坂室(さかむろ)
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京都府福知山市坂室 京都府天田郡上六人部村坂室 |
坂室の概要《坂室の概要》 三俣の対岸になる、公民館などはここにあるが、本村はそこから山道を1㎞ばかり入った所にあるという。 ここはいわば「坂室口」。坂室川に沿って、この路を入るようであるが、狭いのでやめた。そこの案内板は「天突登山口・医王寺跡参道」となっている。本村を越えてさらに行けば中六人部の大内に出る。 坂室村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福知山藩領、寛永10年綾部藩領、寛政12年からは幕府領京都代官小堀氏支配、さらに維新期篠山藩領。 明治4年篠山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上六人部村の大字となる。 坂室は、明治22年~現在の大字。はじめ上六人部村、昭和30年からは福知山市の大字。 《坂室の人口・世帯数》 18・8 《主な社寺など》 真言宗坂室山医王寺跡 中世代、坂室から大内村後正寺にかけての山の両斜面に真言宗の坂室山医王寺があり、坂室村分に3、後正寺分に5の塔頭があったと伝える。 仁王門は現存し2メートル余の仁王像も遺存する。像は室町時代の作という。仁王門を入ったところに供養塔・板碑が並ぶ。
《交通》 《産業》 《姓氏》 坂室の主な歴史記録『丹波志』
伝説『福知山の民話と昔ばなし』
坂室の小字一覧坂室(サカムロ) 井出 稲葉下 イヲウジ 大谷口 谷 宝堂谷 ヅヱノ下 寺坂 峠 西谷 林谷 ヒト谷 ビクニ川 水上 ムセノ前 薬師ノ下 谷口 峠 西谷 火シロ 火ナタ 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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