新庄(しんじょう)
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京都府福知山市新庄 京都府天田郡福知山町新庄 京都府天田郡下豊富村新庄 |
新庄の概要《新庄の概要》 国道9号から豊富谷への入口付近で、通称「しんじょ」。 新庄村は、江戸期~明治22年の村。枝村に本庄がある。福知山藩領。明治4年福知山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年下豊富村の大字となる。 新庄は、明治22年~現在の大字名。はじめ下豊富村、昭和11年福知山町、同12年からは福知山市の大字。昭和50年一部が厚中町となっている。 国道9号の向かい側、今は成和中学校がある辺りを小字・本庄と称している。古代荘園の政所の所在地だろうかという。新庄はこの本庄から分かれて発達した集落と伝える。背後の小高い山は安尾山といい、今はスカイランドホテルがあるが、中世和久城のあった山である。本庄からは弥生式土器が出土、安尾山東麓からも同種土器が出ている。 《新庄の人口・世帯数》 642・289 《主な社寺など》 粟島神社 舞鶴にも何社かある。当系の神社は全国に1000社余りあるとされる。総本社は和歌山市加太の粟嶋神社。江戸期に淡島願人と呼ばれる人々が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻ったため、信仰が全国に広がったという。祭神の少彦名命は医療の神様とされる。当社も江戸期には淡島大明神を安置した神棚に小ぎれをつけて手に持った淡島願人が呪詞を唱え女人を勧進して諸地を歩き、各地で信仰を集め、丹後地方あたりまで婦人病平癒や縁組、子授け、安産、また裁縫・手芸上達などの神として崇敬されたという。 新庄は古来、天照玉命神社の氏子ではあるが、集落の産土神としては安尾山(茶臼山・スカイランドホテルのある山)南麓の厚の武(たけ)神社を崇敬してきたという。天和年間、粟島神社が当集落に対し不思議の霊験をあらわしたので、以来独立して産土神と仰ぐようになったと伝える。しかし武神社への参拝およぴ奉賛は明治末年まで継続していた。 栗島神社本殿内に慶安三年(1650)の年号のある小厨子があるので、それ以前の鎮座であろうかという。本庄の佐治街道近くの石地蔵に「右あわしま」と刻んであるのは、多くの参詣者があったことを物語るという。
和久山常福寺(廃寺)
新庄城跡 粟島神社のある山を城山というが、そこに新庄城があった。
《交通》 《産業》 《姓氏》 新庄の主な歴史記録伝説新庄の小字一覧新庄(シンジョウ) 阿洲 麻蒔 井ノ奥 鯰田 大木 岡ノ腰 樋ノ口 上大木 上河原 上石ケ坪 上渡り 金政 鍛冶田 鍛冶畑 カンヨモ 下り戸 五反田 御新庄屋敷 下大木 下河原 下石ケ坪 下渡り 塩唐 庄谷 庄着 砂川 清太夫 田入谷 高島 棚籠 塚ノ下 中石ケ坪 淵ノ上 本庄畑 本庄河原 前ケ島 向河原 山本 柳ケ坪 牛淵 中ケ坪 ストロ 狸谷 和久田 牛伏山 岡ノ腰 城山 牛伏 向山 狸谷 関連情報 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『丹波志』 『天田郡志資料』各巻 『福知山市史』各巻 その他たくさん |
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