丹後の地名

多門院(たもいん)
舞鶴市多門院


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京都府舞鶴市多門院

京都府加佐郡倉梯村多門院



 

多門院の地誌

《多門院の概要》


多門院は舞鶴市の東部。東は福井県大飯郡高浜町に南は綾部市に接する。祖母谷川の一番奥、三国岳の東麓の集落。古くは堂奥と1村であったという。

《人口》211《世帯数》63


《主な社寺など》
臨済宗天竜寺派護国山興禅寺
山麓の毘沙門堂に木造毘沙門天立像(国重文)・多宝小塔(市文化財)
『丹哥府志』
 〈 【長谷山興禅寺】(臨済宗)  〉 

『加佐郡誌』
 〈 長谷山興禅寺、臨済宗、天正元年創立、倉梯村  〉 

『丹後国加佐郡寺社町在旧起』
 〈 多門院村  〉 

 〈 興禅寺余部雲門寺末寺禅宗なり。  〉 

『倉梯村史』
 〈 興禅寺 臨済宗  〉 

 〈  創建不詳。天正元癸年再建三六一年前なり。  〉 


荒倉に八幡神社
材木奥に天蔵神社


《交通》




多門院の主な歴史記録


《丹後国加佐郡寺社町在旧起》
 〈 多門院村
興禅寺余部雲門寺末寺禅宗なり。  〉 

《丹後国加佐郡旧語集》
 〈 定免八ツ四分
多門院村 高二百九十二石三斗七升
     内十七石八斗四升八合二勺 万定引
     八石御用捨高
  興禅寺 雲門寺末
  毘沙門堂 二ヶ所 鹿原山金剛院預リ
  若宮社
  愛岩山
  荒神芝社
  地蔵堂)、  〉 

《丹哥府志》
 〈 ◎多門院村(堂奥村の次)
【長谷山興禅寺】(臨済宗)
【毘沙門堂】  〉 

《加佐郡誌》
 〈 堂奥及多門院は共に祖母谷の部内にあった。もとは一村であったやうである。今は山口神社を共同の氏神として祭っている。此神社は桜町天皇の元文二年の春宮津町字河原の喜左衛門といふ者が山くずれの後を地ならししていたとき「丹後国加佐郡倉梯郷曾保谷山口大明神文安二年十一月二十一日勧進聖仙敬白」と銘のある鰐口一箇を拾ひ上げたから中筋村字引土の六兵衛と云ふ者と相談の上御上へは沙汰せずにお祭りしたものであると云ふことである。(文安は後花園天皇の御宇である。  〉 

《倉梯村史》
 〈 堂奥の地名由緒ありげなるも考證すべき術もなし。多門院は多聞院が正しかるべし.地名のゆはれ考ふる餘地あり後人の研究を待つ。
池ケ谷
 多門院材木の奥に池ヶ谷あり。昔日馬に跨りし白髪の老人一駄の黄金を此の谷に埋めし事あり、それより誰いふとなくイケが谷と言ひ遂に池ヶ谷と誤伝せしなりと。  〉 




多門院の小字


多門院 由里下 バガ谷 馬ケ谷 黒部谷 桑飼 梶ケ谷 小西 吉国 材木 材木奥 ハシキバヤシ 二反田 堂前 野手 森長 地蔵 野田 久保 池ノ谷 赤田 門ノ口 向山 黒部 戸根 胡麻 芦谷 小松尾 松尾 坂尻 大口 荒倉 東山 中島 中ノ坪 中状 多門 栃木谷 真坪 オソノ口 大松尾 大井川 矢ケ谷 多門奥 家奥 ニイレ 由里ノ鼻 ハカ谷 岩鼻 宮ノ下 朽木谷

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