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与保呂(よほろ)
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与保呂の地誌《与保呂の概要》 与保呂の舞鶴市の南東部。与保呂川の川上。古くは与保呂谷の全体を指すが、現在は一番川上の集落を呼ぶ。 古代は椋橋郷の地とされ、中世は倉橋庄。地名の初見は建長三年(一二五一)八月三日付の将軍(藤原頼嗣)家政所下文(朽木文書)に、 将軍家政所下 丹後国倉橋庄内与保呂村住人補任地頭職事 前宮内大輔平朝臣(光度) 右人、為彼職任先例、可致沙汰之状如件、以下、 延長三年八月三日 案主菅野 令左衛門尉藤原(二階堂行盛) 知家事清原 別当陸奥守平朝臣(原注・北条時)(花押) 相模守平朝臣(原注・北条時頼)(花押) 倉橋庄与保呂村の地頭職は平光度に補任された後、他流平氏により代々譲与相伝された。 享保年間は池ノ内代官の管下、与保呂谷の農民の生活はきびしく、享保一八年与保呂上村でも百姓二三人が連名で本年の古借返済の免除を願い出たが、年寄・庄屋・奉行所もこれを認めず、かえってその不心得をなじる有様であったといわれる。その後九人だけは納得して訴願を引っ込めたが残り一四人は最後まで強硬に上訴し、ついに不届きのかどをもって同年一一月一六日妻子ともに国外へ追放されたと伝える。 《人口》362《世帯数》111 ![]() 《主な社寺など》 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 『加佐郡誌』 〈 ![]() ![]() 『丹哥府志』 〈 ![]() ![]() 『丹後国加佐郡寺社町在旧起』 〈 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ↓与保呂水源池の付近 《交通》 《産業》 『倉梯校百年誌』(昭52)は、 〈 ![]() 私が明治四十三年に師範学校を卒業して赴任したのが与保呂の学校でしたが、子供達の家の三分の一は出稼ぎ家庭で、かわら職人や炭焼き、木びき、酒造りなどで……教育上非常に支障がありました。そんな村でしたが、軍港が出来てからは、父子が軍港に勤め、一家の収入が増し出稼ぎは消滅しました。その反面、今までその日暮しであった家が、三人も職工になると現金収入が非常に多くなり、地主であった人は現金収入か無く経済状態がだんだん逆転しました。男の子をたくさん持っている家が村屈指の家になり、わらぶきの家がかわらぶきの家に変って来ました。 しかし、軍港が廃止され困りましたが、一八○度転換して農業を非常に熱心にやるようになりました。 当時、七条通りは与保呂へ肥料を持って行く車が幾十台と通り、畠には野菜がたくさん出来ました。 その一例を挙げますと、門川さんと言う人は京都府で米収一位を取られました。今日では、出稼ぎもなく、裕福に暮し、私がお世話になった明治十三・四年頃と雲泥の差があります。 私の村、行永でも昔の地主は中流に下り、小作だった人が上流に上ると言う状態になっております。 全体として土地は少なくなったが、集約農業を行なに 不充分ですが農家の経済は非常によくなっております。 ![]() 与保呂の主な歴史記録《丹後風土記残欠》〈 ![]() 与保呂と号くる所以は、古老伝えて曰く、往昔、豊宇気大神之神勅によりて、此地に神人仕丁等を置かせらる。故に与保呂と云う。 ![]() 《注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録》 〈 ![]() □□□一段七十五歩 領家 延永左京亮 廿七町九段八十三歩 与保呂 小倉筑後守 卅一町六段百二歩 地頭 小野寺 ![]() 《丹後国加佐郡寺社町在旧起》 〈 ![]() 三ケ村に分れり上与保呂村、常村、木下村と云う。池姫大明神は三ケ村の氏神、鍵取し上与保呂、木の下村両村にあり。報恩庵余部雲門寺末寺禅宗なり。福聚庵行永竜勝寺(一色氏の菩提寺)末寺禅宗なり、三ケ村の寺なり。 ![]() 《丹後国加佐郡旧語集》 〈 ![]() 内六拾八石一斗九升四台七勺 万定引 十二石 御用捨高 報恩庵 雲門寺末 弥陀堂 池姫明神 与保呂 木之下 常村ノ 鍵取 田村甚兵衛 木之下村孫兵衛 ![]() 《丹哥府志》 〈 ![]() 【笶原神社】 笶原神社は今池姫大明神と称す。 【養老山報恩寺】(臨済宗) 【波賀隠岐城墟】 【三国ケ嶽】(出図) 【付録】(時岡源之丞城墟) ![]() 《加佐郡誌》 〈 ![]() ![]() ![]() 与保呂の小字与保呂 和田前 菅坂 鳥ノ道 才垣 宮森 国居 青路 竹尻 寺垣 立原 仲ノ坪 カセムラ 羽賀谷 ノリツ子 堀口 岸谷 桂 芦ノ町 廻リフチ コマリ山 熊ノ穴 竹谷 生水 滝ケ谷 矢城 大滝 黒栃 ゲナ谷 梅ケ迫 高ノス レンギョ 蜂カメ谷 大栗 長代 桐ケ迫 水タキ ツエガ谷 ハチガクボ 焼黒 シガ谷 関連項目![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() 資料編の索引
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『舞鶴市史』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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