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丹波の

寺尾(てらお)
京都府福知山市三和町寺尾


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京都府福知山市三和町寺尾

京都府天田郡三和町寺尾

寺尾の概要




《寺尾の概要》

「センター・三和荘」のある一帯の集落。
三和荘の案内板
河岸段丘の高い位置にあって、高原のような雰囲気がある。土師川支流寺尾川の谷間に位置して、谷奥を寺尾山田という。往古当地では温泉が出たと伝えている。
寺尾村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏郷14村の1つ。はじめは草山村の枝郷で、元禄の国絵図改以後高分けされたという。
。明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。
寺尾は、明治22年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。


《寺尾の人口・世帯数》 131・65


《主な社寺など》

三柱神社
三柱神社(寺尾)
ちょっと高い所に鎮座。向かって右手に薬師堂があり、寺尾寺の古跡という。
三宝荒神 古六部郷草山支 寺尾 産神
祭神     祭礼九月十四日御輿出ル
本社 南向 篭家
境内凡五十間四方 古薬師山也于今薬師堂有リ
俗伝ニ云 八十年斗以前草山村天神ノ社地ヨリ移シ祭ル千束芦淵同意別ニ此神ヲ産神トス 三俣村御幣明神祭礼ノ時于今村々ノ機数ヲくらフト云
(『丹波志』)

村社 三柱神社 仝村字寺尾鎮座
祭神 興津彦神、興津姫神、火緒ノ神
もと草山、天神々社境内に在りしも今より三百数十年前ここに移し奉れりと云
(『天田郡志資料』)

三柱神社
三和町字寺尾小字北畑に所在し、祭神は、火産霊命・奥津比古命・奥津比売命とされる。
『細見村史』『丹波誌』ともに火産霊命・奥津比古命・奥津比売命を祀るとある。『丹波志』または「綾部藩藩政社寺要記」には別の名として、三宝荒神と社名される。また、「神輿出ル、境内凡五十間四方、古薬師山也、于今薬師堂有リ、俗伝ニ云、八十年斗以前、草山村天神ノ社地ヨリ移シ祭ル、千束、芦渕同意、別ニ此神ヲ産神トス、三俣村御幣明神祭礼ノ時、于今此村々ノ機数ヲ校フト也」とあり、本村であった草山村から寺尾村が分村し、神社も分祀されたことがわかる。分村の時期は寛永年間ごろ(一六二四~四四)と伝えられており、『細見村史』の創建時期を寛永年間としている記述も、出典はあきちかでないが、大誤はないであろう。
現在の社殿は、元治二年(一八六五)地五大工による再建で、一間社流造、柿葺である。身舎は円柱で出三を組み、向拝は几帳面取方柱で連三斗を組み、海老虹梁でつなぎ手挟がある。
(『三和町史』)

日蓮宗妙見山実相寺
実相寺(寺尾)

妙見山実相寺
1実相寺は、寺尾小字薬研に所在の日蓮宗の寺院で、本山は身延山久遠寺である。明治二十五年(一八九二)寺尾小字薬研に妙見堂が創建され、日蓮宗実相寺として本堂・庫裡兼用の木造で、梁行き六間、桁石き六間三六坪、茅葺き一棟が建設された。その後寺院に改称すべく申請したが、寺院創建は不許可となった。ところが、船井郡上和知村字市場小字上ノ山に同宗の実相寺があり、檀家も少なく堂字の維持も困難な事情があり、細見村地域に信徒多数、しかも当時移転の希望がある中で、信徒双方協議の結果、大正九年(一九二〇)十月、村長副中をつけ京都府知事に申請した。大正十二年(一九二三)三月二十日、改築設計を提出し、建立のはこびとなった。移転取調書には、本尊はじめ諸仏像が記されており、「釈迦牟尼仏壱体・多宝如来壱体・顕目宝塔壱体・四菩薩四体・日蓮大壬壱体!妙見大王壱体・鬼子母神壱体」と記されている。なお、和知の実相寺は、延宝六年(一六七八)十一月四日に上和知に創立されている。
(『三和町史』)


薬永山寺尾寺古跡
寺尾寺古跡(寺尾)
氏神の三柱神社の少し下側に薬師堂がある。
こんな案内板がある。↓
案内板
案内板

薬永山寺尾寺古跡  草山村内寺尾
古ノ本尊薬師堂有一間半四方今産神ノ境内ニアリ、古温泉有シト云、湯ノ谷 今井ノ谷ト云 山ノ両谷有一方ヲ風呂ノ谷ト云 塔頭二ヶ寺古跡共ニ廿間四方サイノ山ト云岩山ナリ鐘撞堂古跡有
(『丹波志』)


《交通》


《産業》


《姓氏》


寺尾の主な歴史記録


『丹波志』
草山村 寺尾 尾篠 杭谷 綾部領
高四百八石四斗壹升 民家百九戸
草山高  民家四拾七戸
寺尾高  同 五拾二戸
古 草山ノ村落寺尾元禄ノ国絵図以後高分レリ同谷ノ内戸平村上古ヨリ天田郡中ナリ 氷上郡ヨリ地ヲ?出戸セシ所ナリ中古山公事アリテ氷上郡ニ付ト云リ 其地天田ニテ氷上郡加茂郷トハ山ヲ隔千束ヨリ戸平村マデ壹里余ノ谷ナリ 又多紀郡ニ草山村アリ依之 千草山ト云 又草山村天神前ヲ南エ行森ヶ谷ト云所ヲ越細見中手村迄凡二十五町牛馬道又草山天神ヨリ奥エ右側ヲ五町斗行右ニ地蔵有リ其右ニ三尺四方岩アリ 是ヨリ南エ横ニ細道有境也 氷上郡加茂ノ庄戸平村也 又草山ヨリ奥ニ行 右ニ小路ノ谷ト云凡十町斗行嶺アリ巡礼尾ト云 大内村ノ奥エ越エ牛馬不通 大内村エ一里余 又草山ノ奥尾篠ト云所ヨリ南エ越ス高尾嶺細見谷中手村迄凡廿町牛馬道 又草山尾篠ヨリ氷上郡戸平村迄凡十五町牛馬道 又寺尾ヨリ酉戌ノ方ノ谷ヲ寺尾山田ト云 凡十五町出戸十五戸 此奥ノ嶺ヲ越 大内村ノ山田の奥エ出牛馬不通 大内村迄壹里 又寺尾山田ヨリ北エ牛嶺上野村山田迄凡六町 又同所ヨリ同ク北エ越ス安尾嶺 大内村ノ山田迄凡三十町牛馬不通 又寺尾ニ古温泉アリシ谷ヲ今風呂ノ谷井ノ谷ト云所アリ温泉在シ時ノ薬師、産神荒神ノ境内ニ在 古ハ寺尾寺二ヶ寺ノ古跡アリ 古跡ノ部ニ出ス

『綾部市史資料編』
巡察記
寺尾村 土性赤埴壌山野ノ土モ大抵同ジ 田方
十四町四段二畝程畑万九町七段一畝余 高二百
四十七石余 人家六十二軒人別二百八十三人牛
四十疋 此ノ売り啓ヘノ利分ハ上ニ同シ
当村食物少シク足ラザレドモ山林頗ル深キヲ以
テ薪木炭ヲ出スコト草野村ヨリモ一割以上多シ
繭児ヲ出スモ草野村ニ劣ラズ茶モ亦大抵同シ又
大豆小豆ヲ売リ出スコト各々三十石以上ツゝナリ
且ツ此村年寄役吉郎兵衛ト云モノ泄活シテ一昨
戌年村内ノ山田ト云フ処ニ桑ノ木苗一万本植ヘ
付タリト云ヘリ 手柄ナル事ナリ 四五年ヲ経
ルノ後ハ此ノ村無双ノ養蚕場ト為ルベシ
◎此村ニ入嶋山薪橋林ト云フ両処ノ御林アリ
然レドモ二処ヲ合七六七百歩ニ過キズ抑々此ノ
村ノ土ハ能ク黄連ニ合応セリ盛ンニ此ヲ作ラシ
メハ夥シク蔓衍(ハビコリ)繁栄シ後ニハ広大ナル物産ト為
ル 且ツ人浸モ亦此ノ地ニ合へリ宜ク植へシム
ベシ



伝説






寺尾の小字一覧


寺尾(てらお)
権現(ごんげん) 入嶋(いりじま) 安場野(やすばの) 薬研(やげん) 竹ノ下(たけのした) 古家(ふるえ) 岡地(おかじ) 北山ノ神(きたやまのかみ) 南山ノ神(みなみやまのかみ) 北畑(きたはた) 高瀬(たかせ) 船坂(ふなさか) 角谷(つのだに) 丸石(まるいし) 左石(ひだりいし)

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『三和町史』各巻
その他たくさん



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