丹後の地名

下安久(しもあぐ)
舞鶴市下安久


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京都府舞鶴市下安久

京都府加佐郡舞鶴町下安久



下安久の地誌

《下安久の概要》


下安久は西舞鶴地区の伊佐津川川口に位置する。五老岳の南東麓の集落。安久は本来はずいぶんと広くて、和田の境から現在の上安久や吉原も含むと思われる。
この付近海辺はずいぶんと本来の舞鶴らしい景観を残す所で、大正4年近松秋江の「舞鶴心中」の舞台となった海岸であり、現在も映画などのロケに使われている。イサザ漁風景(3月の中頃)

(イサザ漁)→
早春の風物詩といわれるイサザ(シロウオ)は伊佐津川川口でよく採取される魚で下安久の特産。産地価格は一合1.000円ほどとか。漁場は旧相生橋下が有名だが別にここだけで採れるのではなくあちこちの川でも採れることもある。全長10センチ足らずの細長い透明体、やや飴色系で、背骨や内臓が外から見え、目玉が真っ黒、浮き袋なのか腹に空気の玉のようなものが見える、ハゼ科の小魚で、料理法は「踊り食い」などといって、生きたままをそのまま、いただいたりするチョー残酷なのが本筋とか。イサザ漁の簗
採り方はその川その川の地形に合わせていろいろと工夫されている。
以前は川面が亜麻色に盛り上がるほどに遡ったといわれるが、年々だめになり、今年(09)はここ何十年にはないといわれるほどの超不漁とか、それでも値は安いという。

古代以前はこの地の一帯は広く邇保と呼ばれたと思われるが、その遺称の二尾や匂ケ崎も地内にある。
もと安久村のうちで、安久村が上・下に分村したものという(上安久村誌)。往古、市辺王子・憶計・弘計王が当地を訪れた際、丹波国造稲種命らが安宮を造り奉仕したと伝え、安久とは安宮の転訛したものだともいう。
 古代は余戸郷、中世には余部里庄に属したと考えられる。
下安久村は、江戸期〜明治22年の村名。
享保12年の田辺城下の大火ののち、城下の竹屋町・魚屋町尻に住んでいた漁民がこの地に移され、東西の吉原町が作られた。
余内村。昭和11年舞鶴町。同13年からは舞鶴市の大字。明治31年鎮守府街道道筋拡張のため、上安久・下安久で約200坪が買収された。

《人口》255《世帯数》94(現在の下安久のみ)


《主な社寺など》
昭和14年銅鐸2個が出土した匂ケ崎遺跡
匂ケ崎古墳(3基)。
氏神は長浜の高倉八幡宮(現高倉神社)
西端の壷屋谷地区に真言宗東寺派吉原大師教会
上安久境の山腹に金比羅神社
曹洞宗桂林寺末全輪寺
全輪寺(舞鶴市下安久)

『加佐郡誌』
全輪寺、曹洞宗、寛永七年創立、余内村

『丹哥府志』
【王室山全輪寺】

『舞I市民新聞』(0609)
曹洞宗玉峰山全輸寺
    住職 飯田真也
 伊佐津川河口の右側に下安久の集落があって、中に入って行くと、奥の谷の入口左手に同寺は所在する。奥の谷の向うは五老ヶ岳である。
 全輪寺は曹洞宗寺院乍ら、昔えはそうではなく、臨済宗系の寺院であったのか、真言宗系の寺院であったのやら、訳らないと云う。しかし、かろうじて同寺の一隅に「真如院」と云う小さな「庵」があって、−−−現余内村金輪寺肴亀山帝文永三年(一二六六年)御宇ニシテ蘭渓大覚禅師ノ創立ニシテ真如院ト号ス本尊ハ三尊ノ弥陀ハ恵心僧都ノ霊作ニシテ云々。と、かすかに伝えるのだが、果たしてこの「寺院」が基なのか、と。
 当寺伝に現れるのは、江戸期に入ってからであり開創を寛永三年(一六二七、棟札)として、開闢開山は、寛永十二年(一六三五)州岩源龍和尚であると。以来当寺は現在まで連めんと在るのだが、この期間、一度も無住の寺であった時代はなかったと云う。そのことは以下の事情ゆえだったのだろうか。

 当代、ご住職は二十三世であられる。
 開闢から現在まで三七一年の間、当寺における住職のいわば在任期間が、各々短かく住職は再々変られているのである。そして変られた人の中には、本寺桂林寺の住職の任に就いておられる。下安久の在所では昔から「この寺(全輪寺)は桂林寺の隠居寺、出世寺と称して格式は高い」とされていたと云う。
 −−とある日、ご住職にお逢いした。ご住職は「このお寺は」と云い、奥の谷の入口右手の小高い台地に案内されて「ここが元の本堂跡です。」と、説明された後、南西の方角を指して、「本寺(桂林寺)と同じ高さ(位置)だったのですよ。」とおっしゃる。西市街地をはさんで、はるか向うの山並の中に桂林寺の伽藍が見える。しかし「それも昔のことですよ。」と。本堂跡と云ったが、昭和二十八年の十三号台風の折り、裏山がすべり、本堂と周辺建物は土に埋り、本堂の中におられた、当時のご住職(二十一世空外兆希和尚)は、共に埋め尽されてしまわれたとのこと。
 従って、今の本堂は後に、今の場所に再建された。
本尊 阿弥陀如来
御詠歌
 玉の峰涙入り江の寺なれば
 にほひ吹きくる松風の音

府道沿いの西ノ堂に稲荷神社
奥谷神社
三柱神社
邇保崎


《交通》


《産業》


下安久の主な歴史記録


《丹後風土記残欠》
余戸

十二月栗社

十二月栗神、祠無し。木を奉り神と称す。古老伝えて曰く、往昔、稚産霊神の植るところにして、歳毎の十二月朔日に、花生、二十日に至り実を結ぶ。正月元日に其実を取り、太神に奉る。今に至るも其例たがへず。蓋し是れ神験の奇乎。


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
下安久村
玉宝山全輪寺禅本寺桂林寺


《丹後国加佐郡旧語集》
定免七ツ三分
下安久村 高弐百八拾石四斗三升九台
     内六拾五石九斗五升六合 万定引

     五石御用捨高
 全輪寺 玉宝山 桂林寺未
 荒神

《丹哥府志》
下安久村
【王室山全輪寺】


《加佐郡誌》
上安、上安久、下安久などの字名の起源は舞鶴町の頃(参考五)に記せる安宮の音及文字にある。但し下安久のみは余戸里の部内であって大内郷には属さない。



下安久の小字

《舞鶴市史》より
下安久 栗ノ上 三杭 百区 笹ケ下 三角 中道 荒石貝 二尾ノ奥 五反ケ坪 黒石 小和田 堂ケ鼻 笹山 岩畑 堂奥 赤畑 中畷 白浜 小坂尻 小坂 小坂奥 小坂尾 松ケ下 滝和田 赤尾 壼屋谷 西ノ堂 村ノ内 奥ノ谷 川原 川ノ瀬 長通 小分 栃ノ木 大畑 壷屋

関連項目

「二尾、水銀地名」





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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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