丹後の地名

冨留山神社・布留山神社
(ふるやまじんじゃ)
大倉木神社
(おおくらきじんじゃ)
舞鶴市小倉


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京都府舞鶴市小倉

京都府加佐郡志楽村小倉




冨留山神社の概要




《冨留山神社の概要》布留山の神額

 冨留山神社は舞鶴市の東部、志楽川を遡った中流域・小倉に鎮座する神社。志楽小学校の南側の森のある所である。国道27号線脇で車からも見える。「お松神事」という三本の大松明に点火する行事で知られる。
布留山とも書かれる、フル山、フルヤマはこの神社の鎮座地の山のことである。山というのか小さな山である。
 残欠に大倉木社。あるいは布留社だろうという説もある。「室尾山観音寺神名帳」の正三位 大倉明神、あるいは正二位の布留明神だとも言われる。

布留社・布留明神は由良川筋にあったと思われ、ここではないと思う。布留山神社(舞鶴市小倉)
では大倉木社なのだろうか。それもあまり確かとは言えないかも知れない。残欠は、枯木浦の記述の次に、

 〈 春部村(以下二行虫食)
大倉木社祭神国造(以下三行虫食)  〉 

とあり、春部(かすかべ)村にあったと思われる。しかしまたその後、高橋郷に、

 〈 長谷山墓大倉木(以下虫食)  〉 

とあり、国造大倉岐命の古墳は長谷山(新舞鶴小学校の南側裏山)にあった。そうすれば彼を祭神とする神社も古墳の付近にあるのが普通と思われるのである。
 もともとは古墳から発祥した神社であったが、いつの世にか、残欠の編まれたころにはすでに現在地の春部に移転していたということかも知れない。あるいは大倉岐命は一代だけでなく、何代も襲名していて(大倉岐命古墳も含まれる溝尻古墳群は8号墳まである)、同名の何代にもわたる古墳がこの付近一帯、長谷山だけでなく、もっと広くにあり、布留山神社周辺に5つばかりあるが、そこにはそれぞれ同名の神社が造られていたのかも知れない。
この辺りは広くクラキ、カラキの原郷であり、大倉岐命のお膝元ということであろう。大倉岐命は丹波国造であったという。国造本紀に、「丹波国造、志賀高穴穂朝御世尾張同祖建稲種命四世孫大倉岐命定賜国造」とあり、勘注系図には、丹波國造大倉岐命(十六世孫)「亦名を大楯縫命。稚足彦天皇御宇癸丑年夏五月、桑田郡大枝山辺に大蛇有り、而人民被害を為す。則此命直方市愁い、群臣を率い之の征伐を将いた時、大山咋命が現れて之を助けた。群臣と之を斬る。此時孤独窮口を憐撫する状が天聴に達した。故楯桙等を賜り而して丹波国造を賜った。加佐郡志楽郷長谷山に葬った。」とある。天田郡式内社・天照玉命神社の創祀者でもあり、「神祇志料」によれば成務天皇の代に、天火明命一二世の孫建稲種命の四世の孫大倉伎命が丹波の国造に任じられたが、その在任中に先祖の天火明命を祀ったものであるという。勘注系図で丹波国造の肩書きは彼からである。大変な人のようであるが、その本貫の地がどうもクラキ・カラキ・オグラの東舞鶴の海辺あたりと思われるのである。クラ・カラとフルはK・Hの交替で簡単に入れ替わるので、現代人が思うほどには関係のない言葉ではない。相互に関係している。さて、現在の布留山神社の祭神は須佐之男・経津主命・建甕槌命で大倉岐命は祀られていない。江戸期の文献では午頭天王社とあり、隣の一宮(阿良須神社)末社とある。どうも古代の大倉木神社ではないのではなかろうかの感じも強くなる。ではどれか、近い所だと浮島(渕島・祭神=誉田別尊、市杵島姉命)の嶋満(しまま)神社は「室尾山観音寺神名帳」の正二位の高い神格を持っている、たぶん春部村のうちであり、あるいはこれか。それとも名が近い、枯木(からき)神社(弥加宜神社境外社。祭神=西宮夷三郎)か。ここは高橋郷になり、古墳と同郷である(長谷山は残欠だと高橋郷、勘注系図は志楽郷としている)。そのほか市場八幡や古墳のすぐ近くの大杉稲荷など見当してみるべき神社は多い。
 丹後海部氏の本貫地はこのあたりであったのかも知れない。この氏族はのちに現在の府中の地に移動したのであるが、その籠神社のあたりには溝尻、倉橋山、倉橋川、傘松山、枯木浦といった地名がある。これは東舞鶴から海部氏とともに移動したものかも知れない。大倉岐命の児は丹波国造明国彦命で、この人は野村寺に古墳があり西舞鶴の人である。真名井とか吹飯浦といった名もあるいは西舞鶴から移動したのかも知れない。
明国彦命の古墳は勘注系図によれば丸子山という。丸子はマラコの転訛と思われるがマラコは鍛冶屋の親分につく名前である。そうすると明国彦命は鍛冶王だと思われる。その親とされるのが大倉岐命で大蛇退治をしたというのだから、彼もまた鍜冶王と思われる。
海に近い所に古墳が築かれていて、恐らく彼らは製塩と製鉄の豪族だったと思われるのである。
「室尾山観音寺神名帳」に、正三位津夫良明神が見える。これについて『元初の最高神と大和朝廷の元初』は、「大倉岐命の配偶女神」とされている。この都夫良明神はどこにあるのかわからないが、ツブラは目のことで、現代訳すれば「目の神様」ということである。恐らく一つ目の神様であろう。ヨメさんが一つ目なら、大倉岐命も一つ目だろうと推測できる。従って両神ともに鍜冶神であろうと断定してもよいと思う。


冨留山神社の主な歴史記録


『舞鶴市内神社資料集』所収(京都府地誌)
 〈 冨留山神社。社地東西四間南北八間面積三十坪村ノ??東ニアリ須佐之男経津主命建甕槌命ヲ祭ル創建年代詳ナラズ相伝フ往昔青葉山中ニ陸耳御笠ナル者アリテ強悍暴戻?ニ良民ヲ?掠シ上命ニ従ハズ是ニ於テ日子坐王勅ヲ奉ジ討伐セラル是時ニ当テ軍勝ヲ実セン為メ清浄ノ地ヲ撰ミ素盞鳴命経津主命建弥?命ヲ祀リ号シテ冨留ト称ス即チ当社ナリ祭日十一月十五日境内末社三座アリ  〉 


『舞鶴市内神社資料集』所収(神社調査書)
 〈 一、神社所在地  京都府加佐郡???小倉小字?宮鎮座
二、社格神社名  無格社 冨留山神社
三、祭神
    素盞鳴神  経津主神
    武甕槌神
  相殿
    ?????
四、由緒
往古当国青葉山中有玖賀耳御笠ト云フ不????彦坐王勅ヲ奉ジテ伐給フ時??地奉定シ素盞鳴神経津主神武甕槌神ヲ祭リ平安ヲ祈リ御鎮圧ノ後?????三種ノ神ヲ祭ル兵器ヲ収メ布留社ト号セリ貞観年中正二位ヲ賜リ?和年中冨留山牛頭天皇ト改称慶??五年社殿及宝物等兵火ノ為ニ灰燼?六年再建??也創建年代等不詳
九、特殊神事
???慶雲年中冨留ノ神ノ祭日ニ??

(京都の社寺 中丹編)
    富留山神社本殿

「聖王天中天 迦陵頻伽聲  安永五申年上下遷宮鹿原山金剛院秀寛

 (梵字)奉建立旧午頭天王宝殿  大檀那大梵天王  田辺丹波町大工棟梁
              大蹟主帝釈天王     森本長五郎
                             同苗 喜八
                             同苗 平八
                             同苗 長太郎
                    木挽鹿原村 松岡兵左衛門
                    屋禰屋堀上町岡見理左衛門
                     同 宮津  橋本仁左衛門
 哀愍衆生者 我等今敬礼 六月丈六日
         大檀那 牧野豊前守惟成
            願主 若狭大飯郡高野津叟太夫
                  二拾七代末孫神子加女
              時邑司 小倉村本庄屋 太右衛門   謹
              同村後役庄屋 兵左衛門 氏子中
                鹿原村庄屋  太左衛門   白
                田中村庄屋  孫兵衛
                岡安村庄屋  嘉左衛門
                吉坂村庄屋  惣左衛門
                泉源寺村本大庄屋 梅垣西浦
                同村 後役大庄屋 福西八右衛門  〉 


『舞鶴市史』
 〈 お松の神事
志楽地区の阿良須神社域内の富(布)留山社で陰暦の十一月十五日に行われている「お松の神事」(写真76)は従前から豊凶を占う火祭り神事として近郷に知られている。
 この日、各字の氏子総代は威儀を正し、麻殻(おがら)で作ったすり鉢形の大松明三本を二メートルほどの竿先につけて立て、これを早生、中生、晩生に見立てて神火をつける。その燃え方で翌年の豊凶を知る神事である。  〉 

『舞鶴市民新聞』(97.4.1)
 〈 *三番叟・姫三社・徳若万歳(田中)とおまつ神事(小倉)の2件を登録*無形文化財として*平成8年度*府指定文化財・府教委がこのほど発表*
 府教育委員会はこのはど、平成八年度の府指定文化財を決めた。府文化財保護裏会(樋口隆康会長)の答申を経て、今回は指定十二件や登録三件など計十八件。
 市内からは、小倉のおまつ神事と田中の三番叟(さんばそう)・姫三社・徳若万歳(とくわかまんざい)の二件か、無形民俗文化財として登録された。
 おまつ神事は小倉の布留山神社で、毎年十一月十五日前後の日曜日に地元の人らによって行われている。
高さ二bの柱の上に麻穀(おがら)でつくった松明を取り付ける。三本の松明を稲の早生、中生、晩生に見立て、その燃え方で来年の稲の作付けを占う。
 三番里・姫三社・徳若万歳は、田中の鈴鹿神杜で同神杜祭礼保存会の人たちによって五年に一度奉納される祭礼芸能。三番叟は四人、姫三社は三人、徳若万歳は二人で構成され、いずれも小学生から中学生が演じるか、姫三社のみ女子が務めている。  〉 

『京都新聞h7、11、10』
 〈 伝統継承への熱意*12日に祭り大たいまつ完成*「おまつ神事」復活10年*舞鶴布留山神社*舞鶴の伝統的な祭りとして知られる布留山神社(同市小倉、森本太郎夫宮司)の「おまつ神事復活して十年目を迎え、十二日に行われる。三本の大たいまつを燃やし、米の豊凶を占うが、地元の人たちは「貴重な古来の形を継承していきたい」と、保存への気持ちを新たにしている。この祭りは、平安時代中期に始まったという。麻殻(おがら)を束ねた大たいまつ三本を稲の早生(わせ)中生(なかて)晩生(おくて)に見立てて神社境内で燃やし、その様子で占う。大たいまつの材料となる大麻が、大麻取締法の強化で手に入りにくくなり「別の材料で伝統を崩すよりは」と、昭和四十八年からいったん中止した。その後、栃木県から購入できることになり、同六十一年に復活した。今年も、長老の指導で地区の十六人が大たいまつ作りに取り組み、九日までに完成した。十二日は、午前十一時半から神事、正午ごろ点火する。小倉区の小嶌一之区長(50)は「都市化が進む中で、伝統行事を通した地域の触れ合いを大切にしていきたい」といい、祭りの保存に携わる行永清温さん(69)も「米づくりはやはり農村の基本です。その意味で、災への信仰が受け継がれてきました」と、今年の無事開催を祈っている。  〉 


関連項目







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↓海抜5メートルラインまで紺色にしている。かつて実際に、こんな時代があったと想定される。
海面が高かったというよりも、主に河口部の堆積が進んでいなかったためである。



↓海抜10メートルまで紺色にしてある。人間による温暖化、あるいは自然現象でもしも海面が10メートル上昇すればこうした事態になる。ワシが生きとる間は大丈夫と無責任を続ければ、どこぞの国の大借金と同じでこうしたことになることが避けられなくなるかも知れない。
 しかしここでは将来のことではなく、過去にこんな時代があったということである。現在のデーターの蓄積からは何年前と確実なことを言うことはできない。古墳時代がこうであったかはわからない。しかしだいたい紺色の部分は海か海的な低湿地で人間が利用できる土地ではなかったのでないかと私は想像する。

神社は左から枯木神社・大倉岐命古墳・布留山神社の位置。
(『カシミール3D』で作成)

尚、現在のまま地球温暖化が進行すると、2050年までに海水面が約20cm上昇し、さらに21世紀末には約15〜95cm(中位値で50cm)の海面上昇が起こり得るという予測が、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第2次評価報告書に述べられている。IPCCの第3次報告書(2001)では、2100年までに 0.09〜0.88m の上昇と予測していたが、第4次報告書(2007)では、0.18〜0.59m の上昇と予測の幅を狭めている。という。

【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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