丹後の地名 若狭版

若狭

日向(ひるが)
福井県三方郡美浜町日向


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福井県三方郡美浜町日向

福井県三方郡北西郷村日向

日向の概要




《日向の概要》
日向湖湖畔の北岸・東岸と、湾岸沿いの浜に集落が密集して立地する。典型的な純漁村で、日向漁港は天然の良港。本来大敷網(定置網)を主体とした漁村であるが、日向湖のハマチ養殖、釣客相手の遊船や民宿も盛ん。

集落の中ほどを日向湖から若狭湾に向かって北流する日向川に太鼓橋が架かる。
三方町気山鎮座の宇波西神社祭神が、太古日向浦へ垂迹し、日向国橋坂山の景観とよく似ているという神託によって、そこを日向と名付けたという伝承がある。当地にも橋坂山があり、同神は一時当地に祀られたことがあるが、その地は今も清浄の杜といい、元宇波西社を祀っている。当地の渡辺家は宇波西神垂迹のとき、太刀を持って供奉したので、出神(でがみ)氏とも称され、現在も宇波西社の祭礼では太刀を奉ずる役をつとめる。太鼓橋から西側をニシンジ、東側をデカンジョと呼ぶ。デカンジョとは出神庄であり、宇波西神社の祭神が渡辺六郎右衛門家の裏山の清浄森に祀られて、出神と呼ばれていたことによるという。
中世の日向浦。鎌倉期から見える浦名で、若狭国三方郡耳西郷のうち。文永8年(1271)12月29日の秦守高多烏浦立始次第注進状に「耳ノ西郷ひるかの住人」が日向浦を逃亡して須那浦に居たと見える。鎌倉初期に日向の住人が田烏の須ノ浦を開発したことを記す。この逃亡の時期は平安末期から鎌倉期のごく初期のことと考えられるから、当浦の成立は平安期にさかのぼるとみられる。文永2年(1265)11月の若狭国惣田数帳案には日向浦は耳西郷とは別に記してあり、田数は9町5反とある。このときには国衙領であったと思われるが、弘安年間(1278~88)に耳西郷が春日社領となり、当浦もこれに含まれて荘園化した。先の惣田数帳案の元亨年間頃の朱注には地頭として「伊賀式部大夫入道(光宗)跡」、および「伊勢前司跡」と記す。文保2年(1318)3月には日向浦の中太郎大夫が越前国敦賀郡手浦の塩釜を請けて気比社に5石の塩を納入するとしており、浦人の製塩活動が広範囲であった。南北朝期の観応3年(1352)6月に当浦の佐々田坊五郎右衛門尉は公事替として堺土の網場を日向浦早瀬方の刀禰などに去渡しており、翌月には当浦刀禰の但馬房俊海に佐々田寺住僧職が宛行われている。この頃までの日向浦は笹田と早瀬を含んでいたと考えられる。康安元年(1361)11月に耳西郷半分地頭職は京都の臨川寺が獲得し、やがて天竜寺も支配権を得るが、応永3年(1396)2月10日に臨川寺が若狭一二宮修理料段銭を免除された時の幕府管領施行状案には「耳西郷半分〈付日向浦〉」と記されて、耳西郷のなかでも日向浦は区別され始めた。特に郷の領家である春日社においては日向浦と早瀬浦は浦郷と称されて、興福寺大乗院門跡より興福寺伝法院に恩地として与えられていた。永享9年(1437)の算用状に、日向・早瀬両浦より年貢米13石5斗が納められ、そのほかに鮨用途・大豆・現夫・平夫が徴されている、現地で支給された米のうちに「御神楽船立」の米1斗5升が見える。寛正2年(1461)6月の日向浦貞弘名の宛行状に「奈良方御本所」に年貢無沙汰あるべからずとされている本所が春日社のことであろう。応仁の乱後は年貢不納となったので、春日社と大乗院は種々の働きかけを行い、延徳2年(1490)12月に幕府より春日社に渡付けるようにとの守護武田氏宛の命令が出されているが、その後の春日社側の動向は不明である。他方で臨川寺も庄主を置いて、戦国期の初め頃までは支配を続けている。戦国期には近隣の浦との海・山・網場の相論がしばしば起こった。常神半島の先端部の東側を赤石と称し、この地にあった赤石山は応永5年(1398)は興道寺領山と見えるが、文明15年(1483)6月に田辺宗清が「赤石山あと」(赤石山網場)を日向浦の弥六大夫に預けたことにより、当浦支配となっていた。しかし赤石山と赤石山網場をめぐって、大永年間(1521~28)には隣浦の早瀬浦や久々子浦と争っている。赤石の南に堺土(境戸)と呼ばれる漁場があり、これをめぐっても早瀬浦と繰り返し争い、天正15年(1587)には早瀬浦が請料を支払うこととされているが、文禄2年(1593)4月に早瀬浦が日向浦の網の前に大綱をおろしたとして浅野氏給人のもとで争われ、この争いは長びいたが文禄4年(1595)正月に木下勝俊は日向浦の支配を認めている。戦国期の当浦の漁業は、明応5・6年(1496・7)の頃当浦の三郎二郎が越前国今泉浦ではまち網を始めたとあり、当浦の漁業技術の先進性が注目される。天正~文禄期(157396には赤石の網代・あち代などとして領主に4,700文を納入して、文禄2年頃は浅野長政の小者藤若の知行地になっていた。慶長3年(1598)9月16日の日向浦名寄帳には47石5斗の高が記され、うち36石が田方であった。
近世の日向浦。江戸期~明治22年の浦名。小浜藩領。日向湖と水月湖を繋ぐ瑳峨隧道がある。これは三方湖の水位を下げるために造られた暗渠で、宝永6年(1709)に工事を始めて、多くの障害を克服して寛政12年(寛政1800)に完成した。日向湖に淡水が流入して魚類の養殖ができなくなるため、普段は閉じられている。
明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。明治7年当浦から笹田村が分村したどもいわれるが不詳。同22年西郷村の大字となる。
近代の日向は、明治22年~現在の大字名。はじめ西郷村、明治31年北西郷村、昭和29年からは美浜町の大字。明治24年の幅員は東西8町余・南北9町余、戸数173、人口は男508・女485、学校1、小船158。

日向漁港↑


《日向の人口・世帯数》 630・218


《日向の主な社寺など》

稲荷神社

氏神の稲荷神社で元旦板の魚の儀(包丁儀式)があるそう。
『美浜町誌』
稲荷神社
鎮座地…日向四七-三六。現祭神…倉稲魂命・金山彦命・素盞嗚命・誉田別命(応神天皇)・市杵島命・大日?貴命・蛭子命。例祭日…九月三日。境内社…恵比須神社・金刀比羅神社。氏子数…二〇〇戸(平成五年)
現祭神のうち倉稲魂命以外は、明治四一年の合祀による祭神である。社伝によると、天平宝字八年(七六四)京都伏見の稲荷神社を勧請したという。祝部制度による祭事は、年間十五度を数える。国指定無形文化財の水中綱引きは一月十五日(現在は一月の第三日曜日)に斎行される。社伝によると、江戸時代、日向湖と日本海を結ぶ日向運河に大蛇が現れ、船の航行を妨げたため、大蛇退治のために大蛇より長い綱を張ったという故事によるものという。この神事は漁民の安産祈願斎行の後、寒風厳しい中を大漁旗のかかる日向橋下の水中で綱を引き切る小正月の勇壮な行事である。社伝では江戸時代に起源を置くが、綱や縄を蛇に見たてるのは更に時代を逆上るものとみられる。


『三方郡誌』
稲荷神社 日向に鎮座す。
厳島神社。蛭子神社。山神社。共に日向鎭座。明治四十一年五月十五日、稻荷神社〔日向〕に合祀す。


「若州管内社寺由緒記」に「本尊薬師如来、上瀬大神の末社也」とある。同書によれば、宇波西神社の大明神は初めまず日向浦へ垂迹、日向国橋坂山の景色に似ているとの神託により当地を日向と名付けたと伝える。一時、当浦の出神家(現渡辺家)に祀られたのち、気山村に鎮座、その時出神家が御太刀持役、百姓6人が供奉したと伝える。4月8日の宇波西神社の祭礼には「おものもり」とよぶ日向浦の神事がある。今も同家の当主が先頭に太刀を奉じ、鮮魚の供をたずさえて日向浦から行列をつくり祭礼に参加する。


曹洞宗橋坂山長久寺(旧称:宗伝寺)

龍沢寺末で、同寺先麒和尚の隠居所という。
『三方郡誌』
宗傳寺。曹洞宗、日向に在り。龍澤寺末なり。もと遠敷郡今富村多田にあり、同村妙徳寺末なりき。永正五年妙徳寺五世臺山創立す。明治四十二年こゝに移し、龍澤寺末とす。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


日向の主な歴史記録




日向の伝説・民俗

水中綱引

1月15日に日向川で行われる水中綱引きは、川に張の渡した大綱を大蛇に見立て、青年たちが橋の上から水中に飛び込み、縄を切る悪病退散と大漁祈願を兼ねた勇壮な行事で、国選択無形民俗文化財。
日向水中綱引



日向の小字一覧


日向  雨谷口 長浜 笹田口 中江 仁屋加 松ケ崎 笹原 浦江口 出神上 東本町 別所 中別所 上別所 打落 中打落 上打落 日向口 苧口 島山下 島山口 島山道 日向道 猿林 歩行谷 惣田 気惣田 入江口 鴬谷 入江 入江田 東嵯峨 南嵯峨 西嵯峨 崩岳 南条越 条々越 小船島 小船鳩 北小船島 南峠下 中峠下 東峠下 南西町 北西町 西中町 中西町 中町場 橋坂 鳥越 岩岳 鐘 尻無郷 防山 臼坂 小船渡 新出原 大森 崩岳 嵯峨 入江 丸山 猿林 打落 別所 小波端 清浄森 参埋谷 笹田口 白壁 雨谷 松ケ崎 沖ノ馳 鐘ケ浜 猫眼端 高木 ナサキ 白柳谷 穗多賀 瀬島 赤石 アゴ端 福良

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『三方郡誌』
『美浜町誌』(各巻)
その他たくさん



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