丹後の地名

布敷(ぬのしき)
舞鶴市布敷


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京都府舞鶴市布敷

京都府加佐郡池内村布敷


布敷の地誌

《布敷の概要》


布敷(布鋪とも記される)は舞鶴市の南部。伊佐津川支流・池内川流域の山間谷中に位置する。
布敷村は江戸期〜明治22年の村名。同22年池内村の大字となる。

この地名は「五郎の滝」の別名「布敷の滝」から出た地名ではなかろうか。


《人口》238《世帯数》53

《主な社寺など》
○中央に八ヵ村(堀・池内下村・布敷・別所・白滝・岸谷・上根・寺田)の氏神・池姫神社が鎮座する、古来雨乞い神事として、池内川上流の五郎の滝から神社まで大岩を引く石引き行事が伝わる。現在は行われていない。
○上宮神社
○八坂神社
○五老の滝(五郎の滝・布敷の滝)
五老の滝入口
布敷公民館の上手にある上路橋。池内川右岸(写真でいえば左手)の土手を歩いて進む、途中道が消えるがそのまま道らしき所を進む、音が聞こえてくるから、だいたいの位置はわかる。大きな岩があたりにゴロゴロしてくる。そのためにゴロの滝なのかも知れない。上手が別所なのでもしかすると鎌倉権五郎と関係があるかも知れない。右手が五老山、山との間の川のすぐそばを高速が走っている。道は荒れてます、探検旅行です、そうした服装と長靴持参をおすすめします。

五老の滝
五老山は右手の山で、それが崩れて池内川を塞いで、上流に堰止め湖を作ったと思われる。硬そうで重そうで大きな岩がゴロゴロだが、そこを切り下げてこうした高さ1.5メートルほどの堰を二段作っている。切り下げた長さはおそらく50メートル、深さは10メートル以上にもにりそうに思われる、驚く作業量と優秀な技術だが、いつの頃に作られたものとも不思議にも記録にはないようである。堰関連の周辺施設も残っているようだが、どのくらいのものなのかの正確な測量もされていないようである。

五老の滝






《交通》
府道池辺京田線

《産業》

布敷の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 布敷村
池姫大明神、堀村より岸谷村まで八ケ村の氏神。  〉 


《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免八ツ一分
布敷村 高百四拾八石五斗三升
    内十五石四斗六升四合二勺 万定引
    十石御用捨高
 池姫大明神
  堀 池之内下村 布敷 別所 白滝 岸谷
  上根 寺田
  右八ヶ村氏神毎年順番振物踊狂言ヲ勤 本祭
  ハ六月十五日夜祭 踊リ有リ
  弥勤堂  〉 


《丹哥府志》
 〈 ◎布鋪村(下村の次)
【池媛大明神】(祭八月)
【五老の滝】
五老の滝は池姫大明神と相隔つ僅に三四丁、凡歳旱する時は則ち池の内八ケ村相集りて五老の滝より大いなる岩を引て宮の傍に至る、如斯する時は雨降るといふ、蓋滝の上は川なり、其川岩にせかれて流るる事能はず、よって昔は沼なりといふ、其沼に大蛇すみて人を害す、於是磐別命其岩を開きて流を通し其大蛇を捕へ是を斬る、後に其蛇祟りをなす、よって是を神に祭り池姫大明神といふ、於是其岩を取る時は必ず雨降る、蓋其亡魂なりと伝ふ。  〉 


《加佐郡誌》
 〈 池内村。もと大内郷に属していた。現今は今田、堀、池ノ内下、布敷、別所、上根、寺田、白滝、岸谷の九ケ字から成っている。

布敷には池姫神社がある。今田以外の八ケ字の氏神である。之は参考一に記した湖に棲んで居た大蛇に毒を入れた人形を食はせ退治した後其骸を祭ったものであるといはれている。  〉 

《舞鶴市史》
 〈 五老の滝 (布敷)
 五老の滝は池姫神社からわずか数百メートルの所にある。日照りの続く時は、池ノ内八ヵ村から村人が集まって、五老の滝からお宮まで大きな岩を引くと必ず雨が降るといわれている。
 この滝の川上は岩でせかれて流れず、昔は沼であったといい、その岩を取ると必ず雨が降るのは、その沼の主といわれる大蛇の亡魂のためだと伝えられていた。  〉 



《まいづる田辺 道しるべ》
 〈 布敷
 布敷の地名については次の様な伝承がある。
  「昔、池内谷が池であった頃、雨で池が増水し五郎の滝より落ちる滝水が、まるで布を敷きつめた様に見えた処からこの名がつけられたという」
 布敷の滝(五郎の滝)の存在については古くより伝1えられていた様で、江戸時代の初期、田辺の住人であった永田氏述が著した「丹後之国変化物語」の中に、田辺
の名所旧跡の風景画が二十一ヶ所描かれており、その中に「布敷の滝」があり、往昔より田辺の名所の一つであったことが知れる。
 …この辺りより上流五、六十メートルの所に「五郎の滝跡」あり、この五郎の滝跡辺りより北側の山に向かって池内谷を塞ぐ形で土地が盛り上がり台地を形成している、この台地周辺には数多くの岩石が今も見受けられ、この台地が五郎山の山崩れによって出来たものといわれている。五郎山の山崩をした場所は大きな窪地になっており、地元では「千人かくし」と呼ばれている。
−池姫神社と石引き 雨乞いの石引き−
 布敷村内には、池内八ケ村の氏神として池姫神社がお祀りされている。
 祭神には大蛇(竜神)が記られ、年によって日照りが続き、稲作の不作となると百姓達にとっては死活問題であり、こぞって氏神に雨乞いの祈祷を行うのである。
 それでも、なお雨が降らないとなると、池内九ケ村が相い集まり、最後の雨乞神事である五郎の滝の大石を村中総出で池姫神社まで石引きを行えば、必ず雨が降ると古来より信じられ、昭和初期まで、旱魃の年には雨乞いの石引きを行う神事が池姫神社で継承されてきた。
 この様に池姫神社には古来より大蛇にまつわる伝説が伝えられ、これを裏付される史料及び地元伝説を記して見る。
 最も古い史料としては、紺屋町の笶原神社に残る史料の中に出てくる伝記に、
○奈良時代の天平宝字元年(七五七)秋七月
  古老がいうのには、
「昔この池の中に大蛇がすみ、人々に害を及ぼした。そのため毎年この池に生贄を捧げて大蛇をなだめていた。時に、一人の娘にこの生贄の役が当たった。娘は懐に利刀をひそませ、大蛇が呑みこもうとした時、娘はその刀で大蛇を刺した。大蛇を殺すことができたが娘も毒に当たって死んだ。
 このことは直ちに神祇伯石川朝臣年足卿に報告された。卿は娘の霊を記るために社を創設し、これを地主神とし生贄霊社(いけにえのみたまのやしろ)と名づけた。
 この年に山を切り崩し、池を埋め、新しい田を拓いた」
と記している。(文化財めぐり)
○元文二年(一七三七)丁巳八月
 磯田閑水老人の手記によると、
「当社の旧名は、千瀧雨引社と号し、祭神に龍神を祀る。往昔、草昧(天地の開けはじめ)の時龍蛇此奥谷に住み、土地の人偶々之を見て恐怖の余り疾病に躍る者多し、土地の人は大変心配し、手刀雄神に祈った所素盞嗚雄神に祈れとの御諭があり、瀧水に身を清め、七日夜只管龍神の崇りを免れ奥谷の地を開墾成就することを祈願したところ、不思議に龍神は其影さえ顕さなくなり、奥谷の開墾が出来る様になる。素盞嗚雄神を山の上に祀り、瀧の下に此神を斎き祀った。
 人皇四十一代持統天皇五年辛卯六月に、洪水により両社共に流水、その後再建された。
 昔、鍵取福地某の古書にあるのを見たが享保二十年(一七三五)乙卯八月水害にて留書を流失し、後考のた
めに私記して置く」(加佐郡誌略記)
○享保二十年(一七三五)に書かれた旧語集には、
 「昔この池の湖に住んでいた大蛇の遺骸を祀る」とあり、
 ○天保十二年(一八四一)に記された丹哥府志によると、
 「五老の瀧は、池姫大明神と相隔つ僅に三、四丁、凡歳旱する時は、則ち、池の内八ケ村相い集りて五老の瀧より大いなる岩を引て宮の傍に至る。
 如斯する時は雨降るという。蓋瀧の上は川なり、其川岩にせかれて流るる事能はず、よって、昔は沼なりといふ。その沼に大蛇すみて人を害す。於是磐別命其の岩を開きて流を通し、其の大蛇を捕へ是を斬る。後に其蛇祟りをなす。よって、是を神に祭り池姫大明神という。
 於今、其の岩を取る時必ず雨降る。蓋其亡魂なりと伝ふ」
 この外に岸谷には次の様な伝説もある。
 「岸谷の鬼住池に住む大蛇が人々に害を及ぼすため、岸谷の五衛門が弓で大蛇を退治し、其の頭部を池姫神社に祀る」と地元では伝えられている。
 このように、池姫神社には古くより数々の大蛇伝説があり、我が国では古来より、水田耕作や農耕儀礼にもとづき、竜神は水の神として崇められ、水害や旱魃は竜神のしわざとされ、恐れられ、旱魃の時には、竜神、水神に雨乞いの祈願をすれば必ず雨が降ると信じられてきた。竜神は又、岩や石とも結びつき人々の信仰を集める様になり、池内の雨乞いによる石引きについても、五郎の滝の大石を池姫神社まで引く神事は、雨乞石に祈願すれば必ず雨が降る信仰にもとづくものであったのか。
 或いは、五郎の滝の大石を取ることにより池の水が無くなり、池の竜神を怒らせて雨を降らせる石引きであったのか。
 これ等の伝説については定かではないが、いずれにしても、この様な珍しい雨乞いの石引きが行われている所は、ここ池内以外では見聞されず、当地にのこる唯一の無形文化財と思考され、往時の石引きの実態が知りたく調査していた処、幸いにも布敷の川崎隆先生の祖父川崎与三郎氏が昭和十四年に行われた雨乞いの石引きの様子を詳細に記録として残されており、なお当時の写真もあり、川崎先生のお許を得たので記載する。
 早魅は日照りの仕業と考えられ、神に降雨を祈願する風習は古来より我が国では行われていた。
 江戸時代田辺藩では日照りが続き凶作ともなれば、百姓は勿論のこと藩に於いても死活問題であるため、日照りが続くと村々ではお宮へ参り雨乞いの祈願を行った。藩に於いても被害が深刻化すると村々に対し雨乞いの祈祷を促すと共に、藩主みずからも雨乞いの祈祷を行っていたことが史料などにより明らかになっている。
 池姫神社に於ける雨乞いの石引きが行われた起源については定かではないが、江戸時代に遡ることは間違いなく、川崎隆氏が所有されている昭和十四年に行われた池姫神社に置かれていた数多くの大石写真からもそのことを窺い知ることができます。
 これ等の大石は、その後池内川の河川改修により埋められ今は見ることはできないが、現在川の中に二個の大石があり、石引きされた石ではないかといわれている。
 池姫神社の石引きが昭和十四年九月十日、池内九ケ字(村)によって行われたのを最後に途絶えてしまっており、今ではこの石引きの様子を知る人は地元の古老だけとなる。
 この最後の石引きについて川崎与三郎氏が書き留められた詳細な記録にもとづき、当時の石引きの状況を記述させていただく。…  〉 


《舞鶴の民話1》
 〈 五老のたき   (池内)
 池内川を上っていく。也内小学校を左に見ながら行く。ごつごつとした石が川にあり、川水がそれに当って白く輝く。時たま白い腹を光らせながら魚がすばしこい動きを見せる清流だ。
 こんもりと茂った森がある。池姫神社の森だ。ここから数百メートルの所に「五老の滝」がある。岩石がごろごろしている。日照りの続く時ほ、池内八ヵ村から村人が集まり、五老の滝の大きな岩を引くと必ず雨が降るといわれている。
 この滝の川上は岩でふさがれて水が流れず、昔は沼であったともいわれている。したがって、その
岩を取ると雨が降るというのは、この沼の主といわれる大蛇の忘魂のためだとも言い伝えられている。  〉 



布敷の小字


布敷 中島 木村 大以根 川南 川北 笠谷 神尻 森田 沢 上ノ宮 前田 岡ノ下 東谷 滝ノ口 登尾 五郎 下路 村内 上路 山窪 城野 三田押 西ケ岳 東ケ岳 上ノ山 沢山 尾ニガ谷 サノ

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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