丹後の地名

下漆原(しもうるしばら)
舞鶴市下漆原


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京都府舞鶴市下漆原

京都府加佐郡加佐町下漆原



 

下漆原の地誌

《下漆原の概要》


下漆原は舞鶴市の西部。由良川左岸に位置する。由良川の支流岡田川の中流域。
「丹後国田数帳」には与佐郡宮津荘内に漆原名が見える。古くは与謝郡宮津庄に属したものと思われる。
下漆原村は、江戸期〜明治22年の村名。下漆原は明治22年〜現在の大字名。はじめは岡田中村、昭和30年加佐町、同32年からは舞鶴市の大字となる。

《人口》78《世帯数》26。

《主な社寺など》
宮ノ廻に日吉神社

《交通》


《産業》


下漆原の主な歴史記録

《注進丹後国諸荘郷保惣田数帳目録》
 〈 与謝郡
一 宮津庄 百五十五町三百十二歩内
  百七町九百八十歩   等持院
  十三町四段二百四十一歩  栗田村御料所
    此内一町一反三百六歩永不
  十五町九段三百十五歩   壇林寺
  七町五段二百八十九歩   同領公文分
  七町五段二百八十九歩  公文分 延永左京亮
    此内一町八段二百八十三歩  本不作
  二町五段七十四歩    漆原名  同人  〉 


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 上漆原村
長谷長野室鎌倉都而スベテ漆原と云う 地福山天然寺浄土宗、本寺田辺町浄土寺末寺なり。白髭大明神社二ケ所これ長野村(室)鎌倉の氏神なり、山王権現長谷の氏神なり。上漆原の郷民薪を採り同国宮津の城下に運び商なり。下漆原村山王権現社あり。  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免八ツ六分
下漆原村 高百三拾六石三升
    内壱石壱斗三升 万定引
    四石御用捨高
 山王権現 氏神  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎下漆原村(鎌倉より南入る)
【山王権現】  〉 

《加佐郡誌》
 〈 応徳元年久田美村の城主村上陸奥守岡田庄を配して、猪熊村、熊之美(見)村とし、猪熊村は又字由里、西方寺、富室、漆原の四字に分ち、熊之美村は地頭、大俣、高津江の三字に分った。所が寛治元年に改めて、由里村、富室村、西方河原村、下漆原村、上漆原村の五箇村を以て猪熊村を配する事とした。そして後更に仁治元年西方寺村の内字河原、下見谷、寺尾を以て河原村と称し、一村を配する様にしたのである。  〉 


伝説など

下漆原の小字


下漆原 ソウコ 宮ノ廻 稗谷 峠 小倉 オサ 長谷 清水 釘貫 梨本 山角 小倉口

《ふるさと・岡田中》
 〈 下漆原
漆器製造を業とする者を漆部と言い、東大寺奴婢帳に“加佐郡戸主漆部三使〃とあり、郡中に漆のつく村名外にはなく、この地が漆の栽培地で漆原の地名を残したものと思われる。漆原には小字峠に漆畑、梨本にも漆迫の地名あり、下漆原が漆生産地の中心をなして、この地名を残したものであろう。
 宮の廻り、日吉神社を取り巻く、前田、宮下、山角、岸、岩伏等は、夫々地勢によってつけられた名前だったが、宮の廻りに一括統一された名称である。
 清水(しょうず) 清水は谷水清く、おいしい水の湧く処であった。この世の名残りの死に水はこの清水の水を呑みたいというほどの、天下の名水が清水の名称を残したという。
 お杣より上流に、丸山を迂回した岡田川が反対側の山裾にはゞまれて、屈曲した道と川だけの狭い場所がある。度重なる洪水に露出した岩盤の上に作られた道は難所中の難所であった。しかしこの地は村でも要衡の地であるので石積の頑丈な道を作った。通行するにも荷物を運ぶにも苦難はやわらいだ。この地を苦抜きと呼ばれるようになり、何時かくぎ抜きにかわったという。付近一帯を釘抜き、採石場はその後も採石に使われ、発破をかけるようになってから、その音が地名となり「ドッカン」という所もある。
 梨本・稗谷、コカノキ、笹谷、栗田、粟田百合ノ下、欅谷、漆原、楮(お)田等植物名をつけた地名、虫迫、鳶巣、犬石等動物にゆかりの名称、また、炭焼きの名前だろうか人名をつけた所も多い。  〉 




関連項目






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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『舞鶴市史』各巻
『丹後資料叢書』各巻
その他たくさん





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