芦渕(あしぶち)
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京都府福知山市三和町芦渕 京都府天田郡三和町芦渕 |
芦渕の概要《芦渕の概要》 旧三和町地域では一番福知山寄りに位置して、由良川支流土師川両岸の段丘山麓に集落が立地する。土師川左岸を国道9号が走り、北の福知山に向かう。 芦淵村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏郷14村の1つ。上芦淵(琴ケ瀬)・下芦淵(岡部)の2集落があり、本村は上芦淵で、下芦淵は慶長の頃出戸したものという。 明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。 芦淵は、明治22年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年1月1日より福知山市の大字。 《芦渕の人口・世帯数》 454・204 《主な社寺など》 王歳神社 「玉歳」とする文献もあるが、今の扁額には「王歳」と書かれている。よく見られる「大歳」のことだろうか。金属との関係があるのかも知れない。
臨済宗妙心寺派夢窓山広雲寺 中出の興雲寺を開山した福知山領主稲葉氏の家士回天和尚が老後当地に隠居し、創建したといわれる。
←境内の「念々像」 学童疎開の像と聞くが、新聞などでもよく取り上げられているが、詳しくはどうも何も史料が見当たらない。 《交通》 《産業》 《姓氏》 芦渕の主な歴史記録『丹波志』 芦淵村 氏神ノ南 是部下芦淵トモ云 綾部領 高貳百貳拾五石七斗ニ舛 民家九拾五戸 上芦淵ヨリ大川ヲ西エ越 京道筋ニ散リテ民家十戸有之 三軒屋ト云 又氏神ノ南ト云所古ヨリ本村也 又北ニ岡部ト云所 慶長ノ比ヨリ出戸 今下芦淵トモ云 『綾部市史・資料編』(丹波巡察記) 芦淵村 土性黎赭壌山野ハ赤壌ニ埴土ヲ混ゼリ 田方五町田段六畝余畑方二十七町三段四畝半 高二百六十五石一斗六升八合 家数百二軒人別 四百十五人牛六十五疋アリ 年々此ヲ売リ替ル ノ利益ハ上ニ同シ 当村ハ食物不足ニテ買ヒ入レテ食ヒ木綿モ足ラ ズシテ買テ衣ルト雖ドモ山林甚夕深ク炭ヲ焼キ 薪木ヲ采リテ売り出スコト日々五十駄ニ下ラズ 又大豆小豆ヲ売ルモ各四五十石ニ及ヒ蚕児ヲ飼 テ繭ヲ得ルコト二百貫匁ニ及ヒ茶モ三十駄許リ但 シ下品ナリ 麻椶ノ皮等モ少シ宛売リ且ツ又蒟蒻 玉モ六七十駄ツゝ出ズ 此ヲ会計スルシキハ少 ナカラザル産物ナリ 故ニ国君ハ必ス山川ノ神祇 ヲ祭ルノ古礼アリ実ニ国家ノ宝ナルヲ以テナ リ 故ニ此ノ村ハ食物モ足ラザル寒村ナレドモ 芦淵村 土性黎赭壌山野ハ赤壌ニ埴土ヲ混ゼリ 田方五町田段六畝余畑方二十七町三段四畝半 高二百六十五石一斗六升八合 家数百二軒人別 四百十五人牛六十五疋アリ 年々此ヲ売リ替ル ノ利益ハ上ニ同シ 当村ハ食物不足ニテ買ヒ入レテ食ヒ木綿モ足ラ ズシテ買テ衣ルト雖ドモ山林甚夕深ク炭ヲ焼キ 薪木ヲ采リテ売り出スコト日々五十駄ニ下ラズ 又大豆小豆ヲ売ルモ各四五十石ニ及ヒ蚕児ヲ飼 テ繭ヲ得ルコト二百貫匁ニ及ヒ茶モ三十駄許リ但 シ下品ナリ 麻椶ノ皮等モ少シ宛売リ且ツ又蒟蒻 玉モ六七十駄ツゝ出ズ 此ヲ会計スルシキハ少 ナカラザル産物ナリ 故ニ国君ハ必ス山川ノ神祇 ヲ祭ルノ古礼アリ実ニ国家ノ宝ナルヲ以テナ リ 故ニ此ノ村ハ食物モ足ラザル寒村ナレドモ 山附ナルヲ以テ斯ノ如ク産物饒カナリ 伝説『三和町史』 梨の木の狼 六人部の萩原から千束に通じる道は、土師川に沿った山すそのさみしい道で、梨の木あたりには五〇間位の断崖絶壁になった所もあり、人家は一軒もありませんでした。宮村(中六人部)に、まじめで正直な大工がおりました。方々から仕事を頼まれましたが、ある日、千束へ家を建てに行きました。一日の仕事を終えて、千束を出たときはまだ明るかったのに、つるべ落しの秋の日は暮れやすく、急に暗くなってきて、星明かりで歩いて梨の木までやって来ました、すると突然、狼の群れに出会って前へ進めません。恐ろしくなった大工さんは、枝の多い木によじ登って、狼の群をさけようとしました。狼の群れは大工さんが登った木のまわりに集まって来て、やぐちを組むように上へ上へと背中に乗り重なり合って大工さんの足下まできました。 大工さんの枝を持つ手は痺れ、足はふるえ、もう駄目だと諦めかけたとき、すかさず腰につけていた玄のうを取り出して、近づいてきた狼の頭をめがけて投げつけました。運よく玄のうは、一番上の狼に命中し、狼はど、どーんと落ちて土師川まで転がりました。すると、下の狼たちもこれに驚き、つぎつぎに下へ降り、どこかへ逃げてしまいました。 それを見て大工さんは、ようやく安心をして木から降り、山すその道を用心深く歩き始めました。ようやく自宅に帰り着いてみると、もう夜中になっているのに、大戸があいています。不思議に思いながら家に入りましたが、いつも、いそいそと出迎える妻の声も姿も見当りません。あんどんに火をつけると、黒いものが妻の手ぬぐいをかぶへて、ものすごい勢いで外へとひ出しました。 急いでふとんをまくって見ると、妻はすでに冷たくなって、あの世の人になっております。大工さんがあんどんを引き寄せてよく見ますと、そこらあたりに、狼の毛が散らばっておりました。大工さんは、今は亡き妻のかたわらで、一晩中泣きあかしました。 大工さんは、こんな運命になったのは、年中、山の木を伐っている自分に、山の神の罰か当ったのだとさとり、早速、山の神の祠を造り、お祀りをしたということです〔芦渕〕。 「梨の木の狼」は『福知山の民謡と昔ばなし』に採録されていたものを一部修正し収録した。 芦渕の小字一覧芦淵(あしぶち) 岩谷(いわたに) 車ケ瀬(くるまがせ) ウツギ 綿ノ谷(わたのたに) イセキ 梅ケ坪(うめがつぼ) 赤石(あかいし) バン上(ばんじょう) ワツナシ 広畑(ひろはた) 滝ノ下(たきのした) 琴ケ瀬(ことがせ) 橋詰(はしづめ) タカヤシキ 下田(しもだ) 大平(おおひら) 奥ノ谷(おくのたに) 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『三和町史』各巻 その他たくさん |
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