丹後の地名

池ノ内下
(いけのうちしも)
舞鶴市池内下


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京都府舞鶴市池ノ内下

京都府加佐郡池内村池ノ内下




 

池ノ内下の地誌

《池ノ内下の概要》



池ノ内下は舞鶴市の南部。伊佐津川支流・池内川流域に位置する。池内下とも書く。単に下村とも、あるいはイケシモとも呼ばれている。
池内川左岸に立地する純農村。南方は丹後峠(別名大股峠)あるいは見内(みうち)峠を経て丹波東八田の於与岐に至る。
池ノ内下村は江戸期〜明治22年の村名。同22年池内村の大字となる。


《人口》186《世帯数》55

《主な社寺など》
氏神は布敷の池姫神社
今田の倭文神社
山神社
曹洞宗桂林寺末白雲山喜雲寺
『丹後国加佐郡旧語集』
 〈 桂林寺末  〉 

『加佐郡誌』
 〈 福聚山喜雲寺、曹洞宗、大永三年創立、池内村  〉 

『丹哥府志』
 〈 【小白山喜雲寺】  〉 

『丹後国加佐郡寺社町在旧起』
 〈 堀村
池の内下村小迫オサコ山喜雲寺、桂林寺末寺禅宗。  〉 


《交通》
府道舞鶴綾部福知山線

《産業》

池ノ内下の主な歴史記録


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免七ツ分
池之内下村 高二百七拾石四斗八升八合
      内拾四石九斗八升弐合 万定引
      拾五石御用捨高
 喜雲寺 福聚山 桂林寺末

  〉 


《丹哥府志》
 〈 ◎下村(堀村の次)
【小白山喜雲寺】  〉 


《加佐郡誌》
 〈 池内村。もと大内郷に属していた。現今は今田、堀、池ノ内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷の九ケ字から成っている。
  〉 




《まいづる田辺 道しるべ》
 〈 池ノ内下村(下村)
 地名の由来については、池内伝承によると、五郎山の山崩れにより池内川が堰止められ、別所より上流が池となり、この池の下に位置していた所から「池ノ内下村」の村名が付けられたという。
 この村の伝説によると、城ケ谷たかつぼ(池ノ内下村と堀との間)に、やや盆地を成せる所があり、ここに平家の残党が落ちのびて住みし所と伝えられている。
 さて、布敷内を通る上林街道より別れ、池内川を渡り、池ノ内下村へ入り、丹波の上杉へ至る裏街道がある。この街道を丹波道、別名「みせん道」とも呼び、古くより多くの参詣者がこの道を通ってお参りしたと伝えられている。
 この丹波道は、池内橋辺りより池内川を渡り、小字出口を通り、山裾に祀られる子守地蔵堂前の道を左に折れ、これより池内川支流に沿って谷奥まで入ると、高上集落あり、この辺りより丹波へ越す峠道にさしかかる。
 この高上集落前で池内川支流と見内川が合流し、この辺りの地名を小字出合という。この両河川の谷川に沿って、それぞれ丹波へ越す峠道がここで分かれ、この岐路に道しるべの追分地蔵が立てられている。
 石地蔵には、
  右 うゑすぎ
  左 大又 みせん
とあり、右の「うゑすぎ」は梅迫の上杉のことで、出合の岐路より右の見内川(池内川の支流)に沿って谷間道に入って行く。約七百五十メートルばかり入ると山谷に小さな道標の追分地蔵があり、更に三百メートル行くと山谷に同じく道標の追分地蔵が立っている。この辺りより見内峠にさしかかり、峠頂上で丹後、丹波の国境となる。この頂上にも国境の地蔵さんが祀られている。…  〉 

池ノ内下の小字


池ノ内下 小林堂 下深田 出口 塚本 中ノ森 塚本口 迫田 小迫 小井根 八幡田 ミソヅ 大町 三田氏 笠谷口 竹ノ後 サカイ子 段ノ田 由里 大迫 大迫口 大石 宮ノ下 サハ 大田 下池 湯谷口 湯谷 山ノ神 高上 高上口 ヤスケ 出合 見ユ谷 田ノ谷 北谷 一枚田 中見谷 五葉谷 小滝口 七尾口 小迫谷 見内谷西 柳迫 見内谷東 下見谷 北谷南 小滝谷 ミヤマ 中ノ谷 狸々滝 ガマガ段 真奥 ショブ 田形尻 七尾谷 ナルノ段 水ノ元 北谷北 北谷由里 笹谷 七尾 赤道 沢東

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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