丹後の地名プラス

丹波の

旧・下夜久野村(しもやくの)
京都府福知山市夜久野町
畑・今西中・井田・額田・千原


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府福知山市夜久野町畑・今西中・井田・額田・千原

京都府天田郡夜久野町畑・今西中・井田・額田・千原

京都府天田郡下夜久野村



 

旧・下夜久野村の概要


《旧・下夜久野村の概要》


下夜久野村は明治22年~昭和31年の自治体。畑・今西中・井田・額田・千原の5か村が合併して成立し、旧村名を継承して、5大字を編成した。
当村の中心額田は'小学校・村役場・警部補派出所・郵便局などが置かれ、店舗・民家が軒を連ね小市街地を形成した。国鉄山陰本線の開通に伴い明治44年下夜久野駅の誘致が実現、家畜市場が設置されるなど当地方の主邑として発展した。
特産物は木炭・コンニャク玉・木材・ミツマタ・漆・串柿など。
昭和31年夜久野町の一部となり、平成18年から福知山市の一部となる。村制時の5大字はそれぞれの自治体の大字に継承された。
遺称としては、JR下夜久野駅がある。



旧・下夜久野村の
主な歴史記録


下夜久野村
畑、今西中、井田、額出、千原の旧五ヶ材より成る。郡内有数の大村である。額田は本村の中心地であって学校、役場、警部補派出所、郵便局(電話を取扱ふ)、我が郡西部の名邑である。額田も川陰街道に浴ひ二、三町の間商店軒を並ぷ、尚下夜久野駅(山陰線)は額田の南数十間の近くにありて、交通至便である。家畜市場もあり、福知山より約四里、自動車の往来もあり、特種の産物は木炭、蒟蒻玉、木材、椏、漆、串柿等とす。

後藤六郎太夫とその妹 (下夜久野村)
千原六郎太夫ともいふ義人なり。丹波国天田郡千原村(人名辞書に氷上郡とあるは正しからず)に生る。
家世々農家たり。天性勇武を好みて剣術及医術を嗜む。一時三好家に仕へ屡々戦功を立てしが、或日母六郎を諌めて曰く
 汝が武人となりて敵を殺し戦功を立てて富貴に至るは我が願ふ所に非ず。今は妹一人あるのみ。若汝死せぱ老年誰れにかよらん。貧賎は我之を苦とせざるも、汝と離るゝを苦となす。汝武士の望あらば母の死後仕官せよ。
と、六郎母の言に従ひ、三好家を辞して千原村に帰り、医を以て業とし、傍ら農業を励む。然れども生計困難を極めて、母を慰むること能はず。妹と大に心を痛め居たり、時に八上の城主波多野秀治の一族に福井主水といふ武将あり。先年明智光秀と兵を交へし際落馬して腕を折りしかば、戦地を脱して千原村に潜む。よって六郎は主水の傷の手当をなせり。光秀は偽計を以て波多野秀治を誘ひ、六月二日本梅谷にて秀治以下十五人を捕へ、四日安土へ護送す。信長命じて慈恩寺町末にて磔刑となす主水之をきゝ、光秀の奸謀不義を怨み、其の仇を報いんことを欲す。然れども身不具にして志を遂ぐることあたはず。心密に六郎を頼み、親しく結んで其の貧苦を救ひ、兄妹に孝養の志をなさしめ。六郎深く其の恩に感ず。主水時を計りて六郎に請ふに我に代りて光秀に復讐せんことを以てす。六郎未だ母あるを以て一両年を延さんことを語る。主水これをきゝて母に托して逃るゝと察し事の発覚を恐れて自殺す。六郎我が胸中を知らずとて之を哀しみ、篤く埋葬す。後幾何もなく母死ししかば、六郎は約を守りて事実を妹に物語る。妹は兄の義を守らる悦び、勤めて家を出でしむ。六郎短刀を懐にして安土城に入り忍んで殿中に至り光秀を刺さんとす。事成らずして近臣に捕へらる。六郎其の破れたるを以て舌を噛んで死す。光秀梟首して其の党を求むるに三百貫の賞を以てす。然れども固より同類なし、妹之をきき庁に出でて、我兄なるを告げ、且つ梟首をやめられんことを哀訴す。光秀自ら引見して糺明す。妹実を告げて自ら死を乞ふ。光秀六郎の義心に感じ、妹の兄に尽して死を恐れざるを賞し、六郎の梟首を止め妹の罪を許し、推して信長に仕へしむ。上﨟となり名を阿能局と改む。後ち京都本能寺にて奮戦して死す。諸鋳其の烈婦たるに感ぜりといふ。一説には光秀を信長に作る。
(『天田郡志資料』)




関連情報






資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順

市町村別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『夜久野町史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2015 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved