小牧(こまき)
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京都府福知山市小牧 京都府天田郡上豊富村小牧 |
小牧の概要《小牧の概要》 和久川の支流小牧川の最上流に位置する川沿いに府道526談夜久野線が走る。 小牧村は、江戸期~明治22年の村。「正保郷帳」ては豊留村2、357石余のうちに含まれて当村名は見えない。「寛文印知集」は当村名を記す。のち「元禄郷帳」で豊留、「天保郷帳」では豊富を冠称。福知山藩領。枝村に峠の麓の下戸がある。 明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上豊富村の大字となる。 小牧は、明治22年~現在の大字。はじめ上豊富村、昭和24年からは福知山市の大字。 《小牧の人口・世帯数》 88・39 《主な社寺など》 武神社 円住寺の後にあるが、石の鳥居だけで、社殿はどこにあるのかわからなかった。もっと上の方にあるのかも知れない。村の氏神は下流畑中の島田神社という、この社は円住寺の鎮守だろうか。
曹洞宗古鏡山円住寺
烏帽子山城 下戸とその南方の兵庫県氷上郡青垣町字山垣(やまがい)との境の烏帽子山(512.5メートル)の山頂にある。この山も本州島の分水嶺で、まるで屏風を立てたような嶮しい山。
上豊富地区では赤井悪右衛門直正の居城と伝えている。 同書氷上郡の古城の部には次のように記されるという。 古砦跡 山垣村 東ニ当リ天田都下戸村境ニ烏帽子山ノ頂ニ、当村ノ足立氏ノ遠見場所在、天正年中ニハ赤井悪右衛門直政ノ持城ナリト云、上ノ平三十五間斗、横三四間宛ノ平ナリ、中ニ二所堀切アリテ三郭也、水ノ手ハ天田郡下戸村ノ山原七八分ノ所ニ岩間ヨリ涌水有、山垣ノ方山表ナリ、廿五町アリ、西ニ当弐拾町斗尾続ニ少ノ段有、字ノ馬カクシト云、天正ノ乱ニ山ヨリ女一人落来テ、天田郡談村ノ内法用谷ニ被討ト云、此首ヲ姫荒神ト号シテ小祠ハ祭ル、胴ハ山垣ヱ引テ、大深山根ニ荒神ト祭リ、凡拾五間四方ノ森アリ、烏帽子山ノ頂ヨリ、京愛宕山、南ハ氷上郡佐治郷村里見、乾ニ天田郡ノ村里夜久ノ野見エ、若狭松ノ尾ナト見ユ、当国鬼ケ城且御嶽山見エ、此城山絵図アリ、両郡境ニ有山ナリ、 「烏帽子山城跡」 小牧も駒城と書く所もあるが、あるいは高麗城の事かも知れない。 《交通》 ユズリ峠 府道526(談夜久野)線が集落内を走る。同府道は江戸期は夜久野方面から福知山への近道として人通りも多かったという、但馬方面から夜久野を経て、福知山へ通じる近道であり、享保19年と万延元年の百姓一揆の際は夜久野の農民が大挙してこの峠を越えたという、左手の山道だろうか。以後は荒れて車の通行は不能であったが、今はトンネルが開通してスイスイ。ブンメイの力だ。手前が下戸、トンネルを抜けると夜久野町千原。 《産業》 下戸はユズリ峠の麓に位置し、江戸時代から大正頃まで芦田家の茶屋蓮華湯屋があり、家伝の婦人薬「蓮華湯屋」を製造していたという。 小牧の主な歴史記録『丹波志』
伝説小牧の小字一覧小牧(コマキ) 天栗 庵ノ下 アカサカ 泉谷 大田 岡安 ヲカ 勘前田 神子田 カシワ 黒石 クルビ谷 糀ケ端 コモ池 下ケ市 正垣 シン上 谷口 滝谷 タルミ 土橋 椿ノ本 寺谷 峠谷 堂谷 中ノ谷 中ノ坪 永田 西ケ原 ノウ谷 林サキ バタカタ 檜本 日ノ谷 日焼田 広畑 飄谷 百丁田 古川 二町田 フロ谷 フルヤノ谷 平クゴ 細田 保正島 防ゲタワ 松岶 メイカタワ 門ケ市 モリ 弥助田 峠 烏帽子山 下ケ市 高畑 寺谷 峠ケ谷 中ノ谷 烏帽子山 日ノ谷 飄谷 防ゲタワ 万燈 小サキ 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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