丹後の地名

麻良多神社
(まらたじんじゃ)
舞鶴市丸田


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京都府舞鶴市丸田

京都府加佐郡加佐町丸田



麻良多神社の概要

《麻良多神社の概要》


由良川の下流域左岸、八雲小学校のすこし北、ちょっとした谷間になっていて国道からも何とか見える位置にある。昔はこのあたりは田んぼだったが、現在は八雲保育園がある。その脇を少し入った奥である。同社はかつては八幡神社を社号としていたときもあたが、鎮座地の地名が丸田、さらに丹哥府志には「麻良田神社」(延喜式)とあって、加佐郡式内社の麻良多神社はこの社と考えてよく、明治41年に「麻良多神社」と社号を変更したという。
社伝によると、「貞観五年(863)に、丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、村人はこれを明神と称して尊崇し、同八年に男山八幡を歓請した」(『加佐郡誌』)とある。
丸田の池(先は保育園。手前が神社)
↑「丸田の沼」と呼ばれる小さな池が神社と保育園の間にある。これがミソのようである。
 神社左手には舞鶴市の木欅番付で「関脇」にランクされた大木がそびえている。この関脇欅について『舞鶴守りたい自然』は、(写真も)
麻良多神社の大ケヤキ麻良多神社の境内にあり、胸高囲4.83m、高さ30m以上。選定理由としては、熟年で生長旺盛、枝葉が多く、よく伸びていて、関脇にふさわしいことから認定されました。この木は様々な樹木に囲まれその中でひときわ大きく威厳を持ってそびえています。
ケヤキの近くにタブノキもある。胸高周囲4.7m、高さ20mという巨木である。
 さて、誰も指摘する者もないが、マラタは鉄の神社と思われる。麻呂子とか丸子とかいうのと同じで、マラタの方が古そうな感じで、より元の意味に近いと思う。そう呼ばれた金属技術集団の親分が祀られていると私は考える。この沼に夜ごと異光を放つものがあった。この沼中から砂鉄が採れたのではなかろうか。

麻良多神社の主な歴史記録

《丹後風土記残欠》
麻良多社

《室尾山観音寺神名帳》
従二位丸田明神

《丹後旧事記》
麻良多神社。丸田村。祭神=麻良多大明神 豊宇気持命。延喜式竝小社。

《丹哥府志》
◎丸田村(和江村の南)
【麻良田神社】(延喜式)

『丹後史料叢書五』「丹後国式内神社取調書」
麻良多神社 印一本
○熊野郡丸田神社又越後国頸城郡圓田神社

寛案丹後田数帳有丸田村
【考案記】丸田村八幡社是ナヲン【道】同上【式考】祭神ノ事ハ猶ヨク考フベシ
(志は丹波志・豊は豊岡県式内神社取調書・考案記は豊岡県式社未定考案記・道は丹後但馬神社道志留倍・式考は丹後国式内神社考・田志は丹後田辺志)

《加佐郡誌》
祭神  誉田別命
由緒  清和天皇の御宇貞観五癸未年夏丸田の沼に異光を放つこと夜々絶えなかった。村人明神と称へて尊敬した。同八年丙戌六月15日男山八幡神社の玉串を拝請して鎮座し奉ったと伝へられている。延喜式神名帳所載の神社である。明治41年1月24日八幡神社と称していたのを現今の社名と改称した。
境内神社 恵比須神社(祭神 事代主神社)
     大黒神社(祭神 大己貴神)
     玉神神社(祭神 大山咋神

《舞鶴市史》
同社はかつて八幡神社を社号としていたが、明治41年に「神名帳」所載の神社をこれに考定して社号を変更した。創建の社伝は「貞観五年(863)に丸田の沼に夜々異光を放つものがあって、村人はこれを明神と称え尊崇し、同八年男山八幡を勧請した」(『加佐郡誌』)とするが、森羅万象の中で人知でははかり知れない現象を、これすべて神と見るのが古代人の神観念の通例であって、おそらく同社も初期には単に”麻良多の神”であったものが、八幡神の流布によって、これに習合吸収されたのでないかと推察されよう。

『舞鶴市内神社資料集』所収資料
(神社旧辞録)
式内麻良多神社 祭神 豊宇賀売命・誉田別尊  同市丸田
清和天皇の貞観五年夏、田沼に異光飛びて夜に絶えず、村人崇めて是を神に祭るとなり。なお同八年六月男山より八幡分霊勧請とも伝う。
明治四十一年旧八幡神社を現社名に改称した。素は麻良多社に豊受姫命の鎮座あったのに後神縁あって八幡様が合祀されたかとも拝察。この字は故宮に関連する古色豊かな小字多くみられる。


(滋賀県水口町 秋葉神社)
 この鰐口は、もともと丹後国加佐郡祇薗寺庄丸田村八幡宮(現・舞鶴市)に奉納されたもので、文明6(1474)年の刻銘がある。
 その後、改めてここ水口の美濃部天満宮に、江戸時代初頭の元和6(1620)に、美濃部同名中により奉納されたものである。
 「甲賀武士」の結束を知る上で、貴重な遺品である。(水口町立歴史民族資料館  (展示)甲賀水口の歩みと暮らしより)

  径二五糎
(表)
   施入奉  丹後国祇薗寺庄丸田村
   八幡宮  御宝前 鰐口
    文明六年甲午十一月日
      願主 敬白
(裏)
   江州甲賀美濃部天神御宝前
     元和六年庚申二月廿五日
      美濃部 同中名
水口町には麻良多神社(たぶん)の鰐口があるというのである。


《八雲のれきし》
麻良多神社(指定村社)
 八雲保育園、区民センターは麻良多神社々前にあり、八雲小学校は西に隣接し、八雲の中心的な土地になった。園庭に続いて沼がある。そして市の木の大欅が聳える。この木は名木番付の関脇にランクされている。
 社伝によると、貞観五年夏、丸田沼に異なる光を発すること夜々絶えず。当時、村人は丸田沼の明神と称えて尊崇し、同八年六月十五日、男山八幡神社の玉串を拝請して鎮座し奉ったと伝える。延喜式神明帳にもある八雲地区唯一の由緒ある神社とされている。以前は八幡神社としていたが、明治四十一年社名変更がなり、麻良多神社と変更した。祭神は誉田別命である。丸田東・丸田西両区の氏神社であり、例祭は十月十五日であったが十月の第二日曜日に統一された。例祭には両区内をやぐら太鼓を引いて廻る。
 境内社は恵比寿神社、大黒神社、山神々社が祀られている。

『舞鶴の民話2』
ふしぎな光 (丸田東)
 由良川にそそぐ丸田川をさかのぼっていくと、こんもりと木の茂った森があります。
そこには今から一千百年前に京都の男山八幡宮より御神体をいただき祭ったということです。ほつ田別の神と豊受の命の大神もまつってあります。宮の神域の内に「明神の池」というのがあります。清水がこんこんとたえまなく湧き出ています。この他は物を投げると、数日後にそのものが由良の岩の水戸に浮んでいるといい伝えられています。
 このお宮に夜おまいりすると、明神の池の方に不思議な光が出ています。これは村人たちがたびたび見ています。
 その光が何であるか、吉凶を知らされるともいわれています。今では見た人はないけれども、夏は冷たく、冬はあたたかい湧き出る水に、ほていあおいが我がもの顔にいっぱい浮いています。




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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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