丹後の地名

袖志(そでし)
京丹後市丹後町袖志

袖志米軍基地 付:米軍Xバンド・レーダー基地

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京都府京丹後市丹後町袖志

京都府竹野郡丹後町袖志

京都府竹野郡下宇川村袖志

袖志の概要


《袖志の概要》



京都府の、近畿地方の最北端・丹後半島経ヶ岬から西に続く日本海に面した海岸の漁村である。経ヶ岬の東側は落差200メートル以上はあろうかの断崖絶壁海岸で平地などはないが、ここから西側は隆起海岸段丘で少し広くなり、海岸段丘や海蝕洞などが出てくる。日本海形成の秘密を秘めた「山陰海岸ジオ・パーク」の東端になる。

当村は日本海側沿岸では数少ない海女の村。世界的にもまれなものらしく、女がもぐるのは、わが国と韓国済州島だけという。日本ではアマといえば女の海女のことしかたいてい思い浮かばす、久美浜の海士(あま・地名)の子が、「僕は男ですけど、アマに住んでます、男ですけどアマです」という、当初は何のことかとわからなかったのだが、考えてみれば、アマといえば今は女が常識の日本ならではの話であった。

うに採り(丹後町・昭和25年頃) 日本海沿岸では数少ない海女村である袖志の浜で収穫を水揚げする様子。
(『舞鶴・宮津・丹後の100年』より キャプションも)

当村の海女は元禄年間に嘉兵衛なるものによって始められたと伝えるが、おそらくずっと以前から潜海による採藻や漁労は行われていたと推定されている。全盛時代には因幡から越前の海辺までも遠征出漁したと伝えられる。『倭人伝』に
いま倭の水人は、好んでもぐって魚やはまぐりを捕え、体に入れ墨して大魚や水鳥の危害をはらう。のちに入墨は飾りとなる。諸国の入墨はおのおの異なり、あるいは左に、あるいは右に、あるいは大きく、あるいは小さく、身分の上下によって差がある。その道里を計ってみると、ちょうど会稽の東冶(福建ビン侯)の東にあたる。
その倭の水人の後裔であろうか、丹後の浦嶋太郎伝説や雄島参りや伊根のペーロン競艇、丹後海部などの発祥地は当村あたりかも知れない。遠いふるさとはおそらく、「会稽東冶」の地のあたり、漁師でも潜る古い漁法を持つ系統は、もともとはもっと南方、インドネシア・フィリピンあたり、マレー系と呼ばれるくらいだから、そのあたりと推定されている、段々畑も持ってきたのかも知れない。日本では宗像系(胸に入墨があったという)と呼ばれる海人であろうか、島根県松江市に袖師町がある、さらには福岡県宗像市の鐘ヶ崎あたりからやってきたかも知れない。昭和13年の農林省の調査によれば、袖志には59名の海女がいたとある、ついでに見れば同調査では若狭の大飯郡に10名の海士(アマ・男の潜る漁師)、同三方郡で93名の海士がいたとある。いずれも今は見ることができない。久美浜の海士(アマ・地名。もこう書くのだから、かつてはそうしたボクは男ですけどのアマがいたのかも知れんぞ。地名で言えば島根県隠岐郡海士町海士などもある。これらは日本建国はもとより丹波王国建国以前からのもっとも古い漁村ではなかろうか。)
疊岩(袖志)
袖志漁港の入口にある波食棚(疊岩)にワカメ刈りノリ摘む姿があった。見えるかな、今はない袖志海女の後裔だろうか。写真の中央、岩の一番向こう側。そのほかの小さい白い点はウミネコのよう。

DNA解析技術と情報が蓄積されていけば、日本人個々人の祖先がすべてわかるようになるかも知れない、過去には「日本人」も「日本国」なるものもない、あちこちからやってきた者ばかりであるが、その本国と民族が判明してくることだろう、アンサンは蒙古の何族、アンタは朝鮮の何国、アンサンは中国揚子江下流、アンサンはインドネシアの何族とか。
ワシは純粋な日本人で優秀民族で、同じく優秀国のアメリカ人とは親類だと思っていたかなり馬鹿な人は腰を抜かすことかも知れない、何千年の歴史がありますのやな、周辺国に比べられるほどの文化の長い長い蓄積があるんですかいな、過激偏狭な排外的「愛国」国粋の独りよがりもあっさりと消え去り、アメリカ文化にイカレて完璧までに失ったアジア人の一員としての本当のアイデンティティーが帰ってくるかも知れない。日本はそうなってはじめてまともな国になれるのかも知れないが、まともになると同時に日本国の発展的解消消滅が始まり、歴史から消えていくことであろう。
そういう時代が来るに先立って、丹後でもこの地あたりの海岸に立てば、ある程度そうしたことが予感させられる。弥生文化が最初に入った海岸ではあるが、大陸に近い最北端の村だから、丹後半島一周道路(今の国道178号線)ができるまでは「陸の孤島」と呼ばれていた。陸からなら後の高い山々を越え、川を伝って入ってきたという。上山寺や九品寺などもあり、高い文化もある。しかし農業中心の日本社会では、一種のはみ出しのようなことになり、いろいろ生きていく方法を苦労して研究したものと思われる。宇川牛発祥の地、丹後杜氏発祥の地、そして書きたくもないが、京都府下の米軍基地発祥の地ともなろうとしている。

袖志
↑『心のふるさと丹後Ⅱ』(坂根正喜氏)より。海岸段丘に作られた棚田が美しい。海に突き出した半島にも水田があるが、ここが米軍基地に予定されている。

白南風トンネル↓(ここを抜けると伊根町・カマヤ海岸になる。)
白南風トンネル(国道178号)
村の一番東にある国道178号線の経ヶ岬隧道、袖志側の入口には白南風洞と書かれている。白南風はシラバエと読む、意味は漢字の通りという。ツユの頃に吹く南風をシラバエというのだそうである。白南風洞のプレート
沖縄ひめゆり部隊の、沖縄陸軍病院・南風原壕群20号 南風原をハエバルと読むように、沖縄あたりにも見られる南風の名とされている。
大成古墳群のあるところに「しらばえ荘」というのもあったが、今はもうないのだろうか、
『丹後町史』は、

 〈 白南風(しらばえ)
若狭湾内の気象の変化で、六月末から吹く暖かで湿気を含んだそよ風、はえは夏の季節風、白というのは雲の色である。あいの風よりやや南より能登半島から経ヶ岬に向って吹く南東風を「しらばえ」と呼んでいる。夕方はあいの風と同じく日没にないで夜は程よいあらし(地方あらし)に変り、昼夜とも凪となる。  〉 
としていて、実際にこうした風の呼び名として今も使われているようである。
しかし私は違うのではないかと思っている。淡路島あたりでは、断崖ぎみの海岸をハエと呼ぶし、大分県などでは、海中の岩礁。常時海面に出ているものもあれば、干潮時に露出するもの、さらに暗礁もあり
波の下の石で?(波の下に石)の字を当てるものもある。豊後水道や日向灘沿岸に多い。赤?(石編に并)、白礁、沖のはえなど、と説明している。ここの地形地質から考えると、こちらのほうが正解ではなかろうか。
経ケ崎の灯台から見る、白南風洞の直下あたりの海岸の様子↓。
経ヶ岬の白亜の灯台を作った石材はここから取ったものでご覧のように白い、角閃石安山岩というのだそうだが、どう見てもシラバエはこちらだと考えるのである。漢字で書けば「白礁」と書くのがいいのかも…
白南風あたりの海岸の様子
しかしまあいずれにしても南方海人の言葉ではあろう、少人数では地名にはならず、彼らが、というのかワレラが、ワレラの片身であるが、古くから大集団でやってきていたという証拠の地名である。チョクにやってきた者もありそうだし、あるいは大陸の東側海岸を伝わり、朝鮮半島を経由した者も、貨泉などの出土を見ればその可能性も高いように思われる。
そうした「倭の水人」後裔が今もこの海岸一帯にいるのかと見れば、そうでもないようで、あまり海人のような感じがない。多くはのちに背後の山から降りてきた人々ではなかろうか。たまたま眼前に海はあるが、漁撈が得意そうには見えないし海神を祀る社もない。
当集落は元は下宇川村で、西側の宇川流域は上宇川村であった、この上下の名付け方は中心が東側、与謝郡側にあったのでなかろうか、竹野郡側からならこうした名付け方にはならない、上下が反対になるはずである。与謝郡側から開発がすすめられた地域ではなかろうか。

袖志村は、江戸期~明治22年の村名。慶長検地郷村帳に「宇川村之内 袖石村」と記される。寛文9年永井尚征の宮津入部により宮津藩領の村の細分化政策がとられ分離・高付されたという。はじめ宮津藩領、享保2年より幕府領。当初は宇川村の枝郷でのち分村独立した。明治元年久美浜県、同4年豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年下宇川村の大字となる。
文化2年(1814)、当地を通った野田泉光院は、「日本九峰修行日記」に、
今夕は当所(穴文殊)籠り堂庵室あれは一宿と思ひし処、異類異形の者多く籠り居る故近所に袖村とて大村あり、当所秀助と云ふに宿す。内儀とのは憐家にて麻を煮て居られ、夕飯は勝手に拵へ侯様申す事に付、吾々自分に菜拵へる、茄子、南瓜(なんばん)、青菜、茗荷等取り集め塩梅宜敷きよう調へたり。
袖志は、明治22年~現在の大字名。はじめ下宇川村、昭和30年からは丹後町の大字。平成16年から京丹後市の大字。

国道178号に沿って集落が細長く密集するが、耕地には恵まれず、段丘と谷間を切り開いて千枚田とし、水田としている。その景観は「日本の棚田100選」に選ばれている。
こんな看板が立てられていた。↓
袖志の棚田

袖志の棚田
坂根氏の航空写真とは逆のちょうど九品寺の上空ありたから東側を写している。一番手前の水田↑ここは今は畑になっているが、ここが米軍基地に予定されている。

《袖志の人口・世帯数》 269・83



《主な社寺など》

経ヶ岬


京都府の近畿地方の最北端の岬。
経ヶ岬
『宮津府志』
 〈 経ケ崎 府城より亥子の方十七里にあたり、当国北辺のはづれなり。此山より右與謝郡、左竹野郡の境なり。此海辺岩石多く北海の廻船毎歳破船多き所なり。当国海辺第一の難所也。海手より此岩岸へのぞき見れば、経巻を立たる如く或は開き巻かけたる形したる岩むらがり並べり、故に経ケ御崎と呼ぶなり。尤荒磯にて少しも風ある時は岸へ船よせがたし。  〉 

『丹後旧事記』
 〈 経ケ崎。宮津府志に曰く與佐郡竹野の海郷成故境か崎といふ一説文珠大士出現の頃宝徳依而一ツ沖の山ことごとく巻たる経文の如く成故に経ケ崎の云又昔丹後国海辺に流木あり香気勝れ其故海人朝廷へ奉りける此香ひ後世海人の燈しといふより其香木の出たる所なれば香が崎ともいふと伝ふ。  〉 
『丹哥府志』の挿図
『丹哥府志』
 〈 【経ケ崎】西出雲崎より海程一百余里を渡りて東能登見崎に至る、経ケ崎其間にあり、凡北海のの三ツ見崎といふものあり経ケ崎其一に居る。凡地方より海に出たる卅余里経ケ崎より又海底に沈みて岩の出たる十里余、是を以て風は東西より吹き潮は東西より来る風波の難殆ど凌ぐべからず、於是天下の海に旅するもの此見崎をしらざるものはなし。見崎の左右断岸絶壁奇岩怪石挙て語るべからず、今一二を以て図に出す、これを以て余の廿一奇を想像すべし。  〉 

山陰海岸ジオパーク

切手
←丹後は心のふるさと「丹後建国1300年」記念切手

『京丹後市の歴史(中学校副読本)』に、(図も)

 〈 山陰海岸ジオパーク
「ジオパーク」とは、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産や地形景観を複数ふくむ一種の自然公国のことです。
 山陰海岸には、日本列島がユーラシア大陸の一部だった時代から、今日に生るまでの経過が確認できる貴重な地質遺産が数多く残されています。
 山陰海拝ジオパークは、京都府、兵庫県、鳥取県の3府県、東西110km、南北最大30㎞の広い範囲に及んでいます。
 京丹後市のジオサイトとしては、鳴き紗の琴引浜、経ヶ岬の海蝕崖、丹後松島、屏風岩、立岩、久美浜湾と小天橋といった海岸風景のほか、郷村断層や兜山、袖志の棚田などがあります。山陰海拝ジオパークは平成22年(2010)わが国で4番目となる世界ジオパークネットワークへの加盟が認定されました。  〉 

コンピューターの入門書を山と積み上げた写真を添えて、宝の持ち腐れ、と書いたメールをもらったことがあるが、ここの場合は、マタイ伝にいう、〝ブタに真珠〝か。ブタどもに恩寵の真珠をくれてやると、政府も府も市も言うのである。「丹後松島」とも賞される自然遺産に対する蛮行である。
こうした美しい海岸に米軍基地を作るという、当地一帯の海岸は丹後にすれば、「天橋立」以上の歴史自然遺産である、「丹後天橋立大江山国定公園」内になり、天橋立に米軍基地をつくるのを容認する同等の罪深さ、世界遺産の京都市の清水寺境内に米軍基地をつくるのを安全だからと容認すると同様の愚かが過ぎた聖域を穢す大罪になる、宗教聖地で大クソたれる行為、チと狂ってないか、ここはダメだとなぜ言わない。オマエらは罰当たりのクソタレだから何とも思わないだろう、しかし信仰している人もまた多いのだ。
軍事基地が安全であるはずがないし、最近の兵器はすべてレーダー誘導のコンピューター戦争で、レーダーがないとメクラ同然、コンピューターも動かず米帝でも戦争ができない、だから敵国は最初に目をねらう、最初にここが攻撃を受けることになる。
げんにイラク戦争の時は三沢のF16が一番槍で、ありもしなかった大量殺人兵器があるといってイラク・レーダーサイトを破壊した。このように日本の米軍基地は使われる。自分は腐るほどもそうした兵器をもっているにも関わらずこうした軽はずみな勝手な人殺し国の軍事基地だから日本が何も知らないうちにどこかの国から攻撃を受けるかも知れないわけである。安心安全ですだと、何でオマエにそんな事がわかる、オマエはつんぼ桟敷の日本人だろが、いやアメリカさんはそんな悪者であるはずがない、などと子供のように根拠もないことを言うのか…。人殺しするなら、ヨソで勝手にやれ、日本の人殺し基地を黙って使うな、ウチが攻撃されるかも知れんのだぞ、もしまたこうしたことをやれば、日本から出ていっていただく、これくらいは言えよ、なんぼ腐ったクソ属国でも…
もし仮にそれでも安全というなら、安全であるなら何を作ってもいいのか、点検項目の視点があまりに貧弱、国定公園やその周辺など自然の美しいところは、深く敬意を払って、アホくさく愚かで血なまぐさい軍事基地などは遠慮すべきものである、当然にも周辺すべは非軍事化すべきもの、ましてや外国の軍事基地などはもってのほか。米帝のいいなり府政、市政といわれ、日本の右傾化軍国主義化と警戒を強められても何も言い訳もできまい、日本人のはしくれのつもりならしっかり祖国日本の歴史と文化と自然を尊重し保護し世界平和に貢献しようではないか、米帝やその子分どもの都合よりも。それが日本人たらんする者の最低の条件ではないか。クソ政治屋どものその情けない限りの腰抜けぶりはあきれるばかり、米軍には何も言わない、逆に反対する当たり前の日本人を妨害までしくさるそうである、己らそれでも日本人のつもりか、それとも国賊か売国奴かブタか、ご立派なものに成り下がったのか、人間の一番のブタだぞ、まことに情けない役立たずだぞ。オマエらにはもううんざりだ。こうしたクズどもに限って教育改革とかぬかすのだから、日本がますます悪くなっていく。教育されねばならぬのはまずはオマエらだろうが、アホにつけるクスリなどはない。
米軍基地の予定地は丹後天橋立大江山国定公園内の第1~2種特別地域になっている。1種となれば遺跡の発掘調査すら難しく、国内の業者などがここに観光用などに建物など建てることは極めて困難であろうが、憲法より優先して基地利用の特権を持つ米軍はこの地を利用できる特権を持つのであろう。いかれた属国とはいえあまりにもふざけた情けない話である。
公園内の規制地図
紫は第1種特別地域。オレンジが第2種特別地域。緑は第3種特別地域。白色は普通地域。(府のHPより↑)。こうした場所は自然保護のために規制が強く、日本に取っては公益性ゼロの外国の軍事基地を置くことはできるわけがないが、安保のおかげで置くというのである。いかに日本無視の権力を持っているかがわかる、もう無茶苦茶で、仮にも法地国家の体を為していない。管理を委託されている自治体もご立派なもので堕落のブレーキがかからず、とうとう他国の、アメリカの属府、属市になり下がっていて、しかもそれにも気づかない。属国属府属市というのは言葉を正しく使えば消滅国消滅府消滅市ということで、税金はゴッソリ取るが実際には何も機能しない幽霊である。連絡がありませんのでわかりませんと言うだけのものである。そして他国の、テロ国家テロ軍隊にも似た他国の好き放題の蹂躙ににゆだねるのである。
田畑の形状変更でも知事の許可が必要とされようし、よほどでなければ許可されないと思われるが、米軍は超法規的な神的存在としていて重機を何台も持ち込んで好き放題のようである、おかしな宗教国家のように写る。(『京都新聞』14.5.28より→)
属国だとか植民地だとか言われる由縁だが、これを見てるともっと悪いように思われる、これは占領地だ。
しかも昨日言うて今日から工事を始めた。悪玉の権化のように言われたゼネコンですら、人が多い所では事前に十分に安全調査を実施し安全が確保しにくとなるとそれなりにも対策を施して警備員を一杯配置してから工事を始めた、防衛省はそれにすらも劣った。国民の安全のためとやらと呆けてである。これでは米軍に殺される前に自国軍に殺されることになる。丹後は狭い道路ぱかりてある、警備員を大量に要所には一日中立てろ。もしや事故が起これば工事なんぞは出来なくなるぞ。
ワタシらの同級生などは「ワシらが死んで、戦後は終わるんやろデ」などと言うが、これでは死んでも戦後は終わりそうにもない。こうした国を子孫に残すことはできない。ワタシら世代はどうやら死ぬまで、死んでからでも言い続けない限りは子孫に顔向けできそうにもない様子である。

市は何億円かのゼニが入るらしいが、そのゼニで自分の自然遺産を売ったのである。やり方を見れば何もこの地を防衛するとかの目的がないことは丸見え、兆円とかではなくわずかなハナクソゼニと引き替えに大阿呆をしたもので全世界の大恥でしかない。これこそが主権なき属国の実態、これか私の国・ニッポンの情けない実態だ。
もっとも市や府が断固反対を貫いていても安保のもとでは米国は基地をつくるかも知れないがたぶん当地には作らないであろう。しかし認めたのだからこれらの責任は逃れられない。

車力のレーダー基地(府のHPより)→
三重のフェンスに囲まれた、いかにも軍事基地らしい、樹木などはすべて切り払ってしまった殺伐とした姿をしている。
国定公園第2種特別地域にこんなもんがつくれるのか。国内業者ならできないだろうが、アメリカが勝手に建設するもので、袖志ではどうなるか、公園に配慮した作りとなるかなどはまったく不明だし、たとえ不向きであったとしても属国には何も文句がいえない。
主権なき属国の国定公園とは名ばかり、所詮はこんなもんなのか。丹後天橋立大江山国定公園は返上するしかないだろう。こんな政府や自治体では税金など払いたくないわい。

天橋立を切断して今の岩滝のニッケル精錬所までの水路を開きたいと軍部がゴリ押ししようとしたとき、時の宮津町長の「もってのほかの蛮行、やりたければ、オレを殺してからにしろ」の必死の迫力に気押され、あの低国軍部ですら、切断を断念したという。丹後にはそうした歴史がある、クズどもではマネはできまいが、首長というのは人間だけの安全安心だけでは失格である、自然も同じように命掛けて守ろうとする責任をもってくれ。人間は守れない自然など守る気などさらさら持ち合わせていない、どこかの国の与党や政府のようなことなら、情けない稼業などすぐにやめればよかろう。



経ヶ岬灯台


「日本の灯台50選」の一つ。1998年(平成10年)11月1日の第50回灯台記念日の行事として、海上保安庁が募集し一般の投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の灯台のことで、近畿地方では、当灯台と潮岬灯台だけという、名灯台である。
経ヶ岬灯台


←この映画の舞台にもなった灯台である。(背景にこの灯台が写っている)

     喜びも悲しみ幾年月









♪ 俺ら岬の 灯台守は
  妻と二人で 沖行く船の
  無事を祈って 灯をかざす
  灯をかざす

経ヶ岬灯台
今は無人化されていて誰もいない、10月の日曜日くらい(日程は年によって異なる)に一般公開されている。私が中学生くらいの頃からだったろうか人里はなれてある灯台はひとつひとつ無人化されて、現在はすべて人はいない、雨の夜も風の夜も海鳴りきびしい夜も、沖行く船の無事を祈って灯をかざし続けた灯台守のヒューマンな物語は消え、その職員たちもすべて本庁勤務となり、灯台も何となくさみしく味気ないものとなっている。
ここは沖行く船がお経を唱えながら行ったという、風がぶつかり合い、潮がぶつかり合うこわい魔の海域、なれた漁師でも緊張する、そうした船を導く光になっいる。こんな伝説がある。経ヶ岬伝説
沖は「白石グリ」と呼ばれていて海底に暗礁があり、潮がぶつかり合う海面で魚形が豊かな海である。現代は白石グリ、古くはシラバエと呼んだのかも知れない。
経ヶ岬
「白石グリ」から見た経ヶ岬。白い当灯台↑が小さく見える。
海面から140メートルもあるというが、バックの山塊がデカイのでそれほどにも見えないかも…

経ヶ岬灯台
~日本初の水銀槽式回転機械~
  近畿地方最北の地に位置するこの灯台は、明治政府による富国強兵に伴う海運助成政策の一環として、明治31年(1898年)12月25日に設置されました。この灯台及び付属施設は、140メートル下の海岸で切り出した角閃石安山岩を加工、運搬して、約2年余りの歳月をかけ苦難の末に完成しました。また、近畿地方では唯一の第一等フレネル式レンズを使用し、レンズの回転をスムーズにするため、フランス人考案の水銀槽式回転機械を輸入使用した第一号の灯台でもあります。

位置   北緯  35度46分38秒
      東経 135度13分24秒
光り方  群閃白光 毎20秒に3閃光
光の強さ 28.0万カンデラ
光の届く距離 22.0海里(約40.7キロメートル)
高さ   地上から灯台頂部 約12メートル
      水面から灯火  約148メートル

灯台案内板
1.灯台の概要
 経ケ岬灯台は、明治31年12月25日に建設、初点灯をして以来今日まで、日本海を行き声う船艇の安全を守り続けてきました。
 また、明治のロマンを残す白亜の灯台は、京都百景にも選ばれ、丹後半島を代表する景勝地として、訪れる人々を魅了してきました。
 そして、丹後町のシンボルでもあり、昭和61年には、映画「新・喜びも悲しみも幾年月」にも登場し、一躍全国の注目を集めました。
 この灯台のレンズを回転させる機械は、水銀槽式回転機械と呼ばれるもので、1893年フランスの技師。プール、ゲーユ氏が重いレンズを円滑に回転させるために発明したもので、当時、画期的な発明として、世界中から注目され、パリで開催された万国博覧会に展示されたものを、そのまま購入して、経ケ岬灯台に設置したものです。
それから、90有余年、永遠の光を日本海に投げかけています。
2.施設及び業務
 経ヶ岬灯台は、海抜140mに位地し、構内は灯台の他に、レーダー搭載船に信号を送るレーマークビーコンと、船舶気象通報観測所が設置されており、付近を航行する船舶に対し航行安全のお手伝いをしています。
船舶気象通報観測所では、経ヶ岬の気象状況を自動観測し、越前岬灯台に併設してある放送所を経て放送し、海難防止に努めています。
 諸施設は、完全自動化された現在、舞鶴海上保安部が巡回管理によって運用しています。

曹洞宗寿雲山万福寺


承応2年存竜和尚開基の曹洞宗寿雲山万福寺。本尊地蔵菩薩を祀る。
袖志集落と背後の万福寺

『丹後国竹野郡誌』
 〈 萬福寺 曹洞宗  字袖志村西
 (丹哥府志) 寿雲山萬福寺 曹洞宗
 (同寺調文書) 智源寺末にして本尊は地蔵菩薩、創立不詳なるも承応壬辰年存龍和南開基して字の東端に建立せしを百六十三年を経て字西に移す、棟札に曰く文化十二乙亥年三月二十三日弁良再興す、境内三百六十一坪本堂梁行六間半桁行六間庫裡八間に四間土蔵二間に三間半なり、明治四十年道路開鑿のため本堂倉庫等を毀ちて新築せり
 (上山寺蔵年代目録) 明和五年焼失とあり  〉 

『丹後町史』
 〈 寿雲山萬福寺 袖志村西 曹洞宗
智源寺の末寺で本尊、地蔵菩薩
創立は不詳であるが、承応二辰年(一六五三)存龍和尚の開基、村の東端にあったものを一六三三年を経て字西に移し、明治四十三年現在地に再度移転した。現在十四四世村上博中師に至る。檀家約一〇〇戸。  〉 


穴文珠、真言宗清涼山九品寺


穴文珠
国道178号からの参道は「京都の自然二〇〇選」に指定のクロマツの林。↑そこの案内板には、
穴文珠(清涼山九品寺)
文化十一年(一八一〇)に、当地を巡礼した修験者野田泉光院は、「本堂未向、桜門あり、前に松並木二丁ばかり、本堂後ろにはくどの如き大石、双方より海中に出ず」と記しているが、本尊文珠菩薩の足下には海から続く大洞穴があるところから、穴文珠と呼び親しまれている。
本尊文珠菩薩は、足利時代の作といわれ、もとは経ヶ岬の海蝕洞(海心洞)に安置されていたが、慶長十四年(一六〇九)この地に遷仏したと伝えられている。
また、本尊及び山門は、江戸中期の建築である。
文珠大祭典 八月二四・二五日


九品寺。山門とうしろに本堂

清涼山九品寺と称した真言宗の寺院であった、現在は万福寺の境外仏堂となっている。文殊菩薩(石立像)を祀り、丹後三文殊の一として信仰を集める。この下は海蝕洞になっていて、その奥に文殊を祀る、本殿はちょうどその上になるという。元切戸文殊とされる。

「宮津府志」は、
土俗の説に文殊菩薩天竺より初て経ケ崎へわたり、それより此穴より入て此所にしばし跡を垂れ、夫より九世渡へ移るといへり
「丹哥府志」は、
堂の後に数十丈の岩壁あり、岩壁の西の方海へ出る凡四、五十間、東の方は卅間余り、其東西相隔つ僅に八、九間、漸く入りて二間斗り舟を入るゝに足る。
 其奥に穴あり、穴の広サ五、六尺、小舟に乗りて十四、五間斗りは入らるれども、夫より先は入る者少し、穴の奥に文殊菩薩の仏体ありといふ、所謂穴文殊とは是を以てなり穴の深サ幾何なるを知らず、誠に文殊堂の前より地を踏て見るに二丁斗り先迄地下は空なる様にひゞくなり。

本尊の文殊菩薩はもと経ケ岬の海心洞に安置してあったものを、慶長15年(1610)現在地に遷仏したと伝える。境内に稲荷・豊川稲荷大明神の二社を祀る。
文化11年、野田泉光院は穴文殊に足を運び、「日本九峰修行日記」に、
コノシロ村出立、朝辰の下刻。穴文珠と云ふに赴く。道すがら托鉢文珠へ一里半、本堂未向、楼門あり、前に松並木二丁計、本堂後ろにくどの如き大石双方より海中へ出づ、出張る事廿五六間、海水際より高さ十五間計り、双方石と石の間八間計、海中深さ知れず、浪高く打込む。此奥に本堂の方を向け岩穴あり、深さ知れず、其奥竜灯常住あると云ふ。察する所これ潮光りならん訝かし、此れを奥文珠の浄土と云ふ、因て穴文殊と称す。此穴へ舟乗入れられる凪のあること一ケ年に両三度計はある由也。右穴、岩ノ鼻より綱にて下り水際より見れば少しは見ゆると云ふ。文化十一年より三年前、申の年七月廿五日京都の六部穴一見に下りたる処、綱抜けして海中に落人り死したる由、其上死骸も行方知れずと云ふ。是れ常灯あるや否、奥深さ知れざるやなど疑の心起りたるより、見届けの為になしたる事にて、即時文殊の罰を蒙りたるものなりと参詣の者皆々申したりと云ふ。此の七月二十五日に当所に於て毎歳施餓鬼勤むる由、其参詣人五六里四方より群集す、吾々共此日に当る様参り掛けたるも大勢群集の場所は除く故態と半途にて引上げたり。今夕は当所籠り堂庵室あれば一宿と思ひし処、異類異形の者多く籠り居る故 近所に袖村とて大村あり、当所秀助と云ふに宿す。

『丹後国竹野郡誌』
 〈 穴文殊 眞言宗  字文珠野
 (同寺調文書)  本尊 文殊菩薩  石立像
 由緒、丹州路竹野郡宇川荘経ケ岬者文珠大士之霊場而北海の勝境也山名清涼(古曰袖志)寺號九品草創歳久而具可可称干茲矣障壁懸崖峰廻路転而離里六七里参篭道俗雪天迷途風曰倒岸極寒極暑太以憂之也因中古移黒内之江上建殿宇柱礎今猶存矣彼地亦雪厭涙波没興廃数回太多難也故慶長十五庚戊歳再卜地於尾和袖志之中間移舊殿地勢平坦而東南負数峯之高山西北抱滄海之廣松柏森々月清風涼誠可謂清涼堂宇経星霜殆垂傾

 境内神佛 二ケ所
   ィ、稲 荷 社  祭神 宇賀魂神、由緒不詳、上屋桁行一丈梁行一丈四尺
   ロ、地蔵堂  祭佛 地蔵尊、由緒不詳、上屋桁行一間梁行一丈
 (丹哥府志) 清涼山九品寺 真言宗 袖志村の六七町西
清涼山九品寺俗に穴文殊といふ、本堂に文珠菩薩を安置す、堂の正面に石燈籠三対石燈籠の前に楼門あり楼門の右に本坊あり、堂の右に子安地蔵及石の多宝塔あり、堂の左に稲荷の社あり、堂の後に数十丈の岩壁あり岩壁の西の方海に出る凡四五十間東の方は三十間餘り其東西相隔つ僅に八九問漸く入りて二間許り舟を入るるに足る、其奥に穴あり穴の広さ五六尺小舟に乗りて十四五間許りは入らるれども夫より先は入る者少し、穴の奥に文殊菩薩の佛軆ありといふ所謂穴文殊とは是を以てなり、穴の深さ幾何なるを知らず、試に文殊堂の前より地を踏て見るに二丁許先迄地下は空なる様に響くなり、本堂に扁額あり、高根より海原遠く見渡せはいそ打波もはるかなりけり(権大納言実賢公の和歌なり)  〉 

『丹後町史』
 〈 清涼山 九品寺 文殊野 曹洞宗 袖志 萬福寺境外仏堂
本尊、文殊菩薩 石立像
本尊は足利時代(一三三九~一五七三)の作で経ケ岬の海心洞に安置してあったものを慶長十四年(一六〇九)に現在地へ遷仏した。堂宇の背後は玄武岩で一〇m余の絶壁、奥底の知れない一大洞穴である。
創建は不明であるが当時は真言宗であったがいつ頃からか曹洞宗に改宗している。
境内神佛二ヶ所
稲荷社 祭神 宇賀魂神、豊川稲荷大明神。
地蔵堂 本尊地蔵菩薩。  〉 

クロマツの参道
天橋立もクロマツだが、こうした自然には向いた松のよう。切り株がある、基地建設で切ったかと思ったが、古い切り株のようであった。ここに木の姿をしたアンテナがあったが、それはなくなっている。アンテナ立てるために切ったものかも…

九品寺参道
この道はいつかきた道。  

今はこの参道はどこかにセンサーか監視カメラが付いているようで、ここへ入るとすぐパトカーがやってくる、入口を入ってこのあたりまで来るともうパトカーが入ってくる。1分とはかかっていない(早い場合、遅ければもう少し3分くらい後である)。当地に基地など作らせれば、どうなるかを予告している。どこかの悪い国をレーダーで監視するのだからエエでないか、などと素人考えで基地建設に賛成する方もまた多かろうが、米軍基地というものはそうしたものでないことがよくわかる。一番最初に攻撃を受けるが何の住民防禦策もないうえに、住民監視のために自国と他国が日本住民をスパイする基地でもある。村中と海上はセンサーだらけ、監視カメラだらけ、検問だらけ、そうしないと基地のセキュリティーが守れない、たいへんに息苦しいものになってくることであろう。160名も来るというのは大部分がそのためのスパイ要員であろう、町でうろうろしてるのには近づくなスパイだ。自国が自国民をスパイするのでも大問題である、アメリカ本国でも大問題となっている、それが他国が基地を作ってスパイする、こんなアホが許されるのだろうか、まあ超アホ国でしか考えられないハナシである。
テロ分子は人々の中に隠れて普通の人の姿をしてやってくるので、普通の人々の一人ひとりをあらかじめ正確につかんでいなければ、テロを分子を見分け発見することができない、普通の人々一人一人をあらかじめきびしい監視下におき顔データーなどすべてをデジタルデーター化しておいて、それ以外の者が入り込めばコンピューターの人物データーと照らし合わせ瞬時に見分けられるよう準備にしておかなければならない。NSA(米国家安全保障局)が米国民(他国民も)の個人情報や顔情報などや携帯の通信情報などありとあらゆる情報を無断ですべて集めていることはよく知られている、日本では三沢にその施設があるというが、もともと秘密のものだから、実際どこにあるかわからない、これを当地周辺でもやることだろう。それでも100%は見分けられず、できれば周辺住民は全部遠くへ移住させるか殺す方がいいと考えているに違いない。米軍の基地を守るための基地であって、他国の周辺住民を守るなどはハナより頭にはなかろう。軍隊というものは人民の中から生まれた本物の人民解放軍でもない限りは所詮はそうしたクソである、米軍はまさにクソだし、自衛隊も見習いクソになるつもりである。
他国をスパイしようなどという薄汚い魂胆を持つ国は自国もスパイしなければ成り立たない、自分以外はすべてスパイするというド汚い連中である、70年ほど昔を思い起こせばよく理解できよう。
携帯やネットや電話など使うな、すべての通話は盗聴されていると考えよう、暗号化しても解読される、アフガン人のようにターバンかぶりストールを巻きヒゲをつけて隠してやろう、上下ともタブダフの服装でカラダのラインを隠してやろう、女性はあの黒いショール、できるだけ相手に簡単には身元を知られないようにしてやろう、必ず「こらぁ、アメリカのクソ野郎、盗聴してるか、アメリカへ帰れ」とか言ってから通話してやろう、そんなことを言ってもやめたりはしないのでローテクで行くより仕方がない、重要なことはウワサで行こうコソコソ話で行こう手紙で行こう。
70年ほど昔の米占領軍は封書の無断開封検閲をやっていた、またそれをやることであろう、当時は学生アルバイトなどが翻訳していたそうだが、「ナンボゼニがないか知らんが、オマエ日本人だろ、ひどいことするね、恥ずかしないのか、同胞に顔向けできるか、情けないことをするなよ」と周囲にきびしくたしなめられた、学生も深く恥じ、一生の汚点と今も恥じている。今は誰もたしなめも恥じらいもすまい、儲かるんか、ええな、朝鮮がせめてくるでな、基地必要盗聴検閲必要、アメリカよい国強い国日本を守ってくれるバンザイバンザイ、しっかりやれよ。いよいよ最低の情けないアホ国になってしまった。特に上の方の人間や金持ちなどはハナから信用しないこと、大事なことはそうした者には知らないよと言ってやることである。
他国から防衛するなどという者は実は他国を侵略する者であり、自国国民を防衛する者でなく自国国民もスパイなどと攻撃し国民の基本的権利の侵略者であり、何をデッチアゲて死刑とするかわかったものでない、肝心なときは自分が一番先に逃げる、70年ほど昔を米帝と組んでさらにさらに悪く再現しようとするものである。これが「日本を守る」ということの本当の中味であり、これはいつかきた亡びの道である、大破滅大滅亡大孤立大絶望大終末への道である。また集団的自衛権、秘密法などとは実際はわが国をどうした方向へ導くものかをここに予告したものである。


穴文殊の直下の海食洞(丹後天橋立大江山国定公園の第1種特別地域)
  丹後町尾和 穴文殊の海食洞 顕著な洞が2つある

京都府レッド・データー・ブック」に、(写真↑、キャプションも)
 〈 多数存在するが典型的な形態を示し、保存が望ましい地形。地域において生活と密着した存在であるものやランドマークとして親しまれている地形。

丹後町尾和の海食崖に形成された高さ約10mの海食洞。地質は節理の発達した角閃石安山岩の貫入岩から成る。海食洞は一般に節理・断層・断層破砕帯などの弱線に沿う波浪の選択侵食によって形成される。ここでは節理に沿う選択侵食によって2つの顕著な洞窟が生じている。海食洞の真上、海食崖上の海成段丘には、航空自衛隊分屯基地があり、またその横には、丹後三文殊の一つとして信仰を集める清涼山九品寺の本堂及び山門が現存する。本堂の横手から海食崖下に下りる小道がある。海食洞は、丹後半島の沿岸を中心に数多くみられるが、穴文殊の海食洞は規模の上で有数の立派なものである。  〉 

この立派な海食洞↓の上に、米帝ならびに属国政府、自治体などはレーダーを置こうとたくらんでくさるわけである。
こんな地盤の悪い所で大丈夫なのだろうか、海上からや国道上からでも攻撃できるが、どう対処するのだろう。生きるか死ぬかの必殺の核攻撃に備えるにしては何とも頼りないまぬけなセキュリティーゼロの「軍事基地」ではなかろうか、相手をなめたチャラチャラしたいかれたジャパニーズのやりそうなマジなのかと疑わざるをえない代物。どうせアタマが足りないのか、かつてここを米軍が使っていたからと用意したのだろうが、50年も昔とは時代が違うことを忘れていないか。
それとも最初に破壊されることは承知のうえの捨てスパイ基地か。基地は破壊されるが、周辺住民と自然美は安全安心だといっているのか。それともここでしばらく様子を見て、うまく行きそうなら碇高原などへ移し本格的な基地にしていくつもりか。袖志だけでなく周辺の動きにも注意が必要のようである。丹後は言うまでもなく日本全体の将来にかかわってくる大問題である。


     同、穴文殊の海食洞 安山岩の節理方向に支配されている


間主神社
『丹後町史』
 〈 間主神社 袖志小字宮の成
天御中主神、軻遇土神(元愛宕神社祭神)、素盞嗚神(元八坂神社祭神)を祭る。延喜七年再建、明治四年村社になる。明治四十三年十月愛宕神社、八坂神社を合併、通称は間主五社大明神といっている。袖志区一〇一戸の氏神である。  〉 


境内の「宇川牛発祥地」の碑


宇川牛発祥地の碑
「宇川牛」発祥の地で旧7月25・26日にはここで牛市が開かれたという。今は月遅れで祭礼がある。当時の牛は大事なもので、今のトラックター・コンバイン・耕耘機などの働き者の農業機械だから、牛がいないと農業ができなかった。何もアメリカ牛よりもおいしい和牛肉だけが欲しかったわけではない。石油漬け農業になる以前の農家の宝物でもあった。

『丹後町史』
 〈 畜産
畜産は和牛で代表され、古く一、五〇〇年前から飼育されていたといはれているがその年代は明らかでない。
「宇川牛」は昔から有名で、日本畜産学の日木牛分類に「宇川牛」が列記されていることでも知られる。徳川時代宮津藩は旧府中村に牛の市を開催した際、宇川牛は中央の上座に繋いで取引きされたことを古老が伝えている。
中・竹・熊・三郡の牛は殆んど宇川が基牛であったようである。…
牛市場の変遷
徳田時代から袖志の穴文殊境内で、旧七月二五、六の両日文殊祭に近郷の農家、馬喰で牛甫が開かれ、これを文殊市と呼んでいた。最初は尾和・袖志・筒川村の三部落で始められたものと言われ、しだいに宇川全域に及んだ。
明治四〇年頃市場法による取引を行うことになり、頭数の増加に伴って、午市の場所を上野六神社境内に移し、毎年八月二五、六の両日に開きこれを宇川市または六社市とよんでいた。
この市には野間村・八木村・徳光村・竹野村も参加し、年をねる毎に盛んとなり、他府県からの顧客もみえるようになった。昭和一〇年には郡内の市場を一ヶ所に統合し、深田村黒郡に牛市場が設けられた。昭和三三年には丹後三郡連合会が統合し、竹・中・熊の三郡を区域とした丹後畜産販売農協連合会が発足し、中郡峰山町に事務所を置き、市場も必然的に峰山となり、丹後市場として現在にに及んでいる。
宇川の蔓牛
宇川牛の改良増殖に、優良牛を産出した系統牛を蔓牛という。その中特に有名なものあげると、権九郎牛のほか・袖志地区の、ひげ徳牛(但馬系)・増林牛(権九郎系)・増亀牛(権九郎系)・平地区の、惣左衛門牛(但馬系)・寺坂牛(但馬系)・やぶ牛(ホルスタイン系)、谷内区の、岡田号(袖志系)等である。  〉 

『弥栄町史』
 〈 袖志の権九郎翁は宇川牛改良の始祖
権九郎翁は姓を小西といい、文化十二年の生まれで、明治二十二年に死亡された人である。幕末乃至明治の初めごろ、但馬牛を移入、蕃殖に供し、引続き三世にわたって同家に飼育され、連年良種犢を生産して地方に普及し、袖志名牛の基盤となった。明治十年ごろ、この牛は(老年に至り)谷内増田家に移り、その子孫に当たる牛がヒゲ徳の高名をなすに至った。なお袖志の増田亀治郎、増田林藏、増田平藏等の名牛は、皆この子孫であり、谷内岡田号の元祖はまた権九郎系であることは明白であって、実に権九郎翁は宇川牛(すなわち丹後牛)改良の始祖であり、文珠市とともに宇川牛の声価発揚の上に至大な貢献をなされた。
 一句 積善の家に余慶あれ。同家の繁昌を期待してやまない。
この稿は宇川牛に関する木村源兵衛氏の著書より記す。 〉 

ご存じかと思うが、宇川牛もそうだが、神戸牛とか松阪牛とか、そのほかこうした日本の黒毛和牛は元はすべて但馬牛である。どこの和牛を食べても名が違うだけで、元々はすべてある一頭の但馬牛から生まれた牛である。



米軍レーダー基地になってしまう



最北端の地に米帝がくる。
Xバンド・レーダー米軍基地が当地に予定された

忘れ難きふるさとが米軍基地になってしまう。
           

ここ、名刹・穴文珠の境内のような聖なる地に米軍基地が来る。来るのは主に民間会社だと言ってごまかしているが、民間会社といってもイラク戦争などで見られるようにまったくの兵隊で、兵隊以上の兵隊である。以上というか以下というか…、本当の市民社会の平和な普通の民間会社ではない。傭兵部隊、外人部隊というものだ、正規の部隊でなくこうしたものに頼らねばならなくなってきている、米帝もいよいよ末期のようである。派遣やアルバイトや下請けの下請けの下請けの下請けの…そうした非正規社員の安い安い安い安い戦力に頼り、しかもそうした労働者を虫けら同然としか思っていないクソ企業に未来がないのと同じである。正規兵とて腹の中では同じ扱いであって、彼らも必ず腐りナンゾの役にはたつまい。
超時代遅れの反動理念と全世界を敵に回す傲慢さと愚かさ、さらに大金食い虫の自らの重さにもう半分自己崩壊しかけたようなものが大きなツラして…、いつかは、こうなるかも…、とは考えていたが…
外人部隊と書いたが、アメリカの外人部隊に日本軍がなろうというのが、今与党などがやりたがっている集団自衛権行使を認めるということである。あくまでも外人部隊であって、戦争全体の指揮権があるわけではない、アメリカの命令にふりまわされるだけである。集団的自衛権などと言わずに、アメリカの外人部隊化したいと言う方が国民にはよくわかる。そしてあわよくば対等に主導権を握りたいのだと。まぁそんなことは自分たちの幼児のように超頼りない実力と組む相手の世界一の戦争プロの実力を見ればまったくムリと判断できよう、集団的自衛権行使を認めるとは、要するに日本軍の外人傭兵部隊化、それもタダで、という愚かで一国としての品位も何もない、いよいよ日本亡国を完成させることである。アメリカが何と言おうと、国内の頼りない政治屋どもが何と言おうともこれはダメである。自分がどの国と何のために戦争するのかの主体的判断を他国にゆだねる、これぞ属国そのものである。何も事前の環境調査などしなくともアメリカがそのへんはうまくやってくれますわいな、属国政権の好見本である。アメリカの敵味方国設定はすぐ変わる、昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来心、何事もととりあえず、というハナシであって、アメリカの御都合主義は誰もが知るところ、属国政権の頭越しに和解することも十分に想定される、アメリカの敵国味方国はあくまでも暫定的である、明日は明日の風が吹いて敵や味方が代わることになるかも知れない、日本のように自分は遠い過去から永遠の未来まで絶対に正義で、相手は絶対に悪などとはする考え方とは根本から違っている。


ここに米軍基地が来ても、被害があっても、何も別に「恩恵」はなかろう、「抑止力」になるわけもない、堕とせないないのだから。原発と同じで、米軍基地が安全で問題がないのなら恩恵を受ける者どもの所へ作れよ、わずかな面積ではないか、東京のド真ん中へ作れよ、アメリカ大好きアメリカべたべた連中の隣に作れよ。自分は被害をうけない位置にいて、基地大好き、基地必要、安保必要を言っても子供の手前勝手な議論でしかなかろう。米軍どもを喜ぶようなバカモンは日本の都会人か日本の腐った支配者どもだけである、全世界にもそうした情けないモンしかいない、日本の田舎モンはこんなものは好きではない。反吐が出そうだ。どうしても連れた来たいならもっともっと田舎モンに好かれそうな田舎モンくさい恰好に体質大改善しろ。蓑笠姿で鍬をかつぐ洗練された姿になれ。鉄砲は田舎にはいらん、鍬鎌持参で農作業が手伝える訓練をしろ。
恩恵は特にはない、しかし被害だけを引き受けろ、といわれてもたまったものでない。大先輩の「車力」でも何件かの米兵の事故が起こっているという。ここでも発生することは必定。
一番困るのはフェンス一つを隔てて生活する地元の住民である、ここからいつ銃撃を受けるかもわからない、オーバーなことを書くようだが、実際に米帝はそうしたことをする、何度も世界のあちこちで、日本でも実際にやってきた、ネットにもそうした映像がある、(紹介してもいいが、ショックが強すぎるかも知れない、自分の判断で見て下さい→ここ。アメリカ大好きでもかまわぬが、しかし無辜な市民の上に原爆を落とした連中で、あれは正当だったといっていることを忘れぬよう願いたい、こんな連中のペースに巻き込まれてはならない。こうした情報がもれないための秘密保護法である、不都合な情報を漏らせば死刑にしたい。しかし見ればわかるように本当に死刑にすべきはこうした行為を野放しにしている国家指導部の全員である)。兵隊が非人間的行為を平気でする軍隊は上部が狂っている、深刻な事態だが、しかし問題は隠蔽される、何とかいった秘密暴露の元CIA職員のようなもので、真実を語ったこの職員が問題なのか、それともそうした真実を語る者を迫害するという公の秩序に反する行為を行っている国家が問題なのか、どちらが本当の犯罪者かもごまかされ、もみ消すことができなくると、逆に告発者を禁固何十年とかの軍法裁判が下る。袖志につくるというのは、こうしたテロはどっちなのの、どうも正義とは呼べそうにもない外国のブラック軍隊の基地である。
「はだしのゲン」とか「戦争展」でもそうだが、子供は恐い、大人でも足がガダガタ震える、アウシュビッツなどを見れば大人でも本当に震えが止まらないという、戦争だから仕方がない、それが戦争だから、カッコイイものであるはずがない、戦争を書けばそうなる、読めばそうなる、それが戦争である、しかし誰かさんの都合に悪いのであろう、××市教委は図書館の閲覧制限をかけた、本当に子供の教育に責任が持てるの、関係者全員の辞任が求められよう。文科相コメントも相当にイカレていた、隠せばいい、合法だから隠してもおかしいとは思わない連中、おそろしい、そうしたおかげかこの書の売り上げは3倍に増えているとか、やはり国民は健全なのだと思われるのだが、それなら初めからこうした政治屋を選ぶなよ。集団的自衛権とかで日米のこうした連中同士が集団を組めばどうなってしまうことだろう。

このHPもアメリカはんが監視していて、監視していなくても見えるが、ここへアクセスしてくる皆さんのパソコンのアドレスもわかる、これは私もわかるが、その先、皆さんのそのパソコンがどこへ連絡を取っているかもアメリカにはわかっているかも知れない、ということになる。アメリカを野放しにしていると今は出来ないかも知れないがいずれそうなるということである、携帯も何もかもすべてわかってしまうであろう。それをなりふりかまわず狙っている国のようである。どこかで誰かが命をはってでも歯止めをかけなければ権力は暴走する、まだ若いのにエライ者である、さすがアメリカだのかんがある、反権力の市民運動が強力で、暴走を何度も食い止めてきた国民だけのことはある、これには米帝も勝てない、敵国だけでなく自国のリベラルな声に負ける、今回も何とか悪者に仕立ててやろうとやっきの様子だがムリだろう、日本にもこうしたマコトの意味の愛国者若者がいてほしいものである。アメリカはそうしたリベラル勢力が強いから対外戦争を始めても自らの力で止めることができる、日本はそうした勢力が戦争を止めた歴史がない、原爆2発落とされても、原発が3発、しかもプルトニウム原発が爆発してもそれを止められない、いまだに正義の戦争だったという、原発の安全が確保できると思っている。
憲法は変えないのがいいと思わざるを得ない。やりはじめると自分で止められない者、180度の方向転換のできないズルズルで、政治行動には世界一怠慢なおとなしい国民、そうした国が強い武力を持つのは自分のためにも極めて危険なことである。幼稚園様に刃物である、幼稚園様の歴史しかない情けない者であることをよく自覚してからでよかろう。

真実が隠蔽されずここのどんな小さな声でも吸い上げられる体制の整備が求められる。国全体が70年間も無関心で思考停止の無能無策、そのひどさは世界最末端状況、誰も自分がその問題を引き受けて解決しようもしない、市は府に、府は国に、どこに責任があるのかも不明で、本来は国がすることだが肝心な情報は何も出さず道路一本とてよくもなるまい、おもいやり予算と呼ばれるが、国民は二千億円ばかり毎年在日米軍に支出しているが、国は徹底して地元民の声は無視する、原発やよその米軍基地の通りであろう、問題はまるっきり自治体まかせで知らん顔、しかし自治体には担当部所や専門職員はいない、困った市民をたらい回しをするだけで何も解決する能力はなく子供以下である。大事故があっても詳細は調査もされず秘密のまま誰のクビも飛ばない。それぞれがフワフワと金魚のように意味もないことを言うだけで、超法規的なものでどうにもならないと半分以上はあきらめてしかいない、世界一危険な沖縄基地が何も解決されていないのに、またここへも作るという。航空法適用外の後家つくり機を大阪へとかいう話のようなもので、世界最大の事故を起こし、その調査も廃炉、除染の方法も見つからないまま、汚染水を垂れ流しているにもかかわらず世界一安全再稼働という原発とまったく同じ構図がここでも見られる。インビジブルならが、見えないながら、ホントは一つながりのものなのであろう。原発と同じような問題が今後発生すると思われる、袖志にもう一つ米軍基地を!の世界に落ち込んでしまいたくなければ、原発を参考にしながら将来策を探っていく、絶えず米軍基地の実態を全国民向けて発信し続けること、国民がホントを知らず、カッコイイ、守ってくれる、などと盲信しているのが一番の問題なのだから…
国が原発様一基につき地元に補助金などで原発の全生涯45年間出だす金がだいたいおもいやり予算くらいになる、50基の原発迷惑費として税金から支払われて電気料金には含まれていない税金とほぼ同額が毎年米軍に支払われていて、納税者は何も口出しができない。おかしいでしょ。しかもそいつらが事件・事故を引き起こしても、さっさと逃げてお帰りになり、おとがめもない。おかしいでしょ、これ法治国家なの。
九品寺本堂のうしろ

↑本堂のすぐ背後。海蝕洞の入口くらいは見えるのではないかと思うが、空自の基地で行けない、何かに使っている様子はなく、空地のような状態に見える。古い石垣が残っているから、以前は何か九品寺の建物があったのではなかろうか。
この場所に米軍は、弾道ミサイル監視のXバンド・レーダー本体を設置するという。ここは穴文殊を祀る海食洞入口の真上にあたるよう。
岳山のレーダー基地(空自)
参道のみごとな黒松の並木からでも、岳山のレーダーサイトが見える。これは空自のもので、ここより2㎞ばかり東方の岳山(451m)の頂上にある。この木のようなものは何かのアンテナだが、今はなくなっている。
空自のレーダー・サイト(袖志)


穴文珠の西隣に空自の基地がある。「第三五警戒隊経ヶ岬分屯地」の正面。

分屯地のHPに、↓
経ヶ岬分屯基地の沿革        
昭和 17年  旧海軍監視所設置
23年  6月  米軍レーダー基地開設
32年 12月  東部訓練航空警戒隊
 第9083部隊展開
33年 12月  航空自衛隊へ移管
36年  7月  第35警戒群へ改編
43年 5月  岳山にレーダー及び運用室移設
平成  4年  4月  庁舎地区へ運用室移設
 6年  4月  基地体育館完成
12年  3月  場外離着陸場完成
 第35警戒隊に改編

もともとここには旧海軍の見張所があったという。敗戦後米軍に接収されて10年間米軍レーダー基地が置かれていた。
当時を知る人々はよい感情は持っていないという。小さな村で起きた封印された過去の悲劇のいつくかで、よそものがあまりほじくり返すことはできないのだが、その当時と70年もすぎた今と、米軍が日本に持つ法外な憲法より優先する特権は何も変わらない。およそ高度に発達した独立国とはいえないひどいままで、沖縄の通りである。別に沖縄だけがそうなのではなく、日本全土がそうしたことの潜在基地で、どこでも米国が望むがままに、どこでも、好きなだけ、好きなように基地を置き軍を配置することができる(特権を持っている)。本国ではできない危険な超低空飛行でも好き放題にできる(国内航空法が適用されない)。日本全土をいつ落ちるかも知れない危険な兵器の試験基地として好き放題に使用できる(全世界で日本だけという)。どの基地に米兵が何名いるかはわからない、何をしているかもわからない、日本領土内であるにも関わらず基地は治外法権、基地内で何があって日本の主権は及ばない、犯罪米兵が基地内に逃げ込めば日本の警察力は及ばない、もたもたしているうちに帰国してしまう、それどころか大使館などと同じで警察は基地を守ってやらなければならない、大使館のように武力のない施設でお互いのものならそれもいいが、こんな一方的で何をしているかも知らせない世界最強武力を何ゆえに日本の警察が守る義務を負うのだろう、一体ここはどこの国なのよ、ということになる、袖志もそうなる、どこかの国にくれてやることである。どこかの国が攻めてくるかもしれないから、そのためにすすんでどこかの国に領土をくれてやる、アホちゃうん。

事前協議などはこれまで一度も行われたことはない、問題が起きれば一応は申し入れとか協議とかはして聞いたようなフリはするが、そうしたものを尊重し守らねばならないという取り決めはなく、そうしたことをしても何も意味はない、何も守られないのは沖縄の通り、占領状態属国状態の日本政府も司法も米軍に何も口出しはできない、対等平等の関係ではなく主従の関係、主と奴隷の関係である、自由だ人権だのとのたまう国の裏の(?_?)、米帝のマコトの顔である。まあまあ何とかしますさかいに…といい、実際は何もしないのである。こうしたダマシこそが米帝ならびに日本の支配層の常套手段であるが、人がいい被支配層はそれに何度も何度もだまされ続けて、山積する解決不能の問題を抱えているのである。こいつらはダマシのプロと見てまずはだまされないようにしようではないか。人のいいことは引き受けないことである。またアメリカや日本の支配者どもが正義だなどとはユメ考えぬことである。
上水道が米軍に取られると村の分がなくなるという心配があると聞くが、上水道はこれは住民最優先に決まっている、足りなければ基地への供給は即止めればいい。さらに排水も注意、米軍は何も日本環境基準を守らなくてもいいので、海に垂れ流され適法で海や空気が汚染される心配がある。米軍の特権は自治体の条例などはへでもないし、属国の法律はもとより、憲法にも優先するものである、米軍を縛る物は何もない、これが地位協定の、日米安保の本質、日米関係の本当の中味で、基本関係である、日本は勝手に安保で守ってくれていると勘違いしているが、アメリカから見れば、基地として好き勝手に使う特権だけに意味があるのであって、ごちゃまぜの他の一緒の条文などはどうでもいい、目くらましでしかない、なめられたものでしんから情けなくなるが、何か問題が起きても何一つも解決する資格も能力も属国にはまったくない、超法規のやりたい放題の米軍に自主規制やモラルなど求める方が愚かであり、たいへんな不自由を住民ほかにかけることになる、米丹後にしたくない正気の者なら受け入れられるものではない。全世界が注視していよう、中学生でも検索できる、何十年後でも保存されている、栄光の丹波王国のご先祖も見ていることであろう、その末裔のつもりなら恥ずかしくない対応を関係者には強く望む(まぁアリエナ~イかも、私が米帝ならここはいくら大枚を支払っても手に入れたい、ここがなければ戦争はできない、将来は巨大な基地にしたい、ナンボでも出そう、これでくることだろう。ハナクソ交付金で祖国を売るなよ、死ぬまで、死んでからも売国奴と呼ばれるぞ。外国の基地が来ても職場はない、収入にはならない、ハナクソ交付金はその時だけのもので、いつまでもくれたりはしない。米軍基地はだけはいつまでも残ることだろう。さらに米軍基地はどんどんと建て増しし続けられることだろう、1号基地、2号基地、さらに3456…。オスプレーが最初に滋賀県に来る、忌まわしい不吉な凶兆、ここを狙っている、こここそが将来の米軍大基地、主戦場だ)。
そんなことならアホでもできる、アタシでもそんなことならできる、当然にも誰もがそう言う。国民が高い税金を払って政府や裁判所や自治体を作っているのは何のためなのか、アメリカいいなりのクソ役人どもに大枚支払ってタダメシ喰わせるためか。
これでも頭に来ないのが今のたいていの日本人、植民地民根性、属国根性、奴隷根性が深く広くしみこんでしまって、それにすら気が付かない。
愛国心を言う保守や右翼あたりが好んで取り上げそうな大問題だが、彼らも日本ナショナリズムの勢力というより日本には根のないアメリカ右翼になっている。キミたちのどこに愛国心があるのだろう。
私の子供の頃に60年安保があった、周囲の子供達は「安保反対!」とみな叫んでいたのを思い出す、そうした子供が理解できるレベルの問題ではなかったと思うが、親や周囲の者がそう叫ぶからマネしていたのだと思うが、子供ですら何か感じられる正義が反対にはあったとも思われる、舞鶴のようなド田舎でもそうであった、安保反対は何も少数者の無視してよい声ではないのである。
ふざけた選挙マジックでごまかされていて、有権者の声は国会の議席数に正確には反映されない非民主的制度なので、たとえば2013参院選は与党圧勝と現れたが、実は得票率は50%を割っていて(比例、自公合わせて48.9%、地方区は擁立していない政党が多くデーターがとれない)、もしも正確に反映できる制度だったら過半数割れ、与党は少数派であった。マスコミあげての大売り込みだったにもかかわらず、原発や安保の守護神が勝ったとは言いがたいのである。わが国は政府与党と国民の声がミスマッチする国家で、民主主義国とは呼べそうにもない「ねじれ」国である、選挙で選んでいれば民主国家などと考えてはならない、本当に民主的な選挙制度でなければならない、日本は民主国家かそれとも独裁国家かよく考えてみようではないか、選挙は有権者の声を聞く機会である、それが逆に少数派が多数派の声を無視することになれば独裁保証制度となって国益に合致しない。また与党が計画しマスコミがヨイショした憲法改正や、原発推進や消費税やTPPなども「今でしょう」「今しかないでしょ」とあせるかも知れないが、それは国民の多数意見と一致したものではない。
日帝がこんなにまで卑屈に身を落としてでもその野望を捨てきれなくこうした破滅の道をまたまた選んだものと思われ、それは何も国民が選択した道とは思えないが、しかしいつからかどうしてからか左翼すらあまり正面切っては取り上げない、どうなっているのだ。
外国軍が好き放題、それを止めることもしない腰抜けの国と国民、屈辱的外国基地があるふるさとに誇りを持てるだろうか、国を愛する心を、君が代だ日の丸だ、一人前の対外関係も築けない努力もしない誰が見てもまともとは見えない属国が言う「愛してよ」、ジョーダンか、アホもたいがいにしろや!
アメリカ帝国主義は他国の領土を奪って自国の国土を広げていくという国ではない、他国には好きに使える基地だけを置いて己が世界支配を広げていく国だが、基地が領土だというならそうであって、基地はアメリカ領土である。他国に置かれた米軍基地は何もその国を守ろうというものではない、外国に置かれていてもそこはあくまでもアメリカ領土であって、手に入れた目的はアメリカのためである、莫大なカネがかかっており、それは置かれている地元の国を守るためというのは単に方便でしかない。いつまで占拠するのかの明文もなく、永遠のアメリカ領土である。その中に何人がいるのか、何をしているのか、核があるのか、毒ガスがあるのか、何も地元日本にはわからない、日本政府はアメリカが言うことをそのまま鵜呑みにしたものをそのままチェックなしに言うだけである。周辺自治体としてはきびしく基地の監視をすべきであろう、監視しても別に何もできない、文句言っても聞き流すだけであろう、なんといっても基地はアメリカ領土であって日本のクズどもに文句言われる筋合いはまったくない、そうしたアホを認めるバカの国、何をいまさらクズクズ言うのかバカめが、となめてかかってくることであろう。がまあそのうちに特定秘密に指定することであろう、何名いるかは秘密ですと。自分の国に何名の外国兵がいるのかもわからない、地方は人が住めなくなり荒廃し放題、儲けるのは大資本だけ、などなどこれがいやしくも国家と呼べるだろうか。
核は持ち込むなといったニュージーランドに仕返しに安全保障を断るような程度の国に落ちぶれている、長年の友好関係などは何もアテにはならない、少し気に入らなければプイの勝手な国である。こんな国に基地を置かれて好き放題に使われるということは、よくわかるように言えば領土を不法に取られているのと同じ、本当には何も安全とは言いがたい、本当に日本を守る気があるなら、日本の言うことを真剣に聞くのがスジというものであろう、守るべき主人の意向も聞かないで、主人が困る好き放題を70年続けて、何がボディ・ガードなど務められよう、守る気などさらさらない証拠である。
かつて天の神より神権を授けられた者の子孫として、その支配を正当化してきたが、今は他国の侵略より国民の安全を守護する者としてその支配を正当化する。しかしその大ウソの実態が隠しても隠してもバレバレ。アメリカのための基地、それで日本国民に被害が出るかも知れないが、それには何も対策がない。
ワタシがこう言っても、まさかそんなアホではあるまい、と信じてはもらえまい。それは何か考えてますよ(アンサンなんかよりずっと偉い人ばかりですがな-と腹では言っていて鼻が笑っている。政治屋や学者センセが正しいなら何を苦労することがあろう、そうでないから皆が困っているのでないか、こいつかなり目出度いな、とこちらは見ている)、絶対にまずそうおっしゃるのである。根拠もなくそう信じているのが普通である。そうならばよいのだが、そうでないことを原発事故は教えたのである。
自分に都合の悪いことは想定しない、火の手が大きくなったらどう対処する、などの想定は初めからない、それは原発事故を見てみればよくわかる。そうした想定そのものが危険性を認めることになるのでしないのである、国民の生命財産を守るなどは何も考えてはいない。ミサイルは日本の上空を飛ばないし、仮に飛んでもそれを撃ち落とす兵器はない、などの事実は考えない。袖志基地が攻撃を受ければどうする、すぐ近くにはたくさん人が住んでいる、などは考えない。原発を見てみればよくわかる通りである。
そうした危険はない、安全です、だけの何も根拠のなく頭からの信仰しかない。安全なら新たに基地などなぜ作るのだ、そうした基本的な疑問には彼らは答えられない、いや抑止ですよ。
こちらは抑止のつもりかも知れないが、相手には危機に見えるかも知れない、しかしそうしたことは考えない。
軍事力に頼るなどは信じられないほどに幼稚なものでしかなく、そうした国同士で、もしやタグなど組めば大変にヤバイ。ダレが火を消すのか、日本国民は戦争を止めた経験がない。隣国なども含めた連合国様に止めてもらうより止められない。

京丹後市のHPによれば、↓の計画という。(どさくさ紛れに空自基地も敷地を拡大させる計画である、空自もけっこう悪党で、どうしようもないクズようだ。外国の力を笠に着ておのが勢力をひろげようとする本当の売国奴組織に落ちたのか、米帝などと組んでいればそうしたものに最終的には落ちぶれる。)


ここに配置される、Xバンド・レーダー、TPY-2とは、
コトバンクに、
波長2.5〜3.75cmの電波を用いるレーダーの総称。防空用レーダーや戦闘機搭載用レーダーの波長30〜100cmと比べ、高い分解能が得られ、目標を点としてではなく形として把握できる能力から、弾道ミサイル防衛システムの目標(ミサイルや弾頭)捕捉、弾頭とオトリとの識別、追尾、迎撃ミサイルの誘導に使用される。波長が短いために大気による減衰が大きく、遠方に到達させるには大出力が必要となる。米国が弾道ミサイル防衛(BMD)システム実験用にクエジェリン島に設置した型(地上配備型Xバンド・レーダー:GBR)は123平方メートルのレーダー面に8万1000個のレーダー素子を並べたフェーズド・アレイ型で、平均出力は170kWもある。4000kmの遠方で弾道ミサイルの弾頭の探知ができ、2000km以内なら実弾頭とオトリの識別が可能とされる一方、周辺環境への影響を懸念する声もある。GBRを石油リグ型のフロートに載せた洋上配備型SBR(Sea-Based Radar)はアラスカ沖に配備された。THAAD終端迎撃システム用レーダーTPY-2もXバンドを使用し、北朝鮮からの弾道ミサイルの早期探知と精密追尾のために06年6月に青森県の航空自衛隊車力分屯地に配備した。同型のレーダーは九州、沖縄、グアム島などへの追加配備も検討されている。また欧州方面ではチェコへの配備が計画されている。日本も防衛省技術研究本部がFPS-5と呼ぶXバンド早期警戒用レーダーを開発し、11年度までに4カ所のレーダーサイトに配備する。

主に海上配備型↓の説明のようだが↑これは5万トンもあるドデカイもの。袖志は移動型で、探知距離は1000㎞だという。もともとは何とかいうMDシステムの一つとして開発されたものだそうで、そのかなめの迎撃ミサイルは失敗で使えないそうだが、レーダーだけはごまかし使えそうと流用されたもの。失敗作の役にもたたぬものではなかろうか。

北朝鮮はすっぽり入るが、中国ロシアはいっさい入らない(というが1000キロの射程があるなら入り、中国ロシアの反発は想定される。このレーダーの真のネライがどの国にあるのかも不明だが、北朝鮮と見せて意外と中国であるかも知れない。とにかく自分の側からはトラブルを起こさないのがオトナの基本である、これができないような者は要注意人物である、当地に射程不明の目的不明の外国レーダーなどを作るなどはまともな者とは思えない)。車力では範囲外になる北朝鮮の弾道距離ミサイルのグアム方向へ飛行するものがターゲットと思われる、グアムを守ることなどはムリで、ベトナムを空襲したB52などの航空機の基地があったが、そうした爆撃機などを空へ逃すための時間稼ぎのためだけの袖志基地だろうと思われる、しかし何のためにグアムなど狙ったりするだろうか、ノギタイショウでもあるまいしそうした小さな出城などは問題ではなかろう。ここに配備しても意味がなかろう。沖縄をねらったものも少しはひかかるが、たった10分でくるのだからスクランブル用の戦闘機だけは逃げられるかも、しかし自慢の後家つくり機はムリだろう。発射されれば袖志なら5分くらいで着弾する、真っ先に攻撃を受けるであろうこの基地の近くの住人は安全安心などとまったく言えず、基地とここれほどに近い距離にあるにもかかわらず全村人が避難できる地下シェルターなどは一切建設されず、足元あやうい高齢者などが避難できる時間もない、健康な者でも何もする時間の余裕はなく、袖志を守るとかネゴトのレーダー基地ではありえない、何の担保も用意せず安全ですの口先だけ、これは地元住民の安全はまったく無視するということである。何のために、アメリカ様の爆撃機様ためである。
日本政府は自国民の安全などはまったく眼中になくほったらかし、安全安心とただ口先だけのことで、何もしないが、アメリカの安全ばかりは異常な力の入れよう。どこの国の政府なのだろう。これが属国ニッポンのセイフのまことの姿ですがな。
袖志はこれ↓防衛省のHPより




袖志は沖縄普天間米軍基地以上に住宅地のすぐ隣にあり、きわめて危険、どこが安全安心が確認された、などとネゴトが言えるのか。もしや袖志が安全なら、普天間などはもうまったく安全安心の天国ではないか。普天間基地↓住宅との距離を見られよ。
普天間米軍基地
袖志基地は住宅まで200メートル、宇川小学校まで3㎞足らず。アメリカ基地様のためにこれらは犠牲にするというようだ。
青森県つがる市の空自車力分屯基地すでに配備されているものと同型てある。ここは当初の候補地が佐渡島だったそうだが、あまりにも最前線に近く、しかも島なので、空爆や特殊部隊が上陸して来た時の対処が困難になるため、本土の自衛隊基地の敷地内に持ってくる事にしたそうである。
当地は佐渡島よりも、ずっとずっと近い目と鼻の先なのだが…
しかしこの「目の良いレーダー」で実弾かオトリかと区別して捕らえられても意味はない、日米の軍事高官たちがよく語っている通りで(退役してからしゃべるようだが)、迎撃は不可能と思われる。ましてアメリカが最も恐れる米本土東海岸を直撃する長距離核弾頭ミサイルを撃ち落とすことはできない。一度は高度1000㎞以上の宇宙空間へ出てしまい、どこかで速度がゼロになることがなく長長距離を超超音速で飛行してくるものなので、これを撃ち落とすチャンスがなく撃墜方法はない。この前もアメリカはICBM迎撃実験していたが失敗だったという。イージス艦搭載の迎撃ミサイルの射程はこの半分もない、米本土東海岸向けなら飛行航路は北向きでシベリア越え、日本軍が撃ち落とすなどはユメの話になる。集団自衛権などと言っているが、こうしたことで、アメリカ本土東海岸向けミサイルは日本軍は堕とせない、西海岸向けでも堕とせない。ハワイやグアムなどの小さな出城向けしか何とかなるかもの位置になる。全世界に軍隊を展開してる米国をもし本気で攻撃するとするなら、何千ともいわれる出城基地は相手にせず、本土心臓を直撃する作戦を立てることだろう。げに貿易センタービルやペンタゴンをねらったではないか。人工衛星を飛ばせる技術があるのだから、ホワイト・ハウス直撃はできないかも知れないが、東海岸のどこかに落とすことくらいは朝飯前ではなかろうか。仕方がないわい、オマエらがそうしてきた報いというものだ。オマエらが生み出したオマエらの影である。自分の影が自分の光を完膚無きまでに破壊攻撃する愚を演じたのだ。袖志はもういまさら意味がない。


ミサイルが飛ぶとすれば、最短距離である。→
(Web上の地図に手を加えた)
日本を狙ったミサイルかと見ていたら、サンフランシスコ行きのミサイルだった、それを日本が打ち落とせないのはおかしい、とか右は、しかもかなりのエライさん人らしき者やトップまでが言うが、そうしたことはアリエナイことが、この「正距方位図法」の地図は教える。日本の真東はハワイだが、さらにそこから真東はカリフォルニアではなく、南米ペルーとチリの国境付近である。ペルーかチリ向けのミサイルを日本上空で撃ち落とすというならまだ理屈は通るが、カリフォルニアなどと考えていてそれを高官らしき者がテレビの前で得意そうにしゃべり、それを確認もせずに報道するというのだから、日本という国は全世界が泣いて笑うたいへんなみごとなスカタンアホ国である。ノーベル賞にアホ部門があればみごとな大発見と受賞できるぞ。
米帝東海岸心臓部を狙うルートの正反対の南回りコースをすでに「人工衛星」を飛ばしている、向きを180度変えて北回りにすればいいだけで、人工衛星よりもずっと楽な燃料節約コースである。カナダ国境あたりに迎撃ミサイルを並べたら、なんでしたら南回りでも攻撃てきますよ、西回りも東回りもできますよと人工衛星は語るもので、仮に日本軍が本当に迎撃できたとしても、別にアンサンの頭の上を飛ばないと行けないわけではありませんわいなと反対側に打ち上げられればどうにもならない。グアム向けコースなどは射程が短かった一時代昔の話で今はもう無用なものになっている。
(何も北朝鮮側がミサイルで先制核攻撃をするとっているのではない、そうしたことをすれば報復攻撃で完全に消滅してしまう。もしもアメリカが攻撃してきたなら東海岸はタダではすみませんよ、といっているというのである。それなら許されるかも知れないではないか、当然の自衛権反撃権であってそれをどこかの第三国が阻止すると息巻くのはおかしな話になりはしないか)。
ワタシは何でアメリカ向けのミサイルが日本の上空をを飛ぶなどという馬鹿げた話があるのか初めは理解できなかったのであるが、もっともポピュラーなメルカトル図法による世界地図が頭にあって言っているように思われると気がついた。なるほど確かにこれなら日本上空を飛ぶことになるが、しかしそう考えるのはかなりのアホだよ、中学生が笑う程度の頭しかないぞ、小学生のレベル。こんなモンが撃ち落とす撃ち落とすと集団自衛権だと本格的にアホを言っているのかと思えばおそろしくなってくる。
メルカトル図法は十分に狭い地球上の範囲を表示するのならよいが、グローバルサイズになると問題があって、角度は正しく航海にはいいが、最短距離を飛ぶであろう弾道ミサイルの飛行コースは正しくは表示しないのである。

米帝の誰かに言われたのを鸚鵡返しに言っているだけではないのか、もしそうなら米帝らしからぬええかげんな事をいう者のようで、かなり下っ端でないのか、さほどにしっかりした者ではなかろう、よく地図を開いてそのリクツが通るか検討してみろよ。それともそうしたことは百も承知で属国のバカどもにはわかるわけがなかろうと考えたか。
米帝としては属国に撃ち落としてもらうなどは何もまったく期待してはおらず、そんなことなどできるワケもないことはよく承知している、ただその領土を軍事基地として好き放題に使えることに本当の意義があるのであって、人殺しがしたくてしたくてしようがないが、ミサイルがどこを飛ぶかも知らないバカでしかない日本の一部の連中への励ましくらいのつもりで言っているのであろうか。
東海岸ネライはロシア上空を飛ぶ、西海岸ネライならスレスレを飛ぶ、属国がこれを撃ち落とすことはできない、ロシアが自分が攻撃を受けたと見て属国に反撃してくる、過剰反応をしてくるかも知れない。現在の迎撃システムでは撃ち落とすことはムリだが、仮にブート段階で核ミサイル撃ち落とせた場合は、そこで核弾頭が核爆発を起こしたり、爆発しなくとも核物質が撒き散らかされて核汚染が発生することが十分に考えられる。ロシア領の上空でそうしたことが発生すればどうした報復事態になることであろう。
ノモンハンや満州を思い起こせ、そんなことはないやろなどと分析が超頼りないうえに最初に逃げたアホどもの後裔が、どんな弾頭が打ち上げられたかを熟知しもしないで、撃ち落とせばいいんだろう式にやって他国の上空で核爆発なり核汚染なりを引き起こして「そんな気はなかった」などと言い訳しても遅いのである。仮に日本向けの核ミサイルであってもこうした事態が発生するかも知れず、爆発させないように、核物質が撒き散らかされないように、うまい具合にやらねばならない、アメリカとすれば自国向けの核ミサイルをここで撃ち落としてくれれば、ありがたいばかりで、集団的自衛権を迫るが、そのま下では撃ち落とすといっても超困難な問題が発生する。ミサイル防衛は米高官が言うように撃ち落とせもしないオモチャだが、配備するには膨大なゼニがかかる、仮に撃ち落とせるに至ったとしても、次はそれを打ち破る相手側のミサイルの開発がある、こうして際限もなく人殺しのための切れ目なく持続する軍拡競争が続いていくというアホなことになり、喜ぶのは兵器産業とその周辺の死の商人とその手代だけで、こうしたものに引きづり込まれれば納税者はゼニ的にも精神的にも人道的にも破滅となり、丹後のサルが「オマエラはサルにも劣るな」と笑うことになる。深く冷静に考えてみることもなくただ軽薄俗論的に情緒的に軍事の、ましてや核などの問題など扱ってはならない。ミサイル防衛やそのためのレーダーごときはますます世界の危機を深めるだけのものである。

米本土ねらいのミサイルは日本の上を越して大きくカーブする新型なのか。アメリカが堕とせない長距離ミサイルを属国軍がどんな迎撃ミサイルで打ち落とすのか全世界が見ておるぞ、やはり大バカだぜと大笑いされるぞ。日本がMD発射すれば、日本も交戦国である。それを見て日本ねらいの何百発ものミサイルが、どこの国から飛んでくるかも知れない。仮にアメリカ様を守れても日本が終わってしまうではないか。戦闘行為に入り、大量人殺しを始めるなどは一国の最高意志決定であって、米国が仮にせめられようが、それはまったくわが国には管轄外の話である。攻められたんか、ヨッシャなどと、交戦国でもない第三国が簡単に手を貸すなどがあってはならないことである。ナンボ属国根性が骨のズイまで染み渡っているか知らないが、たとえ隣で米艦船が沈められようとも、上空を核ミサイルが飛ぼうともそれは手をだせないのである。第三国には関係がなく人道上の救助くらいしかできない。第三国としては当事国の火を消すように努めるべきで、新たに火の手に加わるなどは許されない。
米帝は袖志よりもロシアとの関係を考えるがよい、だましてばかりきたので信頼がないのだろうが、反対方向の袖志にレーダーを置くよりも、ロシアとの関係改善の方がはるかに大事であろう。属国のように甘くはないので、己が侵略の恥ずべき歴史を深く反省しないことにはムリだろうが…

打ち落とせる確率はどれくらいあるんや、などと私はよく聞かれる、別にそんなことの専門家でもないが、なぜかそう聞いてくるので、0%やね、と答えている。ガクと肩を落とすので、高度1万メートルを飛ぶB29を射程3000メートルや5000メートルの高射砲で撃ち落とせないのと同じ理屈で、ホントに0%しかない、3000メートル以下を飛び、わざわざ高射砲陣地の真上を飛ぶようなマヌケ飛行機なら打ち落とせるかも知れないが、本命は落とせない。だから発射前に敵ミサイル基地にあるうちに攻撃破壊ができる軍事力を持とうという戦術が本気で考えられようとしている、と答えることにしている。
敵陣地攻撃能力を持という、こうした計画を立てる愛国者ぶった大バカどもが先頭に立って敵陣に突入して敵弾丸に当たって死ぬ気だというなら話はまた別だが、こやつらには何もそうした気はカケラもない、正直な腹ではこやつらの判断でもそうした必要などがないのである、やむにやまれぬ必要はないし、自分らが先頭立って死ぬ決意はみじんもない、そうした口先だけの大アホの呆けた火遊びごっこ「積極的人殺し主義」などは、やめておくのが正解であろう、こやつらの全員が本当に敵陣突入してみごと戦死してからでも何も遅くはない。いくさをしたがるような者はアホと昔から相場は決まっている。やりたければテメエが先頭で行けばよかろう。
日本をねらうミサイルなら移動式でどこから発射されるかわからない、トラックの荷台から発射できるため基地などは必要がない、先制攻撃するといっても敵基地そのものがどこにあるのやらだし、数もわからない、すべてのトラックの荷台や漁船の甲板など怪しそうなものを完璧に先制攻撃破壊できたつもりでも、イラクの米軍のようにオトリをやっつけて喜んでいたら、トンネル奥深くに隠れされた一発の本物がもし核ならそれで日本などは終わってしまう、相手もどこかの国のオンタイほどにはマヌケではなかろう、先制攻撃を受けるのを避けるためにミサイルは休むことなく移動させている、同じ場所にはない、一夜に三度は寝場所を変えるとかいう連中以上の用心深さ、ナチスのV2ロケットは貨車に積まれて移動した、英軍は1発も発射前に発見し破壊することができなかった。大型の長距離ミサイルは固定式かも知れないが、地下の頑丈なサイロに収納されていて、通常兵器では破壊できない、核でしか、それも複数個のメガトンクラスの核でしか破壊できない、本格的な先制核攻撃しか方法がない。大量破壊兵器の無警告先制使用ということでしか破壊はできない。先制攻撃などと強がってみてもやはりムリなのである、1発くらいやられても平気と思われる広大な国土を持ち国際的なきびしい批判などは知らん顔の厚顔無恥の本当のテロ国家以外は選択できない戦術である。それとも政府与党は真珠湾を繰り返して300万日本人の死も繰り返すのか、愚かとはこのことではなかろうか。
今年4月、ジュネーブで開かれたNPT=核拡散防止条約の会議で、核兵器は非人道的なものだとして、いかなる状況でも使用すべきではないなどとする共同声明が提出されたが、唯一の被爆国の日本はこの声明に署名しなかった。もうまともな被爆国、原発レベル7事故国政府とはとてもではないがいいがたく、日本政府と呼ぶのもアホくさい、もはや人類の敵、地球の敵のクソ国政府となっていまったようである。核開発しくさってのどこかの国をどのツラ下げて非難するのであろうのぉ。三流国の属国政府根性を丸出しにしくさって、そのココロザシの低さ、クソの方がましかも、ド情けない、ド恥ずかしい話である。相手の核は悪で、自分の「核の傘」はよいもの、相手の核が悪いなら自分の核も悪い、それすらわからないのか、愚か者のヨタ話にセンチではクソ虫すら笑い転げていよう。
東海岸にMDを配備することはロシアや中国との関係でできない、空はお互いにあけておかねばならない、核は相手がもっていなければ意味もあるが、相手が持てば意味を失う、何とか核開発を妨げようとするが、相手によってはそれもできない、自分が持っていて相手には持つなというのがどだいムリな理屈である、米帝でもどうにもならないところへ来ている。
何も日本だけではない、どんな軍事大国も弾道ミサイルに対しては空が空いている、無防備である、ICBMはどうもできない、核を持っていれば報復できるが、お互いの国土は廃墟になり、国民のほとんども死に絶える、交戦両国だけならいいが、無関係な地球全体もあぶなくなってしまう。核は使えない。日本もそれに倣えばいい、何もアテにもならないイージス艦とかで「防衛」することはない、無駄な超大金を誰のためにほかすのか、もっと大事なことにゼニは使おう。レーダーもイージス艦もいらない、無防備でよいし、あまりに近い距離のために実際はそうしたできはしない。軍事ではそうした限界があるものである。あとは政治屋どもよ外交官どもよオマエらがしっかりやれ(まあアリエナ~イか)。
しかしそれよりも、敵ミサイル情報は米衛星やこうした米高性能レーダー情報になるため、日本の独自判断などが入り込むすきはない、自動的に瞬時に米軍戦略に組み込まれてしまうことになる。発射されれば10分のかからず到達する、鉄砲の弾丸は音速少々くらいだが、中距離弾道ミサイルはマッハ10、テッポーのタマの10倍ものものすごいスピードと直径は1メートルにも満たないほどのコーン型の小さな弾頭なので迎撃が極めて困難な必殺の兵器である、ビンボー国のたいした技術力もない国のミサイルなどはたいしたことなかろう、日本の技術力なら簡単に打ち落とせるだろうなとど甘く見てはならない、これらの弾道ミサイルは元はソビエト製の、最新型ではないとしても、それでも米帝心臓を直撃可能な、米帝が震える優れもの、それをさらに改良したもので、ハンパなものでなく本当に必殺物兵器である。新たにあわててレーダー配備とか、MDとか言っていることがそれがスジのいい本物であることを証明している。
仮に袖志レーダーが瞬時に捕らえたとしても、隣国の近距離の日本を守るという対応にはへの役にもたつまいが、「発射されました」と首相をさがし報告したときにはもうとうの昔に着弾したあとである。開戦の決定といった国家の超重大事すら他国の決定になってしまう、憲法では禁じられているものが無視される、日本の自衛隊でなく米国の自衛隊とますますなっていく、これほども属国に落ちていってしまう。憲法改正して自前の軍隊を持つ、がどこかの政党などのネライのようだが、今再軍備すればアメリカの軍隊となってしまう、それより宗主国が横向けば改正もできない属国であることを忘れていないか。憲法よりもまずは安保破棄だろうが、政府や政権党がそれをやり遂げられるほどにはキモが据っているとは誰も見てはおるまい。
安保は今は1年ごとに自動延長されているだけだから、どちらか政府が終了通知すれば1年後には終了する。どこかの国が攻めてくるかもしれないから、アメリカに攻められて占領された国恥的デタラメ状態のままでいようと70年も我らは生きてきたのである。後世の史家は何と見ることであろう。われらは子孫に巨大な借金を残し莫大な放射能を残し、さらに対米従属も精算せずに残すのか。子孫はそのふがいなさを泣き、全世界から笑われつづけることであろう。
別に私がそう言うまでもなく自民党にだってそうした意見を持つ人もある。それは当然の話であろう。
外国軍が他国に駐留するのは戦争後の占領軍としてか、植民地に本宗国軍が駐留するか、侵略軍が他国に勝手に駐留するかしかない。他国の防衛の手助けのためにという話はない、仮にあったとしてもそれはそうした戦争下の一時的なもので平時にも駐留ということはなく危機がなくなれば同盟軍はすぐにでも引き上げるものである。平時にもかかわらず70年間駐留している日本の米軍はどれにあたるのか。敗戦後の占領軍の状態はもう昔に終わっている、あとは植民地支配のためか、侵略地支配のためかだけである。
本宗国が植民地に軍隊を大量に駐留させて、植民地の現地民に、これはオマエらを守るためにある、隣国が攻めてきたらどうする、オマエらでは守れんだろが、ありがたいと思えよ、基地くらいは提供して、駐留費もだせよ、たまには事故や事件も確かにあるが、文句はいうなよ。
ははぁー、ありがたいことです、ごもっともな話です、カッコーよろしいな、強いですな、いつまでもいつまでもここにいて下さいよ、レーダー基地が必要ですか、悪い国が攻めてきたら大変です、喜んで提供させていただきます。万歳、万歳。
これが政府与党、自治体やメディア、その他上層の多くの植民地民の多数派の呆けた情けない頭の中味のようである。彼らはそれでそれなりの利益を得ているので、何も文句などあろうはずはない。そして中国も朝鮮も日本の過去の植民地支配を喜んでいたとか、植民地支配の恩を忘れていやがるとか、同根の妄言も他方では吐く。自分と同レベルの呆けた腑抜け以外はおかしいと考えるアホウぶり、21世紀の地球上の人間社会ではかなりめずらしいのではなかろうかのイカレようである。
これはおかしいぞというのは、その国民しかない。言わないようなら本当に亡国で、属国化が完全に完了したことである。もっとも恥ずかしい「国家」が地球上に成立したことになる。
与党政権政治屋などが己が長年の怠慢と無能無策を深く恥じるのは当然として、やはり一人ひとりの国民もまた恥じねばなるまい。米比戦争後長く米軍が駐留したフィリピンは憲法改正して外国軍基地はおかないとし、巨大な米軍基地を完全に追い出した、イラクだって敗戦後7年にして完全に米軍を追い出した、米軍基地があるような国、独立性が怪しいような当然のこともできてない「半国家」はアジアでも多くはない、西の方がわからないが、東から東南のアジアで外国の軍事基地があるのは日本と韓国だけ、北朝鮮にも外国の基地はない、外国軍基地があるほうがおかしいのである、日韓に残された「ベルリンの壁」、日頃から世界一と自称する日本がなぜそうしたこともできないのか、いまだに独立なくもちろん自由もなく、差別と抑圧をうけているがそれにも気も付かず何もしようともしない、皆はたいへんなウスノロでなまけものか、ひょっすると世界一情けない不幸な国ではないか、しっかりしようぜ。
憲法を言えば日本だって武力を持たないと書かれているのであって、自国の武力すら禁じている国が、ましてや主権が何も及ばない、法の縛りのきかない、従って無法な、核超大国の武力を国内に腐るほども置くことなどは、明文にはないとしても、憲法の精神に明確に反するものであろう。法治国家などは言える道理もない。強い者が好き放題の国という恥ずかしい限りである。安保違憲の判決ができこともあったが、司法そのものが即刻に取り下げてしまった、憲法の番人でも国民権利の番人でもなく、なりふりかまわず米帝の番犬に成り下がっている。
国民の諸不幸の根底にはこの問題が横たわっているように思われる、アメリカが密かにゴーといえば汚染水垂れ流しでも原発が動く国だ。できないわけがなかろう、やる気ならできる、やろうではないか。根拠もなく問題には目をつぶりうぬぼれるは、身内でも見苦しい、クソ馬鹿馬鹿しい米軍基地は断固断ろう、人間として肝心な当然な当たり前の仕事をすんなりとやり遂げよう。
沖縄とか反米軍基地闘争を戦っている地には、スジガネの入った闘士もいることであろう、彼らの活用を真剣に考える時ではなかろうか。日本に不利な不平等条約を擁護し推し進めようとする連中に日本のまことの国益が守れたりできる道理はない、外国の利益を守るチミたちはその国にいってやれ、国内では非合憲、どうぞその国へ亡命してがんばってくだされ、改正憲法にはそう書こうでないの。
自民党の憲法草案に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」とある。自分自身がそれに該当するとは、ユメ考えてもいないのような幼稚な噴飯ものである。「他国の利益のため日本の公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と書けば皆が賛成するかも知れないぞ。



市長や知事の勝手な判断で受け入れるな、被害をうけるのはおまえらではない、市民投票・府民投票で決めようではないか。

参考
米帝ベタベタの属国政権、ベタベタの属国政府などがどれくらいに腐敗するか。米軍マネーで東南アジア随一の繁栄を誇った「アメリカの傀儡」といわれ続けて百万の兵隊がいた南ベトナム政権、アキノ氏暗殺のフィリピン政権、革命前のイラン王政政権はデモ隊に発砲して六千人の死者を出していたなどを思い起こしてみればわかる。
憲法はアメリカに作ったものだと言うなら、自衛隊もアメリカに作ってもらったものだ。私などが子供の頃は海自の艦船は米海軍の払い下げ船ばかりであった、これはアメリカの下請け軍だ、日本のもんではないな、と横目で眺めながら子供でも気がつき育ったものだが、その本質は今も大きくは変わらない。アメリカのための属国軍である。うしろだての米帝が手を引けば、国民の支持ゼロの外国からあやつられる傀儡で、うしろだての武力で成り立っているだけのものだから、アッというまに潰える。あそこらとは違うと思いたいが、下がり続ける投票率、、下がり続ける得票率、自衛隊でいえば、隊員の不祥事の多さ、それに自殺が多い、一般社会の2倍にもなり、イラク帰還兵は14倍にもなるという。すべて自衛隊の責任ではなかろうが、やはり異常な高さで何か内部に大きな問題を抱えていると見ないわけにはいかず、隊員の命すら守れない組織に国が守れるのかと言われても言い訳できそうにない。
それでもしっかりと属国先輩に見習いたいのがどこぞの国のバカどもである。安保にしがみつき、とうとう集団的人殺しをしようとまで言い始め、さらに国民から乖離し、さらに隊員殺しをしたいようである。
よその国のことだからよくわかるのかも知れないが、そのお仲間である自国ではどうであろうか。だからであろうか武力を持ちたがり強権支配をたくらみたいようにうごめき続けている。自衛隊の中にも立派な軍人さんも多かろう、時々の政権や一組織のためでなく、ひとつ国民にためにがんばっていただきたい。

 外務省の機密文書「日米地位協定の考え方」の全文。
不平等「日米地位協定」の外務省の「逐条解説書」であり、「運用マニュアル」だそうである。
そうした文書はないと外務省は言い続けてきた、外務省にも数冊しかないそうである、国民には決して知られたくはないもので無期限秘の文書であったが、「琉球新報」がすっぱ抜いたもの。
高級官僚というのは、普通の人間ではない、下々のことなどはまったく頭にはない。この文書を作成した人は、後に駐ロシア大使など歴任、モスクワに100億円をかけて3レーンのプールもある日本庭園つき新大使館を作った人物である。ゼーキンを何と考えているのかと、批判がでたが、計画通りに作られたという。そうした連中が支配する日本政府である。こんなものの下っ端だった連中にも周囲の連中にもそうした考えを当然とするゆがんだ遺産を残している。


『子どもがつづる丹後の歴史』(1980)
米軍キャンプ 丹後町・宇川小 五年 松田加奈子

 わたしはお母さんに米軍キャンプのことをききました。
 これはお母さんに聞いたのですが、お母さんの小さい時、あなもんじゅにヘリコプターがおりて、それをお母さんはおばあさんと見に行ったそうです。米軍キャンプの人が、いってはいけない所を話していたそうです。でもそのおばあさんは耳が遠くて、その話を聞かなかって、いってはいけない所にいったそうです。お母さんも小さくてわからずおばあさんについていったそうです。そしたら、米軍キャンプの人が鉄ぽうをもって追いかけてきたそうです。空に二はつだかうったのをおぼえているそうです。わたしはその話を聞いて、少しおかしかったけど小さいお母さんが米軍キャンプの人に追いかけられて、よくつかまらなかったなと思いました。それに、鉄ぽうをもって追いかけてきたのにおどろきました。

立て看板
歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目はマンザイとして…
マンザイと呼ばれたくなければ、もしかして自衛隊は日本国民を守るものでなく、米帝を守るものだ、などと図星を言われたくなければ、人家の上空すれすれに飛ぶような危険きわめっつけの後家作り機などは、そのよいレーダーで捕らえて、言うことを聞かなければ、即刻撃ち落としてくれよ。どの国の航空機であろうと危険なものはそうしてくれよ。何を遠慮がいろうか、わが国の神聖な領空ではないか。


米兵の起こした事件・事故は、Web上の資料によれば、↓
在日米軍が起こす事件・事故の数は、防衛施設庁が提出した資料によると、1952年から2007年までに公務内外で在日米軍が起こした事件事故件数は20万件、日本人が巻き込まれて死亡した人数は1、076人である。2010年に公開された外務省文書によれば、復帰前も1965年の時点で年間1000件に上っていた。また、1985年から2004年までに在日米軍の起こした事件・事故で軍法会議にかけられた者は1名で、懲戒処分者は318人である。これについて日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は「多数の事件・事故が起きているのに(二十年間で)軍事裁判はたったの一件。米軍の犯罪は野放しにされている」と述べた。
平和の時代に米帝に日本人が千人以上も殺されている、しかも野放し、隠されてきたのでいきなり聞くと、ウソでないの、と思えるような数値であるが、ウィキペディアが書いているのだから本当の数字なのだろう。特に性犯罪は飛び抜けて多い(氷山の一角しか見えてないだろうに、他国駐留米軍と比べて)、もう日本はまともな国とは呼べそうにもない。米兵は私人として遊びにきているのではない、公務できている公人である、大使館と同じように米軍基地は日本の警察によって守られている、彼らが公務中の公人だからである、その公人が起こした事件事故である。日本は彼らにカネも支払っている。実際ヒドイ、国外撤去を求める。
これから日本国民を守らないで、何から国民を守るというのか、北朝鮮や中国が千人も日本人を殺していたのか。日本人が敵意を抱くとすればどの国なのだ。何が安全安心が確認されたか、千人殺されているのに安全安心を確認したのか、何が集団的すなわちこうした米帝の配下に入る戦略的平和主義か、あほくさい。20万件以上にのぼり、死者千名以上になる、国恥的な数ではないか、愚かな情けない腰抜け時代だったと日本史には永遠に残ることだろう。われらが誇りとして世界に自慢しようではないか。
こうした事件事故だけではない、好き放題に飛び回って危険、騒音がひどい、空域を占拠している…などなど問題は山とある。政府は何もしてこなかった、そして子供達の道徳教育を政府がします、日の丸をかかげましょう、愛国心を持ちましょう。お前らには言われとうはない。やめてくれ。
同盟国に対してさえこんな国が敵対国にどんなことをしているかは想像がつくというもの。こんな国が日本を守ってくれるなどと正気で考えたりできるだろうか。

どこかの国がミサイル発射をすれば、負けてはならじとどこかの国の世襲首相では靖国参拝であった、秘密法に憲法改正だとさらにエスカレートさせる構えで、口先だけ白々しく平和を言う、プロの政治家だろが、よくそうしたネゴトが恥ずかしくもなくいえたものだ、ええかげんにせえや。愚かが過ぎる連中だと全世界は深く失望するばかりである。
アメリカばかりがワルなのではない、頼りないうえに自分さえよければいい、大切な時には必ず大失敗を繰り返し、ネゴトをいう、日本支配者もまたワルが過ぎる、危機管理能力ゼロ以下、素人丸出しの逆ギレのマイナス点しかとれないことがはっきりした、それを選ぶ有権者もまた同様のトラブル処理能力なしの欠陥を共有している。

私にはこのあたりには知り合いがなく、現地の動きはつかみにくい。舞鶴から行くと丹後でもこのあたりが一番時間がかかり、ここは「地のハテ」的印象で、何度と指折って数えることができるほどしかないのだが、だいたい周囲の人達も皆がそうでないかと思うのだが、米軍はだれも一度も来たことはないし、日本の現政権連中や自衛隊幹部なども一度も来たことがなかろう、一度も来たこともないこんな連中が皆さんの安全のためなどと言っても、アマエの頭はオカシイのかと笑ってやるのが正解だと思われる。
舞鶴地労協議長氏の出身は宇川の遠下で、世界最長寿記録者の木村じいちゃんの実家の隣りだそう。そんなことからかも、ボチボチとエンジン始動か。↓米軍基地いらんの歌ができたそうである。


丹後は日本のふるさと、世界のふるさと、たらんと努力している、つまらぬ物は作らんでくれ。そんなものは大都市に作れ。

その後の様子(2014.10.12)











工事をしているのはみなアメリカ人で、英語の会話がかわされている。彼らは「参拝者」か「関係者」か。それともドクソどもが寺の境内を軍靴で踏みにじっているのか。

以前は気がつかなかったが、こんな案内板がある↑。

参道にしけられている、二対あるがセンサーか。仏様の領域でどこのクソが何を思い違いして思い上がったか、これで誰様を監視するというのか。お寺の物とも思えないがまさか米帝が日本人を監視するものではあるまいな、いずれにしろこうした物騒物は仏の教え平和主義に反する、平和を求めて誰が参ってもいいはずで、誰かがそれを密かに監視するというものではない、何教だったかを唱え宗教の名においてあの戦争と人殺しをする集団と同類ではなかろう、いやしくも仏様の教えを千年も貫いているお寺の境内からは撤去を求めるべきではなかろうか。
「仏教のめざす平和は、『心の平和』を基軸としながらも『社会の平和』、そして『生態系の平和』の創出をも意味する」、とかある…、こうした時こそ時々の権力の愚かな意向に流されることなく、ワレラ仏教徒お互いにしっかりと平和主義の崇高な理念を思い起こしたいものである。お寺は平和を願って建てられているもので、それだからこそ尊ばれる、当サイトがよくわかりもしないのにたびたび寺院をとりあげるのは、そうしたものとして仏教圏では信じられてきたからである、もちろん曹洞宗だって平和主義だ。曹洞宗公式HP。上関原発の炉心が置かれる予定地にある神社のようなことは起きないようにして頂きたい。そうした施設のすぐ脇に核超軍事大国の基地が置かれるなどは普通は考えられそうにもない話であろう。
日曜日の朝9時半くらい。祭を見に行ったついでに参拝に立ち寄った。日曜日でまして祭礼日などは工事しないとかの取り決めもあるそうだが、こうした様子で半分驚く。そうした約束などは反故、三歩と歩きもしないうちに白紙になる。米帝は地元住民のクズどもとの約束、あんなアホくさいもん、上がそうしろと言うからしているだけで、ワシらは何も約束などする気はまったくない、と完全になめてかかっている様子で、米帝の本質がはっきりと見えそうである。
「丹後の地名」が言うことよりもアメリカや日本政府の言うことが正しいに決まっているだろが、と考えられた方々がほとんどでなかろうか、そうした根拠の思い込みを彼らはアテにしている、残念ながらも実際はこうしたことである。
原発もそうだが、こうしたものは建設が長引くと断念せざるを得なくなるケースが多く、反対住民側の体制が整わないうちにとカレラは急ぎに急ぐ。カレラにとってのチャンスはほとんどの住民が何が何だがわからないうちの前髪にしかないことをよく知っている。最初に「ちょっとマッタ」をかけられるか。首長あたりが少し検討させて下さいよ、国道一本ですら10年以上かかってるでしょ、基地建設が簡単に決められるわけないでしょ、とのらりくらりしてくれるかがポイントだが、即決強迫症なのか毒饅頭に飛びついてしまった。この出鼻の大失敗、やってしまったことは仕方もないが今後挽回できるか。住民の「大安心・大安全」などはもちろんアタマにはないし、安全対策なしでゴリ押ししてくることは間違いがない。まことに危険なことである。なにせ相手は米帝である、短期戦では勝てない、反対側としては超長期戦でのぞもう、アメリカのために丹後を破壊する、こんなあほくさい不合理がまかり通るわけはない、道路一本作るのにも10年とかかかる、しっかりした仕事にはそれくらいの時間が必要である、戦争準備のためのあわてた基地建設はあきれるボロだらけのおそまつにきまっている、しつこくしつこく相手の弱点をついて攻め抜こう、そうしてねばりぬけば必ず勝てる日が廻り来る。そう信じよう。


2014.7.30↓これも祭を見に行ったついでの参拝。基地予定地に入り込んだ形で残された従来の耕地。ここは借り上げできなかったよう。
耕作者は米帝相手に平和憲法下日本人としての根性を見せている。
「ヘイタイサン ススメ ススメ」となり、唱歌も「ヘイタイサンノオカゲデス」と歌い、学校へ行けるのも、ご飯を食べられるのも、勉強できるのも、すべては兵隊さんのおかげと洗脳されたそうである、70年ほど前まではそうだったのだが、原爆で気がついた。今はベイテイさんのお陰です、自国の軍隊ですら国民を守らなかった、まして他国の軍隊が…。もうスコーンと忘れてしまったそんな風潮の強い中でスゴイ。
近くに民家もあるが、誰もおられぬようで何も聞くことはできなかった。「天地に恥じぬ宇川であれ」と書かれたノボリがはためいていた。



この万分の一でも国や地方のリーダーどもに独立心があればと深く憂う。
「無用な混乱を避けるため」とかで属国・属府・属市などは重要な情報を国民に隠してやっているようだが、それでは米軍や傀儡軍には都合がよくても、国民の支持も協力も得られまい。早晩米軍ともども日本を追われるだろう。

2015.5.13の画像↓


無人の荒野であるかのような周辺の人々の人権を完全無視する米軍自身の無神経ぶりが米帝の本質をあぶり出している、ワレしか世界には存在していないのであろう。これで他国の他者を守るためと言っても信用する者はあるまい(属国などのその子分どもがそうした主張もまた当然にも信用はされまい)。
米軍に環境に配慮した静かなエンジンがないなら、低公害技術の先進国の首脳とやら、こんなクソエンジンは我国では使用できません、私の国の物を使って下さいと自国のその技術を提供するくらいのことはやれよ。どうしようもなクソしか我国にはいないのか、もう亡んでるのか。

《交通》



《産業》




袖志の主な歴史記録


『丹哥府志』
 〈 ◎袖志村(筒川庄の蒲入村の西)
【間王大明神】(祭九月九日)
【寿雲山万福寺】(曹洞宗)
【間王崎】
【畳岩】(出図)畳岩は凡三丁四方もある乎。担なる岩なり、其岩に縦横に経界ありて畳の如し。
【清涼山九品寺】(真言宗、袖志村の六七町西)
清涼山九品寺俗に穴文珠といふ、本堂に文珠菩薩を安置す。堂の正面に石灯篭三対、石灯篭の前に楼門あり、楼門の右に本坊あり。堂の右に子安地蔵及石の多宝塔あり、堂の左に稲荷の社あり。堂の後に数十丈の岩壁あり、岩壁の西の方海へ出る凡四、五十間、東の方は卅間余り、其東西相隔つ僅に八、九間、漸く入りて二間斗り舟を入るるに足る。其奥に穴あり、穴の広サ五、六尺、小舟に乗りて十四、五間斗りは入らるけれども、夫より先は入る者少し、穴の奥に文珠菩薩の仏体ありといふ、所謂穴文珠とは是を以てなり穴の深サ幾何なるを知らず、誠に文珠堂の前より地を踏て見るに二丁斗り先迄地下は空なる様にひびくなり。本堂に扁額あり、
高根より海原遠く見渡せば  いそ打波もはるかなりけり (権大納言実賢公の和歌なり)  〉 

『丹後国竹野郡誌』
 〈 (京都府漁業誌)
袖志部落は応永手間の頃には戸数二十余戸にして農業を営み居りしものゝ如し採藻業は天正年代より従事し居りしものならん元禄年間嘉兵衛なる者主唱者となり婦女七八人男子五六人を以て一団隊を組織し漁船に乗り他国の沿岸に出漁し婦女を海中に潜入せしめ海藻類を試採せしめしに収獲多く好結果を得しを以て部落のもの皆之れに倣ひ盛に出漁する事となり当部落の婦人始んど乙に従事せざるものなきに至り現今西は因幡国より東は越前国に及び沿岸の採藻は殆んど当部落専有の如き盛況に達せり享保年間の頃近村より漁業を見習ひ延縄漁業を開始し寛保年間部落共同にて越中綱を設置したりしかち好漁場ならず其後探藻業の外他漁をなさざりが文久二年間人村より漁夫を雇ひ部落共同にて漁具を新調し使用したるに成績良好なりしを以て継続して従事し居れり  〉 

『丹後路の史跡めぐり』
 
 〈 竹野郡は網野町、弥栄町、丹後町より成り、大陸との交通によって丹後ではいちばん早く開けた所である。
 丹後半島一周道路の白南風トンネルを抜けると雄大な海岸の眺めは経ヶ岬を境として美しい箱庭のような丹後松島へとかわる。

宇川の庄
  ひともとの茎四十里や白牡丹  蕪村
 俳人与謝蕪村も訪れて一句よんだ丹後の最北端経ヶ岬は、北緯三五度四六分二四秒、東径一三五度十三分三六秒の位置にあって、日本海の荒波にけずられた岩壁のひだがお経の本のように見えることからその名がつけられたという。
この岬の頂に近いところに、純白の優美な姿で立っている。経ヶ岬燈台は百万燭光の一級燈台で日本三燈台の一にあげられている。秘境袖志の村はずれに奇勝穴文珠があり、洞窟の中に文珠菩薩を祀っている。岩上の清涼山九品寺は本尊文珠菩薩を祀る真言宗の寺である。
 宇川は宇川牛の産地である。その飼育は千五百年前から始まるといい、文化年間袖志の小西権九郎の尽力、さらに二代目権九郎が明治二年但馬小代産の牛を飼育改良し権九郎牛の名声を生んだ。袖志に記念碑が建っている。
 一周道路から碇高原が美しく遠望され、その中腹の上山(うんやま)部落に吉野山上山寺(じようざんじ)の跡がある。
 上山寺は天応元年(七八一)隠岐国の佐々木弘成の請願によって、明法上人が開基した寺である。古代寺領も多くて盛大であったらしく、草むらの中に宝篋印塔、五輪塔、板碑などがたくさん立ちならび、佐々木定直の塚というのがある。発信貴山縁城寺の年代一記は、この上山寺の年代一記を写したものといわれる。
 上山寺を下った上野海岸にある高島には、日置高石寺址の、忍性律師が大阪天王寺の鳥居の残石で造ったという石地蔵と同じ地蔵が納めてあり、上野の六社神社は元四社であったが、木子、駒倉の両住民が社を鍋淵へ流し、それが宇川を流れて下りここについたので合祀したという。あゆの住む美しい宇川の清流はその源を野間に発し、平へ注いでいる。
 宇川の庄は一色氏の別館があったといわれ、宇川物語などという話が残っている。海岸地帯には縄文式土器が発掘されたり、住居跡が発見されたりしているが、古くから開けていた土地であることを示すものである。
 またここは伏見の酒造をささえる丹後杜氏の本拠として名高く、大正から昭和初期にかけての最盛期には、上方へ行く杜氏、蔵人が五百人にも及んだといわれ、丹後の百日後家ということばがある。丹後流?すり唄にこんな歌が残っている。
 丹後境の松尾寺に
 涙流さぬ者 はない
 丹後出る時きや涙が出たが
 宵に?(もと)あり夜中にやこしき
 朝の洗場がなけりやよい  〉 

『丹後町史』
 〈 袖志部落は応永年聞(一三九四~一四二七)、足利三代将軍義満職を辞し、四代将軍義持時代の頃は戸数二〇余で、農業を営んでいた。本部落の採藻業は天正年代(一五七三~一五九一)から始められた。天正元年は、武川信玄が織川信長を討とうと浅井、朝倉、本願寺と謀り、信長は上洛して将軍義昭を二条城に囲み、織田信長活躍の時代である。天正十年は明智光秀が信長を本能寺に殺害した年であることは、すでに明らかにした。
元禄の頃(一六八八~一七〇三)徳川綱吉将軍時代であるが、嘉兵衛なるもの主唱者となって、婦女七、八名男子五、六名で一団を組織して沿岸に出漁し、婦女を海中にもぐらして、海藻(てんぐさ等)類を採取した。収獲も多く、他の人たちもこれにならい、海女として活動した。西は因幡の国から東は越前の海浜に出かけ、専業として年収入も大きかった。当時としては異色のある計画であり、近海の人々の注目するところとなった。
亨保年間(一七一六~一七三五)八代将軍吉宗時代となると、近村の漁業を見習い延縄業を開始し、文久二年(一八六二)間人村から漁夫を雇い、部落共同して漁具を新調し明治から大正にかけて漁業の発展につとめた。其の頃魚族は豊富であり、漁民の生活も豊かであった。昭和年代、新しい漁法が進むにつれ魚族の数も漁獲高も激減し、延縄も一本釣も不振となって漁業一本では家計はむつかしい状態となった。乱獲によるためで、浅海漁業に力を入れ、とる漁業よりつくる漁業に切替え、鮑、栄螺、わかめの養殖などが現在工夫されつつある。
記録によると明治十三年戸数の六割を火災で失い、同十五年再び全戸烏有に帰する大火に見舞われ疲弊のどん底にあえいだこともあった。  〉 

『丹後町史』

 〈 航空自衛隊
経ケ岬基地
丹後後町尾和と袖志の両部落の中間、九品寺穴文殊境内に隣接して、航空自衛隊経ケ岬分とん基地がある。第三十五警戒群で、日本中部航空方面隊のうち、日本海方面の重要なレーダー基地である。基地は隊舎地区とオペレーション地区の二区からなり、隊舎地区は、丹後松島の風光明媚な岩場の上にあり、オペレーション地区は、それより五・五㎞の地点にあたる標高四五一mの岳山の頂上にある。オペレーション施没は、近代科学技術の粋が集められた施設であって、その性能は高く、網の目のようにわが国の領空を識別できる防空識別圏を受持つっている。他家真には隊専用の道路が完備し、その頂上は四方にひらけ、若狭湾西部一帯の海岸が一望できる。
この基地の南、一一〇㎞には陸自衛隊福知山駐とん地があり、南東九〇㎞の所に海上自衛隊(舞鶴)があって、訓練や業務支援等相互に緊密な関係にある。

基地の沿革
昭和一七 太平洋戦争たけなわのころ、舞鶴海軍警備隊経ヶ岬見張所が灯台近くに設置され、若狭湾を経て軍港に出入りする味方艦船を見守り、また海上と上空の敵を監視した。
二三 戦後米軍が旧海軍用地を接収し、経ヶ岬航空管制通信所としてレーダー基地を開設した。
二五 朝鮮動乱らより、同二八年まで一時閉鎖した。
二八 米軍レーダー装置を基地内の多用台に設置、またU・H・F装置を旧海軍用地に分散設置した。
三二 十二月十日から、自衛隊の一部が来て日米共同使用の期間となった。
三三 十二月米軍が離隊して、自衛隊に移管され、経ヶ岬分とん基地となった。
四一 四月新隊舎落成、基地は整備され、十二月岳山にオペレーションが新設された。
四四 三月、バッシ(自動警戒管制組織)運用開始。

基地の活動
この隊の任務は、対空警戒監視・対空管制・通信連絡の三つに大別することができる。国籍不明の航空機が、国際法規や航空法などに違反して、わが国の領空に侵入した時は、直ちに監視のレーダーでこれを捕捉し、追跡し、警告を発し退去を命ずる。応じない場合は要撃管制の体制がとられる。
常に領空内の航空機の機種の判別を行い、航空機の位置とその高度を監視して、その安全のために管制が行われている。航空救難の処置やまた救難のための誘導等適切な処置がバッジ方式によって行われる。海上Lにおける船舶の遭難についても空よりの救援体制がとられる。
全国二十数ヶ所のレーダー基地と共に、休むことなく、オペレーション施設ははたらいている。
航空自衛隊は領空侵犯に対する処置だけでなく、必要に応じて、防衛出動・治安出動の他海上の警備行動や国内の災害派遣など直接間接国の防衛と安全保持・治安維持に重要な任務を果たしている。  〉 

『丹後町史』
 〈 丹後杜氏の由来
宇川地方の農業経営は全般的に零細で、秋の取入れ後から三月迄は、農閑期となり、その上積雪期間で冬籠りに均しい状態であったため、出稼ぎが行われるようになった。
伝承によると、出稼ぎの初めは寒天造りで、遠く寛政年間から奈良地方へ足をのばしたとされている。しかし寒天造りの期間が短いため、期間の長い「酒造り労働」に転向したようである。
宇川地方の出稼者が、伏見地方へ入りこんだのは江戸時代の中期であったことが、伝えられている。安永七年に丹後宿仲間(江戸時代には口入屋とか宿とか呼ばれる職の世活屋が、独占的な権利をもっていた)が結成されており、宿の由来によると出稼者の中に丹後・越前・丹波・広島の出稼者が多かったとされている。又天保年間に丹後勝(文化一四年生)という若衆が、「唐臼屋」と呼ばれた米踏(唐臼で米を揚く作業)として伏見へ出ていたことが知られている。
明治一九年鞍内の、谷岡佐喜蔵翁が大和地方へ「唐臼屋」として出稼ぎにでているが、やがて水車動力の出現によって、米踏労働者は姿を消した。丹後の出稼者はそれ以前から「蔵人」として経験を積んでいた者もあったが、この期を転期として、殆んどが酒造りに進出するようになった。
丹後杜氏の技倆を発揮しだしたのは、幕末に近い、文久・文治・慶応の頃で、伏見だけでも二〇余那が出かけており、これと前後して、南山城・大和地方へと広く進出した。
宇川の出稼者の実直な性格と、忍耐強い行動力は、優秀な成果をあげ、明治一四年頃には約五〇余名と次第に増加し、明治末期から大正初期には、丹後杜氏として働く従業者数は三百名余を越え、大正末期から昭和初期には伏見地方の醸造界を牛耳るまでに発展し、丹後杜氏の全盛期を築きあげるまでになった。  〉 


袖志の小字一覧

村西(むらにし)、宮の成(みやのなる)、落倉(おちぐら)、文珠野(もんじゅの)、河辺(こうべ)、松け上(まつがうえ)、蛇ぬけ(じゃぬけ)、車口(くるまぐち)、大坂(おおさか)、上の山(うえのやま)、仏上(ぶちじよう)、三坂谷(みさかだに)、奥川(おくがわ)、尾山(おやま)、牧の成(まきのなる)、東山(ひがしやま)、力ゝむち、赤崎(あかさき)、岩谷(いわたに)、川東(かわひがし)、川西(かわにし)、鳥の上(とりのうえ)、寺の上(てらのうえ)、赤漬(あかづけ)、桐け谷(きりがたに)、かぎり、梨け谷(なしがたに、城山(しろやま)、栗阪(くりさか)、蜂けくぼ(はちがくぼ)、車谷(くるまだに)、本堂(ほんどう)、小森山(こもりやま)、川ふち(かわふち)、道下(みちした)、雲まい(くもまい)、戸立山(とだてやま)、左け谷(ひだりがたに)、池のたわ(いけのたわ)、細谷(ほそだに)、岩はぎ(いわはぎ)、子落原(こおとしはら)、こんば山(こんばやま)、竜登(たつのぼり)、三坂山(みさかやま)、ぬくい、長見山(ながみやま)、狼山(おおかみやま)、間の倉(まのくら)、かせはげ、横谷(よこだに)、亀石(かめいし)、屋次郎(やじろう)、倉け花(くらがはな)、伊根口(いねぐち)、そりじ、だけ、をとさわら、のち、休場(やすみば)、きど、岩け下(いわがした)、おてもち、つくりみち、ふくなご、よぼし岩(よぼしいわ)、経け岬(きょうがみさき)、たかいら、浦け谷(うらがたに)、けしま、舟くご山きくひら(ふなくごやまきくひら)

関連情報

当サイトの京丹後市域のページの中では、当ページの閲覧数が最も多い、すべてが基地に関心があって見ておられるとは思えないが、多くはやはり基地問題を見ておられるのではなかろうか。メディアが伝えないので当ページに集まるのかも知れない、しかし当サイトの情報量も申し訳ないが限られている、基地ではほかにはこんなページもあります。↓
米軍基地予定地「尾和」
オスプレー基地予定地「碇高原」(ウワサです)







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資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

 若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹後資料叢書』各巻
『丹後町史』
その他たくさん



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