丹後の地名

下東(しもひがし)
舞鶴市下東


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京都府舞鶴市下東

京都府加佐郡加佐町下東



下東の地誌



《下東の概要》
上東の道標(巡礼街道で右へいけば安寿姫塚、大船峠)
下東は舞鶴市の西部。由良川下流右岸に位置する。北流する由良川と並行して府道西神崎上東線、南から大船トンネルを通りKTR宮津線が走る。南方の念仏峠を経ると上福井に至る。
東部の建部山麓宮ノ谷の池畔には昭和3年加佐郡教育部会が史跡として建てた安寿姫塚碑がある。建部山は中世一色氏の本城で西麓は搦手にあたり、南の上福井との間に座尾(蔵王)峠があり、南部に大船峠道がある。
念仏峠には称名を刻した石造大供養塔が林立している。近世初期の細川・一色両氏の中山城攻防戦で戦死した士卒の慰霊碑が四散していたのを、江戸中期にここに集めて供養塔を立てたとも伝える。

下東村は、江戸期〜明治22年の村名。下東は明治22年〜現在の大字名。はじめは東雲村、昭和3年八雲村、同30年加佐町、同32年からは舞鶴市の大字となる。

《人口》152《世帯数》54。

《主な社寺など》
曹洞宗妙見山桂林寺末東善寺
八幡神社
安寿姫のものと伝える古塚

《交通》

《産業》


下東の主な歴史記録

《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
下東村
明見山東善寺この二ケ村の位牌所なり、大船峠建部山の麓、妙見権現の社あり、本地奥州岩城判官政氏、娘安寿姫成りと云う石塔あり、この在里芋を作る田辺の町に出商す。樒花売、株香売これまた町え出事ばかりなし。

《丹後国加佐郡旧語集》
定免六ツ九分
下東村 高四百八拾五石五斗五升
    内弐拾七石八升八合三勺 万定引
    四拾石御用捨高
 東善寺 妙見山 桂林寺末
 妙見権現
  未社 稲荷
  社地ニ安寿姫石搭有大舟峠ヨリ北ノ道ヲ行山際
  ニ有
 山王権現 東善寺鎮守
 八幡宮
 薬師

《丹哥府志》
◎下東村(上東村の次)
【妙見社】
【妙見山東善寺】(曹洞宗)
 【付録】(八幡社、山王権現、辻堂)

《加佐郡誌》
東雲村。往時凡海郷由良庄に属したもので、今の名は大雲川(由良川の一名)の東岸の意から出たものである。三日市、上東、下東、中山、水間の五ケ字から成っている。参考。中山の名は古くから著はれている。足利氏の晩年に一色氏の臣沼田幸兵衛が此処に居城を築いて居たが、天正六年四月に一色義通が之に依って細川氏に攻められた。

『まいづる田辺 道しるべ』下東の供養塔
…上福井より大船峠を越えて来た宮津街道は、現在の下東側の念仏峠へ上る辺りでKTRの線路の下を通る道へ出て来る。この峠下の山麓に当地では珍しく、巨大な石造の供養塔が林立しており、これと並んで石仏、庚申塔が一緒に祀られている。
 これ等供養塔の向かって右から、
O 宝暦十四年
  大乗妙典一千部読誦供養塔
         宜賢謹勤修

 ○ 宝暦十二年     萬
  大乗妙典六千部供養塔 霊
  七月吉祥日 宜賢謹勤修

        乃至法界
○大乗妙典全部写石  塔
        平等利益
   寛延二巳年七月
        宜賢謹勤修

○南無阿彌陀悌

 これ等の供養塔群は、もともと此処に有ったものでなく、これより北側の下東農協辺りに立っていたが、道路改修工事により現在地へ移転されたという。
 この供養塔群の建立については、記録も無く判然としないが、地元に伝えられる伝承として、 「天正七年 (一五七九)細川幽斎の軍が、一色氏の居城中山城を攻めた時、戦斗によって戦死した士卒の四散していたのを、江戸中期に、ここに集めて供養塔を建立した」という。又、一説には、「供養塔の一つ、大乗妙典一千部読誦供養塔については、疫病祈願の為に建立されたものである」と古老が話してくれた。
 これ等の石塔は、打越にあった古墳の石材を運んで作ったとも伝えられている。私はこの供養塔群について以前から一つの疑問を懐いていた。
 それは、宝暦六年(一七五六)百姓一揆の犠牲になり、この近くの建地峠に於いて処刑された八戸地村の長左衛門と吉右衛門、上福井の佐左衛門、河原村の五郎左衛門等四人の供養塔がこの中に有る様に思えてならない。
 なぜなら、これ等の供養塔の建立年度を調べて見ると、一番古いもので宝延二年(一七四九)、外の三基の内二基は宝暦十二年と宝暦十四年(一七六二と一七六四)である。あと一基の南無阿弥陀仏の名号塔は建立年代は不詳であるが、この供養塔の勤修者宜賢の名が、宝暦年代に建立された供養塔と同一人物であることが判明し、従ってこの供養塔は、宝暦年代に建立されたことにほぼ間違いない。
 又、これ等の供養塔は、中山城が落城した天正七年(一五七九)九月五日から数えて約百八十年余りも経過しており、余りにも年月が経ちすぎている。
 これに反して、宝暦一揆で宝暦六年(一七五六)に処刑された年から数えると七年から九年後になる。又、処刑地がこの近くの建地峠であったことなどを考え合わせると、この供養塔群の中のどれかが宝暦一揆で犠牲となられた四人の供養塔が有っても不思議ではないと思われる。
 念のため、宜賢なる人物が見つかれば、なにか手懸かりが掴めるかも知れぬと川筋周辺の寺院の歴代の住職を調べて見たが、そんな名は見当たらなかった。…




下東の小字

《舞鶴市史》より
下東 大船 人張 江ノ奥 戸ケ谷 森ケ谷 一ノ木 花田 辻ノ下 辻ノ谷 中ノ坪 水通 井前 麻町 中ノ島 堀町 平良町 大坪 上ノ段 八ケ坪 実田 小曲 上田 古屋敷 坂ノ谷 向路 飢坂 尻田 二ツ町 沖田 八反田 根木作 打越 与助谷 小谷 寺ノ谷 鳥河原 日雇谷 佐織谷 千坂 茶屋元 日原 座尾 宮ノ谷 一ノ谷 岡ノ谷 桑サコ 雁サコ 足里 堂鼻 稲葉 ツクシ トウカ谷 西ケサコ コウクシ カエリ田 コ堂鼻 辻ノ石 エノ下 イゝコエ 下野 三田 エブクロ イノキ下 トンド 岡ノ下 仲田 石橋 与平谷 寺ノ口 トノゴウ 堂ノ奥 イコシ山 山崎 ワサ田 鳥ノ口 大谷


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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