだし、こうした所も遠からず廃村となるかも知れない。東側伊根町側には23集落あったが、ここも高い所はほとんどがすでに廃村、南側の太鼓山にかけては18集落あったが、低地集落を残してすでに全滅状態、こんなことで、丹後全域では百を超す村々が次々に廃村、またはその直前の超過疎化高齢化地区になっている。モウケにならないからヤメとして政治的行政的な対策はこれといってなく、ほったからかし。経済発展とやらのカゲの部分で今ではいよいよ国も府も市もまったくの知らん顔の切り捨て、事態の進行を深刻に考えてみることもなく恥じ入ることもなく、丹後の山奥の避けようもない話、そんな大雪の不便なとこにおってもしゃないやろと半分笑ってすます。 しかしこれは単に自然のせいではなかろう、一方に過疎、他方に過密が発生する、資本主義社会の特徴で、その方が資本を効率的に使え利得が大きいという理由による、過疎の地から巻き上げた資本は過密の都市に投資され、過疎の地元に再投資されない。儲かる者だけが儲かり、そうでない者はますます貧しくなる。強欲資本は目先の利潤を求めて1箇所に集中する、雇用やモウケを求めてここに人も集まる、最終的には人口と資本(富)は1箇所だけに集中してその他の国土からは人の姿が消え荒れ放題となる。集まったところでいいのではない、そこはゼニモウケによいだけで人の住める社会ではない、元々が都市としての基盤整備もない東京の「先進地」では、人だけが流入してふくれあがり、社会問題は深刻で、女性の既婚率は50%以下、出生率は1を切る、これはそんなに将来でなくても、次の世代では滅びるニセ繁栄社会である、大都市の栄華といってもは今だけ表面だけの大ウソのもの。地方に栄華を、もウソである。地方は滅び、集中地でも滅びる。ものすごく危険な状態が続いている、何のためにこうした大ノータリンをするのか、資本が大モウケするためにである。今の路線を進み続ければこれが現実になってくる。モウケを上げるために一ケ所に集中する資本を規制しない限りはこの傾向は止められない、センモンカとかがいろいろ解説したりしているが、これをダレも言わない、これでは止められない、問題の基本がわかっていないようなインチキ解説ばかりで、それを垂れ流すだけのマスコミのていたらく、これでは問題解決できない。 本来ならここに国家や政治家が入りイビツ、アンバランスを正して調和ある国土とするため調整しなければならないわけだが、資本に買収されているため、そうしたことはせず、むしろ加速させる。今の中国がこうした問題を抱えているというが、そんなことを言っている日本が一番ひどい、世界で一番ムチャクチャは日本。儲かっている所からしっかり税金として取り、取られた所へ戻してやらないと問題が起きるが、企業には減税、庶民は消費税、東京オリンピックおもてなし、袖志に米軍基地を、といった相も変わらずの大バカぶりをたいていはアタリマエと考えて疑ってみようともしない。政治屋だけでなく、何もかもが資本に買収されている、何とかいう公共テレビ放送会長が問題になっているが、そうしたマスコミも労組も大手は、たいして大手でなくとも、すべてそうした資本が陰で支配する状態である、ごく小さい所ならまとももあるが、そうした声は誰も気にも留めない、そんな中でいきなりこうしたことを言っても信じられないかも知れないが、大企業大モウケして万骨は枯れ国土は荒廃し国は死ぬ、政治の超無能の証明である、しかし何も政治だけではない、これはあらゆる分野で危機と受け取られ問題にされるべき大問題であろう、しかしどの分野からも問題と意識されない、どこかの国が攻めてくるどころのハナシではない。解決できるのは国民しかいないのだが、その国民は全員がバカになりマイルドコントロールされ冬眠し脳死状態の脳味噌がシンからイカレ腐っている。 貧乏人には増税、福祉切り捨て、大金持ちには減税だが、議員は復興もすすまぬうちにまったく「身を切らない」。現政権はこうした国内大問題から目をそらすために外に敵がぜひとも必要であり、目くらましに靖国にわざわざ参拝して挑発し、アスにも外から攻めてくる攻めてくると言い続けなければならない、しかしこうしたときは実は国は内から攻められているのである。深刻な国内問題から目をそらすために外に危機をあおり、外へムリに国民の目を誘導しようとする。 世界的にも発生し南北問題を生み、戦争も起きるということになる。儲からないからヤメなら自衛隊も警察もヤメにすればよかろう。 因果は巡るので、いよいよ次は皆さんの住む大都会とやらの内でもそうした切り捨てられる順番がまわってこよう。みんな東京とかへ集中しなければならなくなる。もしもこのまま進むならば日本全体の大部分が廃国・亡国になるという前兆警告を当地周辺の弱村々はいち早く発してきた。こうした大資本の動きにきびしい批判の目を向けずに「地域活性化」「観光で活性化」など叫ぶのは基本的にはインチキでしかない、若者が故郷を捨て去って行く、行き先もまた地獄である、大事な大事な後継者がいなくなっていく、キミが力尽きた時、後をダレが引き継ぐのか、キミの後継者はもういないではないか、大ガクシャセンセがどう言おうとも従来構造の延長では活性化はできないのである。 「政治で一番関心があるのは景気でしょ、そんなものは良かったり悪かったりするんです、何もしなくても上がることもあるし、一生懸命施策をやっても悪くなることもあるんです」。丹後のお寺の和尚さんだが、資本社会の景気は一定ではなく上がり下がりがあり、好況と不況の波ができる、それは経済法則で人力ではコントロールできないの基本を知っておられる。「そんな目先のどうにもならないことばかりに力を入れてるでしょう、そんなことよりもっと先を見て政策を立てていかないと、地方は人がいなくなります、それが目前に迫っています」。国内のオオカミが国を喰い滅ぼしているさなかに何も国民を守ろうともせず一緒になって喰いながら、外のオオカミが攻めてくるとさけぶ政治、これが一番の問題であろう。 最近「日本創成会議」という有識者会議がある試算を発表して話題となっている。 もし「人口移動が収束しない場合」、要するに愚かにももしこのまま行けばの話であるが、丹後の場合だけをコピーさせてもらうと…
敵国が攻めてくるまでもなく、自国の強欲資本とそれとグルどもの悪政によって丹後国は消滅してしまう。基地あっても人がもういない。サルを敵国から守るための基地をつくる、こうした国は日本だけという。 当地にいま忌まわしいウワサが人間界に聞かれるという。どこまでも丹後の山に住むおサルさんたちのあいだのウワサで、実際はどこまで本当かはわからない。 それによれば、府碇高原総合牧場、府畜産研究所は見直し、将来的には廃止したいの方向にある、酪農はきびしい、TPPでその運命は決定的になろうキャ、その跡地はオスプレーの基地になるキャキャ、というのである。沖縄のオスプレー24機のうち12機は本土へ移してくれの要求が強い、日本政府は何とか本土へ移したいがどこの基地が引き受けてくれたりしよう。当地が狙われても不思議ではない。 サルはマイルド・コントロールされていないようだが、米軍のものか自衛隊のものかなど詳細不明、あくまでも裏付けなしウワサ、しかし当サイトの情報力ではいかに努力しても確かなソースまでは掴めまいので、不確実情報ながらも記しておくようなことである。ウソかホンマかわからんが、そんなウワサもあるそうや、と頭のスミに置いてもらえばよい。 袖志のレーダー基地といい、滋賀・饗庭野にはなぜか本土最初のオスプレーが来ているし、当地なら無人地、サルを追っ払うだけでよい、府も府民もマスコミも関心なく完全無視だし周辺住民の反対も弱い、反対派は丹後の山ザルどもだけだ、鉄砲の2、3発で逃げる簡単だと、トーキョーの気違いザルどもは見たキャ。(防共などといって始めて、東京もこうなった↓70年ほど昔だが、東京ザルどもはもう忘れたキャ。)人間顔負けの思量深そうな顔つきのボスサルはかく語りぬ。 丹後のどこかに米軍か自衛隊の最前線大基地が作られるかも、と当方も見ているところ、ほらほら言わんこっちゃなかろうがのウワサではある、それはあるいは世屋高原やこのあたりかも、国有林はあるし、当地も一刻も早く手放したい本心のアメリカ属府から属国へ売却されると本格的にヤバイ話になってくるかも。牧場周辺の土地もトンネル会社に買われてないかなどもよく見ておく必要もあろうか。 政治が何もしなかったために、他国が攻め込んでくるまでもなく、もうすでに亡国となった国土の上に「日本を防衛するために」「同盟国を防衛するために」オカネだけのモンが何のモウケにもならないレーダー基地やオスプレー基地をつくるとか。いよいよ気でも狂ったか。もしかしてこれはネゴトかマンザイか。憲法改悪してでも大量人殺しがしたいどこぞの政権、アリエナイとは言い切れない。 防衛大臣はヒミツのような形で周辺住民には何も通知することもなくやってきている、またしらぬ顔で帰っていった、普通ならプランを説明して日本を防衛するためのものですので、世話になりますが、どうかよろしくとか挨拶あってしかるべきである、コソコソと逃げ隠れてそれができない、ここでも現政権のやり方の基本のままで国民に対して何も自分の計画や情報は語らない、納税者である国民には説明することもなく隠してウソばかり言う体質でかつての亡国の大本営と同じである。 たとえ仮に本当に防衛用や自衛用や集団自衛用であったとしても軍隊や戦争ばかりの国はもうコリゴリだ、屁の役にも立たず、有害なだけ、これが日本国民の先の大戦の苦い総経験から学んだ崇高な知恵である。 自衛用ならよいなどは考えない、自衛と言ってもそもそも際限がない、実際に武力による攻撃がわが国に向けてなされていないにも拘わらず、ばかどもは、それでは遅いとして、限りなく白に近いグレーであっても、たとえ火星の裏側であっても、大量破壊兵器がなくとも、自衛のためだと強弁して攻めることだろう。自衛のための真珠湾の過去がそうであったように。自衛とか集団的自衛などいって何か武力で自衛できるかのようなアホを言うが、熱核戦争になれば自衛もクソもない、自衛できない、米帝ザルも木から落ちてやりそこない、ボンと核ミサイルを打ち上げられれば、それを途中で迎撃する兵器はなく、賛成派も反対派も中間派もない、いずれも10分の後には蒸発してきれいさっぱりとオシマイである、自衛のための武力といってもそれくらいの屁程度のもので、そうしたものをゼッタイとしてそれを強化すれば守れるとするなどは幻想でしかない。いたちごっこであって、こちらが強くなれば相手はもっと強くなり際限はない。 もしや本当に国民を守る気持ちがあるなら原発など再稼働させるなよ、自衛隊よ、事故が起きてからでは遅い、即刻に電力会社と政府を武力攻撃したらどうか。 そうしたことなどはせず国民を守ることなどはありえないのだから、国土をしっかり守るのは普通の国民しかない。うっかりこうしたモンに貸したり、決して売ったりはしないのがいいと思う。 もう何であろうが軍はいらない軍国日本はいらない、軍を持つ国は軍にて亡ぶ、これが日本人の本心である。こうした本当の意味の反軍反戦反軍国・平和の高いハードルを精神をもつ「日本を取り戻す」ことが今必要ではなかろうか。たとえ自衛用であったとしてもそれを持てば、腐ったマスコミを使って他国の脅威をあおり対外戦争をしたがるのである、少子高齢化の超老人国のうえに超借金大国、食糧もエネルギーも自給できない国が鉄砲持って他国が攻められるか、いらんことは考えずに平和路線に徹するがよかろう。 宇川全体で65歳以上の割合が現在35%だそう、ここには自衛隊官舎があるから村だけで言えばもう少し高いのではなかろうか。これが50%を越えると限界集落と呼ばれ、集落社会としての機能がまず果たせなくなり、もう亡ぶしかないようなことになってくる。日本全体では65歳以上が占める割合は今は25%を少し越える程度であるが、年々割合は増え続けて50年後には40%を越えると推測されている(それより先の推計はないが、カーブがそのまま続けば50%越えが次にやってきそう)。これはまさに限界日本であり、まず国としての最低限の機能が果たしかねる状況で、村が滅びるように国全体が滅びて廃国になっていくという姿である。兵隊どころのハナシではないのである。出生率は2を切っているが、これと言った対策政策がない、オヤたちはこれを見ながら何人産もうとか計画しているわけだが、何もたいしたものがない、子を産み育てられない、事前に計画するので子どもが飢えるとかストリートチャイルドがいるとかの目に見える問題はなく気がつかないだけ、事態は深刻である、そうしたことでこの数値が続くことになろうが、やがて、というか30世紀の早い時期に日本には誰もいなくなる。別に攻めなくとも絶滅危惧国であってそれまで待っていれば己が悪政と悪文化によって日本は必ず自滅消滅する。モウケにほうけて間違いなくこの国は狂っているのではなかろうか。 中間指導者どもは時の権力にすぐ誘導される意志の弱い低脳連中がほとんどで、相手側に寝返ったりして危機には何の防波堤にもならないどころか相手側の手先になる、ちょうしがよいのは平時の口先だけのものである。もし住民の安全が守れないなら電波を止める、と属市の市長氏は吠えられたというが、そんなことは属国の総理大臣でもできない、チミにはできないの、チミの市域にはあるが、チミの権限は何も及ばない、基地は治外法権下で、アメリカ法が適用されているアメリカ領土である(合衆国カルフォルニア州か、同州の面積がそれだけ増えて、日本の面積はそれだけ減った。力で変更されたのである、甘い考えでいれば、すぐにも領空だ領海だ、訓練空域だといいだすことだろう)、そこにある米軍の電波を止めるなどはアメリカ大統領にしかできない。キミが何を考えようが、アメリカはアメリカのためにだけそこを好き放題に使いまくるのである。キミはその隣にある空自の電波を止めるのがせいぜいであろう このあたりを走るとよくたぶん旧陸軍式と思われる墓石が木々に埋もれ苔むしているのを目にする、「あれ何や」と坂根氏などは興味があるようだが、ワタシは古墳だとかならブレーキを踏むがこうした最近の墓は素通り、今度行ったときは写しておこう。目につくのは彼らが草葉の陰から叫んでいるのだろう、またこの愚行を繰り返すなよと。ほんのちょっと前の悲劇すら多くの日本人は完璧に忘れているようだから。 自衛隊も大きく削減しておかなければ危険だ、安保も廃止しておかなければ巻き込まれるの教訓を現政権は残したことになる。 オスプレー基地などは国の将来にかかわる重要な転換点になるかも知れず、もしやると言うならぜひとも「国民投票法」を使ってもらいたい。テメエらに都合悪い時は決してこの法律は発動されまい、十分に事前に手をぬかりなく打ってからここぞというチャンスで使おうというのだろう、碇や原発再稼働で使わなければマスコミも報道しない国民投票法とは実はヤシだという正体もよく見えることであろう。 袖志の米軍基地は、はたで見ていても計画が止まっていて進んでいない、兵隊の宿舎などどこに作る気だろう、そうしたことなどを説明しないのである、税金でやっている以上は説明しなければ勤めが果たせないとは頭から考えてもいない、米側と何か齟齬をきたしていて計画が行き詰まっている、米側の考えがつかめず、主導権などあるはずもない傀儡のタイショウとしては何も言えないのかも知れない、自分の思惑でペラペラしゃべって後からアメリカからオマエはアホかといわれても具合わるい、それか何かもっと重大な知られるとヤバイ計画を隠しているのかも知れない、などとと推測することくらいしかできない。情報統制しているのかマスコミも伝えない。いやいや国全体の安全のためだからとかくだらぬドクソどもがニタニタと言うだろうが、アホくさいそうしたものであるわけもない、この基地はアメリカ本土もグアムも 日本も守らない。ここに住む住民は何が起きるかも知らされず実に恐ろしい状況になっている。マスコミさん押し寄せてよ、来てくれるだけでも抑止効果がある。 すぐに防衛省側に動きがあった。ウワサは図星だったのかもわからない、米大統領の来日に合わせたのかも知れない、しかしおそろしいほどにおそまつな仕事である。何が「日米の強固な同盟」か、そんなものは口先だけで現政権の頭と能力ではまったく無理なハナシであることが明確になったように思えてくる。 14年末くらいにはレーダーを稼働させるという。米兵の宿舎がないため、峰山のホテルに泊める計画で、そのための「説明会」を開くと発表した。住民の安全対策は口先だけで実際に何もない、米兵の宿舎すらない、おもわず、アホやなー、と笑えてくるのはワタシだけか、なるほど原発再稼働とか、ケンポー改憲とかアホをヘイキな顔してぬかす連中だわー、と。 峰山が怒るぞ、途中の弥栄が怒るぞ、丹後町も怒るぞ、蜂の巣を叩くことになるぞ。市番犬と府番犬はアタシは知りまへんの知らん顔するだろう(実際何も事前に知らされていないのではなかろうか、それが現政権番犬のやり方である。しかし市・府番犬は知りまへんではすまされない、犬ならともかくして人としては許されない、船が沈みかけているの船長が寝てましたでは通らない)、ワシらは選ばれた多数番犬だから、本当に国民全体の多数派かはかなり怪しいものだが、それで何をやってもいい、原発も稼働させていいと勝手に解釈して思い上がっている国番犬どもは、ここでも突出して進めていよいよ情けなく番犬の手本と成り下がり、住民の安全などほったらかしの集団的自衛権なるもののまことの姿を見せることであろう。属国属府属市、それぞれ全部がおかしい、国の全体、社会全体が狂っていて、レベル7の事故は起こるべき起きたもの、その克服はほど遠く、いよいよ安全管理なき日本社会がさらに悪化してやってくるという予兆のように思える。 峰山あたりにレーダー米兵の宿舎を作りたいと考えていると見ておくのがいいのではなかろうか。 今はステーキ・ハウスなどもあるキャ、将来はこんな姿の米軍兵舎がここにも並ぶのキャも…。 丹後はサルの数よりもいたるところ米兵だらけとなり、サルよりもはるから始末に悪い、サルは人を殺したりはしないが、米兵はすでに千人も殺している。先の大戦後は、日本はどの国の人も一人も殺していないし、一人も殺されなかった、と言われる、いかれた者から半分はまじめそうな者までそうしたことを言うが、それは先の半分は正しいが、後半分は大ウソである。キャように千人以上が殺されていることを隠しているキャ、知らないキャだ(だいたい日清戦争の日本側戦死者数に匹敵しよう) 丹後に来る米兵も別にそれらと体質が変わっているわけではない、まったく同じ者が来る。 日本の支配者どもはワルばっかりしているせいで周辺諸国が心底コワイ、アメリカに助けてもらわないとものすごくコワイといったワルのくせして大変な腰抜け、媚びをうり、基地を提供して何とか米軍を国内に引き留めようとしている。米兵が日本人を千人殺していようが、そんなことなどは彼らにはどうでもよい。自分では何もまともな事のできるような連中ではない、とにかくアメリカに居て守って欲しい。自分の頭の上にミサイルが飛んでくるなどと考えると、震えがとまらない、アメリカさんアメリカさん、頼んます拝みます日本におってくだされ、基地はどんどう提供します、こうしたことだと思われる。しかし大統領訪日直前に大集団になって靖国参拝などをする考えの甘さかげんで、それはアメリカの戦死兵士を侮辱するものにもなるということにも気がついていない、何がしたいのか自分でもわかっていないこんなモンらあではとアメリカも横向き初めている。どうも進まないには何かそうしたウラがあるかも。しかし目論見とおり進むなら、「米兵追っ払い隊」とかの血相かえた地元老人たちの軽トラが米兵めがけて走り回る、もしやそうなれば本当に丹後は終わるキャキャ。 (米軍により千人を超える犠牲者がすでに発生しているという事実は、ウィキペディアにも資料がアップされていたがごく最近消えたよう。消えたか消されたのか、不都合な事実は消えている、不気味な国であるし、国を守ってくれる米軍のために犠牲になられた方々、靖国に祀ろうとかいうのならともかくも、彼らの死を抹殺する気らしい、三等国相当、属国相当をみずからが証明した愚かな行為である、彼らが動けば動くほどメッキが剥がれて卑しきジが出る。今では共産党だけが防衛省が発表した資料をWeb上にアップしているのだが、共産党はそうしたことなかろうと思うが、もしかしてどんなモンが潜り込んでいるかも知れず、もしかしてここも消されるかも知れないので、記事の一部を下欄に引かせてもらうので参照) 2015.3.25付けで舞鶴配備となったヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」(13950トン、全長197メートル)↑。この写真ではわかりにくいが空母型の飛行甲板を持ち、オスプレー発着も可能。へり基地である舞鶴航空隊はこの写真の右側のタンカーが泊まっているうしろの低い山の向こう側である。 ここは丹後天橋立大江山国定公園になる。(↓府のHPより) ピンクは第2種特別地域。緑は第3種特別地域。薄いピンクは普通地域。そうなっているがこうした規制は無視させるかも… 当地は今は牛や羊がいるだけだが、かつてはたくさんの人が生活していた。 こう刻まれている。↓ 〈 碇抄 碇は大野の郷と称し狩猟を生業とする千軒の集落を構えた太古に端を発し、中古うち続く天変地異火災と農耕の変遷などによって、住民は三山・乗田原・竹久僧に移住したものと伝えられる。 また猪狩ともいゝ、宇川の庄有数の純和牛の放牧地として永い伝統をもつ土地である。太平洋戦争後国を挙げて食糧の危機に頻するや昭和二十七年開拓団十八名が勇躍ここに入殖し、きびしい気象悪路等とたゝかい開拓に從事したが、遂に抗しきれず数年にして離山した足跡は碇の歴史に銘記すべきであろう。 その後も農耕、和牛飼育に利用されたが時流改まり離村相つぎ碇高原も将に荒涼たる原野たらんとする。 時あたかも昭和四十四年地域の要請と京都府知事蜷川虎三先生の英断により丹後縱貫林道五十余粁の啓開に着手し、隣接するこの地を京都府北部開発の拠点と定め、畜産総合牧場を拓き千有余年の歴史の継承発展を策す。 こゝに往古先人を偲び新しい躍新を祈りつゝ誌す。 昭和五十一年三月 丹後町長 蒲田 保 〉 イカリという大変興味引かれる地名で、すっかり忘れられた丹後の水銀の歴史を残す地名である。 東側麓の筒川流域から稜線の「碇峠」を超えて吉野川や宇川の上流域の高原状の台地、今の碇高原牧場の一帯までをイカリとも呼んでいたように思われる。 もともとは井光とか井氷鹿(いひか)と呼ばれたようだが、それは記紀でも神武天皇条に出てくる大変古いもので、その活躍は早く終わり、歴史的な意味も早く不明になったものと思われる。彼らは吉野首の祖とされているのだが、当地にも吉野川が流れ、上山寺の山号は吉野山、吉野という集落もあり、「吉野山」という丹後杜氏のしこむ地酒もあるが、この吉野一族がここで水銀を採取していた、その遺称かと思われる。「碇千軒」の呼び名が伝わるように、古くは栄えた大きな村があったと伝わる。 三山には猪狩(いかり)神社(祭神不詳)があった、いまもあるのかわからないが、町誌によれば鎮座地は三山メウジ。そういわれても三山のどこかわからないが、あるいは今の当地だったかもわからない。猪狩などと表記するから狩猟の神様と思い違いしているようだが、碇と書けば、人々がここに碇を降ろして落ち着いたのだろうとか、後世の人々は勝手に考えているが、それは表記漢字の意味を採っているだけのオヤジギャグのようなものである。メウジは岩木の丹生神社の乳道(にゅうじ)と同じで丹生地の転訛でなかろうか、イカリが水銀とかかわることがわかる。 『角川地名辞典』の三山の小字にはメウジは見られず、明ジ(みょうじ)とあるのがそれか、入道とかゴ入堂とかも見られるが、みなイリと呼んでいる、地元の人さえ過ぎ去り忘れ去った過去のようである。 《碇の人口・世帯数》 0・0 《主な社寺など》 竹野郡式内社大野神社と竹野郡小野郷 ここにあったとする説がある。 古銭の出土 『郷土と美術91』(1988) 〈 金工史の視点から 古代丹後の伝承地名を歩く 小牧 進三 碇高原 この岩木の東部に屹立する丹後の奇峰が依遅ヶ尾(市ヶ尾五四○)である。この依遅ヶ尾は、日本海を眼下に見おろし、間人の漁民たちが、ふるく暮らしの糧とした山かけ漁法の唯一目標とした聖山で、漁民はもとより、海民信仰の山でもあった。 この依遅ヶ尾から宇川をへだて東部にまたがる高原が、世屋高原とならんで、丹後半島の屋根といわれる碇高原である。 この高原は、いま、京都府畜産総合牧場の一大拠点として牧畜近代化への歩みをみせる一方、昭和五十二年九月、牧場施設工事現場から中国古代の古銭である開元通宝(六二一)が多量に出士。また平安時代の古社、大野神社の旧地が高原の一隅に現存するなど、生活の拠点としての高原のいとなみはふるい。 この高原の地名由来について、かって丹後町長であった蒲田保氏は、高原に建つ記念碑の碑文冒頭でつぎのように刻みつけ、 ・・碇はその昔、大野郷と称し、狩猟をなりわいとする千軒長者を構えた太古に端を発し・・・中古、うち続く天変地変、火災と農耕の変遷などによって住民は、三上、乗田原、竹久僧へ移住したと伝えられるが、また、「猪刈(いかり)」ともい・・・・と述べている。 つまり碑文がのべる碇とは、太古からの狩猟をなりわいとする“猪狩”にことよせた、「いかり」だと主張している。 また口碑によると、碇とは強風の北風が吹きつけ、唸りを立て、怒る。高原の風土的見地から、風が怒るから「怒り」で碇高原だという説が一部にある。この高原に立つとき、たしかに一瞬にして強風に煽られよるめきを感知し、すさまじい風のいかりであることはたしかだ。しかし私は、さきの二説と全く見解をことにし金工にもとづく起源説をとる。 その理由を挙げる。 丹後森林施業図の小地名をみると、この碇は、三上のイカリ笠山、イカリナル、小脇のイカリ地名などが高原近くにまず集中していることを知る。平坦地のことをナル(平)という柳田国男通説の考えを念頭におくと、このイカリナルこそ現在の碇高原の「碇」の原地名ではなかったかと喚起したい。さらに注意を喚起したい二三の地名がある。尾和にある、吉野、吉野、谷内にある高野、高野坂、ついで丹京寺地名である。 つまりこの高原で、イカリ、吉野、高野、丹京寺と四点セット地名である立場に立って考える必要がある。峰山町の古刹、縁城寺年代記にも、かってこの高原の一画にあった寺名、吉野山上山寺(天応三年七八一)と記され、吉野地名は平安初期にさかのぼる。 ところで、これらの地名は、この丹後の高原を本拠に派生し命名されたものだと到底考えにくく、するとその地名の本拠は、大和、奈良県地方であるとみたい。 大和には、屈指の古社丹生川上神社が吉野にあり、吉野、宇陀が、水銀の主産地であることはくりかえしのべた。この吉野にイカリ地名がある神武天皇の伝承ものべた。 さらに福井県の上一光(かみいかり)、下一光地名も丹生郡にあって古代水銀の主産地であることは、松田寿男氏が検証されたところである。 また、高野、高野坂も、和歌山県の高野を原郷とし、高野山金剛峰寺が、弘仁十年(八一九)弘法大師によって開山されたことは誰でも知っている。 弘法大師がその晩年、金剛峰寺の高野を開山した主目的が、水銀資源の獲得に狙いがあったことは、松田寿男、若尾五雄両氏らの尖鋭な指摘と論証がある。 その一例は『今昔物語』や、弘法大師が金剛峰寺の地主神として丹生神社を崇め大師がいたく信仰していたことからでも、その一端がうかがえる。いずれにしても、イカリ、吉野、高野地名がそれぞれ水銀主産地に深く根ざしていることが一目瞭然である。この丹後の碇高原もその例外とはいえない。丹後町の岩木の足元にかって丹生氏が土着していた足跡もある。 これらの理由から、イカリ高原の「碇」はかって丹生氏が、朱砂採掘のため、この高原の一画に居をかまえて彼らによって名付けられた可能性が高かろう。 さらに高原の一画である谷内と、さきの吉野山上山にまたがる“丹京寺”の丹京も、「丹の都」を表現する内容をもち、丹生氏の氏寺である丹生寺も諸国に多い。朱砂採掘にかかわる遺承寺名の痕跡とみたい。 〉 『子供がつづる丹後の歴史』 〈 丹後の渡来人のこと 大宮町・大宮中五十河分校二年 田崎朋子・広野洋子 …大野神社は、現在の丹後町にある、いかり高原が、渡来人によって開かれ、神社が作られその辺りを、「大野郷」と呼んでいました。それらの信仰が、流れてきて、「大野神社」と呼ばれるようになったと言われています。今でも、いかり高原には、神社あとと思われるところがあり、工事をした時には、中国の古せんも出てきたそうです。 〉 これらがどこにあるのか不明である。 《産業》 『伊根町誌』 〈 中央高台の台面である太鼓山から碇峠にかけては、緩かな地形をなして碇高原とよばれ、冬は積雪が多くきびしいが夏は涼しく、牛の飼育に適し、優良な「筒川牛」を産出する大きな要因となっている。 〉 碇の主な歴史記録碇の小字一覧関連情報米軍基地予定地「袖志」米軍基地予定地「尾和」 在日米軍犯罪・事故 21万件 1952~2010年度 日本人1088人 犠牲に 赤嶺氏に資料 軍事が人権押しつぶす 〈 日本共産党の赤嶺政賢衆院議員の要求に、防衛省が資料を提出したもの。旧安保条約が発効した52年度からの事件・事故の総数は20万8029件となっています。うち米軍関係者が公務中に起こしたのは4万8504、公務外が15万9525です。これによる日本人の死者は、公務中の場合が520人、公務外が568人です。米軍の施政権下に置かれていた本土復帰前の沖縄は含まれておらず、実際はこれを大きく上回ります。… 〉 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹後資料叢書』各巻 『丹後町史』 その他たくさん |
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