関(せき)
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京都府福知山市大江町関 京都府加佐郡大江町関 京都府加佐郡河守町関 |
関の概要《関の概要》 大江町の中央部。国道175号線(河守街道)から大江山(内宮・外宮)へ向かう府道(宮津街道)が分岐する三叉路のあたりである。かつてここに関所が置かれていたための地名といわれる。 「ここはお国を何百里…」の軍歌「戦友」の作者真下飛泉の出身地で、その歌碑が宮川の河畔にたてられている。 天正8年細川藤孝・忠興領、慶長6年からは宮津藩領。 河守町の枝村であったが、関村は幕末から明治初年にかけて独立した。 関村は江戸期〜明治22年の村名。関は明治22年〜現在の大字名。はじめ河守下村、明治23年河守町。昭和26年からは加佐郡大江町の大字、平成18年からは福知山市大江町の大字。 《関の人口・世帯数》59・27 《主な社寺など》 河守北遺跡「河守北遺跡第六次発掘調査・現地説明会資料」など 弥生時代の遺物や古墳の存在が確認される。 河守町境の坂を上りきったところの溝に橋が架かり、「幣こけ橋」といい、この付近で麻呂子親王が竹の杖に御幣をつけて倒し鬼賊の在りかを占ったといわれるが、今は「屁こき橋」となまっているようである。その杖を突き刺すと逆さに根付いて芽を吹いたという縁起をもつ逆竹神社(祭神逆竹神)も付近の小字松本に鎮座する。小字段には段古墳がある。という。 氏神御霊神社 稲荷神社。 真下飛泉の戦友碑 《交通》 国道175号線 《産業》 関の主な歴史記録《丹哥府志》 〈 ◎関村(河守駅の次) 【御霊社】 【付録】(三宝荒神) 〉 《大江町風土記2》 〈 へいこけ橋 みなもと頼光が鬼たいじに行くとき、ぼくんとこの横で休みました。そしてついていた青竹のつえをつぎさして、それにごへいをつけまLた。その竹はさかさのまま芽を出し、ごへいはたおれました。それでここにお宮をまつり、逆竹神社といい、前の橋を「へいこけ橋」といいます。みんなは「へいこき橋」といっています。 (大江中 小林由美子)(河守小 小林憲治) 〉 関の小字関 松本 前島 高畑 横田 湯屋ケ谷 荒神ケ谷 甲谷 段 深田 井田 箕ケ淵 関連項目 |
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【参考文献】 『角川日本地名大辞典』 『京都府の地名』(平凡社) 『大江町誌』各巻 『丹後資料叢書』各巻 その他たくさん |
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