談(だん)
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京都府福知山市談 京都府天田郡上豊富村談 |
談の概要《談の概要》 和久川の最上流、豊住谷の最奥に位置する。地内を東西に走る国道429号線(佐治街道)と北へ分岐する府道526号段夜久野線の分岐点附近に集落がある。佐治街道をさらに西へ進めば枝村法用の集落がある。 談村は、江戸期~明治22年の村。「正保郷帳」では豊留村2、357石余のうちに含まれて当村名は見えない。「寛文印知集」は当村名を記す。「元禄郷帳」で豊留、「天保郷帳」では豊富を冠称する。福知山藩領。 明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上豊富村の大字となる。 談は、明治22年~現在の大字。はじめ上豊富村、昭和24年からは福知山市の大字。 《談の人口・世帯数》 117・58 《主な社寺など》 氏神は畑中の島田神社 臨済宗南禅寺派長安寺末法用山松林寺
『平家物語』の、 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。 当寺はその「沙羅の花」が咲くのだそう、六月末という。 《交通》 榎峠 地内法用の裏から「七曲りの榎峠」を越えると青垣町中佐治・山垣に達する。また一つ北方の梨木峠(車両通行不可、今はクマかタヌキ専用道だそう)を越えれば山垣・遠坂に至る。 以前は不道9号(福知山青垣)線だったが、今は酷道429号線となって倉敷から福知山までの200キロ超の一部である。峠道には、「幅員狭小のため大型車両通行不可」「これより先、幅員狭小3メートル、急カーブ半径6メートル、大型車両通行不可」の大きな立て看板があちこちに立てられている。普通車なら通れる、通行量はまずない。 今は寂しい峠道だが、古来、太平洋側と日本海側を、加古川と由良川を結んだ重要な街道峠で、海路を行くのでなければ、これら本州島中央分水嶺を越えて多くの人物が往来したという。今の道のようなジクザグ道ではなく、古くは屏風の急斜面をまっすぐに登り降りしただろうから、牛馬も往生するようなものであったと思われる。榎峠や穴の裏峠ばかりでなく、古来この分水嶺を越える峠はたくさんあったが今はほとんどが廃道の状態。 《産業》 《姓氏》 足立姓 法用は峠の向こうの古来佐治・遠坂方面と関係が深い。佐治・遠坂は、鎌倉時代にその地方へ派遣されたという足立遠政の子孫を名乗る者が多く、一帯に足立姓が多いが、法用も全戸足立姓である。江戸期以降、佐治・遠坂方面との間に婚姻が多く、言葉も非常に類似しているという。 この足立は今の東京都足立区、武蔵国足立郡の足立である。 『氷上郡志』
『福知山市史』
談の主な歴史記録『丹波志』
伝説談の小字一覧談(ダン) 芦ケ谷 赤岶 合田 今井腰 石橋 岩上 大杉 大田 大スヘ 奥法用 カツラ谷 黒石 小法用 境川 下川 関上 談アソ 椿井 寺井 寺谷 峠 長尾 ヒツ巡 古川 細岶 松尾 ムクロジ 湯舟 ユリノ下 杉釜 大杉 奥法用 大スヘ 木ノ丸 黒石 談アソ 寺谷 長野 畑方 深山 太西 松尾 松葉谷 杉釜 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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