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丹波の

上野(うえの)
京都府福知山市上野


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京都府福知山市上野

京都府天田郡上六人部村上野

上野の概要




《上野の概要》

萩原から西の山麓に入った所。
上野村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏組14か村の1つ。
明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年上六人部村の大字となる。
上野は、明治22年~現在の大字。はじめ上六人部村、昭和30年からは福知山市の大字。


《上野の人口・世帯数》 93・43


《主な社寺など》


稲荷神社

稲荷大明神  六部郷  上野村
祭神    祭礼九月十四日  産神
本社 巳午ノ方向
境内凡三十間四方
此社ハ山城国伏見ノ稲荷ヲ移祭レリ元山田ノ者 稲荷ヲ信仰シ願成就ノ後伏見ヨリ勧請セリ其時ハ山田ニ建 六十余年前元禄年中本村小倉山ノ麓エ移シ一村ノ産神トス
(『丹波志』)

真言宗上野山光大寺跡
上野山光大寺古跡
塔頭ノ名法性坊榊坊 村中ノ西ニ在 求法坊谷坊 古跡山田道右ノ山ニ在 合四ケ寺真言宗観音寺村観音寺末寺也ト云伝 依之委細観音寺ニ有之ト云
(『丹波志』)
池田の真言宗来迎院建立のとき、光大寺と坂室からの仏像を移したと伝えている。



小字に柳政門(やなぎまさもん)があり、城門跡と伝えている。その門外から堂木(どうぎ)という所までが馬場であったと思われ、昔からその部分のみ道幅2メートルもある。堂木から西へ約200メートルの所に的場という地があり矢場があったと考えられる。そこから西約100メートルの山裾を榊(さかき)といい、寺院跡で石塔の部石が残っていたという。



《交通》


《産業》


《姓氏》


上野の主な歴史記録


『丹波志』
上野村  綾部領
高百五石八斗七升  民家三十戸
上野南ノ谷山田エ十七八丁出戸三戸 山田ノ奥ヨリ南エ越ス牛嶺寺尾村ニ通ス凡二十町斗 又山田ヨリ西エ越ス不動嶺 大内村エ通ス凡一里両道モ牛馬通


伝説






上野の小字一覧


上野(ウエノ)
麻 一盃水 一ノ谷 一ノ谷下 家ノ上 家ノ下 家ノ裏 家ノ廻 イヤノ谷 牛峠 ウト 岡 大谷口 大畑 奥小毛 ヲシガ谷 鍛冶 樫 鍛冶道ノ下 釜ケ下 川原田 上三味 カウカウ キリサシ 崩 雲田 雲坊 倉屋敷 クルス クラガチ 小峠 小前 小薮 小毛 三角 三セ畑 才ノ上 桜本 坂室田 榊 サコ サコ道ノ下 サコ道ノ上 サコ山根 新十郎 椎ノ木 下川 下三昧 シユケ シユケ道ノ上 シユケ山根 シコ 曽利 谷坊 谷坊道 谷坊山根 高田 田淵 地堂 茶ノ木 寺谷 隣 隣上 隣門 堂ノ上 堂ノ前 堂ケ谷 土居ノ内 ドウギ 鯰 成見 中早田 中小毛 中三昧 荷卸 墓 林ノ谷 柱谷 冷田上 冷田中 冷田下 火ノ谷 柊 ヒロト 藤ノ木 堀田 フケ 町 町蓑 的場 道フチ ミヤマ口 森ノ下 柳 柳政門 柳池ノ上 柳池ノ上中 山根 山ノ神 安尾 薮ノ下 屋敷ノ下 ヤノ谷 岼ノ下 分田 分田岡 分田池ノ下 新十郎開地 冷田溝下 才ノ神 伊勢山 一ケ尾 大谷 尾崩 小倉山 オシケ谷 ヲスヱ 樫 雲坊 クルス 小峠 笹ケ谷 榊 シヤレ 立壁 谷坊 寺谷 堂ノ上 堂ケ谷 成見 林ノ谷 柱小毛 平石 火ノ谷 丸山 ヤクロ

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『丹波志』
『天田郡志資料』各巻
『福知山市史』各巻
その他たくさん



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