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相生町(あいおいちょう)
京都府綾部市相生町


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京都府綾部市相生町

京都府何鹿郡綾部町

相生町の概要




《相生町の概要》
商店街の間に位置する住宅街で、どこが境になるのかわかりにくいところ、だいたいは府道8号線の南側で、北は天神町、東は西町1~3丁目、西は西新町、南は広小路1~4丁目。
相生町は、昭和28年~現在の綾部市の町名。もとは綾部市大字綾部町・綾部村の各一部。


《相生町の人口・世帯数》 87・43


《主な社寺など》
浄土真宗本願寺派大塚山浄光寺

浄光寺 本願寺末  綾部町
町裏ニ四ツ堂ト云地蔵在 往古此四方ヨリ五月節句石打合有 大和屋九右衛門先祖ニ当リテ死スト云止ム (『丹波志』)

浄光寺(広小路)
宗派 真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
 寛永十一年舞鶴市瑞光寺の分として、山塚(児童公園附近)に創建、初め浄光庵といった。建立の大檀那は、羽室氏であったらしく、開基は教俊坊である。
 その後七十年を経て寺が大破したので、元禄十五年十一月、藩主に願出て広小路の出はづれの芝原を拝領して新に建立されたものである。文化二年火災にあい、文政元年再建された。
(『綾部町誌』)
何か語られない過去がありそうである。石打というの印地打ちといわれる石合戦で、雪合戦を雪でなく石で行うもの、それは死者も出る。伊牟地と呼んでいて「忌む地」でなかろうかとも言われる。権力から忌まれるということで反権力ゆえに、あるいは何もユエはないが貶められ差別された何者かが住む地がかつてあったのかも知れない。一般庶民というのか、権力になびいて権力に一人前とあつかってもらっているとされた側の多少アマタの弱い者が石をもって襲ってもよい、無保護の民の地であったのかも知れない。院内とか別所とか呼ばれた地も同種だともする、鬼退治だぁテロ退治だぁと喜んでいるだけではなるまい、どっちがオニだかテロだかわかったものでない、皆が言ってるからといってそれが正しいというわけではない。国難だと大騒ぎしている本人こそが一番の国難であったりもする、まことのオニはどちらであろうか、まことのオニに無批判になびいていると自分も我知らずオニに落ちてしまう、オニどもの名誉の十字軍兵士にでもなったつもりでいるととんでもない思い違いをすることになる、ついさっき経験したばかりである。現在も未来も、また過去も人間の歴史は美しいというだけではなさそうである。石打ちは後には5月5日に子供の遊びとして行われたという。
どこからの影響なのか、中国というよりは、中国の身分制は甘いので知られ、こうした厳しい考え方の典型はインド、ヒンズー教のカースト制である、日本のこうした今では信じられないほどの差別がある身分制はインド的なものが混じっているのかも知れない。
上には聖なる浄らかな者がいて、下には穢れの者がいる。不可触民、アンタッチアブルの民で、別にこれといった合理的な理由はないが、聖なる浄なる者の対極にこうした階層が作られている。彼らには人権も何もない、いつ何時暴行や放火やなぶり殺しに合うかわからない。穢れを取り払う正当な褒められる聖戦行為として見ているので、やる方はやり放題でおとがめはなく罪の意識もない。ワシはエライモンだなどと思い違いするとこんな行為に及ぶことは、日本でも少年などが路上生活者などを襲うことに見られる。インドではこうした行為は今でも年に何千軒とかあるという。
日本の身分制は「士農工商」などとして知られるが、それはガッコーの歴史で、本当は、貴種-「士-農-工-商」-穢多-非人である。貴種「士農工商」は中国的な身分制で賤民制はあるが、穢多非人制はインドでないのかと思われる。中国ではケガレ多い人とか人に非ず人とか、そこまでは差別はしない、皇帝でも替えればいいとされる国だから、身分は固定的ではない、どんな下でも体制内であって、人としてのそれなりの保護がある。
天皇を頂点にその対極に穢多非人が置かれた。人でない神である天皇制があれば、対極に補完としてこうした人でない犬である賤民制、穢多非人制が作られる、物事の必然なのである。絶えず彼らを大衆の面前でいじめ抜いてこの制度は社会制度的にも社会意識的にも日々更新され再生産される、天皇を頂いた貴種のためにこの制度は維持され続けなければならないのである。天皇権力に近い地域には被差別部落が多いことはよく知られている。
こうした部落が周辺から石で攻撃されるとか放火されるとかは本当にあったのだと見ておくのがいいと思われる、明治になってもあったことだと言われる。犬と同じだから、何とも思わない、定例的に行われていたものかも知れない、そうしないと身分制は絶えず再確認され維持され続けられないことになる。ワシは天皇側の人間だ、エライリッパなモンなんだと勝手な思い違いをしたアホな「士農工商」が自分より下の階層を武力攻撃することが奨励され黙認されていた。権力は彼らを案外に恐れていて、一種の「予防攻撃」のようなものとしても奨励されたかも知れない。身分制の強化はどちらにしても基本は上からのもので、権力直属の陰陽師あたりが説いて回ったものだろうか。
天皇は万世一系で永遠のものである。中国はそうした考えはない、皇帝は悪ければ倒せで、革命は認められていて、何度も王朝が交替している。日本の身分制の一番上と一番下は中国的ではない、ではどこなのか、インドかそれとも北方遊牧民か。それらの混淆したヘンなものなのか。
正式の記録には何も残らないが、ふとした記録の片隅に残っている場合もある、不注意に見逃さないようにしたい。



《交通》


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【参考文献】
『角川日本地名大辞典』
『京都府の地名』(平凡社)
『何鹿郡誌』
『綾部市史』各巻
その他たくさん



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