丹後の地名

旧・有路下村(ありじしもむら)
福知山市大江町の旧村


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


京都府福知山市大江町二箇・市原谷・三河・高津江

京都府加佐郡大江町二箇・市原谷・三河・高津江

京都府加佐郡有路下村


 

旧・有路下村の概要




《旧・有路下村の概要》

明治22年〜昭和26年の旧村で、二箇市原谷三河高津江の4か村が合併して成立した。大字は旧村名を継承して4大字を編成した。
村役場を三河に設置。村名は古代〜中世の有道郷の下流地域にあたることによる。当村は河守盆地の東北方の由良川左右両岸の山麓部および同川支流、田中川・三河川などの流域山間部に集落を形成し、村民のほとんどは農業に従事するかたわら、昭和10年代前半までは養蚕を重要な副業とし、ほかに製紙業を営む者もあった。
昭和26年当地方の中心であった河守町に編入。編入と同時に河守町は大江町と改称した。平成18年に福知山市と合併。


《有路下村の人口・世帯数》577・194(現在のもの)


旧・有路下村の主な歴史記録

《加佐郡誌》


 〈 有路郷の下流部であるから名付けられたもので、二ケ、市原谷、三河サウゴ、高津江の四ケ字から成っている。参考。一、市原谷は本来有道郷に属していたが、何時頃よりか河守郷に配下に入って来たと云ふ。以前一谿間の地であったのを慶長年間に初めて開墾し、寛永年間其河を浚へ遂に一部落を爲した。其後市原谷と称へた。村の東方の山に古跡廃址がある。土地の人伝へ言「正暦の頃此処に龍尾寺といふ巨刹があった」と。二、三河、高津江の二ケ字はもと志託郷岡田庄に属していたものである。高津江の西南丘上に廃跡がある。一色氏の臣荒賀五郎八の城址であったとか。  〉 


《大江町誌》
 〈 有路下村 元田辺領の三河村・高津江村・市原谷村・二箇村四か村の合併。北有路村と八か年にわたって連合してきた三河村と、十七年以来、岡田三村・桑飼上・下村・地頭村と連合してきた残りの三村との複雑な合併。戸数・人口ともに最少の村。  〉 


関連項目





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順

丹後・丹波
市町別
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市

 若狭・越前
市町別
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市






【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『大江町誌』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





Link Free
Copyright © 2008 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved