丹後の地名

日尾池姫神社
(ひおいけひめじんじゃ)
舞鶴市与保呂

付録:舞鶴の桜名所:与保呂川の千本桜

与保呂川の千本桜:舞鶴医療センター横

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京都府舞鶴市与保呂

京都府加佐郡倉梯村与保呂

日尾池姫神社の概要




《日尾池姫神社の概要》

日尾池姫神社は舞鶴市の南部。東舞鶴市街地の東南部で与保呂川の上流にある。「与保呂行き」のバスの終点にある。----と書けばよかったのだが、このごろはバスは来ない。時代が進むほどにだんだんと不便になる。ばかげた時代とばかげた政治や行政を象徴しているような所になる。乗る人間の事などは何もまったく考えてはいないバスなのでしかたがない、初めて舞鶴へ来ましたという観光客は1時間もグルグルとあちこち運ばれて結局目的地には行けなかったというさすがに「観光の街・舞鶴」を象徴する、ただバス会社の都合だけで走っているというバスである、もし間違ってバスで来られた方は小学校のあたりから歩いて下さい、と言ってもその歩道もありませんが、上流へ向かって歩くこと1、2キロばかりで、欅の大木の森が見えてくる。「日尾池姫神社」と書かれた石柱がある。
単に「日尾神社」ともいう。旧村社で、祭神は天日尾神、国日尾神、天月尾神、国月尾神の四柱とされる。
日尾池姫神社拝殿

日尾池姫神社の祭礼

当社は「蛇切岩」伝説で有名な神社。ここもまた元は恐らくヘビ、倉部山(庫梯山・三国山)のヘビを祀った社と思われる。本来の祭神はヘビ。ここにいたヘビは岩に当って三つに切れた。その蛇の頭を日尾神社に、胴を行永の堂田宮に、尾は大森神社(弥加宜神社)に祀った。という伝説である。だいたいこの伝説はそのように膾炙されているが、ヘビは高浜町の青海神社へも飛んでいったとも伝わる。西に繋がる布敷や城屋の伝説とも何か通じて、与保呂の地名とともにかなり深く広く古代の謎を秘めている。現代人が単純に思いつくような甘い伝説では決してない。詳しくは
「丹後の伝説20」
「与保呂の里」
など参照して下さい。
あるいは式内社(笶原神社)ともされるが、残欠にも記載のある古社である。元々は裏山深くにあった鉱山神と思われ、下に降りてきて田の神、水の神へと性格を変えていったと思われる。祭日11月3日。太鼓が出る。境内には舞台があり、4年に1度、大刀振りや囃子がある。御輿巡幸も4年に1度行われる。

日尾神社(常新町)
尚、下の住宅地、常新町には「日尾神社」がある、これは当社を勧請したもので、この地も同じ信仰圏氏子圏になる。
御輿は本来は御旅所(元の鎮座地)へ行き神様を迎えてくるものだが、当社は見ているとぜんぜんそちら方面へは行かないようであった。



与保呂川の千本桜
与保呂川の千本桜:与保呂校付近
舞鶴の桜



与保呂川の千本桜:亀岩橋付近

与保呂水源池の桜
神社の周辺は桜の名所でもある。↑昔は与保呂水源地が桜名所だったが、もう古木になり、世話もわるいのか「たいしたことないで」といわれるようになった。
その代わりに河畔の桜並木がよくなってきた。このあたりから与保呂川のずっと海まで、桜が植えられていて、まことに美しい。美しすぎるのう。人間どもには美しすぎるのう。天の川に集う神々にのみふさわしのではと思えるような景勝を見せる。その数千本といわれ、舞鶴では最も多い。与保呂川の桜は一部安っぽいボンボリが立てられたりもしてるが、あまり俗ではないのでお薦めである。
与保呂川の千本桜:舞鶴医療センター横

与保呂川の千本桜:舞鶴医療センター横

与保呂川の千本桜:舞鶴医療センター横
↑与保呂川は国立舞鶴病院(舞鶴医療センター)の横手の桜並木がことに有名。
医療センター前の信号機のある交差点のわずか上流側。美女たちが座っている所が、現在の与保呂川では最高の位置で、値千両。ここの与保呂川河畔の道路2、300メートルばかりに60本の大きな桜木があり桜のトンネルになる。
景観の主役を務める桜はやはりある程度は貫禄を備えた大きな古木でないと無理なように思われる。昨日や今日植えたような若木や中年どころでは安っぽくなる。従って舞鶴の桜はここか、それとも瑠璃寺(吉田)だと私は思う。
河畔一帯も近頃は心美しいみなさんの大変な努力によって、こんな美しい所が多くなった。もう少し成長するのがたのしみな場所である。

↓♪高知の城下へ来てみんしゃい。じんば(爺さん)もばんば(婆さん)もよう踊るよう踊る…
こんなアトラクションも
↑♪土佐の高知の播磨屋橋で、坊さんカンザシ買うを見た…

坊さんだって人間じゃもの、桜の花咲く季節にはカンザシの一本くらいは買うかも知れんのう、じんばもばんばも曲がった腰でよう踊るかもしれんのう。
われらも生きたいのう、もっともっと人間らしく。



樹を植えると毛虫がいるとか枯葉が落ちて汚いとか文句いって切ってくれなどというのがいるそうである。あたりまえだろうが、クソしたり小便したり屁をこいたりお前さんもしてるだろうが、それでお前さんの首を刎ねるか。こんな人間どもの社会で樹を植えるのも大変なことであるし、さらにすぐ樹を伐ってしまうというおかしなクセが日本人にはある。できそこない現代人の傲慢病だろうかね。保健所(倉谷)に桜の樹があっていつも早く咲くので近所の人達は大切に思ってきた。それを駐車場にしたのか、何も切らいでもよいのに、簡単に切ってしまった。よく見てみるとテニスコートにしているが、テメエらの遊び場所のために桜を切ってしまった。市民は樹を植えて少しでも美しい町にしようと努力しているさなかに、ドアホ公務員どもときたひにはと、呆れ顔にウワサされていた。こういう手合いがまことに多いのである。ビョーキだね。せっかく植えてもこんなことではどうしようもない。たとえ自分の敷地内のものであろうが樹を切るのを禁止する法律を作るべきではなかろうか。樹齢何年以上、あるいは周囲の景観を形作っているような樹は切ってはならない。どうしても切りたいなら周囲の人々の同意許可がいるようにすべきであろう。(外国にはあるところもあるようである)

↓与保呂川千本桜
与保呂川の千本桜:常

与保呂川千本桜

与保呂川の千本桜

与保呂川の千本桜:常新町

与保呂川の鯉

与保呂川千本桜

与保呂川の千本桜:亀岩橋
↑↓ここが超美しいのだが、超危険。歩道などは当然のようにない、いつ殺されるかわかりません。気をつけて見学してください。
与保呂川千本桜

与保呂川千本桜

与保呂川千本桜

与保呂川千本桜

与保呂川の千本桜:川尻

亀岩橋のあたりが次の与保呂川の桜名所かと思われる。しかし私のオヤジの頃はこのあたりは狐がなく薄気味悪い所だったという、火の玉に追っ掛けられたの話もある、夜に一人でここを歩いて帰るときは、一人前の男でも、大声張り上げて歌いながら帰ったのだという。与保呂からみれば亀岩橋から先は「都会」だったそうで、村の娘は亀岩橋から先へ行ったら、都会だから危ない、誰とも絶対に口をきくなと強く誡められたともいう。

空撮カメラマン坂根正喜氏が言うところによれば、「与保呂はよいな。西舞鶴は桜がないデ。池内川は何もない。高野川も何もない。ワシ高野川に植えたろ。」という。そうだったかも知れない。舞鶴は案外に桜は多い。特に東舞鶴は多い。海軍さんが植えたものはそうないようだが、あるいは軍都としての唯一の正の文化遺産なのかも知れない。
与保呂川の河川敷
しかし与保呂川の川そのものに限っていえば、亀岩橋から上流は、高野川や池内川よりも人々の目が向いてはいない、すさんでいる、恥ずかしいので隠しておきたい情況である。せっかくの桜並木があるのに川の中をのぞけばゴミが散らかったままだし、河畔はイヌのクソだらけ、不燃物の大きな不法投棄のゴミだらけ。
主役の桜はよくなってきたが、脇役が弱い、共演者がない。土手は草刈りしてあるが、川の中は枯れた葦が伸び放題、自然に咲いた菜の花、どなたが植えられたか水仙。桜だけ植えればいいというものでもない。共演者や脇役がしっかりしないと主役もひきたちようがない。もう少し何か植えようではありませぬか。
それに↑せめてこれくらいの河川敷公園でもずっと整備されていればいいが、ここだけ、たったこれだけである。カネがないのかヤル気がないのか気も付かないマヌケなのか。学校の前や亀岩橋のあたりもしてもらいたいと願う。バラバラのその日その日のでき心の仕事なので統一性も整合性もない。桜だけあればいいのてはない。ああいつの日になれば本当の桜名所となることやら。
観光重点にしてと観光カンコーと大声あげて鳴く行政は口だけで実際はボランティアに丸投げで何も手らしき手を打ってはいない。もう少しは目を向け長期にわたって手を入れて予算化してやればぐっと良くなって日本一くらいにはなれそうな所もあるだろうにと思えるようなことばかりである。市民が望みもしないものにはバカ予算をつけるが、肝心なものは知らん顔のようである。
こんな花見会も開かれる
亀岩橋から日尾池姫神社まで与保呂には府道が通るが、しかしこれは道路と呼べるようなものではない。仮に道路と呼ぶならば、これは大欠陥道路である。歩道がまったくない。亀岩橋までは歩道が整備されているのに、何故ここからは歩道がないのか。車も人も一緒になって道路を行く、というより車が最優先なのである。大昔の道路ならそんなことであったかも知れないが、こんなに危険な事はない、文明国の道路では絶対にない。こんな人間をバカにした道路はない。どこを歩けと言うのか。路側帯の側溝のミゾブタすらまともにはないではないか。歩く人間やここを通学で自転車で通う中学・高校生などの事はテンから頭にはない、どうした神経の持ち主なのかとただ呆れるばかりである。何よりも通学の子供達や老人たちが危険である。府は与保呂の歩行者は死んでもいいと考えておるのか知らないが、桜見物の人達も困る。亀岩橋付近と菅坂橋(木ノ下橋)付近は特に危ない。おちおち桜などは見物できない。一日も早く整備させたい。将来的には道路の両側へ歩道を亀岩橋から日尾池姫神社までつくれ。与保呂小学校は通学路がどこにも一本もない。子供達は農道を歩く(農家は嫌がるが、それしかない)。こんな学校がどこにある。

この町は何かズレトルなと、よそから来た人はまず言うがその通りでせっかくのものが活かされてはいない。まことにもったいない話であるが、かみ合っていないのである、今の行政感覚では期待はできない。全職員に(全市民も)カメラを持たせて町を歩かせて写真コンテストをしてみろ、世界レベルの審査員を迎えて講評してもらい、一番には十億円でもやれ。そうすれば町のズレ、自分らのセンスのズレ、至らなさにいささかは気がつくかも知れない。自分で気が付かないような者には、よそから言ってもわかるわけはない。自分で自分の腐った感性を、世界レベルに鍛えてもらうより方法はない。そうしなければ世界に通用する町とはならない。−と思う。
千年椿(加悦町滝)




↑滝の千年椿にデジカメを向ける太田貴美・与謝野町長。
さすがだなあ、日々勉強される姿には敬服、いたく感銘を受け、一遍にフアンになってしまった。
この町は良い美しい町だけどさらに磨きがかかるのかなぁと思う。
何十年か後の舞鶴市長の卵(?)と記念写真。

 与保呂の桜は最近までは若木で実を言えばたいしたことなかったのであるが、最近上の写真のようによくなってきたようである。何十年も先を見て努力することは人間だけに出来る能力である。目先だけとか自分だけよければいいというのではなく、ぜひともそうした人間のみに授けられた優れた能力を発揮してもらいたいし発揮できる社会になればと願う。
「世界一美しい川」としてギネスに認定されるようご奮闘願いたい。

日尾池姫神社の主な歴史記録


《丹後風土記残欠》
 〈 日尾月尾社
与保呂里 本字仕丁
与保呂と号くる所以は、古老伝えて曰く、往昔、豊宇気大神之神勅によりて、此地に神人仕丁等を置かせらる。故に与保呂と云う。
日尾社 祭神 天日尾神、国日尾神、天月尾神、国月尾神四座。祭田(以下虫食)   〉 


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 与保呂村は
三ケ村に分れり上与保呂村、常村、木下村と云う。池姫大明神は三ケ村の氏神、鍵取は上与保呂、木の下村両村にあり。 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 池姫明神。与保呂、木之下、常村ノ氏神。鍵取 田村甚兵衛、木之下村孫兵衛。  

《丹哥府志》

 〈 与保呂上村。笶原神社(延喜式)。笶原神社は今池姫大明神と称す  

《舞鶴市史》
 〈 池姫神社 与保呂 木ノ下 常村ノ氏神」(旧語集)とも、「笶原神社は今池姫大明神を称す」(丹哥府志)とも記しているが、これはまぎれもなく日尾神社のことである。ただし、祭神を「天日尾 国日尾 天月尾 国月尾」の四神とする文献(丹後風土記残欠)もある。
 また更に、右の三社(註−城屋雨引神社、布敷池姫神社)創祀説話として、大蛇(竜)を殺害、または岩に封じ、その身体を分断して祀ったとするのもある。ただし、弥加宜神社の通称大森神社をオノ森として説話に付会したものであろう。
池姫神社の場合は、大蛇の死により「八面之鷹となる是志鳥明神也、体ハ池姫明神と崇」(旧語集・上根村)むとあるが、志鳥明神とは倭文神社のことである。
 これらの神社所在地は、高野川、池内川、与保呂川に接しており、寸断した大蛇を同一領域内に祀ったとする伝承の背景には、旧村落の相互連帯をうかがわせるものがある。さらに、際祀上の問題をいえば、右に述べた各神社の上流域に必ず伝承に関する岩が存在する。これらは雨引神社の場合と同様に、社殿際祀以前のより原型的な信仰形態として神の憑り代(磐座)であったと推測することができる。  

関連情報

超ヤバイ通学路(府道老富舞鶴線・菅坂橋)

危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)

死亡事故がないのが不思議なような通学路。菅坂川にかかる「菅坂橋」(「木ノ下橋」とも呼ばれている)。
右側の白線内の1メートルに待たない道が通学路になっている。小学校の生徒の90%以上がここを通学するのだが、縁石も何もない、子供を守るのは白線のみ。ここを通行するのは地元の車だけではない。
橋の右手(上手)に歩道橋を造ってはくれないだろうか。
昔から問題になっている箇所といわれるが、あと何百年すれば改修されるのだろう。

危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)

危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)

危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)
↓ここに歩道を出来ないのなら矢板鉄板を5枚ばかり渡してくれないか。
危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)

危ない!菅坂橋(舞鶴市木ノ下)

超ヤバイ通学路
「与保呂」



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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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