市寺(いちでら)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都府福知山市市寺 京都府天田郡福知山町市寺 京都府天田郡下豊富村市寺 |
市寺の概要《市寺の概要》 弘法川の上流部で、南に室山(市寺山)がある。その前面台地の西南部に位置する。 当地にはかつて大伽藍を誇る寺院があったという伝えがあり、地名はそれに由来すると思われる。威憧寺廃寺との関係は不明。朽木氏が入部以後、当村を含めた近隣六ヵ村の地に新田が開発されてた。 市寺村は、江戸期~明治22年の村。福知山藩領。正明寺村の枝村。明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同16年正明寺村から分離した。同22年下豊富村の大字となる。 市寺は、明治22年~現在の大字。はじめ下豊富村、昭和11年福知山町、同12年からは福知山市の大字。 《市寺の人口・世帯数》 104・43 《主な社寺など》 熊野神社 「市寺の毘沙門さん」と有名なようで、道案内の看板もあったが、4トンか2トンかダンプがその道を入っていく、どうやら工事中らしくナビもその道が赤色になっている。この道で鉢合わせするとどうにもなりそうにないので行ってみるのはやめた。 威憧寺廃寺の四天王像が残っており、そのうち毘沙門天の信仰が厚く、毎年2月朔日には参詣者が多いという。
威憧寺跡
弘法川の最上流をイトウ谷というのだそうである。下の小字一覧の「ウトフ谷」のことであろうか。 《交通》 《産業》 《姓氏》 市寺の主な歴史記録伝説市寺の小字一覧市寺(イチデラ) アサ 井根口 稲場 □ケ谷 イナバ イガシリ 川畑 カセケ端 田中 谷畑 柵原 竹之下 滝之上 野畑 ムセノモト 山添 湯口 六地蔵 埜畑 ウトフ谷 山副 イ子ロ ウトフ谷 坂山 関連情報 |
資料編のトップへ 丹後の地名へ 資料編の索引
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Link Free Copyright © 2015 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com) All Rights Reserved |