丹後の地名

万年(まんねん)
万年新地(まんねんしんち)
宮津市


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京都府宮津市万年・万年新地

京都府与謝郡宮津町万年・万年新地

万年の概要




《万年の概要》

市街地の西部の題目山や滝上山を含む面積的には広い範囲である。もとは吹屋谷(ふきやだに)と呼ばれていた所である。万年は万代や永代というような佳名地名と思われる、東側に鶴賀、鶴が千年、亀は万年で、亀と関係があるのかも、「亀ケ岡」の小字があり、そこから思いついた地名なのかも…。吹屋は鍛冶屋のこと。
万年町は、江戸期〜明治22年の町名で、宮津城下の1町。慶応2年に吹屋谷が改称した。家数は明治維新以前56軒、明治19年48軒、同21年50戸。同22年宮津町の大字万年の一部となった。
万年は、明治22年〜現在の大字名で、はじめ宮津町、昭和29年からは宮津市の大字。
明治39年郡立高等女学校開校、大正12年府立宮津高等女学校。今の宮津中学校である。


万年新地の概要

《万年新地の概要》
題目山の東麓に位置する小さな区画。
万年新地は、江戸期〜明治22年の地名で宮津城下白柏町組の1町。白柏町の触下。万年町新地とも称した。慶応2年吹屋谷が万年町と改称した際に田畑を造成して町筋を設けて、魚屋町新地(東新浜)にあった遊廓が当地に移された。しかしそれも20年ほどで再びもとの場所へ復帰を許され、約10年の間にすべてが移転したという。家数は明治維新以前35軒、明治19年22軒、同21年23戸。明治22年宮津町の大字となった。
万年新地は、明治22年〜現在の大字名。はじめ宮津町、昭和29年からは宮津市の大字。

《万年の人口・世帯数》

《主な社寺など》
本荘神社
宮津中学校

《交通》

《産業》

万年の主な歴史記録

《丹後宮津志》(地図も)
宮津町=本町・魚屋・新浜・宮本・万・金屋谷・小川・白柏・河原・住吉・漁師・杉末・川向・宮町・蛭子・池ノ谷・万年・万年新地・鶴賀・波路・波路町・安智・外側・吉原・中ノ町・京口・馬場先・松原・京口町・木ノ部・京街道・大久保・柳縄手・島崎。世帯数2212。人口9190。
黒が元禄時代。赤は大正14年。

京都府宮津市万年・万年新地


本荘神社(宮津市万年)強者どもの夢の跡か、このすぐ下に墓がある
本荘神社
 宮津町字萬年四番地に鎮座、無格社、祭神本荘資昌、文化六年己巳五月十一日資昌五代の斎伯耆守宗発城内に祠殿を構へ資昌の霊を祀りて昌國宮と崇む。蓋し資昌は遠州濱松城主豊後守資訓の男にて宝暦三年壬申三月家督同八年 月此地に移封十二年正月十八日他界あり宮津家の祖なればなり。維新の政変封土返上城地取毀の爲めに祭祀頽れしを明治十三年八月再興出願同十月允許地を今の所に相し同十七年十一月五臼社殿建築出願翌十八年六月六日許可同二十六年九月社務所新築境内櫻樹多く俗に櫻山といふ。(図版参照)祭典五月十一日。
 尚無格社に有名なるは亀ケ丘の亀ケ丘神社。文政年間領主本荘家祖先の霊を齋き安政三年城主本荘公此地の土砂を筧樋にて島崎海岸に流し宮津城防備の台場を築き其の跡地に神宮教會所神道事務分局設立の際より境内の鎮座とすといふ、同所に遥拝所あり明治六年一月豊岡縣宮津支庁の設立に係り縣官竝に官民一般神武天皇祭其他朝憲御祭典遙拝所と定めらる。
砂出稻荷神社。元亀ケ丘砂山にありしを安政三年台場築造の爲めに麓の万年町に移さる、砲台築造に關係ある神社に金比羅社あり丹哥府志に金比羅大権現と云ひもご亀ケ丘にありしを波止場に移したりと、此他萬町の秋葉、金屋谷の稻荷、万年新地の鈿女、宮津藩寺社名前御調帳の御城下金屋谷粟島社川崎要人とあるは此の鈿女神社か金引山の愛岩、瀧上山の稻荷、烽火山の秋葉、川向の稻荷、小川町の昌國、京口の稻荷、鶴貿町の義清稻荷等あり。
(《与謝郡誌》)


祭日五月十一日、もと宮津城内二の丸に昌国大明神
(《丹後宮津志》)




万年の小字


万年
古稲荷 切開 稲荷町ウラ 京街道ウラ 吹屋谷 蛭子町屋敷裏 池ノ谷 地蔵山 戸崎 如額寺 愛宕山 如願寺屋敷地ウラ 兵場 山王下 川向表 川向裏 川向由良万裏向秋葉 黙止 黙止道 秋葉 小坂 幸寺谷 コシカ谷 万年町新地 小ノ川町 幸寿寺横 フタガ鼻 二軒茶屋 向山 二軒茶屋前 家敷裏 半ノ奥 新庄前 サルカ尾 中奥 須津峠 日焼田 イカミ 赤岩 真照寺 神子石 身心谷 南谷 道心ケ谷 真照寺奥 興六谷 壱本松 金引 ヨキ峠 滝上 雉子尾 妙見谷 矢蔵ケ谷 剣ケ谷 栃ノ木 池ノ尾尻 クワヘガ谷 トリカ谷 塔ノ谷 地蔵口切 地蔵切奥 善五郎谷 善五郎坂 姫ケ谷 姫ケ谷奥 柳ケ谷 矢ノ谷 家ノヲク 幸寿奥 家ノ奥 幸寿 須津峠口 ヤブ谷 小谷 草ケ谷口 草ケ谷 才ノ神 ヲクラ谷 文殊場 文珠場上 新道 文珠場奥 中茂シテ 文珠場谷 奥 新道上り切 清水 清水山ベラ 水フケ 小峠道 梅ノ木谷 六口谷 畑ケ谷 道ノ下 芋ケ尾 イモ川谷 滝ノボリ 中ケ岡 七敏谷 日焼谷 田ノ谷 桐木谷 桜ケ鼻 枯松奥谷 枯松口ノ分 枝松口 マゼ カレ松口 板バシ 犬ノ堂 土ケ谷 才神下切 四町田 天神山切開 天神山 坊主山上下 坊主山 丸山 京街道 ハゲ山 北谷 仏性寺裏 同心ケ谷 智源寺裏 妙照寺奥 屋敷廻り エンサ谷 金屋谷 門前 本堂の前 黒清寺裏 ナカレ石 小川町傘松下 マントリ山 大ケナル 権九郎坂 種着跡 板トリ山 蛭子町屋敷裏 吹屋谷奥 池ノ谷中尾 中尾 干日 流石 中ラビ谷 池ノ谷 墓ノ上 猿ケ尾 トシトリ 年取 地蔵切 小南谷 墓ケ尾 池ノ谷奥地蔵尾 穴ケ谷 愛宕山 トサキ 竜性院 威性院 吉祥院 宝性院 寺ノ下 如源寺谷 古矢ノ谷 中墓 中墓ノ上 南谷口 中墓ノ奥 南谷東尾 如源寺奥ヨキ峠 アカヲ 雉子カ尾尻 雉子カ尾 出合 御茶山 矢場 矢ノ谷口 新庄村奥 御茶山裏 屋敷奥 滝ノ上 秋葉道 川向町黙止庵 秋葉前 秋葉山 滝上横 矢バケ尾 矢場ケ奥 黙止山 矢場尾 矢場ノ谷 稲荷横 御城代ノ上 杉末裏 矢場ノ上 矢場下ノキリ 犬堂ノ上 矢場上切 矢場ノ下 矢場谷奥 三枚尾 焼場 新庄村奥 コウズ谷 幸寿中ノ切 赤尾 赤ハケ ブタケ鼻 砂谷 砂田 砂谷奥 ヒヤケ谷 日焼 札場 イモ引 文珠場下 梅ケ鼻 畑ケ谷 須津峠梅ノ木谷 黒松 丸場 イモリ尾ノ下 日焚谷 七畝田ノ下 イモリ中尾 草谷 山ノ尾 山道 地ノ谷 小谷口 新町 御茶山裏左リ分 トンコ 小川町奥 左稲荷 稲荷ノ上 日ヤケ田 万年 小川町 亀ケ丘 栄昭院ウラ 大頂寺門前 兀山 仏性寺ウラ 金原谷 傘松の下 傘松 真照寺オク 真照寺寺奥 道心ケ尾 石山 与六谷オク ヲカナル 岩ケ谷 梅木谷杉林 年取山 池ノ谷墓ノ下 地蔵山 見心 身心 コブラカヘリ 妙照寺オク 寺下□場 平石 見心尻 見心谷 妙見谷口 釣リ谷 枯ノ木 塔谷二丁切 北ケ谷 滝上山 茶場 御茶山 御遠山先 新庄村オク 幸寿オク 宝寿院 黙止庵 猿ケ谷 御茶山尾 杉末町裏 新庄上 新庄奥 辰神 辰ケ峰 赤尾 薮ケ谷 文珠先ノ上 新庄東上 茶屋ノ尾 札場 カコケ畑 トンコ上切 トンコ下切 トンコ鼻 小峠 ロクロ谷 トンコ切 須津峠中尾 小峠口 草尾 イモケ尾 須津道ノ上 イモケ中尾 イモガ谷 芋川尾下 一町田 桜ケ鼻 枯松 枯松谷 コゼ中尾 文珠岩上 岩ノ上 マゼ尾 板バシ 板橋奥 トウ谷 須津道谷 智源寺山 坊主山

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『宮津市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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