丹後の地名 越前版

越前

奥野(おくの)
福井県敦賀市奥野


お探しの情報はほかのページにもあるかも知れません。ここから検索してください。サイト内超強力サーチエンジンをお試し下さい。


福井県敦賀市奥野

福井県敦賀郡愛発村奥野

奥野の概要




《奥野の概要》
市街地の南東部。疋田から東側、国道8号線の次の集落。山間の谷間というか盆地というか、広原状に開けて、地名のとおりに奥にある野という感じがする。新道野越の塩津道が通る街道沿いの集落。
慶長3年(1598)の奥野村検地帳写に、当村の田畠は11町1反2畝40歩、分米は141石4斗6升(奥野区有文書)とあるそう。慶長国絵図では曽々本村を含み高227石2升。
近世の奥野村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)鞠山藩領、明治3年小浜藩領。享保12年(1727)家数29(高持20・無高8・寺1)・人数168、馬16。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に、戸数25(全戸農)・人口149、馬1、荷車10(貨物運搬用)、産物は麻15貫・繭6貫・製茶60斤・桑400貫・桐実12石・炭900貫。「敦賀志」は「此村より製し出す所の茶ハ、甘苦甚して江戸の水によくあへりと云、郡中亦是を賞翫す」と記す。同22年愛発村の大字となった。
近代の奥野は、明治22年~現在の大字名。はじめ愛発村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西2町・南北1町余、戸数22、人口は男82・女76。


《奥野の人口・世帯数》 40・18


《奥野の主な社寺など》

神明神社

集落の中程にある。
『敦賀郡神社誌』
村社 神明神社  敦賀郡愛發村奥野宇宮ノ下
位置と概況 本區は南十三町にて疋田區に、山を隔てゝ東十数町にて曾々木區に隣接し、東西北の三方は、山嶽を以て圉まる、疋田驛より約三町にて、柳ヶ瀨街道〔麻生區にて塩津道と分岐する〕より分岐せる里道に依り、約十町にて本區に到る、其間は山麓に沿ひて、崎嶇突兀の爪先上りの道路である。氏神鎭守は山麓にありて、社域は通路より直に坂めきた參道を設け、其兩側に竹林がある。これを上れば拝殿がある、こゝより更に高さ二間餘の石垣を以て堺し、十数級の石階を上りつむれば本殿は二棟鎭座し給ふ。一は神明神社、一は日吉神社である。共に西面にして、區の中央より南方に位したる東端に當り。社後の山林は悉く雑木林であり、境内地北方の一部は、杉森を隔てゝ人家が近接してゐる。社前の參道の南側に竹林密生して、陰鬱を極めてゐる。然れどもこれ等の整備をなしたらんには、一段の風致を増し、反りて閖靜清明の神域と化することも亦容易であると思はるる。
祭神 天照皇大神
由緒 按ずるに、當社は古くより神明社、又け御神明様と尊稱し奉りて、敦賀志稿には、氏神神明兩宮とある。氣比宮社記には、古老傳云伊勢兩宮也とある。惟ふに伊勢内宮・外宮の御祭神を奉祀せるならん。但し明細帳には内宮一柱となつて居る。明治十一年三月村社に列せられた。
祭日 例祭 七日十五五日 春季祭 五月二日 新嘗祭 十二月二日
祭禮風俗 九月十五日の例祭日の夕刻より、區内の・青年團員等は境内に参集して、神燈や提灯の明りで、仲秋名月の傾くを忘れて、更けゆく夜まで、太鼓の音に合せて、愉快に踊るとのことであるが、別に獨特の踊りではない。
本殿 …
境内神社
日吉神社 祭神 大山咋命
 由緒
  往古より鎭座し給ふも、本社神明神社よりも古く鎮座せしや否やは判然せぬ、山王社と稱して尊崇が厚い。


曹洞宗青原山宗昌寺

集落の奥にある。享徳3年(1454)創建、疋田城主疋田兵庫頭宗昌の開基という。
『敦賀郡誌』
宗昌寺、曹洞宗、南條郡春日野盛景寺末、享徳三年創立、開山雲窓、慶長五年火災に罹る。堂宇は其後の再建なり。疋田城主疋田兵庫頭宗昌、本寺の開基なりとて、其墓、後山に在り。弘治三年七月二十五日と勒すれども、墓は後世の者なり。末寺数ヶ寺あり。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


奥野の主な歴史記録



奥野の伝説

『越前若狭の伝説』
きつね塚   (奥野)
疋田の利仁将軍の別館からほど近いところに丸山がある。奥野部落の入り口に当たる。この丸山の頂の雑木林の中に自然石を集めて造られた小つかがある。これは利仁将軍の奥方(側室)の墓であるという。奥方は若くしてなくなった。奥方が生前かわいがっていた白きつねが、このつかを守っていた。それで世間ではこのつかをきつね塚と呼ぶ。このきつねは、はなはだ賢く、常に奥方の使い走りをしていたという。
なお、つかにある石地蔵は、夢のお告げでここに移ってこられたもので、延命地蔵尊である。奥方を葬ったのは、二月四日の節分の日であったので、今でも当日に赤飯のおむすびやあげ(あぶらげ)に小魚を添えてお供えする風習になっている。       (浅井善太郎)



奥野の小字一覧

奥野  応庵 下り戸 川原 西岡崎 杉ノ木 下出 湯坂 脇ノ谷 丸山 七兵衛川 岡崎 南平 三昧平 二牧田 西平 山出 稗谷 西野 西下川 東下川 宮ノ下 東村中 広野谷 庄田 別ツ田 森ノ下 山ノ神 真谷口 水上 大谷口 柿原 大谷 西ノ本小谷 荒田 越知山 柳ケ谷 川向 長測 池ノ平 欠ノ平 池ノ平谷 丸山谷 下庄田 西小谷 柳原山 西越知山 奥水上 大本谷 山出 三牧谷 下山 大庵山


関連情報





資料編のトップへ
丹後の地名へ


資料編の索引

50音順


若狭・越前
    市町別
 
福井県大飯郡高浜町
福井県大飯郡おおい町
福井県小浜市
福井県三方上中郡若狭町
福井県三方郡美浜町
福井県敦賀市

丹後・丹波
 市町別
 
京都府舞鶴市
京都府福知山市大江町
京都府宮津市
京都府与謝郡伊根町
京都府与謝郡与謝野町
京都府京丹後市
京都府福知山市
京都府綾部市
京都府船井郡京丹波町
京都府南丹市




【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



Link Free
Copyright © 2022 Kiichi Saito (kiitisaito@gmail.com
All Rights Reserved