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丹波の

雲原(くもばら)
京都府福知山市雲原


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京都府福知山市雲原

京都府天田郡雲原村

雲原の概要




《雲原の概要》

福知山市の最北端で、南西端に三国山(577m)があるが、丹波・丹後・但馬が接する国境の山間の村である。中央を天座(雲原)川が東流、集落は200~380mの高地にある。古くは丹後国与謝郡に属した。
北方の与謝峠(現在はトンネル)を越えると丹後国与謝郡の加悦谷へ、西の神懸(かんかけ)峠を越すと但馬国出石郡に達する。地内を走る国道176号線は古代の山陰道丹後別路で、花浪駅から当地を通り、加悦谷の勾金駅に出たと見られる。
与謝トンネル↓ 与謝峠は右手を登る、越えると加悦谷に出る。
与謝峠
本願寺三世覚如は貞和四年(1348)に、天橋立を訪れるがその途次雲原を通った。「慕帰絵詞」、
 貞和四年卯月初比法印都を出て、聊路次に逗留のことありておなじき中の四日、年来ゆかしくも見まほしく思ひわたり侍る丹後の海橋立に赴に、みちに雲原といふ深山の中にて郭公をきゝて、
はるばると葉山のすそにわけいれば木しげきかたになく時鳥

与謝峠は西国三十三所観音霊場の巡礼道でもあった。二七番播磨国書写山円教寺より夜久野の直見谷を北上して但馬国久畑を通り、神懸峠を越えて当地に至り仏谷の与謝峠を越え府中の二八番成相寺に達した。
雲原村は、江戸期~明治22年の村で丹後国与謝郡のうち。宮津藩領。寛文6~8年と延宝8年~天和元年は幕府領。
宮津藩は当村に番所を設置し、半年交代に藩士を派遣して通行人の検問を行った。番所役人は郷人を集めて武術を指南したり経史を講じていて、当地の文武の気風に著しいものがあったという。
明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年市制町村制により単独で自治体を作った。
雪原村は、明治22年~昭和30年の自治体。はじめ与謝郡、明治35年からは天田郡に所属した。大字は編成せず。同年福知山市の大字となる。
雲原は、昭和30年~現在の福知山市の大字。


《雲原の人口・世帯数》 292・130


《主な社寺など》

仏岩
地内の仏谷には麻呂子親王が鬼賊退治を祈願して七仏薬師を刻んだと伝えられる仏岩がある。
丹後らしく麻呂子親王伝説が残る。与謝トンネルの西側、江笠山に向かって登った所にあるという。
仏岩
府城の西六里余、与謝郡雲原村の内仏谷といふ所、道の右山の年腹にあり。道より通に見れば一丈許の竪岩lこ見ゆる形立像の仏に似たる故名付しにや、俗説に金麻呂親王此岩の上にて仏を彫刻し給ふゆへに名付くといふ。
(『宮津府志』)

八幡神社
【八幡宮】(祭八月十五日)
(『丹哥府志』)

村社 八幡神社 雲原村小字八幡山鎮座
祭神・応神天皇
草創 応永十九年(二〇七二)八月十五日、畠山重忠の斎此に来り栖む、其子孫の草創とす。
祭日・十月十五日。氏子・百六十二戸。
祭式 往古より最も厳粛にして村役人、氏子総代其他何れも「カミシモ」着用して御輿に供奉扈従セリ、此風今猶存素。
(本社の外に、十二神社あり、一千有余年の草創ににして天神七代地神五代の神々を奉祀す、所謂十二所権現ナルか、氏子二十五戸あり)
(『天田郡志資料』)


臨済宗妙心寺派宝珠山龍雲寺
龍雲寺(雲原)
本尊は聖観音、開山一笑は大呂天寧寺の中興開山愚中周及の高弟。永享年間(1429-41)の創建と伝える。
【宝珠山龍雲寺】(臨済宗)
(『丹哥府志』)

福知山市大呂・天寧寺末寺
宝珠山 龍雲寺 (臨済宗) 雲原村小字寺谷
 本尊 聖観世音菩薩
 創建 永享年間(二〇八九-二一〇〇)本堂再達文久元年(二五二一)庫裡再建天明元年(二四四一)
 開山 一笑和尚(二世愚庵和尚は臼隠の印可を得たら高僧なりと云、近世禅林憎伝、仏家人名辞書に出てたりと云)
 檀家 二百戸
 財産 田一町二反八畝廿歩、畑二反八畝十四歩、山林八反一畝十二歩、祠堂金一千六百円、基本金百六十円
    又村有林の一部を貸与して大正二年に、参千本の杉、扇栢を種栽せり。
(『天田郡志資料』)


《交通》


《産業》


雲原の主な歴史記録


伝説
仏岩、鬼童、力士・君ヶ嶽大五郎

『丹後旧事記』
雲原里。両丹の境に雲原郷成魔村と云伝ふ山家有千丈ケ嶽の山裏にて酒呑童子へは二里半あまり彼兇賊退治のこと終りて国々所々より盗取し人の妻子成もの銘々本国へ帰し玉ふ中に一人狂気の女ありて帰る所を知らず久しく此雲原の里に居残り民家の門の先に立ちて食を乞ひ相住事十七ケ月を経て一人の男子を生めり。此男子生れ出ると歯生か髪たけにのびて物いふ事大人の如く立居自在にして力強く酒呑童子が種を身に宿せしなりと俚民恐れて云て曰くもしかかるものを殺し侍らば酒呑童子の霊出て一村に仇をなさんと鬼童子と名付て十一歳の春まで養ひ育てけるが生れ出るより力大人に勝り大石大木を以て猪猿を殺し引裂食ふことの人に替り荒牛の吼るごとくなれば俚民恐れて食をくれざる故鬼童にもすべき様なく山に篭り川に遊び有けるが終に此里を立退行衛知らず成にけり。其後鬼童子成人して父が敵は源頼光なりと付ねらひけるとかや又都の市原野にて牛の腹に隠れ居て頼信をさして搦とられし事諸軍記に見えたる如し此鬼童子が母は或御所に仕へし女房にて酒呑童子が盗みし美女の中にもまたとなき姿形なりけると永井増補府志に見えたり。

『丹哥府志』
◎雲原村(与謝村より与謝峠を越て雲原村に至る凡一里余三但の境なり、是郷僅かに数村、よって別に部分を設けず)
【八幡宮】(祭八月十五日)
【宝珠山龍雲寺】(臨済宗)
【鬼童】【鬼童】増補府志云。三但の境に雲原といふ一郷あり、千丈ヶ獄の西南に当り、雲原より鬼の岩窟に至る凡二里餘源頼光既に夷賊退治の後国々より捕われ来る婦人女子の輩各々故郷に帰る事を得たり、然るに一人の婦人狂気となり故郷を忘れ雲原の里に留り、民家に食をくらふ。是歳の秋其婦人男子を産む。其子生れながらに歯尽く備わりてよくものいふ、七八才の頃より力人に勝れ毎に石をうって猪子猿などを捕り裂て以て之を食ふ、元より一郷の人実に鬼の子なりと怯れたれ共、かゝる者を殺しなぱ祟にもならめやとまづ其儘に拾置たり、され共日夜に遠ざけて遂に食も與へざれば頓て鬼童も其處を去ていづれの處にか行にける。其後都に出て頼光は父の敵なりとて毎に之を討んと図る、一日市原野に於て死牛の腹にかくれ将に頼信を害せんとす、頼信早く之が備をなし、遂に之を捕ふ事は野稗史に見へたり。抑鬼童の母は伊豫掾経友の弟経成の女にして或堂上に仕へし女房なり、酒顛童子の捕へ来る婦人中の美女なりとぞ語り伝ふ。
 【付録】(諏訪大明神、権現社、地蔵堂、観音堂、薬師堂、十王堂、毘沙門堂)
【山谷】
【西石】
【仏谷】
【仏岩】(伝は同郡栗田の庄、成願寺条下に出す)

『丹哥府志』
【医王山成願寺】(曹洞宗)。医王山成願寺は麿子皇子の開基なり。本尊法界勝恵遊戯神通如来は則皇子の彫刻する處なり。縁記曰推古帝卅三年麿子皇子勅を奉じて三上山の夷賊を征伐す。始皇子丹波の国篠村に来る頃人の馬を埋むるを見る、皇子心に誓わく此行若し利あらば此馬必ず蘇るべしといふ、忽ち其馬土中に嘶けりよって皇子之を堀られむれば果して駿馬なり、此處を今馬堀といふ。皇子此馬に乗て生野の里に来る。是時八旬の老翁皇子を迎て白色の犬を献ず。此犬の頭に明鏡を戴く、後に犬鏡大明神と祀る。皇子此犬を嚮導として丹後国雲原村に至る、於是皇子自から薬師の像七躰を彫刻す。この處は今仏谷といふ。皇子心に誓ていふ能く夷賊を誅伐する事を得ば丹後の国に於て七寺を建立し、今彫刻せし七躰の尊像各寺に安置せんといふ。既にして三上山に向ふ、三上山の夷賊妖術ありといへども犬の頭に戴きたる明鏡に照された其術を行ふ事を得ず。遂に悉く殺殲せらる。後新嘗の如く七寺を建立す、成願寺は其一なりといふ。


君ヶ嶽大五郎は、
ちから桃」参照




雲原の小字一覧


雲原(クモハラ)
芦原 荒田 赤坂 赤由利 赤由利 道ノ上 赤ハゲ下 浅ヒ向嘉市 浅蔵古屋敷 穴ケ谷 孔子谷 油田 安平下タ アセヒ迫 家ノ上 家ノ下 家ノ前 家ノ後 家ノ向 家ノ裏 家ノ横 家ノ先 家ノ廻 市場 市場長兵エ居住 市場宗兵エ居佳 市場勘兵エ居住 市場喜助居住 市場佐助居住 市場太助居住 市場茂助居住 市場茂右エ門居住 市場佐五郎居住 市場佐平居住 市場八十居住 市場小学校 市蔵居住 伊賀ノ谷 伊賀谷口 伊賀谷切 伊賀奥砂 伊賀美砂道上 稲木場 稲木場尾 稲葉場 伊右エ門ノ上 伊勢倉 猪ノ谷 猪谷川原 楮子根 一本松 イツ蔵下毛 井原砂 石原 石ケ水 居シキノ前 糸棚 岩鼻 入住 イモ迫 後 後迫 後山 後山口 馬切谷 宇助前 右エ門前 梅ケ坪 ウト ウトロ 榎ケ谷 柄谷 栄助居住 栄助古ヤシキ エボシ岩 岡 岡野 岡ノ奥 岡ノ峠 岡力垣 奥ノ向 奥山坂 奥山口 奥長曽 奥大畑ケ 奥山本谷 奥山本谷ケ砂口 奥ビクニ 大迫 大迫口 大迫下 大迫上道 大谷 大田 大垣 大畑ケ 大籠 大道迫下 大平イラ 大ウト 大河内峠 大河内峠口 御茶屋 小田 沖田 尾花 老ケ上 親カゲ ヲクビ 上三笠山 上三笠山口 上三笠川向 上三忠 上三忠道ノ上 上三小迫 上小峠 上石原 上迫上ノ切 上三道ノ下 上ヤシキ 勘兵エ前 勘兵エ居住 勘兵エ居住裏 勘兵エ古ヤシキ 勘七家ノ上釜田 鎌田家ノ后 釜ガ成ル 亀三郎下 勝三郎居住 亀河内 鍛冶ノ上 角田 桂口 川戸 川原道端 数原 クラ谷ロ カツチ岶 カツガサ カジヤ 喜右エ門の上 喜右エ門前 喜右エ門居住 喜平柿 喜平柿道上エ 吉兵エノ上エ 吉兵エ古屋敷 吉九郎居住 儀助裏 儀助下モ 儀助居住 儀平裏 儀兵エ家裏 儀右エ門ノ前 岸ノ下 岸ノ奥 木屋 木屋ノ上 北中 桐ケ砂 械作 木千屋敷口 キビ砂 キビ砂口 久保 久保上ミ 久保平ラ 久保家ノ上 久保家下 久保往来上 久保川淵 久保安右エ門居住 倉迫リ 倉ノ上エ 蜘野 蜘ケ岩 蜘ノ下り 栗本 葛石 崩レ 車屋敷廻リ クノ木ケ砂 クルヒズナ 建掛け 源右エ門屋敷 小和田 小和田尾上 小和田尾下 小和田道上 小谷 小谷奥 小山 小山道ノ下 小杉野 小杉野井根上 小峠 小峠奥 小知和 小丸山 小星ケ市 小砂 小ウト 荒神薮口 荒神薮下 荒神薮ノ横 荒神谷ノ筋 庚申前 庚申塚 紺屋古屋敷上 五月田 五反田 五反田川向 五反田道上 伍右エ門下 コミ山 コク掛 コト畑 コシマエ コウラ谷 コウラ谷ロ ゴウラ 迫田 迫田后 迫田前 迫田下タ 桜鼻 桜ケ砂 桜川 崎山 崎山地蔵堂 先山 先山橋詰 坂本 坂根 坂砂 佐惣 佐惣口 佐惣見セガ鼻 砂惣 砂惣水上 砂惣堂ケ谷 □□が空 才木 西石 堺 三本松 定右エ門前 サカ畑 下ノ宮 下三岳 下三 笠山 下モ岡 下モ忠 下モ忠奥 下ヒジリ砂 下モ小砂 下ノ倉 下清水 清水 清水口 清水奥 清水谷口 菖蒲谷 菖蒲谷口 菖蒲ケナル 菖蒲谷左ノ谷 城山 城山口 城山中村 新井田 新井田上切 新武田 新シヤ 島先 嶋瀬口 尻梨 周平上エ 塩垣 左兵エノ上 シホラ 重助居住 重助ヤシキ続 十敷 十段田 十玉堂下 仁右エ門古屋敷 仁右エ門古屋敷奥 地蔵田 神宮寺峠 治口右門宅地 砂 砂田 砂惣 杉谷 住吉 諏訪 摺鉢 助右エ門下 住環ノ下リ スヘケ本 スケノ谷 スグラ下 スグラ界地 千本砂 千本砂下切り 仙右エ門下 仙右エ門横 清七下タ 善右エ門下 添谷 添谷口ノ切 添谷奥切 曽根 宗右エ門古屋敷 谷田 谷山 谷ノ前 谷ノ向 谷ノ奥 谷ノ奥ノ口 高山 高山口 高山下モノ切 高谷口 滝ケ谷 滝ケ森 立石 滝ケ下リ 立石立原 立道 立道上三 立道下モ 反田 反田尾 滝ケ谷 滝ノ上ミ向 宅地横 宅地迫リ 田方 丹田 建稲葉 建道 棚田口 辰兵エ居住 大根谷 大上ゴ 大道下モ 大良右門前 忠長左エ門ノ上 茶ヤケ石宮田 チシヤケ坪 佃 津鉢 常七前 常七居住 常助古ヤシキ ツヅラ谷 寺谷 寺谷滝雲寺 寺ノ前 寺ノ横 寺ノ奥 寺門口ノ切 寺門口ノ横 寺橋 寺門ノ下 寺ノ下タ 寺ノ道上 寺橋下リ 寺谷ヤブノ下 峠谷 峠ノ奥 峠ケ口 峠口奥共 峠ノ下タ 鳥野 鳥ノ奥ク 鳥ノ奥口 豊蔵上エ 豊蔵居住 藤兵エ前 藤兵エ下 藤兵エ居住 藤右エ門家下 藤右エ門古屋敷 徳次郎居住 所ケ谷 杤谷 友ヒ宅地上 トノ屋敷 堂ケ谷 堂迫 堂ノ上 堂ノ前 堂ノ先 堂ノ下タ 堂ノ奥 木場尾 ドユウダ 中島 中道 中村 中比 中川原 中ノ坪 中村城山 中村峠谷 中鳴瀬 鳴瀬 鳴瀬奥 鳴瀬ロケ 鳴瀬元谷川 鳴瀬荒神谷 長曽 長通道ヨリ下 長ヤシキ 長谷口 鍋倉 鍋割 梨木谷 縄手 西高山 西高山上ノ切 西ケ砂 二本橋 仁助居住 根本砂 ソブ 橋ノ?《私注・糸篇に先》 橋ノ詰 橋詰下り 林砂 林砂口 半三郎前 半三郎後 初尾 初尾口 柱ケ谷 墓ノ下 八斗田 八エ薮 香屋敷 平 平石 平口 平貝口 平砂 平砂下リ 平砂道ノ上 平砂道ノ下 平砂奥ク 平砂橋詰 平左エ門古屋敷 平左エ門古屋敷横 平左エ門古屋敷下夕 毘砂門田向 毘砂門下 久蔵居住 久蔵下タ 彦左エ門下 東岡 比丘尼 ヒカゲ口 ヒジリザコ ビクニ 古ヤ 古屋敷 古屋敷前 古屋敷上 古川道ノ上 深田 深田家ノ裏 深山 藤ケ向 文左エ門上 仏法地フケ 兵助居住 ヘラ町 仏谷 仏谷利助居住 仏谷弥三右門居住 細迫 細迫口 細迫道下リ 細谷口 法ケ坪 堀ノ下タ ホコラ ホコラ谷ノ切 松原 松谷 松ケ本 松平上 松尾谷 松木砂 孫迫 孫根砂 孫根砂奥 孫左エ門裏 万助下夕 的場 前田 前田道上 丸山 宮田 宮ノ下 宮ノ谷 宮ノ腰 宮ノ裏 宮坂 宮ノ向 宮本 宮本上エ 宮本鼻 宮道ノ下り 宮縄手 宮出川淵 宮木成蔵ノ下 南島 南島宇助居住 南島周造居住 南島松平居住 南島孫右エ門居住 南島平七居住 南島右エ門居住 南島吉兵エ居住 南島孫右エ門居住上 南ケ市 南ケ市助造居住 水上 水上道ノ下 水車 道砂 道ノ上 右川 峯礒 見セガ鼻 向谷 向谷道ヨリ上 向谷道ヨリ下 内谷ノ内林谷 向ノ奥 向屋敷 宗右エ門古ヤシキ 森 森下タ 森下タ尾 木綿 上 元七居住 屋敷上 屋敷ノ下 屋敷裏 屋敷廻リ 屋敷下夕続上ミ 薮ノ先 薮ノ下 薮原 薮ノ谷 薮坂 薮ケ鼻 薮畑 薬師堂 薬師堂前 薬師堂向 薬師堂ノ下 薬師堂宅地 柳原 柳原ノ横 柳原谷奥 柳ノ谷 山谷 山谷辻堂 山根 矢ケ岼 矢柿ケ谷 屋多山 休石 由利ノ上 ユカ迫 ユバラ迫 横道 横尾口 横ノ下 由左エ門 由左エ門上ミ道ノ下 吉助居住 吉助ヤシキ 吉助ヤシキ続 吉助薮ノ下 吉右エ門家ノ廻リ 由次郎家ノ廻リ 吉田 興謝峠ケ 脇田 興謝峠下タ 興右エ門下タ 利助居住 利助ノ裏 良助古屋敷 利助屋敷続 和田 利右エ門西 雨平古屋敷 ハリ木ヤシキ 六兵エ下夕 渡リ瀬 渡リ瀬上ミ 孫右エ門ノ上 吉兵衛上 栄助下タ 南島山 寺門口ノ下 堂迫口 道迫 書右エ門家廻リ 松ノ木迫 西石下谷 チウ 上ミチウ 下モチウ 栗本下の切 尾根谷 イガミ砂 荒神谷 沢田 建稲木 平左エ門ヤシキ 岡町 治郎兵エ上 家ノ奥 板迫 茶屋ケ坂 桜川上 茶屋ケ後 中村堂迫 釜田 柱ケ谷口 弥ぼら 屋敷続上ミ カシカケ 亀ケ砂 吉左エ門道ノ下 尾多山 新ケ谷 松ケ本口 大迫道ノ下 上道上ノ切 細砂道ノ下 大谷裏 由左エ門道ノ下 源左エ門古屋敷 仝人古屋敷 櫂作 宮ノ上 勘兵衛裏 屋敷前 仏谷利助居住 浅蔵古屋敷上エ 十郎屋敷続 小谷口 道ノ下 栃谷口 屋無 孫根迫 ネキ迫 下モヒジリ迫 ヒジリ迫道ノ下 カキカケ ユリカキ ムメガ坪 中島瀬 イガミ砂口 杉谷口 島瀬奥 島瀬 後反田 後反田川向 上小砂 清三郎古屋敷 奥左エ門下崎小橋詰 ネゴラ 弥ゴラ谷ノ切 向谷奥 赤峠 赤由利 家ノ向 家ノ上リ 漆砂 後山 岡ノ峠 奥ノ向 岸ノ奥 久保 小峠 小和田 小杉野 先山 先山谷上 西石 佐惣 サコダ 新ケ尾 スワ 平ラ 鳥野 常助上へ 南島 仲林 林砂 林左エ門上へ 平砂 仏谷 松原 三国 三岳南 宮本 森 森下タ 由利ノ上 横尾 横尾口 砂口 上清水 佐宗 イタ砂 釜田 西ケ迫 大砂 桂ケ谷 佐惣桂ケ谷 弥ごら上ノ切 弥ゴラ 亀ケ砂 尾多山 新蔵古屋敷 赤ハゲ 幾蔵上エ 櫂作 浅蔵上エ 堂ノ本 カシカケ 棚田 ツヅラ 岩場 弘法池 上ミチウエ 谷ノ家ノ下 島瀬荒神谷 堂ノ奥 島瀬 島瀬奥 後反田 松尾 林坂 コカサコ 大道星 宮ノ谷奥 久ノ木迫 子ゴラ 向谷奥 後砂 小和田尾 家ノ横下 平貝口道ノ下 岡ノ鼻 栃木砂 林坂口 スゲノ谷奥 平尾 奥山シンシキ カシガサコ 添迫 由左エ門上 宅地廻リ 大三岳 河原道ノバ 豊助上へ 長通 坂畑 島ノ奥山根 大砂口 猪口 平カイ 初尾奥 大谷口 小谷 武平治古屋敷 仏鉢


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『福知山市史』各巻
その他たくさん



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