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丹波の

千束(せんぞく)
京都府福知山市三和町千束


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京都府福知山市三和町千束

京都府天田郡三和町千束




千束の概要




《千束の概要》
旧三和町の中心地で、役場などかある所。
福知山市役所三和支所(千束)
土師川南岸の広い河岸段丘上に位置し、国道9号(山陰街道)が北西から南東に貫通。沿道に集落が立地する。役場や学校・官公署や商店街があり、古くより街道沿いの主村で当地方の中心地として栄えた。
千束村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏郷14村の1つ。
貞享3年に、当村の次郎吉を頭取とした領主への強訴が発生し、同人に組した者はみな追放となった。その際に、次郎吉は古記・水帳などを携えて出村したために、その以前の村の状況は多く不明になったという。明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。。同22年細見村の大字となる。
千束は、明治22年~現在の大字。はじめ細見村、昭和30年三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。


《千束の人口・世帯数》 559・325


《主な社寺など》

大歳神社
大歳神社(千束)
「井の奥公園」の鎮守のようにしてある。
大歳大明神 古六部郷 千束村産神
祭神  祭礼九月九日
本社南向篭家
境内凡三十間ニ六十間
俗伝云往古ハ三俣村御幣大明神本居 諍論有之別ニ此神ヲ祭ルト云

十二所権現  同村
祭神  祭礼九月十三日御輿出
本社寅卯方向
境内凡五十間四方古木多シ
俗伝云氷上黒井落城後赤井氏某二度立身セハ此竹可栄ト誓テ竹根ノ鞭ヲ逆ニ指置江戸ニ下向ス此竹繁茂セリ後赤井氏ヨリ小祠ヲ組江戸ヨリ多紀郡ニ下シ置ケリ多紀郡ヨリ此処ニ送ルト云 社記有之
(『丹波志』)

村社 大年神社 仝村字千束鎮座
祭神 大年ノ神  社殿
草創  祭日
氏子  財産
(伝説)往古は生野紳牡の氏子なりしが、事に因りて争論起り別に当社を草創して氏子となれりと
荒船神社(祭神不詳)千束にありしが今は大歳神社に合祀せり(丹波志)赤井落城の後、一族某此所を過ぎり、吾、再び世に出づる者ならば、此竹繁茂せよと誓ひ根竹の鞭を逆さまに挿し立て、江戸に下向す、後此竹繁茂す、是に於て赤井氏小祠を建てたり云々
(『天田郡志資料』)

大歳神社
三和町字千束小字清水に所在。祭神は、素盞嗚命の御子大歳。「綾部藩藩政社寺要記」には、「大年明神」と、「年」をあてており、また「神社明細帳」には、「大歳神」とある。『細見村史』には、「素盞男命の御子大歳の神を祀る」と記され、「千束に鎮座せられた、元荒船神社を合祠する」とある。さらにかつて、「生野神社の氏予であったが、分離して農神である大歳の神を祀ったもの」という。『丹波志』にも、「俗伝云、往古ハ三俣村御幣大明神本居諍論有之、別此神ヲ祀ルト云」とあり、「御幣はん」(生野神社)を中心とする「六人部七天神」との関係を伝えている。
規模・構造は、一間社流造、銅板仮葺で、元は柿葺であった。身舎は門柱、上部に出組を組む。内部は扉で内陣と内々陣をしきり、天井は棹縁天井、床は拭板敷である。向拝は几帳面取方柱で連三斗を組み、浜縁を備え、海老虹梁でつながれる。軒は二軒繁垂木である。妻飾りは一段持出し、二重虹梁大瓶束としている。この地域の典型的な一間社流藁といえる。建立は様式的に十七世紀後半と推定される。なお、境内には享保六年(一七二一)の石燈籠かある。
(『三和町史』)


湯ノ奥山水泉寺古跡
湯ノ奥山水泉寺古跡
今薬師堂在
湯ノ奥風呂ノ上ト字ナスル所有
(『丹波志』)

権現社古跡
千束村北ノ入口ニ在田地ノ字権現ノ坪ト云 権現橋ト云アリ 御帳付ノ所ナリ今此上ノ段ニ十二所権現社アリ後ニ祭ルト云
(『丹波志』)


《交通》


《産業》


《姓氏》


千束の主な歴史記録


『丹波志』
千束村  綾部領
高百七拾壱石貳斗二舛 民家四拾戸
古此所ニ鍜冶アリ萩原村ヨリ刃を作ラセ萩ヲ川千束ニ及迄持来射ニ依之地名トナルト云  茂正按ニ此所鍜冶真名不伝
貞享三年此所ノ者強訴 次郎吉ト云者頭取 領主庁 ニ出 次郎吉ニ組シ者皆追放 不組者三株者、依之 被免然トモ 古記水帳モ次郎吉取テ逃ニ付 田地巨細不知トコロ 今ノ一郎右エ門家万吉ト云者 十五歳ニテ能覚テ伝之 其持地誰ト何程ト、田畝ノ高ヲモ申ニ付 委分タリ 依之万吉村長ニ可成コトナレトモ 若輩故以後年寄ヲ勤ム 村長ハ細見申出ヨリノ出戸次太夫ニ成ル 然トモ万吉モ同シク役給田地ヲ賜フ 万吉ハ五十七年勤死スト云


『綾部市史資料編』「巡察記」
千束村 土性赤壌ニ埴頗ル混セリ 同村東方
野ハ赤埴ニ塩土錯レリ其他ハ碩礫多シ 田方六
町八段六畝十八歩畑方十一町二段程 高百七十
八石九斗五升余 家数五十軒人別百九十二人牛
十五疋アリ
当村ハ肥草薪木ハ寺尾村ノ山ニ入リ会ヒテ苅採
ルコト吉例ナルヲ以テ是ノ事ニハ不自由ナシ 米
ハ買ヒ入レテ食フ 畑多キ故ニ大豆小豆ヲ売リ
出スコト五六十石ツゝニ及フ 繭モ百五六十貫匁
ヲ得ベシ 其ノ他茶畑草麻漆等モ少シク出ス
 右山裏郷十四村 田方百九十八町五段二畝十
 二歩畑方百三十八町五段二十四歩 高三千六
 百五十三石四斗八台 家数九百五十八軒人別
 三千九百七十三人牛五百二十一疋アリ 抑々
 此ノ郷ハ安井川其ノ中央ヲ西流レ水掛リモ自
 在ニテ田畑多ク山嶽林薮極テ広シ 山谷ノ間
 ナル村里ナリト雖ドモ太陽ノ光暉能ク映リ作
 物豊熟シ人民大ニ蕃息スベキノ地ナリ 今ヨ
 リ以後勤メテ予力泉原法ヲ修メ政教ヲ厳明ニ
 シ博賭ヲ制禁シテ農事ニ精細ヲ尽サバ後々大
 ニ富盛スベシ 信淵老タリ其ノ成功ヲ観ルコト
 能ハズ


伝説



「千束」の意味

地名の由来については、往古1戸について10束の稲穂が課税されていた頃、当村は100戸であったため、計1、000束を納めたことによる(細見村史)とも、「古此所二鍛冶アリ荻原村ヨリ刀ヲ作ラセ荻ヲ刈千束二及迄持来」たることによるともいわれている。

『西丹波秘境の旅』は、
もともと千束といえば墓地のことである。…京都市北区鷹峰、光悦寺の西方、紙屋川沿いや左京区八瀬遊園北方にも同名の地がある。千束の「束」の訓み方は「ツカ」で、墓地を意味する塚に通ずるのはいうまでもない。つまり千束とは、多くの墓地のあるところ、またあったところであるが、千僧供(せんぞく)などとも書く。播磨地方では「センゾ」とか「センゾウ」というが、…


柳田国男は、千束・洗足はたぶん洗足だろうが、意味はわからないとしている。
『定本柳田国男集第二十巻「地名の研究」
それから今一つ、昔の墓制の名残かと思ふ地名が、是も人里から遠い山間原野の地名にある。それはまだ私たちだ
けの想像で、しかとした證跡も実は無いのだが、兎に角に全国的に至って数多いアシダニ・アシノタニ・千束・菖蒲谷といふ類の地名が、此県にも可なり分布して居て、まだその由来が到って居らぬといふことは、注意して置いてよいであらう。


平安時代には見える地名らしく、鍜冶と関係があるのか、墓地なのか、足を洗ったのか。千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であるとか、千束を刈るほどの広い茅刈り場の意味とか、千駄焚きの雨乞場とかの意味があるとも言われる。
いずれとも当地では決定打は見いだせない。


『三和町史』
千束の化け物退治
昔むかし、千束に小さな造り酒屋があり、ここに久作という下働きの男がいた。身体は人一倍大きく、力があり、それに加えてよく働く男であった。そのころ、千束に鬼牛といって、顔は鬼であって身体は牛そっくりという怪物がいで、ときどき川に現れ、山で働く者達がしばしは食い殺されたりして、山へ仕事に行く者もなくなった。この話を聞いで、人一倍気に病んだのは久作だった。何とかして、この化物を自分の力で退治して土地の人々の危難を救いたいと、日夜、神仏の加護を願い頭を痛めていた。しかし、下働きの身の悲しさ、心焦るばかりでどうすることもできず、わずらわしい日々を送っていた。
 そのころ一里ほど行った所に刀鍛冶があるとのことを耳にした久作は、酒屋で一日休みをもらい、刀鍛治を尋ね、鬼牛の話をした上、何とか、自分の力で刀は作れぬものかと、相談をもちかけたところ、刀鍛冶は久作の心根に打たれ感じて、刀一振を作り与えることを約束してくれた。
 しかし、刀といっても普通の刀では、化物は退治できない。これから千日の間、精進して身を清め、毎日、一〇〇打ちずつ鎚を打って仕上げようとのこと、いっぽう、久作も刀鍛冶の恩義に報るため、それから千日の間、毎日柴を一束ずつ運ぶことを約束して刀鍛冶の家を辞した(この刀鍛冶は福知山市萩原辺にあったと聞く)。
それから久作は、雨の日も風の日も休まず、近くの山で柴を作り刀鍛冶に届けて、夜の明けるまでに酒屋へ帰った。柴を一〇〇〇束運んだころ、念願の刀も立派にでき上った。運んだ柴の一〇〇〇束にちなんで、銘を「千束丸」と名づけた。
 刀を作ってもらった久作は、この刀で一日も早く、化物を退治して村人の危難を救うべく、それからも、お宮に詣でて祈願を込めた。
 ある朝、目がさめると、いつものように、枕元に置いて寝たはずの刀が、鞘だけになり刀身がなくなっているのにびっくり仰天、せっかく、千日もかかって作ってもらった、千束丸の刀身が消えているのだから、驚くのも無理はない。悲嘆の日々を送っていた。ある日、村人から川に化物が、赤血に染まって倒れているとの知らせを受け、久作は不思議に思って、山た行って見ると、自分が刀鍛冶に作ってもらった千束丸の刀身が、化物の心臓部に刺さっているのに、びっくりした。久作はお礼参りをすませた後、この刀を、お宮に奉納した。
 その後、久作の一念が、神に通じたのだと、村人は彼を賞め讃えたという〔千束〕。
 『千束の歩み』から採録し、一部修正した。地域でもかなり風化した話しであるようで、『千束の歩み』の筆者である岡村氏が伝承者となり伝わったものである。






千束の小字一覧


千束(せんぞく)
表ケ坂(おもてがさか) 元屋敷(もとやしき) 才ノ元(さいのもと) 向ケ市(むかいがいち) 後地(うしろのち) 辻ケ市(つじがいち) 清水(しみず) 橋ケ谷(はしがたに) 井ノ奥(いのおく) 釜ケ池(かまがいけ) 向野(むかいの) 成田(なりた) 炭釜(すみがま) 宮ノ前(みやのまえ) 向ケ市(むかいがいち) 堂ノ元(どうのもと) 横林(よこばやし) 宮ノ元(みやのもと) 堂ノ小田(どうのおだ) 野奈田(のなだ) 方ケ谷(ほうがだに) 後野(うしろの) 南(みなみ) 竹田屋新田(たけだやしんでん) 延之助新田(のぶのすけしんでん) 徳右エ門新田(とくえもんしんでん) 小田(おだ)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



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