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丹波の

田歌(たうた)
京都府南丹市美山町田歌


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京都府南丹市美山町田歌
京都府北桑田郡美山町田歌

京都府北桑田郡知井村田歌

田歌の概要




《田歌の概要》
「かやぶきの里」より府道38号(京都広河原美山線)を5㎞ばかり遡った由良川上流の集落、集落は五波・下ン条・向条よりなる。この集落から奥は本格的な山地になる。
地名の由来は、氏神八坂神社の祭典に田楽の一種で踏歌の形式をとる祇園神楽を奉納することによるといわれる。
古代は弓削郷、鎌倉時代以降は知井庄。
田歌村は、江戸期~明治22年の村。知井12ヵ村の1。丹波国桑田郡知井庄のうち。慶長7年(1602)幕府領、寛文4年(1664)より篠山藩領となる、山林は享和2年(1802)より禁裏御料となり京都代官の支配を受けた。
明治4年篠山県、豊岡県を経て京都府桑田郡、同12年北桑田郡に所属。同22年知井村の大字となる。
田歌は、明治22年~現在の大字名。はじめ知井村、昭和30年からは美山町の大字、平成18年からは南丹市の大字。


《田歌の人口・世帯数》 57・29


《田歌の主な社寺など》

村内に八坂神社があるが、北にある八幡神社の氏子。

八坂神社

府道38号のすぐ脇、由良川に突き出た大岩の上に鎮座。
上流「田歌大橋」より。真ん中の木立の中↓

「田歌の祇園さん」として全国的に有名で、7月14日の祭礼には祇園神楽を奉納している。田楽の一種で踏み歌の形式をとるもので、最近全国的に知られているという。

-祭礼の様子-

ツアーが組まれているのか大型バスでもやって来る、全国的どころか全世界的で、ドイツとかの取材陣も来ていた。小さな村の小さな歴史でも、いかに大事な世界人類遺産かがわかる、ワレラとは何者か?大きな問いの答えはこうした所に保存されているかも知れない。
 神楽奉納行列は「宿」に当てられた民家を12:00ころに出発する。


このあと神楽殿で神楽が奉納される。あいにく雨が本降り、写す者には屋根はないのでもうムリとあきらめ、シャーナイ来年また来てみよ。


『美山町誌』
田歌の神楽 美山町宇田歌区平成三年四月十九日指定
 田歌の氏神である八坂神社の祭礼に行われる芸能で、天狗一、般若面の鬼二(子供)、鬘をつけ顔に隈どりをした奴三、ひょっとこ面でササラを持つひょっとこ一、女装で杓文字を手にするお多福面のお多福一、背に樽を負い頬かぶりをした髭面の樽負い爺一という構成で行われる太鼓打ちを主とする芸能である。少年がつとめる鬼の他は成人男子が担当するのが習わしであり、笛方そのほかの役とともに区で相談して決めている。
 神楽は、ならし、かぐら、さんぎり、にぎまくら、さんにん舞の次第から構成され、太鼓を乗せた神楽堂という小さな屋台を正面に据え。その前面に筵を敷き、これを舞台にして演じられる。最初の「ならし」は文字どおり腕ならしの意で、腕自慢の老若が入れ代わり自由に打つもので、このならしが終わると鬼、奴が一人ずつ「かぐら」の曲を打つ、次の「さんぎり」は二人の奴の太鼓打ちに爺が絡むもので、元気のよい奴とよぼよぼした爺の対照がおもしろい、「にぎまくら」は、まずお多福が登場、しなを交えながら芸打ちをみせる。そこへひょっとこが出て打ち継ぎ、更にお多福が入れ代わり打つという曲である。これで太鼓打ちが終わり「三人舞」が始まる。三人舞はひょっとこ、お多福、爺が演じるもので、三人がこの順で登場し、滑稽戯をみせる。腰の曲がった年寄が乙女に戯れるところが見どころの曲で、爺は巨大な男のシンボルを股間にぶら下げて出たというが今は省かれている。ひょっとこはササラ、お多福は杓文字と桴を手に持つところに僅かに神楽らしい面影がみられる。この奉納は八坂神社の拝殿で行われるが、祭礼は神楽宿の出立ちに始まる。正午過ぎに役の者どもが集まり支度が整うと神主のお祓いがあり、ひと囃子してから神社へと向かう。神楽堂を中心とする行列の先頭には天狗がつく。天狗は黒の衣に高下駄を瞠き天狗面をつける。俗に神主の付添いと呼ばれ御幣を奉持する。次に鬼、これは道払いともいい太い青竹を引きずり歩く。次が奴で一番目が草、二番目が蕾、三番目が花と呼ばれている。搶をふりつつ行進し要所で奴振りを演じる。その後にひょっとこなどが続いて宮入りし、祭典の後、神楽を奉納する。奉納が終わると同じように行列して宿へ戻り、これで祭りが終わる。しかしこの神楽宿は祭礼の間は神楽堂を奉祠し、一年後の宿送りまで預からねばならない。宿は一種のお宿所でもある。
 神楽の名をもつ芸能は府下に数多くあるが、芸能史にくわしい山路興造氏によるとそのほとんどは伊勢大神楽の流れをひく獅子神楽といわれている。しかし田歌の神楽は獅子をもたない神楽として大神楽の滑稽芸が太鼓打ちと結びついた形態であり、そこに大きな特色があるといわれている。名田庄の下村に同じような神楽が伝承されているので、ここから伝わったものかという説もあるが由緒ははっきりしない。祭礼は七月十四日で「祇園さんのお祭り」といわれてきた。(『京都の田楽調査報告書』及び『京都の文化財第九集』より)

ワタシの母親はその名田庄村下の出で、式内社の苅田比売神社はすぐ近く、その奥に曹洞宗の寺院がある。ここの祭に子供の頃、連れて行ってもらった記憶がある、獅子神楽があったような記憶はあるが、当地と似たような芸能があったかなー?。子どもでは記憶にはないが、あるのかも?
祖母は川向かいの中村の出だそうで、彼の地に親類の田歌サンがある。どういう親類になるのか不明だが、毎年年賀状が届く。


曹洞宗青竜山洞雲寺
八坂神社の川向いの高い所にある。付近に落差約15mの青竜之滝があるそうだが、どこにあるのかわからなかった。水量がないのか音もない。洞雲寺は永正元年嵯峨天竜寺の一白統公和尚の開基にかかり、臨済宗天竜寺末であったが、慶安2年焼失し、若狭国妙徳寺第6世怡山文悦和尚に再建されてより改宗。桑田郡33観音霊場の16番札所に指定され准胝観世音像を安置するそう。


『北桑田郡誌』
青龍山洞雲寺 字田歌奥の谷にあり。附近に青龍の瀑あり。後柏原天皇の永正元年八月二十八日、嵯峨天龍寺の一白統公和尚の開基にかヽり、同寺末臨濟禪宗なりしが、後光明天皇の慶安二年二月五日火災の爲に燒失せしかば、若狭國妙徳寺第六世恰山文悦和尚之を再建して曹洞禪寺に更む。明治十一年十一月傳法相績の允可を得たり。従来本郡には郡三十三所の観音を安置せるが、本寺はその第十六番札所に當り准提観世音の像を安置す。.


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


田歌の主な歴史記録




田歌の伝説






田歌の小字一覧


田歌(たうた)
野口(ノグチ) 建岩(タテイワ) 五波(ゴナミ) 平野(ヒラノ) 中茶本(ナカチヤモト) 奥ノ谷(オクノタニ) アンノ本(アンノモト) 西山(ニシヤマ) ケド谷(ケドタニ)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『北桑田郡誌』
『美山町誌』各巻
その他たくさん



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