丹後の地名 越前版

越前

和久野(わくの)
福井県敦賀市和久野


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福井県敦賀市和久野

福井県敦賀郡粟野村和久野

和久野の概要




《和久野の概要》
市街地の南部で、東に黒河川、西に助高川が流れる。地名は当地が扇状地の湧水点に立地することから、その湧水にちなむといわれている。
『敦賀志』(『敦賀市史史料編5』)に、
和久野村
氏神劒大明神、宗永寺(禅宗永建寺街)此村の北のはづれに清泉あり、昼夜混々として幅七八尺バかりの河となり、嶋郷十一村の田地に分灌す、早魃の年といへとも終に涸る事なし、又水損の憂もなし、
中世の和久野村は、室町期~戦国期に見える村。文安元年(1444)4月11日の平内二郎田畠居屋敷売券(西福寺文書)に「和久野村念仏田之内」とあり、この地が平内二郎から西福寺に売却されている。永正11年(1514)8月24日春庾買得目録(同前)などに「島郷和久野村」社司免田9反が春庾に買得されているが、永正12年2月9日このうち2反が春庾から西福寺に売却されている(同前)。慶長国絵図では島郷2,411石余の一部。
近世の和久野村は、江戸期~明治22年の村。はじめ福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)鞠山藩領、明治3年小浜藩領。
「敦賀郷方覚書」に家数24(高持12 ・ 無高11 ・ 寺1)・人数126 (男58・女67 ・ 出家1)、馬9。享和3年(1803)小浜藩は領内における荒廃田の調査を行った、当村にも東和久野河原と呼ばれる荒廃田が存在していた。文化元年藩は若狭天徳寺村の黒鍬組頭川原藤四郎に命じて荒廃田の再開発を行わせることになり、東和久野河原へは道ノ口村の笙ノ川から堂・山泉を通り、黒河川を横切る東和久野用水(藤四郎川)を引き開発にあたった。文化2年(1805)には7軒の仮小屋が建てられ東和久野村が成立した。「雲浜鑑」に家数4・人数11。のち和久野村の本高を分け和久野村191石余・東和久野村116石余とした。明治4年小浜県、以降敦賀県、滋賀県を経て、同14年福井県に所属。「滋賀県物産誌」に戸数32 ・ 人口161、牛1・馬3,荷車2(貨物運送用)、「農の傍ラ莚織或ハ物品運送ヲ事トセリ」とある、産物は莚1,200束。同22年粟野村の大字となる。
近代の和久野は、明治22年~現在の大字名。はじめ粟野村、昭和30年からは敦賀市の大字。明治24年の幅員は東西4町・南北5町、戸数22、人口は男79・女79。同42年県営和久野団地建設に伴い一部が新和町1~2丁目、同48年昭和町1~2丁目・呉羽町となった。


《和久野の人口・世帯数》 1492・622


《和久野の主な社寺など》

劔神社

剣大明神、祭神は剣大神、境内社に神明社と八坂神社がある。
『敦賀郡神社誌』
村社  劔神社  敦賀郡粟野村和久野字岸ノ上
位置と概況 本區は、土地平坦にて四圍開け東方は黒河川の一水を隔てゝ中郷村山泉區に隣し、北方は十町にて若狭街道(丹後道)に沿へる野神區の朶村、俗稱一本松を經て敦賀町に至る。南方は八九町にて公文名區に、西方は田野及び助高川を隔てゝ市野々區に隣してゐる。氏神劔神社は區の南端西方にて、本殿は東面して鎭座し給ひ、若狭街道より分岐した里道の公文名道に沿うて、境内は平坦にてこれを二分し、拜殿前庭に高さ二尺餘り石垣を四圍に廻し、その前面中央に三級の石階が設けられ、これより上の丹塗木造の小烏居を入り、昭和大典の記念事業たるコンクリート造の参道数間を進むと本殿に詣づ、本殿の南側には神明社・山神社の二末社が座す、西方及び南方は田野にて、東北は道を隔てて一家が介在してゐる。社域には樹木鬱蒼として繁茂し、特に南方は椎・タモの常緑樹林立して、幹圍一丈以上に及ぶもの数本あり、又杉幹圍丈餘のもの二本あり、社域は青垣を繞らして神厳な神奈備森である。
祭神 劔大神 倉稻魂命
由緒 按ずるに、當社は昔時より劔大明神と尊稱し奉つてゐる。氣比宮社記に『祭神玉依姫』とあれば、今これに從ふ。明治九年七月十七日村社に列せられ、大正二年四月七日、同區字東組地籍に鎭座し給ひし、村社稲荷神社、祭神倉稲魂命を合祀し奉った。
祭日 例祭 五月三日 所年祭 舊二月初午當日 新嘗祭 十二月五日
本殿 …
境内神社
神明神社 祭神 天照皇大神 豊受大神
山神社 祭神 大山祗大神…


曹洞宗栗原山宗栄(そうえい)
粟原山宗栄寺(曹洞宗)、本尊は観世音。


『敦賀郡誌』
和久野  市野々の東に在り。西福寺文安元年四月の賣卷に和久野村、寳徳四年三月の文書に和久
野々村、文龜三年寺領目録に和久野とあり。幕末時代より廃藩に至るまで、東和久野村を分置す。東和久野村は和久野の東に在りき。文化年間の墾田なりと云ふ。文化五年三月の戸數四軒、人數十一人なり。後には和久野の本高を分けで一村としたる者なり。(…)氏神、剱神社、村社、境内神社神明神社・山神社の二社あり。 稲荷神社、村社。 宗榮寺、曹洞宗、松島永建寺末、本尊観世音。


《交通》


《産業》


《姓氏・人物》


和久野の主な歴史記録



和久野の伝説





和久野の小字一覧

和久野  岡ノ腰 東河原 御所尻 立伴 東組 大道下 一ノ場 七降 外高 剣先 下河原 二ノ湯 和久野 岸ノ上 八反田 大水口 竹ノ下 助高 石代 三反田 杉本 小林 五反田 古河 藪ノ下 野添 井ノ上 深田 上石 水込 下畑 荘堺 下蓮賀 上椎木橋 西登り橋 下石橋 金剛丸 上免田 蛇原 流田 山ノ神 下五反田 上丁縄手

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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『福井県の地名』(平凡社)
『敦賀郡誌』
『敦賀市史』各巻
その他たくさん



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