丹後の地名

水間(みずま)
舞鶴市水間


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京都府舞鶴市水間

京都府加佐郡加佐町水間



水間の地誌

《水間の概要》


水間は舞鶴市の西部。由良川下流右岸に位置する。北流する由良川と並行して府道西神崎上東線・KTR宮津線が走り、東雲駅がある。川と線路の間は耕地となり、線路の東側山裾に集落が立地している。天正年間に現地名を称するようになったという(府地誌)という。
舞鶴湾(西湾)沿いの吉田村との間に古くからの交通路がある。
水間村は、江戸期〜明治22年の村名。水間は明治22年〜現在の大字名。はじめは東雲村、昭和3年八雲村、同30年加佐町、同32年からは舞鶴市の大字となる。
水間公民館前の大ケヤキ(舞鶴では二位の大きさ)
↑公民館の前の大ケヤキ。宮崎駿雄さんのアニメに出て来そうな「森の神」の姿をしている。絶対に神様樹だと思うな。


《人口》140《世帯数》44。

《主な社寺など》
KTR東雲駅
八幡神社
曹洞宗舞鶴桂林寺末仏徳山即心寺


《交通》

《産業》


水間の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
水間村
即心寺(桂林寺末寺)高倉八幡宮 産宮なす

《丹後国加佐郡旧語集》
定免八ツ三分
水間村 高三百六拾四石八升
    内四石九斗四升八合弐勺 万定引
    四拾五石抑用捨高
 即心寺 桂林寺末
 高倉八幡宮
  末社 太神宮 愛宕 春日 天王

《丹哥府志》
◎水間村(中山村の次)
【八幡宮】
【仏徳山即心寺】(曹洞宗)
 【付録】(大日堂、三宝荒神、辻堂)

《加佐郡誌》
東雲村。往時凡海郷由良庄に属したもので、今の名は大雲川(由良川の一名)の東岸の意から出たものである。三日市、上東、下東、中山、水間の五ケ字から成っている。参考。中山の名は古くから著はれている。足利氏の晩年に一色氏の臣沼田幸兵衛が此処に居城を築いて居たが、天正六年四月に一色義通が之に依って細川氏に攻められた。

《八雲のれきし》
水間下については、明治の末期までは大字水間小字奈良ヶ崎に居住し、数戸からなる小集落であった。ところが明治四十年の大水害に見まわれ、全戸現在位置(小字大日)に集団移住をしたのである。その後区民の愛郷心により、目覚ましい発展を遂げ、昭和三年隣保会場の建設さらに生活環境の整備近代化が逐次行われ、一方区の行政も従来委員制であったのが、昭和十八年八雲村議会に於て区長増員を議決、以後区民行政に改められ現在三○数戸の集落になっている。

水間の小字

《舞鶴市史》より
水間 堂ケ鼻 フコ田 中間 上野 長刀 麻町 馬場 奈良崎 下野 中島 火打島 大日 由里ノ下 下山 堂坂 五ツ町 山元 下明 坪内 地蔵下 小田元 赤鼻 土佐 宮坂 迫田 上垣 寺ノ上 棒奥 中西 桜 城山 牛ノ背 平田 瀬谷 中河原 高屋 高屋下 大江後 打越 小山中 大平 松尾 笹谷 大成 松尾尻 庵坂 峠谷 栃木谷 菰谷 大谷 深山口 雛鷺尾 焼山 休途 大岩迫 登尾 小浅 戸石山 越道 堂山 水溜 古川 西ケ岡 中河


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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